紀伊国屋サザンシアターにて、キャラメルボックス オータムツアー「さよならノーチラス号」を観劇してまいりました。



大丈夫。この世に、取り返しのつかないことなんか一つもない。



明解なテーマと、リアルでシンプルなストーリー。キャラメルボックスの芝居はいつだってまっすぐなのですが。
この作品は、さすがに脚本の成井豊が「私の家族の物語」「私戯曲」と言うだけあって、他の作品に輪をかけて、ものすごくシンプルで、そして、“真っ直ぐ”でした。


デビューしたての新進作家と、小学校六年生の過去の自分を行ったり来たりする主人公・タケシに、多田直人。いやー、30歳(だったかな?)の若者と、小学校六年生。なんのきっかけもなく、着替えもせずにそのまま舞台の上で切り替えるのはさぞ難しかっただろうと思うのですが、すごく自然でリアルで、良かったです(ちょっとデカかったけどね)。気弱で優しい少年だと思わせておいて、実は意外な闇を抱いている役でしたが、すんなり納得させてくれました。



小学校六年生の夏休み。
終業式が終わると、タケシはリュックを一つ背負って、所沢から電車に乗った。
夜逃げした家族が待っている、府中の町工場の二階へ。

夏休みが終わったら、また自分ひとり、所沢に戻らなくてはならない。
そのプレッシャーの中で、それでも夏休みの一日、一日を、宝物のように抱きしめて過ごす少年。その切なさと不安と、そして、新しい出会いへの好奇心。その輝きを、ちょっと寂しげな笑顔の多田くんが、過不足なく存在していました。

タケシが欲しかったもの、なのに、欲しがることさえできなかったもの。それはたぶん、家族が揃った普通の日常というものだったんでしょうね。
小学校六年生の子供には、どんなにがんばっても自分の力で手に入れることはできないもの。
……だから彼は、自分の力で手に入るものを、手にいれようとした。
広い海を自由に泳ぎまわる、ノーチラス号を。

ジュール・ヴェルヌの「海底二万マイル」が好きだった彼は、家族が住んでいる部屋の下にある自動車工場の主・根本勇也(岡田達也)に密か「ネモ船長」というあだ名をつけた。
勇也には勇也で、兄(森下亮)との確執とか、色々悩みはあるのですが、とりあえずこの物語の中では、彼はタケシを世の荒波から守る立場にあります。
勇也自身が闘っている、“世間”という名の不条理から。

岡田さんは、「容疑者X…」のガリレオ探偵とはちょっと違うキャラクターでしたが、これもよく似合っていました。ちょっと斜に構えた役が似合いますね。彼自身の物語があまり語られないので、どうしてそこまで兄に対して下手に出なくてはならないのかがよく判らないのですが、でも、一つ一つの行動に説得力があって素敵でした。二枚目だなあ(^ ^)。

子供は天使じゃないし、“天使のような子供”なんてものは、現実にはいない。
勇也にはそれが解っているんですよね。彼自身が、子供だったときの自分を覚えているから。子供にとっての“世界”が、どれほど理不尽で不条理なものに満ちているか、を。

だから彼は、大人の都合に振り回されたタケシに、ノーチラス号を作ってあげたいと思うのでしょう。
自ら閉じこもった檻から、自由になるための翼をあげたい、と。




物語のキーパーソン、いや、キードッグ(?)となるゴールデンレトリーバーのサブリナ(勇也の飼い犬)は、初演と同じ坂口理恵。
いやー、、、、メークも衣装もなんてことないのに、ちゃんと犬に見えるのは何故なんでしょう(汗)。たしかに、ゴールデンレトリーバーって割と人間臭い仕草や顔だとは思うけど、それにしたって。尻尾がついているわけでもなんでもない茶色のつなぎの衣装を着て、普通に立って歩いているのに、ちゃんとサブリナに見える。坂口さん、ブラボー(^ ^)。




タケシを取り巻く家族は、父親(久保貫太郎)、母親(真柴あずき)、兄(筒井俊作)。いろいろ微妙だけど、いい家族だなあと思います。愛情深くて、希望を捨ててなくて、と。

ただ。歳の離れた末っ子っていうのは、親からみると“ただただ可愛い”存在なんですよね。まあ、愛されることが当たり前すぎて、その有難みがわからないんだと言われればその通りなんですけど……いや、私がそうなんですけどね。でも、末っ子の立場から言わせて貰えば、それは結局、愛玩動物に対する可愛がりかたなんですよ。で、愛されているのは解ってるから反抗するきっかけが掴めなくて、いい大人になってから反抗期がきたりする訳なんですが(苦笑)。

ただ。
愛玩動物としてひたすら愛されていると、逆に、家族が大変なときっていうのは、すごく寂しい思いをするんですね。そういう存在に対して、現実の苦労の話をすることって無いじゃないですか。思い出したくないから。
だけど、子供は一応人間なので、何が起こっているのかわからないけど、何か問題が起こっていることはちゃんと知ってて、不安が募っちゃうものなんですよ。このまま家族がバラバラになってしまうんじゃないか、そのうち自分は置いていかれてしまうんじゃないか、、、と。

ちょっと時間がたてば、そんなことあり得ないってわかるんですけどねぇ。
正体がわからない不安だから、渦中にいると自力で払拭できないんでしょうね。



タケシの不安は、そういう不安だと思うんです。
家族は夜逃げした。兄は連れて行ったけど、自分は置いていかれた。根本的には、それが怖くて、そして哀しい。

もちろん、子供といっても六年生なんだから、理屈はわかってます。自分は義務教育で、学校を辞めてしまうことはできない。でも、転校するためには住民票を移さなくてはならない。夜逃げするのに住民票を移すとか、あり得ない。わかってる、ちゃんと。
でも。理屈はわかっても、気持ちは静まらない。だって、事実はたった一つです。お兄ちゃんは父さんたちと一緒なのに、僕は置いていかれた。

子供だから、何もできないから、父さんたちの役に立たないから、いらないから、……邪魔、だから。

夏休みの間は、一緒にいられる。家族でいられる。
でも、夏休みが終わったら?二学期は長い。子供にとっては、気が遠くなるほど長い時間を、自分ひとりで過ごすのです。親戚と言う名の他人の家で。そして、それで全てが解決できるわけじゃない。また冬休みが終われば同じこと。いつになったら終わるの?何週間?何ヶ月?それとも、まだこれから、何年も?


無神経な父親、優しいけれども忙しすぎる母親、そして、独りよがりで短気な兄。
愛情は深いけれども、皆が末っ子を心から愛しているのは間違いないけれども、でも、タケシにとってはどこか遠い存在だった家族。

だからタケシは、自分だけのノーチラス号を探し求める。置いていかれる不安と闘いながら。





勇也が巻き込まれる事件や、怪我をした少女(美香)の物語は、作品全体からみれば、最後の河原の場面にもっていくためのネタにすぎません。美香役の稲野杏那の透明感と明るさ、可愛らしさはすごく貴重な存在感でしたけど、物語のテーマには全然関係なかった(^ ^;
すべてのエピソードが、タケシと勇也を多摩川の河原に連れて行く。


ノーチラス号が欲しかった。

大人になりかけた子供が、世界を否定しようとする叫びの純粋さ。

自由に世界を泳ぎ回るために、僕だけのノーチラス号が。


子供だった自分を忘れられない勇也には、タケシに何も言ってやれない。
ただ、無責任な慰めを繰り返すだけで。

大丈夫。この世に、取り返しのつかないことなんか一つもない。


……だいじょうぶ、
そんな単純な言葉で、それでも慰められてしまうのが子供というものなのでしょう。
だいじょうぶ、と、そう大人に言ってもらうだけで、納得してしまうところが。




多田さんの笑顔は、とても優しい。
優しくて、柔らかくて、そして、すごく寂しい。


坂口さんがゴールデンレトリーバーなら、多田さんは柴犬だな、と、


……すべての犬種の中で、柴犬が一番好きな私は、思ったりしました(^ ^)。






17日(木)からは、シアタードラマシティで上演されます。
数あるキャラメルボックス作品の中でも、成井さん自身が色濃く映し出されたこの作品、
ぜひぜひ観てあげてください(はぁと)

と、カーテンコールで岡田さんに言われたとおりにお伝えする、子供のように素直な私でした(^ ^)。




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