東京芸術劇場中ホールにて、TSミュージカル「天翔ける風に」を観劇いたしました。




野田秀樹の「贋作・罪と罰」をもとにしたミュージカル。
そもそも、この「贋作・罪と罰」自体、ドストエフスキーの「罪と罰」を元に、時代を幕末の江戸にうつし、坂本竜馬を絡ませて翻案したもの。私が観たのは野田さんが日本に帰ってきてNODA・MAPを立ち上げた翌年だったかその次だったかだと思います。
もう10年以上も前(!)のことだし、一回しか観ていないので内容は殆ど覚えていないのですが。
大竹しのぶさんが演じていた三条英の黒い男服と、くっきりとした輪郭のある透明感、そして、あまりにも激しいアクションの連続が、すごく印象に残っています。




そして、「天翔ける風に」。
私が観たのは初演、まだタータン(香寿たつき)が現役タカラジェンヌ(専科)として特出した時。
で、男装で出てくるものと思っていたら、案外女性らしい衣装で出てきて、しかも現役タカラジェンヌとは思えない高い声(汗)。この人は、とっとと宝塚を卒業して女優になったほうが良いんじゃないか、と思ったことを鮮明に覚えています。

案の定、割とすぐに星組トップスターに就任(←特出時には内定発表されていたかも)、2年ほどで卒業。すっかりイイオンナになったタータンの、卒業後第一作として再演されたときは縁がなくて観られなかったのですが。

今回、久しぶりにこの作品を観て、あらためて、英の“女”に吃驚しました。
…いや、違う。“女”じゃない。英の“少女”に、です。


なんというか。今回の三条英は、すごく“理論に踊らされた被害者”的なイメージを感じました。…いや、“被害者”っていうとちょっと違うな。やっぱり“少女”かな?外界に対してすごく閉じられた存在。自分の中で完結しようとするあまり、外界からの刺激(=すべての出来事)に対して、まず拒否から入るタイプ。
もともとタータンは、その外見や年齢にそぐわない少女めいたところのある役者で、そのギャップが面白いんだと思うのですが(「ジキル&ハイド」のルーシィとか)、三条英は、その潔癖な理想家ぶり、孤高であろうとする強がりが酷く子供っぽくて、、、、才谷梅太郎(山崎銀之丞)が彼女を守りたいと思い、世の醜さに触れさせないために隔離したくなる気持ちがわかる、というか。
自分自身の力でなんとかしなくてはいけない、という切迫感が英にないぶん、彼女を見守り、その不器用な生き方を護ろうとした才谷、という人物が浮かび上がってきたような気がします。そして謝さんは、その潔癖症の少女性を三条英に求めているんだろうな、と。




獄につながれた英のもつ、透明感。
『あたしの彼方へ』と幸せそうに紡ぐ、言の葉たち。

その言の葉が舞い落ちる下で、血を流して倒れている、黒いシルエット。




今回の才谷は、昔から大好きな銀さま(山崎銀之丞)。
ちなみに、初演は畠中洋さんでした(*^ ^*)。

銀さまは銀さまで達者な人ですし、間のとりかたといい、包容力といい、文句なしに素敵だったのですが。ただ、どうしたって銀さまと畠中さんじゃミュージカルの出演歴が違うというか……いやいや、銀さまも予想以上に歌は良かったんですが、ミュージカル初出演の銀さまが畠中さんのレベルに達してないのはそれは仕方のないことでして。(←言い訳が長いよ)
すみませんすみません。銀さまの才谷、本当に素敵でした。
……でも、もう一回畠中さんの才谷に逢えるなら、日本全国どこにでも行くぞ私は。



今回観て、あれっ?と思ったのは、つかこうへいの「広島に原爆を落とす日」を連想したことでした。
何がどう連携したのか、自分でもよくわからないのですが。

ラスト近くの、才谷と英の会話を聞きながら。
二人の会話の透明感、明るさ、内容は一国を(幕府を)滅ぼす話なのに、ひどく明るく、幸せそうに語りあう二人を観ながら。
「だから、僕が、やるんだ。---誰よりも日本を愛している僕が、広島を愛している僕が、新しい世界を始めるために、僕にしかできないことを」と、晴れ晴れと宣言した場面が思い出されて。

…なんでかな、と思うんですけどね…(- -;





英を追い詰める担当刑事(←当時はまだ幕末で、そういう呼称は無かったはずだが…)の都司之助は、戸井勝海。お髭が素敵でちょっとうっとり(*^ ^*)。
いや、久しぶりに歌も芝居も大満足のできでした。あのイヤらしさがとってもお似合いです。あああ、髭萌え。(←結局そこか!)

あんなに“大人”な芝居をする戸井さん、珍しいような気がします。英の“理論”あるいは“論文”に関する一連の会話のイヤらしいこと!!まるっきり大人と子供の議論すぎて、勝負にも何もなっていなかったのは、ちょっと面白いくらいでした。初演もあんなだったっけかなあ…。彼女が血を吐く思いで叫んでいたはずの“理論”さえ、ちょっとかっこいい言葉を並べただけの机上の空論に聴こえてしまったんですよね。あれは意図したものだったのかなあ…?



英の父親で、酒のせいで仕事を喪い、身を持ち崩した甘井聞太左衛門に阿部裕。小者っぷりが切ないほどで、良い役ですよね。以前観たときはどなただったのかな…。
英の母親・三条清に福麻むつ美。妹・智に剱持たまき。なんだか、初演の印象では、この二人はもっと英を追い詰める存在だったと思うのですが、なんだか普通な感じでした。英の運命そのものに、あまり異常性が無かったしな。……よく覚えていないんですけど、三条家に関わる部分の演出はかなり違っているような気がします。家庭の異常性よりも、時代の異常性を表に出した印象。…全然違うかもしれませんが(滝汗)


退屈しのぎに人の運命をもてあそぶ、財産持ちの溜水石右衛門は、今拓也。うっとりするほど素敵な青髭っぷり♪ああ、なんてステキなSっぷりかしら。たまきちゃんを襲うところとか、すごく力弱い感じで素敵でした。たまきちゃん、強いんだもん(^ ^)。大好きだー!


志士たちのリーダーは、平澤智さん。いやはや、格好良かったです。
回りの志士たちもよく暴れてました。ただ、初演はもっとJAC系の役者が多くて振りつけもアクロバティックだったような気がするんですけど、気のせいでしょうか…?(むしろ『贋作…』の方かも)



志士たちは、幕府を倒したいわけじゃない。
新しい世界を創りたいわけじゃ、ない。

ただ、自分たちが勝利したいだけ。
だから彼らは、否定する。無血開城を実現させた、竜馬を。
無血で世の中を変えようとした、竜馬を。

どうせ王座は、血で購うもの。
江戸城は無血で開城しても、結局のところ戦は起こる。いつか、必ず。
それは、“新しい世の中”ではなく、“勝利”を求める人がいるから、だ。

…もしかしたら。

女が夢見るのは「新しい世界」で、
男が夢見るのは「勝利」なのかもしれない。


才谷は、竜馬は、英のために「新しい世界」を求めたのかもしれない。


ドストエフスキーの「罪と罰」を翻案するにあたり、野田さんがまずラスコーリニコフを女性に設定したことは、それだけの意味があったのだと思います。
そして、その三条英に、年齢的にも外見的にも技術的にも立派なベテランでありながら、芯のところで完全に無垢な少女性を抱いた香寿たつきをあてたことは、謝さんの慧眼、と、言うべきなのでしょう。


…そんなことを、思いながら。






途中、何度か登場するええじゃないか軍団は、プログラムには載っていないんですよね。どういう人たちなんでしょう。「オペラ・デ・マランドロ」のサンバチームみたいに団体名が書いてあることもないし、普通に出演者なんだとしたら、名前だけでも…と思うのですが。
志士たちの熱気と、宝塚以外の舞台では滅多に観ることのない大群衆(30人以上居るらしい)のパワー。幕末、という時代のもつ熱を表現するのに、これだけの人数を投入しなくてはならないのか、と思うと、本来の意味とは違う意味で感動を覚えます。


それにしても…本当に宝塚の本公演って人数多いんだなあ、と、そんなことにしみじみ感動したりしつつ(^ ^;ゞ



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