月組大劇場公演「エリザベート」より。
先日の日記で、『きりやんのフランツは妖しい術にかかったのではなく、本気でマデレーネに恋をしていたように見えた』…ということを書かせていただきましたが。
そういえば、「闇は広がる」のルドルフもそんな感じでした。トートの術に呑まれるのではなく、ルドルフ自ら革命へと踏み込んでいくような。特にもりえちゃんはその印象が強かったんですよね。トートに引っ張り込まれるのではなく、むしろトートを押しのけて、前へ前へと銀橋を渡っていくかのような。
みりおくんも小柄な割には骨太で線の太いルドルフでしたが、闇に怯える風情はもう少しあったな~。あひちゃんがどういう解釈で演じられるのか、とても興味深い…
……全体的に、トートやルキーニの「非現実的な力」とか「闇のパワー」みたいなものを感じさせない演出(解釈)なのかな、と、思いました。
公演全体のイメージは、ショー(主にトート&シシィ)と芝居(主にフランツ&ゾフィー)が交互に上演されている、、、という感じかな。ラストの「フランツの悪夢」でそれが統合され、運命のレマン湖になだれこんでいった…みたいな。
瀬奈じゅんが瀬奈じゅんであり、凪七瑠海が凪七瑠海であるがゆえに表現される、輝かしい孤独。その華やかな存在感が、今回のエリザベートなんじゃないかと思いました。
『トート』という“闇に生きる存在”ではなく、普通に地に足をつけて歩いている人間らしさ。優しく温かな闇の中ではなく、冷たく冴え冴えとして、自分自身の内側を向いた孤独感。
エリザベートを追い求めることなく、ただ独りでは寂しい…と呟いている子供のような幼さもあるトートと、心を閉ざして誰をも愛さず、誰のものにもならないエリザベート。あるい意味、いいコンビだったと思います。
…それにしても!!
麻子さんの最初の登場から「愛と死の輪舞」までのビジュアル、最強です(*^ ^*)。シシィが綱渡りから落ちて、冥界で二人が出会う場面。椅子に座ったまませりあがってくる閣下の姿には、マジで震えました。
演出としては、今までの垣根の向こうから登場してくる演出よりも、シシィが地の底へ落ちていったことがビジュアルで見えるので、トートが居るのは 現世ではない異界であることが直観的にわかりやすくなったし、すごく良かったと思います。
ただ、最初の霊廟とこの場面で強烈な異界感を見せるだけに、その後が平坦というか、、、、、
バートイシュルの後に銀橋に登場して「予定が狂うのは俺じゃない、ハプスブルク家だ!」と叫ぶところが人間らしすぎる……どころか、可愛くなってしまった…(汗)。あれは意図した効果なのかどうかが謎(^ ^;ゞ
水さんほどイヤラシクなくていいんですけど、あんなにリアルにその辺を歩いていそうなトートってどうなのか、と………いや、格好良いからいいんですけどね(^ ^;
ウィーン版で観たマテの、暑苦しいほどの実在感とはまた違う、“普通”さ。
“ロックスター”の孤独とはちょっと違う、いわば“アイドル”の孤独。
すごく格好良くて、すれ違ったら絶対振り向いちゃうんだけど、間違いなく赤い血が流れる地球型生命。それ以外のものではありえないトート。なかなかの新解釈で、とても興味深く面白かったです。
麻子さんのトート閣下は、「愛と死の輪舞」を歌った時に神としての寿命を終えて、人間として生まれ直してしまう、という解釈なのかな、なーんて考えてみたりしました。
何かの罰(少女に恋をしたせい?)として人間にされてしまい、懐かしい冥界へ戻れなくなってしまった……というのは私の妄想なんでしょうけど(^ ^)。自分自身の孤独と悲嘆に浸って、「人間ではないものになりたい!」と切望しながら、人間でしかない自分に絶望している…、というトート像。
うーん、うまく言えませんが、何か、彼はエリザベートではないものをひたすら追い求めているような気がしたんですよね。エリザベートは、ただの代替物にすぎない感じ。あるいは、エリザベートを手に入れることで、回り道だけど自分の希みが叶うかもしれない、みたいな。
何の役にたつのか良くわからないけど、でも、全てを擲ってでも手に入れたいものであるらしい、“シシィ”という宝玉。
しかも、その宝玉は“奪い取”ってはいけないものらしい。ただ、落ちてくるのを待つしかない。だから、隙を見てはひたすら誘いかける。まるで、なんの力も持たないセイレーンのように。
シシィという一人の人間を愛し、シシィ自身の幸せをひたすら祈っていた前回月組版のサエコさんのトートは、何から何までファンタジックで、まさに“この世のものではありえない”存在でした。森川久美さんの漫画に描かれたトートそのもの のような、「ふと気づくと隣に漂っている」ような、すぐ傍に居るのに触れることのできない、つかみどころのない遠さを感じさせるトート。
あのとき、人間シシィを体当たりで演じた麻子さんが、切望した末にやっと実現したトート。その圧倒的なビジュアルも登場時だけに抑えて、バートイシュル後は“普通の人間”として、フランツの“対等な恋敵”として舞台に立っていたのが、とても不思議な感じでした。
……すみません、多分、猫は黒天使に見惚れすぎて、トート閣下の大事なところをだいぶ見逃していると思います……反省。
カチャのシシィも、一幕はいろいろ苦戦していましたが、二幕は歌も安定して、良かったと思います。
一幕の、特に少女時代から結婚当初までは、声で若く見せようとして本来の声より高めのポジションで歌おうとしていたと思います。心意気は買いますし、努力は大切ですが、出来ないなら本番では柔軟に対応して欲しかったな…。
二幕は、シシィの年代にあわせて音域自体も少し低めになりますし、なによりポジションを低めにおいて歌っていたので、声自体も良かったし、表現の幅も広かったと思います。
もちろん、花総さん・大鳥さん・白羽さん(初演雪&星組版は未見)とベテランの娘役が演じてきた役。麻子さんでさえ、娘役はスカーレットという大役の経験もあってのシシィ。
研7で、娘役は正真正銘初めてのカチャが演じるにはハードルが高すぎることは否めませんし、カチャのシシィが素晴らしい!!と絶賛することは難しいですし、そもそも私は、前回月組版の麻子さんのような元気で子供っぽいシシィが好きなので、カチャのつかみどころのないつるつるしたシシィは、好き嫌いだけで言っていいなら…(T T)というのが正直なところです。
でも、よくがんばってたなーと思うし。
麻子さんの、ある意味すごく“リアル”なトート閣下には、あのくらいすっきりしたシシィの方が似合うような気がするので。
また、大劇場を乗り越えた経験と、東宝に向けてのお稽古の中で何かを掴んで、7月9日を迎えて欲しいなあ、、、と……
カチャの今後のためにも、このシシィが良い経験になることを、
一人の観客として、
そして月組ファンとして、
……祈っています。
きりやんのフランツ・ヨーゼフ、は、、、
びっくりするほど真摯な、一つの嘘もない皇帝陛下、でした。
マザコンぶりについては前回書いたし……うーん、本当に“真っ直ぐ”な人だなあ、という印象。
真っ直ぐで、一直線で、ど真ん中で。
カチャのシシィも相当に真っ直ぐで一直線でど真ん中なんだけど、意外と大事な所で言葉を呑みこむキャラクターなので、「これは無理だな…」という感じが最初から漂ってました。「嵐も怖くない」の時点で、すでに無理そうなカップルは初めてだったような気がします。
きりやんフランツで、一番感心したのは結婚式翌朝の寝室での会話でした。
「僕は君の味方だ。でも母の意見は君の為になるだろう」
という残酷な台詞を、本当に心の底から真っ直ぐに、妻の目を優しく見凝めて言ってしまえるところです。
ただただ本気で、真っ直ぐに、愛を込めてその言葉が言えるフランツって、今まで居なかったですよね…?
男の立場から言ったら、当然の台詞だと思うんですよね。
あれだけデキる母親が身近にいたんだから、仕方ない。本当に、心の底からそう思う。
(そう思わせるあいちゃんも凄いんですけど)
……だから。
小池さんに、一つだけ演出の変更をお願いしたい。
「あなたは私を見捨てるのね」
というシシィの台詞。
その台詞は、フランツが出て行ってからにしてもらえないでしょうか…。
あの場で、あれだけの確信を持って諭したフランツが、シシィにそんなことを言われて黙って出て行くはずがない!
ウィーン版の演出がそうだったんですよね。「母の意見は君の為になるよ」と言って、抱きしめて(彼なりに慰めたつもり)、で、そのまま出て行く。
彼が出て行ったドアに向かって、シシィがポツンと恨み言を呟く……憎しみをこめて。
そのままでいいじゃないか!なぜそこで、フランツが振り向かなくちゃいけないんだ!?
演出が変更できないのなら、いっそのこと聴こえなかった振りをして聞き返してみればいいのに…<きりやん
そして最後に、小ネタ。
ルドヴィカが結婚式のコーラス(「田舎娘だ」「似合わない」「ふさわしくない」とか)を、満面の笑顔で歌っているのがおかしくてしょうがなかった(- -;ゞ
いや、今までもやっていたんだけどさ。みっぽールドヴィカがあまりにも満面の笑みで幸せそうに歌うから、なんだかもう、たまりませんでした(^ ^)。
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先日の日記で、『きりやんのフランツは妖しい術にかかったのではなく、本気でマデレーネに恋をしていたように見えた』…ということを書かせていただきましたが。
そういえば、「闇は広がる」のルドルフもそんな感じでした。トートの術に呑まれるのではなく、ルドルフ自ら革命へと踏み込んでいくような。特にもりえちゃんはその印象が強かったんですよね。トートに引っ張り込まれるのではなく、むしろトートを押しのけて、前へ前へと銀橋を渡っていくかのような。
みりおくんも小柄な割には骨太で線の太いルドルフでしたが、闇に怯える風情はもう少しあったな~。あひちゃんがどういう解釈で演じられるのか、とても興味深い…
……全体的に、トートやルキーニの「非現実的な力」とか「闇のパワー」みたいなものを感じさせない演出(解釈)なのかな、と、思いました。
公演全体のイメージは、ショー(主にトート&シシィ)と芝居(主にフランツ&ゾフィー)が交互に上演されている、、、という感じかな。ラストの「フランツの悪夢」でそれが統合され、運命のレマン湖になだれこんでいった…みたいな。
瀬奈じゅんが瀬奈じゅんであり、凪七瑠海が凪七瑠海であるがゆえに表現される、輝かしい孤独。その華やかな存在感が、今回のエリザベートなんじゃないかと思いました。
『トート』という“闇に生きる存在”ではなく、普通に地に足をつけて歩いている人間らしさ。優しく温かな闇の中ではなく、冷たく冴え冴えとして、自分自身の内側を向いた孤独感。
エリザベートを追い求めることなく、ただ独りでは寂しい…と呟いている子供のような幼さもあるトートと、心を閉ざして誰をも愛さず、誰のものにもならないエリザベート。あるい意味、いいコンビだったと思います。
…それにしても!!
麻子さんの最初の登場から「愛と死の輪舞」までのビジュアル、最強です(*^ ^*)。シシィが綱渡りから落ちて、冥界で二人が出会う場面。椅子に座ったまませりあがってくる閣下の姿には、マジで震えました。
演出としては、今までの垣根の向こうから登場してくる演出よりも、シシィが地の底へ落ちていったことがビジュアルで見えるので、トートが居るのは 現世ではない異界であることが直観的にわかりやすくなったし、すごく良かったと思います。
ただ、最初の霊廟とこの場面で強烈な異界感を見せるだけに、その後が平坦というか、、、、、
バートイシュルの後に銀橋に登場して「予定が狂うのは俺じゃない、ハプスブルク家だ!」と叫ぶところが人間らしすぎる……どころか、可愛くなってしまった…(汗)。あれは意図した効果なのかどうかが謎(^ ^;ゞ
水さんほどイヤラシクなくていいんですけど、あんなにリアルにその辺を歩いていそうなトートってどうなのか、と………いや、格好良いからいいんですけどね(^ ^;
ウィーン版で観たマテの、暑苦しいほどの実在感とはまた違う、“普通”さ。
“ロックスター”の孤独とはちょっと違う、いわば“アイドル”の孤独。
すごく格好良くて、すれ違ったら絶対振り向いちゃうんだけど、間違いなく赤い血が流れる地球型生命。それ以外のものではありえないトート。なかなかの新解釈で、とても興味深く面白かったです。
麻子さんのトート閣下は、「愛と死の輪舞」を歌った時に神としての寿命を終えて、人間として生まれ直してしまう、という解釈なのかな、なーんて考えてみたりしました。
何かの罰(少女に恋をしたせい?)として人間にされてしまい、懐かしい冥界へ戻れなくなってしまった……というのは私の妄想なんでしょうけど(^ ^)。自分自身の孤独と悲嘆に浸って、「人間ではないものになりたい!」と切望しながら、人間でしかない自分に絶望している…、というトート像。
うーん、うまく言えませんが、何か、彼はエリザベートではないものをひたすら追い求めているような気がしたんですよね。エリザベートは、ただの代替物にすぎない感じ。あるいは、エリザベートを手に入れることで、回り道だけど自分の希みが叶うかもしれない、みたいな。
何の役にたつのか良くわからないけど、でも、全てを擲ってでも手に入れたいものであるらしい、“シシィ”という宝玉。
しかも、その宝玉は“奪い取”ってはいけないものらしい。ただ、落ちてくるのを待つしかない。だから、隙を見てはひたすら誘いかける。まるで、なんの力も持たないセイレーンのように。
シシィという一人の人間を愛し、シシィ自身の幸せをひたすら祈っていた前回月組版のサエコさんのトートは、何から何までファンタジックで、まさに“この世のものではありえない”存在でした。森川久美さんの漫画に描かれたトートそのもの のような、「ふと気づくと隣に漂っている」ような、すぐ傍に居るのに触れることのできない、つかみどころのない遠さを感じさせるトート。
あのとき、人間シシィを体当たりで演じた麻子さんが、切望した末にやっと実現したトート。その圧倒的なビジュアルも登場時だけに抑えて、バートイシュル後は“普通の人間”として、フランツの“対等な恋敵”として舞台に立っていたのが、とても不思議な感じでした。
……すみません、多分、猫は黒天使に見惚れすぎて、トート閣下の大事なところをだいぶ見逃していると思います……反省。
カチャのシシィも、一幕はいろいろ苦戦していましたが、二幕は歌も安定して、良かったと思います。
一幕の、特に少女時代から結婚当初までは、声で若く見せようとして本来の声より高めのポジションで歌おうとしていたと思います。心意気は買いますし、努力は大切ですが、出来ないなら本番では柔軟に対応して欲しかったな…。
二幕は、シシィの年代にあわせて音域自体も少し低めになりますし、なによりポジションを低めにおいて歌っていたので、声自体も良かったし、表現の幅も広かったと思います。
もちろん、花総さん・大鳥さん・白羽さん(初演雪&星組版は未見)とベテランの娘役が演じてきた役。麻子さんでさえ、娘役はスカーレットという大役の経験もあってのシシィ。
研7で、娘役は正真正銘初めてのカチャが演じるにはハードルが高すぎることは否めませんし、カチャのシシィが素晴らしい!!と絶賛することは難しいですし、そもそも私は、前回月組版の麻子さんのような元気で子供っぽいシシィが好きなので、カチャのつかみどころのないつるつるしたシシィは、好き嫌いだけで言っていいなら…(T T)というのが正直なところです。
でも、よくがんばってたなーと思うし。
麻子さんの、ある意味すごく“リアル”なトート閣下には、あのくらいすっきりしたシシィの方が似合うような気がするので。
また、大劇場を乗り越えた経験と、東宝に向けてのお稽古の中で何かを掴んで、7月9日を迎えて欲しいなあ、、、と……
カチャの今後のためにも、このシシィが良い経験になることを、
一人の観客として、
そして月組ファンとして、
……祈っています。
きりやんのフランツ・ヨーゼフ、は、、、
びっくりするほど真摯な、一つの嘘もない皇帝陛下、でした。
マザコンぶりについては前回書いたし……うーん、本当に“真っ直ぐ”な人だなあ、という印象。
真っ直ぐで、一直線で、ど真ん中で。
カチャのシシィも相当に真っ直ぐで一直線でど真ん中なんだけど、意外と大事な所で言葉を呑みこむキャラクターなので、「これは無理だな…」という感じが最初から漂ってました。「嵐も怖くない」の時点で、すでに無理そうなカップルは初めてだったような気がします。
きりやんフランツで、一番感心したのは結婚式翌朝の寝室での会話でした。
「僕は君の味方だ。でも母の意見は君の為になるだろう」
という残酷な台詞を、本当に心の底から真っ直ぐに、妻の目を優しく見凝めて言ってしまえるところです。
ただただ本気で、真っ直ぐに、愛を込めてその言葉が言えるフランツって、今まで居なかったですよね…?
男の立場から言ったら、当然の台詞だと思うんですよね。
あれだけデキる母親が身近にいたんだから、仕方ない。本当に、心の底からそう思う。
(そう思わせるあいちゃんも凄いんですけど)
……だから。
小池さんに、一つだけ演出の変更をお願いしたい。
「あなたは私を見捨てるのね」
というシシィの台詞。
その台詞は、フランツが出て行ってからにしてもらえないでしょうか…。
あの場で、あれだけの確信を持って諭したフランツが、シシィにそんなことを言われて黙って出て行くはずがない!
ウィーン版の演出がそうだったんですよね。「母の意見は君の為になるよ」と言って、抱きしめて(彼なりに慰めたつもり)、で、そのまま出て行く。
彼が出て行ったドアに向かって、シシィがポツンと恨み言を呟く……憎しみをこめて。
そのままでいいじゃないか!なぜそこで、フランツが振り向かなくちゃいけないんだ!?
演出が変更できないのなら、いっそのこと聴こえなかった振りをして聞き返してみればいいのに…<きりやん
そして最後に、小ネタ。
ルドヴィカが結婚式のコーラス(「田舎娘だ」「似合わない」「ふさわしくない」とか)を、満面の笑顔で歌っているのがおかしくてしょうがなかった(- -;ゞ
いや、今までもやっていたんだけどさ。みっぽールドヴィカがあまりにも満面の笑みで幸せそうに歌うから、なんだかもう、たまりませんでした(^ ^)。
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