だいぶ前になりますが、日生劇場にて、ミュージカル「マルグリット」を観劇いたしました。
ブーブリル&シェーンベルク、といえば、もちろん「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」を生み出した名コンビ。ただし、「マルグリット」の音楽はシェーンベルクではなく、「シェルブールの雨傘」などのミシェル・ルグランが担当。「そもそも、ルグランから持ちかけられた企画」だった、とプログラムに述べられているとおり、シェーンベルクの重厚でテーマ性のある音楽ではなく、ルグランの叙情的でメロディアスな音楽を生かすためにも、「椿姫」というドラマティックなメロドラマを題材として選んだのは正解だったと思います。
なのに、彼らが自分たちの得意分野である「社会派」の色づけをちょっと濃くしすぎてしまったのがちょっともったいなかった…かも(^ ^;。
ブーブリル&シェーンベルク。彼らの『歴史』に対する鋭い着眼点と、「優雅な貴族たち」にも「がむしゃらに生きている庶民」にも平等に注がれる温かな目。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」の成功は、その目線をストレートに打ち出したことと、その社会派な切り口に、シェーンベルクの重厚な音楽が良く似合ったことによってもたらされたもの。
ミュージカル「マルグリット」は、小デュマの筆によるメロドラマの名作「椿姫」を『第二次世界大戦中のパリ』、あるいは『ナチスによる占領下にある“花の都”パリ』に舞台を移して構成された作品。さすがに世界的な巨匠、しかも地元フランスで活動しているお二人は、「花咲く港」を「パリの空よりも高く」にするような愚を冒すこともなく、細かい伏線もきちんと拾って矛盾なく翻案してのけました。
それこそ、「ロミオとジュリエット」→「ウェストサイド物語」なみの見事な翻案だったと思います。
でも。
貴族たちが雅を競った19世紀の社交界の徒花を、20世紀の大戦中、占領下で「新しい支配者」に愛された“愛人”の物語に移し変えたとき、求められる音楽も、繊細かつ華麗なルグランではなく、やはりシェーンベルクの重厚な社会派の音になっていたのかもしれないな、、、と。
音楽的な構造は、いかにもシェーンベルクらしい、同じメロディに違う意味を持たせてリプライズすることで、全体に深みをもたせる構成。
一回しか観ていないので全部はわかっていないと思いますが、一番印象的だったのは、アルマン(オペラのアルフレード)の姉・アネットが恋人と手を繋いでパリの街を歩きながら昔を懐かしむ「あの頃は」と、群衆(対独協力者)たちの大コーラス「デイ・バイ・デイ」。この、まったく違うシチュエーションで歌われる音楽が、非常によく似たメロディであったことは、大きなポイントだったと思います。
この二曲の類似には、いろいろ考えさせられちゃいました。
対独協力者たちにも、パリの街への愛はあったんだろうか、とか。
……あったんだろうな、とか。
作品上、彼らの真情はまったく語られることはないのですが、それでもこの曲が一曲あるだけで、行動とは裏腹な気持ちを憶測したくなるんですよね。音楽、という、言葉では表せないものを提示するモノを上手に使った、見事な構成だなあ、と感心しました。
第二次世界大戦中、ナチスの占領下におかれた、かつての“花の都”パリ。
かつてこの“花の都”でコンサートホールをわかせた歌姫・マルグリット(春野寿美礼)は、今はナチス将校・オットー(寺脇康文)の愛人として、対独協力者たちの中心的存在となっている。
この、“対独協力者たち”の変節ぶりが、この作品の中で大きなウェイトを占めるのですが。
上にも書いたとおり、彼らのコーラスナンバーである「デイ・バイ・デイ」のイマジネーションは、彼らが「希んでそういう存在であるわけではない」ことを示しているのかなー?と思いました。
「レ・ミゼラブル」に出てくるテナルディエ夫妻のように、「“宴会乞食”でいる自分を志向している」わけではなく、時代に翻弄されて“仕方なく”そうなってしまった。
だから彼らは、同じことをしていながら“清い存在”で在ろうとするマルグリットを羨み、憎まずにはいられない。
その心理が。
理解はできるけれども、納得はしたくなくて。
彼らがマルグリットを蔑む心根の底に、見え隠れする怯えと不満。その卑しさが、理解できてしまう自分がいやで。
最終的には、幕が降りた後まで後味の悪さが残ってしまった……というのが、正直な感想ではありました。
救いのなさ、というよりも、「救われたい」と思わない人々の物語だったなんだな、というところが。
もちろん、物語の主役はあくまでもマルグリットですし、彼女の悩みや苦しみがテーマの中心に常にあるのですけれども。
私には、この「対独協力者たち」=アンサンブルのドラマが、一番ドラマティックに感じられました。二つの世界大戦を乗り切るために、“名も無き人々”はいったい何をしたのか、してしまったのか、と。
…彼らにとっての“敵”とは、いったい何であったのか、と…。
マルグリット(歌姫/春野寿美礼)
原作からの改変点として、マルグリットが「高級娼婦」ではない、というのがあげられると思います。彼女はあくまでも『歌手くずれの愛人』であって、職業としての『高級娼婦』ではありませんから。
やっていることは似ているようで、心構えが全く違うと思うんですよね。
その道(男を魅了し、気持ちよく過ごさせる)のプロフェッショナルであるべき『高級娼婦』と、本来的な意味での“プロフェッショナル”である『歌手』と。どちらも“気持ちよく過ごしてもらう”ために何かを提供する、という意味では同じですし、『高級娼婦』は、もしかしたら歌えるかもしれないし、『歌手』も、もしかしたら男を魅了するかもしれません。でも、彼女たちはどちらも、それが目的ではないのです。“歌ってさえいれば幸せ”だったはずのマルグリットは、今は歌も(基本的に)やめて、ひたすらサロンを盛り上げようと恐々としている。
ただ、オットーのため、だけに。
これが宝塚歌劇団卒業後、初舞台となったオサさん。磨き上げられた艶のある美声が、ルグランの音楽によく合っていたと思います。現役時代の強い癖もきれいに矯正されて、もともとの声質の良さをそのまま響かせ、ソプラノから低音へのチェンジボイスもきれい。「あの人宝塚のOGなのよ!」とちょっと自慢したくなる美声でした。
これからミュージカルへの出演依頼も増えそうで、ファンの皆様も一安心、というところではないでしょうか。
ただ、ビジュアルはまだまだ工夫の余地あり、という感じでしたね。マルグリットの40歳の誕生日パーティーで始まる作品なので、ミュージカルのヒロインには珍しく、実年齢よりちょっと上の役。その年齢をちょっと意識しすぎじゃないかな、と思いました。
化粧もそうだし、中でも鬘が残念だったなあ(T T)。顔というか頭の形は理想的ではないかもしれませんが、鬘でどうにでもフォローできると思うんですよね…。うーん、特に今回は、オットーが惚れ込んで傍から離さない“自慢の愛人”なわけで。もう少しビジュアルの造りこみが必要だったんじゃないかなあ、と思いますね。
決して“美人”ではないあすかちゃんが、あれだけ創りこんで「南部一美しいクレアトール」という称号にふさわしい美女として舞台に立っているのだから、オサさんだって絶対できるはず。
椿姫は美人じゃないと話が始まらないので(テレサ・ストラータスのヴィオレッタは美しかった…)もし再演されることがあるならば、オサさんにはがんばってほしいなあと思います♪
オットー(ナチス将校/寺脇康文)
マルグリットへの恋心があまりにも表に出ていて、なぜマルグリットが気づかない(無視できる)のか不思議でなりませんでした。……もしかしたら、もう少しくらいは隠しておいたほうが効果的だったのかもしれません(^ ^;ゞ
ホームである地球ゴージャスでも良く歌っている寺脇さんですが、これだけのパワーを必要とする難曲を歌いこなせるほどの歌い手であることは、お恥ずかしながら初めて気づきました。
全然本業じゃないのに、凄いなあ。
恋する中年男の悲哀、というか、その痛々しいほど熱い恋情。
その裏側には、支配者としての強い自尊心と、“花の都パリ”への切ないほどの憧れ、劣等感があるんですね。こういう、闇に向かう感情さえもきちんと表現できる役者がオットーを演じてしまうと、ある意味、救いようがないほど暗いドラマになってしまうんだなあ、と思いました。
……素晴らしかったけど、観るのが辛くて、何度も観るのは苦しいです…。
アルマン(スウィング・バンドのピアノ弾き/田代万里生)
さすがにプロのオペラ歌手、歌は見事でした。ただ、デュエットはやっぱりミュージカルのルールに馴れてないなあ、という感じはしてしまいましたが。
見た目もハンサムで、スタイルも悪くないし、これからがとても楽しみな人です。本格的なオペラも一度聴いてみたいなあ。
芝居はまだ不慣れな初心者マークがついてましたが、少しづつでも経験を積んで、寺脇さんみたいな“ホンモノの良い男”になってくれますように。
アネット(アルマンの姉/飯野めぐみ)
これだけの大役に取り組むのは初めてのことだと思うのですが、とても良かったと思います。声が綺麗で素直な歌声が、アネットのキャラクターによくマッチしていました。「あの頃は」のデュエットがとても素敵。
芝居としてはとても難しい役でしたが、すごく良かったです。次に繋がる、良い仕事ぶりだったと思います!ご活躍、期待しています。
ルシアン(スウィング・バンドのベース。ユダヤ系。アネットの恋人/tekkan)
「レ・ミゼラブル」のクールフェラックで出会ってから、早いもので、もうすぐ12年。
いやあ、予想外にクールフェラックと似たような熱血革命家の役だったんで吃驚(^ ^)。カーンと響く強い声は相変わらずで、求められている声なんだなあと思いました。
もういい年だろうに、よく鍛えられた二枚目で、とても格好良かったです♪
ピエロ(スウィング・バンドのメンバー/山崎祐太)
ちょっとコミカルというか、息抜き的な部分を担当。演出的には微妙に中途半端だったのが残念ではありましたが、彼自身は自信を持って演じていて、良かったです。経歴を見ると、本格的なミュージカルは初めて……なのかな?でも、いい芝居をしていたし、歌も良かったです。
ジョルジュ(マルグリットのマネージャー/横内正)
………渋くて素敵でした。二幕の後半、戦争が終わった後で頼ってきたマルグリットを拒否する場面のさりげない芝居が、最高にイケズで、凄い迫力!!
「決してヒロイックな役ではない」どころか、ナチスに迎合して安楽に暮らし、戦争が終わったとみるやマルグリットひとりを犠牲に捧げて石を投げる、その冷酷なギャップが素晴らしかった、です…っ…。
若いアルマンに恋をしつつ、彼の身を案じて身を引こうとするマルグリット。
鏡に怯え、アルマンの愛が冷めることにおびえるマルグリット。
マルグリットに恋をして、彼女の気持ちが全く理解できないアルマン。
ユダヤ系であるがゆえに、ナチスに怯えるルシアン。
ルシアンを愛しながらも、アルマンを案じずにいられないアネット。
複数のテーマが絡み合い、影響しあいながら「時代」に色をつけていく、ブーブリル&シェーンベルクのいつもの手法は、さすがに見事でした。
ただ、セットや衣装にもう少し気を配ってもばちは当たらないだろうに……と思ったところも多く、細かいところで“ちょっと残念”が積み重なった作品でした。
キャスティングも含め、全体をもう少し練り直して再演されることを期待しています。
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ブーブリル&シェーンベルク、といえば、もちろん「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」を生み出した名コンビ。ただし、「マルグリット」の音楽はシェーンベルクではなく、「シェルブールの雨傘」などのミシェル・ルグランが担当。「そもそも、ルグランから持ちかけられた企画」だった、とプログラムに述べられているとおり、シェーンベルクの重厚でテーマ性のある音楽ではなく、ルグランの叙情的でメロディアスな音楽を生かすためにも、「椿姫」というドラマティックなメロドラマを題材として選んだのは正解だったと思います。
なのに、彼らが自分たちの得意分野である「社会派」の色づけをちょっと濃くしすぎてしまったのがちょっともったいなかった…かも(^ ^;。
ブーブリル&シェーンベルク。彼らの『歴史』に対する鋭い着眼点と、「優雅な貴族たち」にも「がむしゃらに生きている庶民」にも平等に注がれる温かな目。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」の成功は、その目線をストレートに打ち出したことと、その社会派な切り口に、シェーンベルクの重厚な音楽が良く似合ったことによってもたらされたもの。
ミュージカル「マルグリット」は、小デュマの筆によるメロドラマの名作「椿姫」を『第二次世界大戦中のパリ』、あるいは『ナチスによる占領下にある“花の都”パリ』に舞台を移して構成された作品。さすがに世界的な巨匠、しかも地元フランスで活動しているお二人は、「花咲く港」を「パリの空よりも高く」にするような愚を冒すこともなく、細かい伏線もきちんと拾って矛盾なく翻案してのけました。
それこそ、「ロミオとジュリエット」→「ウェストサイド物語」なみの見事な翻案だったと思います。
でも。
貴族たちが雅を競った19世紀の社交界の徒花を、20世紀の大戦中、占領下で「新しい支配者」に愛された“愛人”の物語に移し変えたとき、求められる音楽も、繊細かつ華麗なルグランではなく、やはりシェーンベルクの重厚な社会派の音になっていたのかもしれないな、、、と。
音楽的な構造は、いかにもシェーンベルクらしい、同じメロディに違う意味を持たせてリプライズすることで、全体に深みをもたせる構成。
一回しか観ていないので全部はわかっていないと思いますが、一番印象的だったのは、アルマン(オペラのアルフレード)の姉・アネットが恋人と手を繋いでパリの街を歩きながら昔を懐かしむ「あの頃は」と、群衆(対独協力者)たちの大コーラス「デイ・バイ・デイ」。この、まったく違うシチュエーションで歌われる音楽が、非常によく似たメロディであったことは、大きなポイントだったと思います。
この二曲の類似には、いろいろ考えさせられちゃいました。
対独協力者たちにも、パリの街への愛はあったんだろうか、とか。
……あったんだろうな、とか。
作品上、彼らの真情はまったく語られることはないのですが、それでもこの曲が一曲あるだけで、行動とは裏腹な気持ちを憶測したくなるんですよね。音楽、という、言葉では表せないものを提示するモノを上手に使った、見事な構成だなあ、と感心しました。
第二次世界大戦中、ナチスの占領下におかれた、かつての“花の都”パリ。
かつてこの“花の都”でコンサートホールをわかせた歌姫・マルグリット(春野寿美礼)は、今はナチス将校・オットー(寺脇康文)の愛人として、対独協力者たちの中心的存在となっている。
この、“対独協力者たち”の変節ぶりが、この作品の中で大きなウェイトを占めるのですが。
上にも書いたとおり、彼らのコーラスナンバーである「デイ・バイ・デイ」のイマジネーションは、彼らが「希んでそういう存在であるわけではない」ことを示しているのかなー?と思いました。
「レ・ミゼラブル」に出てくるテナルディエ夫妻のように、「“宴会乞食”でいる自分を志向している」わけではなく、時代に翻弄されて“仕方なく”そうなってしまった。
だから彼らは、同じことをしていながら“清い存在”で在ろうとするマルグリットを羨み、憎まずにはいられない。
その心理が。
理解はできるけれども、納得はしたくなくて。
彼らがマルグリットを蔑む心根の底に、見え隠れする怯えと不満。その卑しさが、理解できてしまう自分がいやで。
最終的には、幕が降りた後まで後味の悪さが残ってしまった……というのが、正直な感想ではありました。
救いのなさ、というよりも、「救われたい」と思わない人々の物語だったなんだな、というところが。
もちろん、物語の主役はあくまでもマルグリットですし、彼女の悩みや苦しみがテーマの中心に常にあるのですけれども。
私には、この「対独協力者たち」=アンサンブルのドラマが、一番ドラマティックに感じられました。二つの世界大戦を乗り切るために、“名も無き人々”はいったい何をしたのか、してしまったのか、と。
…彼らにとっての“敵”とは、いったい何であったのか、と…。
マルグリット(歌姫/春野寿美礼)
原作からの改変点として、マルグリットが「高級娼婦」ではない、というのがあげられると思います。彼女はあくまでも『歌手くずれの愛人』であって、職業としての『高級娼婦』ではありませんから。
やっていることは似ているようで、心構えが全く違うと思うんですよね。
その道(男を魅了し、気持ちよく過ごさせる)のプロフェッショナルであるべき『高級娼婦』と、本来的な意味での“プロフェッショナル”である『歌手』と。どちらも“気持ちよく過ごしてもらう”ために何かを提供する、という意味では同じですし、『高級娼婦』は、もしかしたら歌えるかもしれないし、『歌手』も、もしかしたら男を魅了するかもしれません。でも、彼女たちはどちらも、それが目的ではないのです。“歌ってさえいれば幸せ”だったはずのマルグリットは、今は歌も(基本的に)やめて、ひたすらサロンを盛り上げようと恐々としている。
ただ、オットーのため、だけに。
これが宝塚歌劇団卒業後、初舞台となったオサさん。磨き上げられた艶のある美声が、ルグランの音楽によく合っていたと思います。現役時代の強い癖もきれいに矯正されて、もともとの声質の良さをそのまま響かせ、ソプラノから低音へのチェンジボイスもきれい。「あの人宝塚のOGなのよ!」とちょっと自慢したくなる美声でした。
これからミュージカルへの出演依頼も増えそうで、ファンの皆様も一安心、というところではないでしょうか。
ただ、ビジュアルはまだまだ工夫の余地あり、という感じでしたね。マルグリットの40歳の誕生日パーティーで始まる作品なので、ミュージカルのヒロインには珍しく、実年齢よりちょっと上の役。その年齢をちょっと意識しすぎじゃないかな、と思いました。
化粧もそうだし、中でも鬘が残念だったなあ(T T)。顔というか頭の形は理想的ではないかもしれませんが、鬘でどうにでもフォローできると思うんですよね…。うーん、特に今回は、オットーが惚れ込んで傍から離さない“自慢の愛人”なわけで。もう少しビジュアルの造りこみが必要だったんじゃないかなあ、と思いますね。
決して“美人”ではないあすかちゃんが、あれだけ創りこんで「南部一美しいクレアトール」という称号にふさわしい美女として舞台に立っているのだから、オサさんだって絶対できるはず。
椿姫は美人じゃないと話が始まらないので(テレサ・ストラータスのヴィオレッタは美しかった…)もし再演されることがあるならば、オサさんにはがんばってほしいなあと思います♪
オットー(ナチス将校/寺脇康文)
マルグリットへの恋心があまりにも表に出ていて、なぜマルグリットが気づかない(無視できる)のか不思議でなりませんでした。……もしかしたら、もう少しくらいは隠しておいたほうが効果的だったのかもしれません(^ ^;ゞ
ホームである地球ゴージャスでも良く歌っている寺脇さんですが、これだけのパワーを必要とする難曲を歌いこなせるほどの歌い手であることは、お恥ずかしながら初めて気づきました。
全然本業じゃないのに、凄いなあ。
恋する中年男の悲哀、というか、その痛々しいほど熱い恋情。
その裏側には、支配者としての強い自尊心と、“花の都パリ”への切ないほどの憧れ、劣等感があるんですね。こういう、闇に向かう感情さえもきちんと表現できる役者がオットーを演じてしまうと、ある意味、救いようがないほど暗いドラマになってしまうんだなあ、と思いました。
……素晴らしかったけど、観るのが辛くて、何度も観るのは苦しいです…。
アルマン(スウィング・バンドのピアノ弾き/田代万里生)
さすがにプロのオペラ歌手、歌は見事でした。ただ、デュエットはやっぱりミュージカルのルールに馴れてないなあ、という感じはしてしまいましたが。
見た目もハンサムで、スタイルも悪くないし、これからがとても楽しみな人です。本格的なオペラも一度聴いてみたいなあ。
芝居はまだ不慣れな初心者マークがついてましたが、少しづつでも経験を積んで、寺脇さんみたいな“ホンモノの良い男”になってくれますように。
アネット(アルマンの姉/飯野めぐみ)
これだけの大役に取り組むのは初めてのことだと思うのですが、とても良かったと思います。声が綺麗で素直な歌声が、アネットのキャラクターによくマッチしていました。「あの頃は」のデュエットがとても素敵。
芝居としてはとても難しい役でしたが、すごく良かったです。次に繋がる、良い仕事ぶりだったと思います!ご活躍、期待しています。
ルシアン(スウィング・バンドのベース。ユダヤ系。アネットの恋人/tekkan)
「レ・ミゼラブル」のクールフェラックで出会ってから、早いもので、もうすぐ12年。
いやあ、予想外にクールフェラックと似たような熱血革命家の役だったんで吃驚(^ ^)。カーンと響く強い声は相変わらずで、求められている声なんだなあと思いました。
もういい年だろうに、よく鍛えられた二枚目で、とても格好良かったです♪
ピエロ(スウィング・バンドのメンバー/山崎祐太)
ちょっとコミカルというか、息抜き的な部分を担当。演出的には微妙に中途半端だったのが残念ではありましたが、彼自身は自信を持って演じていて、良かったです。経歴を見ると、本格的なミュージカルは初めて……なのかな?でも、いい芝居をしていたし、歌も良かったです。
ジョルジュ(マルグリットのマネージャー/横内正)
………渋くて素敵でした。二幕の後半、戦争が終わった後で頼ってきたマルグリットを拒否する場面のさりげない芝居が、最高にイケズで、凄い迫力!!
「決してヒロイックな役ではない」どころか、ナチスに迎合して安楽に暮らし、戦争が終わったとみるやマルグリットひとりを犠牲に捧げて石を投げる、その冷酷なギャップが素晴らしかった、です…っ…。
若いアルマンに恋をしつつ、彼の身を案じて身を引こうとするマルグリット。
鏡に怯え、アルマンの愛が冷めることにおびえるマルグリット。
マルグリットに恋をして、彼女の気持ちが全く理解できないアルマン。
ユダヤ系であるがゆえに、ナチスに怯えるルシアン。
ルシアンを愛しながらも、アルマンを案じずにいられないアネット。
複数のテーマが絡み合い、影響しあいながら「時代」に色をつけていく、ブーブリル&シェーンベルクのいつもの手法は、さすがに見事でした。
ただ、セットや衣装にもう少し気を配ってもばちは当たらないだろうに……と思ったところも多く、細かいところで“ちょっと残念”が積み重なった作品でした。
キャスティングも含め、全体をもう少し練り直して再演されることを期待しています。
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