彩の国 さいたま芸術劇場にて、「ムサシ」を観てまいりました。



藤原竜也の宮本武蔵、小栗旬の佐々木小次郎。
キャストが出たときから、こりゃー観なきゃ!!と思った作品。

脚本は井上ひさし、演出蜷川幸雄。
プログラムを読んで驚愕したのですが。井上ひさしとホリプロが組んで「宮本武蔵」を、というのは、20数年前にブロードウェイでの上演を目指して企画されたものだったのだそうですね。
1985年ごろ。昭和60年代。まだソビエト連邦があった、あのころ。バブルが最初のピークを迎えたこの時代に「ブロードウェイ」を目指したホリプロって、凄かったんだなあ。しかも、武蔵を題材にして!凄いなあ……。



冷静な戦略家でありながら本質は荒々しく野生的で、そして、野生的であるが故に、誰よりも仏の道に近かった、宮本武蔵。
子供の頃から剣の天才としてもてはやされ、20代の若さで大藩細川家の剣術指南に採用された、佐々木小次郎。

吉川英治の「宮本武蔵」のラストシーンを冒頭にもってきて始まったこの物語。「厳流以後の二人」を描いた後日譚でありながら、吉川が描いた武蔵や小次郎とはちょっと違うキャラクターに仕上がってはいましたが、竜也と小栗くんのキャラクターにぴったり合っていて、違和感なく二人の剣豪を演じていました。
二人の芝居力もすごいし、それ以上に井上さんの「役者を見抜く目」もすごいんだなあ。

6歳違い(小次郎が歳下)という設定も、なるほどなーと思いました。設定では小栗くんが本編で29歳=実年齢より微妙に上(?)で、竜也が35歳だったようですが、実際には二人とももう少し若く見えました。竜也が30前後、小栗くんが20代前半って感じ。
ってことは、舟島の決闘のとき、小次郎はまだ20歳前だったってこと……?ぅ、うぅーむ。

この二人ってホントは同い年なんだけど、姿の違いと声の違いでうまく年齢差を出していたと想います。
ああ、それにしても、竜也がもう20代後半だなんて……時がたつのは早いなあ(; ;)。「身毒丸はまだ16歳~♪」と歌われた当時、まだ15歳だった竜也なのに……。(溜息)




…しかーし。
当初の構想は、おそらく、正面から「武蔵」という剣豪を描こうとしていたんだろうと思うんですよね。プログラムでの、堀社長と井上さんの対談を読んでいても、そんな感じだし。

でも。
できあがった作品は、実際には「ムサシ」でもなければ、もちろん「コジロウ」でもなかった……。
いや、この二人はどちらかといえばW主演的な扱いだったんですけど、むしろ、物語の主筋は辻萬長の沢庵禅師か、吉田綱太郎の柳生宗矩あたりが語っていたような(^ ^;

そんなところ、ヅカファン的には、ちょっと大野作品を思い出しました(^ ^;ゞ。年上の“デキるひとたち”がぜーんぶ持っていってしまうあたりが。…いや、今回の場合、竜也や小栗くんが実力として見劣りするってことは無かったんですけどね。それなのに、なぜか世界の真ん中にいるのは明らかに辻さんで、若い二人はその掌の上を一生懸命走っている孫悟空たち、ってかんじ。
いや、本当に二人ともよかったんだけどなあ(^ ^;。



そしてもう一つ。
とても面白かったんですけど、私の心の中で“いわゆる『剣豪物語』”を期待していた部分は、かなりな肩透かしをくらって、一本背負いで投げられちゃった感じでした。
武蔵と小次郎だけじゃなく、柳生宗矩(しかも吉田さん!)まで出てきちゃうなんて、どんだけ『剣の道とは』みたいな話になるんだよ!?と、ワクワクしていたわけなんですけど、そういう部分がまるっと「……あれっ?」みたいな。
わけがわかんないうちに背中が畳についてました、まいった!みたいな。そんな印象。

とりあえず、吉川英治の「宮本武蔵」を読んで、「あれっ?小次郎を生き永らえさせて、この後どうするんだ?続編でも書くつもりだったのか…?」と思った私にとっては、イイかんじで後日譚を知ることができてよかった良かった、みたいな感じでした。



舟島の一騎打ちから6年後。
鎌倉の片隅にあった廃寺を再建した平心和尚の口上で始まる本筋は、再建なった宝蓮寺の寺開きの参籠禅が執り行われる。
京の都は大徳寺の長老・沢庵禅師を導師に迎え、沢庵禅師と親しい柳生宗矩や、寺の大檀那である木屋まい(白石加代子)、筆屋乙女(鈴木杏)らが参加。そして、寺の作事(設計&工事取締り、ってところかな?)を勤めたのは、沢庵禅師に師事する宮本武蔵。

そこに、一騎打ちの怪我が快復して以来、武蔵を探し続けていた小次郎が現れる。
「今は参籠禅の最中ぞ」という沢庵禅師の言葉に納得し、「ならば、それが明ける三日後の朝に」と再度の決闘を約した小次郎は、そのまま武蔵野行動を見張るために三日間の参籠禅に参加することになる。


じっさい、宮本武蔵は舟島(厳流島)の後も天下の剣豪として幕府に任官したとかそういうこともなく、晩年(?)にいくつかの書画の傑作を残して表舞台からは姿を消すわけで、もしかしたら鎌倉の片隅で寺を作って座禅にいそしんでいたりとか、そういう人生を送っていたりしたのかもしれないなー、とか、結構納得してみてました。
竜也の芝居も、なにか悟りを求めてあがいている感じがでていたし、小次郎のある意味での“迷いの無さ”との対比が、勝った者(=目標を見失った者)と負けた者(=超えるべき目標がある者)を彷彿とさせて、興味深いな、と。
そんな二人に対する、沢庵師の「勝とうが負けようが、剣で闘うなぞ、愚かで莫迦で阿呆の証拠じゃ」みたいな罵倒がとても気持ちよく嵌っていて、そのへんの展開はさすがだなあ、と思いました。


しかーし、しかーし……
井上ひさしが、一筋縄で終わる脚本を書くはずもなく。


関東公演は明日で終わりですが、まだ大阪公演があるようなので、ネタバレのないように気をつけ……ると、何も書けないので、ばらしちゃいます(汗)。
ですので、井上ひさし作品をいくつも観ていて、慣れていると自信のある方以外で、これからこの作品をご覧になろうと思っていらっしゃる方は、この先は絶対にお読みにならないでくださいm(_ _)m。





------------------------------------
 ここからネタバレ
------------------------------------





興味深くて面白い作品だったんですけどね。
沢庵の重みも、柳生の軽みも、若い二人の必死さも。


でも。
井上さんお得意の幽霊落ちだったのだよ…………(T T)。

結構早い段階から伏線はってあったので、“も、もしかして…?”とは思っていたのですが。
……やっぱりか。



おかげで、せっかくそれまで積み上げてきた『太平の世で、生き残ってしまった剣豪はどう生きるべきか』というテーマが、すっかりぼやけてしまいました(涙)。
せっかく「活人剣」だのなんだの、と、太平の世を生き抜いた剣豪・柳生を出してきていろいろ語らせたのが、なんとなーく“無駄になった”気分よ(T T)。




鎌倉周辺で、いろんな理由で自ら命を棄てた者たちが、徒らに命をやりとりすることで“何か”を得ようとする剣客二人の決闘を留めようとする。
それはそれは、あらゆる手を尽くして。
情に訴え、理屈に訴え、柳生の理念で訴え、禅師の説法で訴え、……そして、最後にはもう一度、親子の情に訴えて。


それでも、冷静な武蔵は彼らのいろんな“手”を一つ一つ見破って潰していくのですが。
最終的には、丑三つ時に無理矢理決闘を始めようとする二人を、幽霊たちが白装束で囲み、口々に訴える。

「争いごとなどやめて、命を大事にしてくださいまし」
「我らは命を粗末にした罰で、仏に成ることもできませぬ」
「でも、他の誰かが命を粗末にすることを留められれば、成仏できまする」
「どうぞ我らを助けると思って、果し合いはおやめください」
「「「「どうぞ我らを、哀れと思って……」」」」

あの手この手と企むよりも、まっすぐに全てを明かして訴えたほうが、翻意しやすいんですよね、人間って。
「武士に二言はない」を座右の銘にしていそうな二人も、魂たちの訴えにはうなずいた。
何かを断ち切るように、刀を鞘に納める二人。
満月の夜、冴え冴えとした月の光が映ったような、凍りついたような瞳で。

自らを否定する行動に、震えが止まらない手で。指で。




翌朝の、ただ黙って目を見交わし、上衣を羽織り、脚絆を巻いて旅支度を整える二人の静かな空気が、切なかった。
彼らは自分自身で、『剣豪』であった己を否定してしまった。
斬り捨てたのだ。あの剣を、鞘におさめるときに。

自分自身の心が納得しての行動ではなかっただけに、苦しい夜明けだった。
まだ整理はついていない。
でも、もう剣で身をたてることはできないだろう。
人の情に流されて、棄ててしまった剣の道なのだから。



たぶん、この物語のラストが私の中にすとんと落ちてこなかったのは、「彼ら二人が、心の底から納得して棄てた剣ではない」ところだと思うのです。
行動としては、わかんです。納得できる。
二人があそこで、幽霊たちの頼みをきいてあげるのは。
その結果として、今までのように剣の道に突き進めなくなるのも。
だから、特に矛盾は感じません。ああなるしかなかった、それは納得しています。

でも、もっとすんなりと説得されたかった。
二人が、涙を呑む形で剣を棄てるのではなく、「活人剣」の摂理に納得して棄てるところまでの説得力を持たせてあげてほしかった。

自分が剣の道をひたすらに突き進んできた目的が、いかに邪なものであるかに気づいて棄てる、そんな説得力を。
あれじゃあ二人が可哀想すぎるじゃないですか。今まで、ただ一心に剣の道を貫いてきた二人なのに。
どんなに動機が不純であっても、それでも、その一心ぶりは、十分仏の道にもつながっていただろうに。




そして、思ったんですよね。
この強引な展開、もしも、たとえば宝塚で、たとえば植田(紳)さんや谷さんがやらかしたら、観客の非難轟々ですごいことになっただろうなあ、と。

やっぱり「井上ひさし」の名前には、こういう無茶な展開にも説得力を持たせるだけの力がある…ってことなんじゃないでしょうか。
もちろん、名前の力だけじゃありません。登場人物の心理の動きに矛盾が無いから、たしかな説得力があるんです。
そういう説得力は、植田(紳)さんや谷さんや児玉さんには無いもの。

ラスト、旅立つ二人が本物の沢庵たちとすれ違う場面の静かな感慨は、決してネームバリューで手に入るものじゃない。

でも、おそらく、この物語をそのまま植田さんの演出でやったとしても、観客の緊張が最後まで持たないとおもうんですよね。観客(私)が最後まで緊張感を喪わず、どんな展開になるかを読みながら作品に取り組んだ、まさにそれが、作家のネームバリューの力なのではないだろうか、と、

……ある意味、寂しい結論だなあ……。





------------------------------------
 ココまでネタバレ
------------------------------------

コメント