天王洲アイルの銀河劇場にて、ミュージカル「回転木馬」を観劇してまいりました。



日本初演は、1969年の宝塚雪組。1993年にブロードウェイでリバイバルされ、トニー賞を獲ったのをきっかけに東宝で上演(1995年帝国劇場)。
その昔、某作品について「宝塚で上演されても日本初演には数えられない(だから自分のところが日本初演だ)」などと失礼なことをヌかした某劇団関係者がいましたが、実際雪組さんの「回転木馬」はどういう構成だったんでしょうかね…?
そのままでは、あまり宝塚らしい世界観の作品ではないと思うのですが。

ロジャース&ハマースタインIIの名曲が詰まった作品。音楽は大好きでCDは何度も聴いているのですが、正直、帝劇公演はあまりぴんとこなくて(汗)、今回の上演も「…まぁ、一回くらい観ておくか…」くらいの気持ちで出かけたのですが。


……まんまと泣いてしまいました(^ ^; 涙腺弱すぎ>自分。




嫌な話だと思うんですよね。
物語の始まりは、「カルメン」に似てるなぁと思います。ミセス・マリン(風花舞)にクビを言い渡され、自棄になったビリー(浦井健治)と、雇い主のバスコム氏に「寮母さんに言い訳してあげるから、一緒においで」と言われても、たった今、自分のために仕事を喪ったばかりの男の傍から離れられないジュリー(笹本玲奈)が、リーリャス・パスティアの酒場で帰隊ラッパを聴いたホセにかぶる。

恋に落ちたばっかりに、仕事もプライドも喪った男。
彼は、自分が愛する女を守れない、食わせてやれない無一文であることに深く傷つき、しまいには自分を惹きつけた女に仕事が見つからないヤツアタリをするようになる。


でも。
「愛する女を殴るなんて!」と責める人々に、「たった一度だ!」と叫ばずにいられない彼の若さ、いえ、幼さがいとおしいんですよ。その不器用さ、いじらしくさえあるその幼さが、彼の魅力で、ジュリーもミセス・マリンも、それゆえに彼を諦められないのだと納得できてしまう。
だから、こんな悲惨な、救いのない物語なのに、ラストに何かが昇華されてしまうのでしょう……。




そしてジュリーが、ただの純粋な少女じゃなく、ちゃんと“女”だったのが凄く良かったです。
母性の塊のような、不器用でやんちゃな子供みたいなビリーを愛し、包んであげられるだけの器もった大人の女性。
ぱっと見の美人さ、顔立ちの華やかさは、キャリーのはいだしょうこ(千琴ひめか)の方が上なのに、玲奈ちゃんのたたずまいにはしっとりと落ち着いた柔らかさがあって、いかにも“永遠の少年”が恋をしそうな女性に見えました。
ビリーの持つ少年性と、ジュリーのもつ母性が惹き合った結果が、あの恋だったのだ、と。



玲奈ちゃんって、ただの可愛い少女もできるけど、年齢の割にしっかりした大人の女性が似合う人なんだなあ、とあらためて感嘆しました。「白衣の女」のヒロインも良かったもんね。
顔立ちは幼いのに、背が高くて(安奈淳さんより大きかったのに驚き!)スタイルが良いのでこの時代のドレスがよく似合います。特に、髪をアップにすると途端に大人びて美人になって、二幕後半の艶やかさは半端じゃなかった。

男と恋をしている真っ最中よりも、彼を喪って思い出に生きているときの方が美しい、そんなひと。



ラスト前に、天から戻ってきたビリーが見守る中、ベンチに放置された“星”を拾い上げて、呆然と座り込む場面の二人に泣かされてしまったことは、……別に内緒にはしてません(^ ^;ゞ






演出はロバート・マックィーン。
舞台の上半分に「天上」のセット(煌く星が飾られたオルゴールメリーみたいな……)。
その回りには回廊があって、「星の番人」(安原義人)と天使(西本健太郎/岡亮)がいる。地上を見守る存在、いわゆる「常に見ている存在」が具体的に居るんですね。

ビリーも、そういう存在を意識していたら、悪いことなんて出来なかったろうに、と思いながら。


「星の番人」たちは2幕でビリーが死ぬまで台詞はありません。たしか、帝劇版では前半は全く登場せず、最後になって突然出てきたんで「誰あんたたち」って思った……ような気がする(違うかも)。
今回は、オープニングでまず紗幕の向こうにきらめく星と番人たちをうっすらと見せる、という手法で“見守っている存在”を象徴的に表現していましたのが、メッセージとして解り易くて良かったです。

帝劇版で印象的に使われていた大きな回転木馬のセットみたいなものは最後まで登場せず、天上の星の下、人間界には大きなセットは登場せず、以前は「スフィア」と呼ばれていた円形の舞台を、円いままに使ったシンプルな舞台でした。



ちなみに、演奏も生オケ。天上のセットの奥にオケを入れて、プロローグの間は客席にも見せておき、そこだけ幕を降ろして本編が始まる、という見せ方がプロでした。
…一幕終わってふと振り向いたら、役者に指揮者が見えるよう設置された結構大きなスクリーンに、指揮の塩田明弘さんが大写しになっていたので笑ってしまいました(^ ^)。客席のど真ん中に、あんなに大きなスクリーンを置いて使う劇場も珍しい(笑)。




演出的に印象的だったのは、オープニング。一言の台詞もないけど、立派に芝居のシーンになっていたので。
オープニングの音楽が流れ、工場の男たち・女たちが踊りだし、舞台面が華やいだところで、遊園地のメンバーが登場。アクロバティックな踊りを披露するダンサー(中川賢、三木雄馬)たちが凄かった!他にも手品をしてる人とか、いろいろ。うわーかっこいいーーーーっ♪と思っていると、白いカウボーイ服で登場するビリー。チケット売り場(?)に座る経営者のミセス・マリンの手にキスをして、さて、と客引きを開始する。

きゃあきゃあ騒ぐ女の子たち。
その中でも、ひときわ熱っぽい目で彼を見つめるジュリーに、ちょっかいをかけるピエロ(?)。嫌がるジュリーを見て、そいつを殴り倒し、ジュリーの手をとって誘うビリー。
チケット売り場から出て、二人を引き離そうとするミセス・マリン。
明るく軽やかなカルーセル・ワルツに乗って、その後の悲劇につながる全ての種が蒔かれていく。



ミセス・マリンに嫌味を言われて(?)、駆け去るジュリー。追いかけるキャリーと、そして、ビリー。
音楽は鳴りつづける。回転木馬は回り続ける。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、と…。





この場面に限ったことではないのですが。
セットに頼らず、役者一人ひとりの感情の持っていき方をきちんと指導してこそ、初めてこういう難しい作品が成立するんだなあ、と、感心しました。
帝劇公演をご覧になって、「音楽は良いんだけど、うーん…」と思われた方は、ぜひご覧になってみてくださいませ(^ ^)。






それでは、キャストについて。

ビリーとジュリーについてはだいたい書いた…かな?
ビリーは、移動遊園地の回転木馬の客引き。
ジュリーは土地(アメリカ北東部の海辺の町)の娘。バスコム氏の紡績工場で働いている、おとなしいけれども芯の強い娘。
どちらも本当に当たり役でした。玲奈ちゃんはその包容力(母性)が、浦井くんはとにかくその後ろ向きな意地っ張り加減と精神的な脆さが、物語を動かす原動力になっていたと思います。
彼らでなかったら、この悲惨なストーリーにこんなふうに共感することは出来なかったと思う。
ありがとう(*^ ^*)。




ミセス・マリン(風花舞)は、回転木馬の所有者で、ビリーの雇い主。
ビリーへの執着は半端ないんですけど(ビリーが女の子とイチャついたくらいでクビにしちゃうくらいだから)、実際この二人は寝てた仲なのかなぁ…?などとちょっと下世話な興味を抱いてしまいました。
美しい、まだまだ女ざかりの色っぽい女。ミセスと名乗りながら旦那がいる気配がないってことは、死に別れたのか逃げられたのか?しっとりとした“大人の女”の色気と、ねつい口調の怖ろしさがとても良かったです。
優子姫って、いつの間にこんなに怖い女が演じられる女優になっていたんだろうか、と。

散々やりあった挙句、死んだビリーにそっとキスをする、その、愛。彼女なりに真剣な恋だったのだ、と、そう思わせて。
固唾を呑んで見守る連中(=観客)に、乱れたショールを巻きなおして対峙し、背筋をピンと伸ばして舞台の奥へ消えていく後姿。赤いショールに包まれた、その、虚勢を張った細い背中に、
……ああ、「ウェストサイド物語」のマリアがここに、と。




キャリー(はいだしょうこ)は、ジュリーの友達。
口調の可愛らしさと罪の無さ。本当に“小鳥のよう”な存在感で、実に実に素晴らしかった!(*^ ^*)。
二幕のジガーとのひと幕にも全く罪はなく、“人間界の善悪”に染まったスノウが、とても惨めに見えたほど。
普段からあんな喋り方なんでしょうかねぇ…。いやー、本当に可愛かった!!

スノウ(坂元健児)は、生真面目な漁師で、キャリーの恋人。
この役は、帝劇で演じた林アキラさんの印象が強すぎて最初は違和感あったのですが。キャリーとデレデレ恋を語っているばかりではない、生真面目な堅物、自分の理想にこだわりすぎてありのままのキャリーを全然見ていない器の小ささは、サカケンの方が合っていたような気がします。とにかくアキラさんは優しすぎ・器がゆるすぎて、二幕のジガーとじゃれているキャリーに対する怒りさえ“な、何を言い出すの?”という感じだったので。

突然怒り出す(いや、怒るのが当然なんですけどね!)スノウに吃驚して、しょぼんと背中を丸めるキャリーが可愛くて可愛くて、たまりませんでした。いやー、本当に天然だ…(っていうか、気づきなさい)




ジガー(川崎麻世)は、いわゆる「悪漢」。
ジュリーと結婚したものの、稼ぎも無くイラついているビリーにまとわりつく“前科モノ”。ビリーを唆して強盗をしようとするけれども、一度は断られ、それでも彼の傍を離れない。

これまた帝劇で演じていた市村正親さんの印象が強いのですが、川崎さんはまた全然違っていましたね市村さんは結構観客を笑わせながらいろいろやっていたんですが、川崎さんはひたすら“怖”かった。
ハンサムなのは当たり前ですが、ああやって無精ひげに髪ぼさぼさでも、それだけで男前度が下がるものではないんですね。苦みばしったいい男っぷりで、スノウが咄嗟に嫉妬するのもよくわかる、と思いました。

この男前なハンサムが、執拗にビリーを誘う。
その、ゆがんだ愛情が怖かった。むしろ恋なんじゃないかと思うほど、ビリーの家庭生活を心配するような素振りで、実際には二人の間に溝を作っているのは他ならぬジガーなわけで。
ビリーは気づいていないけど、ジガーには当然わかっているはず。

それでも、ジガーはビリーを諦めない。ビリーの青さ、脆さ、弱さ……ちょっと突けば掌に落ちてくるはずの青年が、なかなか堕ちてこないことに苛つきながら、それでも周到に網を張って待っている。まるで、蜘蛛のように。
そういう周到さ、執念にも似たビリーへ向かう想いのようなものは、帝劇版では感じなかったと思います。

演出なのか役者の個性なのかわかりませんが、川崎麻世さんの当たり役って、私の中ではずっとジャベールだったんですが、今回のジガーはジャベールを越えたなあ、と。それが、彼に関する感想のすべてかも。




ジュリーとビリーの娘・ルイーズ(玉城晴香)と、彼女と踊るカーニバルボーイ(西島千博)。
西島さんのバレエはさすがでした(*^ ^*)。時間は短いけど、彼のダンスを観るだけでも元がとれるかも、と一瞬思ったくらい凄かった!
ルイーズの玉城さんも素晴らしかったけど、残念ながらスタイルはいまいちだったなあ。同じ場面にカーニバルの女王として登場する優子姫の、惜しげもなくさらされた脚線美をみてしまうと……(^ ^;ゞ。ルイーズ、という清純な乙女の役であの振り付けを踊るには、ちょっと生々しい筋肉質な脚だったのが残念な感じ。
技術的な難しいことはよくわからないので、素人の意見ですけどね。っていうか、単に全盛期の優子姫であのヴァリエーションを観てみたいなあ、と思っているだけですが。

カーニバルボーイは本当にそこしか出ないのですが、ルイーズは結構しっかりと芝居がありまして、割と良かったと思います。気の強い、でも子供っぽいところが表に出ていて、一途で可愛かった♪
スノウ・ジュニア(俵和也)のぼけーっとしたぼんぼんぶりとも良い対比で、可愛いカップルだな、と思いました。

…つい今しがたまで、情熱的に踊っていたカーニバルボーイはどうするの?とも思いましたが。
もちろん、最終的に択ぶのはルイーズなんですけど。どうするんでしょうね?実際には。




ドクター・シェルドン(安原義人)は、“星の番人”と同じキャストを使うだけあって、ちょっと哲学的な台詞を述べる役どころ。
ラストのルイーズの卒業式で祝辞を述べる医者、という役なのですが、完全にルイーズに向けて語り聞かせる台詞が、すごくいい。
「父母の成功を忘れなさい。それは父母の成功である」「父母の失敗を忘れなさい…」
…父親がどんな人間でも、娘を愛していたことは間違いのない事実で。

それを否定してはいけない。お前は、愛されてこの世に生まれてきたのだから。



「聴くんだ!ルイーズ、彼の話を!」と脇で囁きながら。
その言葉を、自分で娘に言ってやれないビリーの悔しさと、そして透明な諦念。
もういいんだ、と。
自分がいなくても、この言葉を彼女に言ってくれる大人がちゃんと居るんだから、と。

ビリーが地上に一日だけ戻る権利があるのは、それだけ彼が地上で嘘をついていたから。
彼は一度も本当のことを言わなかった。
ジュリーに、愛している、という一言を。
ルイーズに、愛している、という一言を。
だから、その一言が言えなかった彼には、一日だけ戻る権利が与えられる。
その一言を言えなかった自分に気づき、反省させるために。

言えなかった自分に、「次があれば、必ず言うよ…」と言わせるために。


だから。
ビリーが地上に戻るのは、ルイーズを救うためじゃない。
ジュリーを救うためでもない。
ルイーズを、ジュリーを救うのは、地上の人がしてくれるだろう。

ビリーは、自分自身を救わなくてはならない。
自分自身を、掬い上げなくてはならないのだ。深くて暗い、後悔という名の海の底から。

もう一度、光になるために。
それこそが、神の慈悲なのだから。




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