日本青年館にて、雪組公演「忘れ雪」を観劇してまいりました。
とりあえず、千秋楽も過ぎましたのでネタバレします。
(前回も書きましたが、原作は未読ですのでご了承ください)
まずは、桜木一希(音月桂)。
キムちゃんの芝居って、以前も書いたことがあると思いますが、凄く情が深いんですよね。
濃すぎるくらいの、一つ間違えばウザくなってしまうくらいの熱量があるタイプ。
一希は、本来ならもっと優柔不断な根っからの犬猫オタクであるべきなんじゃないのか?と思うんですけど、キムちゃんはむしろ、母の死によるトラウマを重要視して、外部へのアクセスを閉ざした引きこもりタイプと解釈して演じているのかな、と思いました。
深雪と出会った高校時代の一希(帆風成海)が、明るくて優しい「おにいさん」タイプだったことからの想像ですけれども。
表面上は誰にでも優しくて、でも、内面には誰も踏み込ませない、そういう青年。
愛することにも、愛されることにも怯えている。他人と深い感情をやり取りすることができないタイプ。
そして、そうなってしまったきっかけは、母の死だという解釈なんだろうな、と。
東宝劇場で上演中の月組「夢の浮橋」も、“愛しすぎた罪”をテーマにした物語ですが、「忘れ雪」も、根底にある設定はよく似ているんだな、と思いました。
…似ているのは設定だけで、そこから生じる事件は全く違いますけれども。
夫を愛しすぎた挙句、次第に壊れていく母を近くで見守っていた「長男」という一希の立場。
甘やかされた「末っ子」としての満(大湖せしる)の立場。
その結果として、父親(未沙のえる)は酒におぼれ、長男は心を閉ざして精神的“ひきこもり”のまま動物病院を継ぐ。
ちなみに、グレて“半端者の世界”へ行ってしまったらしい末っ子も、案外ちゃんと家に帰ってきてるし、看護師の静香と仲が良いってことは病院にも顔を出しているらしい。…いい子じゃないか(^ ^)。いい家族なんだなーと思います。
それを、鳴海との対比という形でもっと表に出しても良かったのに、と。
…ま、それはともかく。
この作品において、児玉さんはどうして一希の両親のエピソードを説明台詞ですませたのかなー?と不思議に思います。
これが無いから、どうも話がよくわからないということになる。鳴海父子の関係とか、鳴海父と南のエピソードとか、深雪と義父のエピソードも同様。どうも、「大人側の事情」が全然見えてこないのが全体のストーリーを意味不明にしているような気がしてならないのです。
なにも、齋藤さんみたいに一希をマザコンにする必要はないんですよ。
でも、一希が高校時代と7年後で全く別人のように(実際別人だっていうのは置いといて)なってしまったことの契機となったのが母の死であるならば、そのエピソードは入れて欲しかった。
どんな芝居であれ、主役が首尾一貫した性格でないと観ている方は混乱するんです。たった7年で人格が変わってしまうなら、せめて「こんなことがあったら、変わっちゃっても仕方ないよね」という納得がほしい。
壊れていく母親にすがり付いて泣いている満と、必死で世話をする一希、みたいな回想シーンを入れてもいい。
父親に抗議する満だけじゃなくて、その時の一希の立場をもう少し明確に描くだけでも違う。
それも無理なら、せめて鳴海との会話の中で「いろんなことがあったから、高校時代のことは何も覚えていないんだよ俺」とか独白するだけでもいいんです。
とにかく、“ちょっとオクテで引っ込み思案だけど、心優しい普通の男の子”だったはずの一希が、7年を経て“優柔不断で潔癖症の子供みたいな男”になった理由を納得させてほしいんです。
ついでに、記憶障害の理由も、な……。
10代の女の子は変わりますから、7年も経ったらそりゃー深雪の顔はわからなくても不思議はないですけど、クロスの名前を聞いて、十字架の傷跡をみて、それでも気がつかないってどゆこと!?ホント、真顔で“ホンモノの一希はどうなっちゃったんだろう?ここに居るのは誰なんだろう……”って考えこんじゃいましたよ…(T T)私だけ?
…ま、それはともかく。
キムちゃんの「本当に」凄いところは、そんなオタクで優柔な引きこもり青年が、深雪の本音を聞いた途端、情熱を取り戻し、熱く燃え盛る火の玉みたいになっても違和感がないところ(^ ^)。
愛に怯え、好意を寄せられることにさえ嫌悪感を抱いていたはずの一希が!?とか思ってしまいそうな場面なのに、なぜか納得してしまうのは、その前に深雪に魅かれている一希が観客に見えているからなんですよね。
あのしょうもない遊園地の場面(マーチングバンドは楽しいけど、意味が無いにも程がある)と、それに続くマリア公演の僅か2場面で、実に丁寧に感情の動きを表現している。
深雪に魅かれていく自分へのとまどい。
その思いが、自ら張り巡らせた囲いをトントン叩いていることを、自身もなんとなく気づいている。
だから、深雪への気持ちを自覚したときに、いろんなものを叩き壊してやっと外へ出てきた「一希」は、子供のように自由で思い込みが強くて、猪突猛進なキャラになっているんです。
今まで閉じ込められていたから、そういうところだけが突出している。
……あの手紙を読んだら、男なら“怖い…”と思うのが普通なんじゃないか、とか言っちゃいけないんだろうなあ(^ ^;ゞ
鳴海昌明(凰稀かなめ)。
バウと青年館で観て、一番変わったなーと思ったのはテルくんでした。
まだまだ、『駄作をちからづくでなんとかする』域には全然達していないんですけれども、「自分がやらなくてはならない」という自覚を持って役に向き合うことができるようにはなったみたいだな、と、少し安心しました。
作品の中での自分の役の立場をきちんと把握して、全体のバランスを見ながら芝居をしようとしていたのが嬉しい。
まだまだ成果としてはキムちゃんにおんぶに抱っこでしたけど、「公演の二番手」という立場で“やるべきこと”を、ちゃんと考えられるようになったかな、と。
星組に異動して、どういう立場になるのか判りませんけれども。とにかく、その美貌とキャラクターを武器にして、挫けないでがんばってくださいねっ!!
正直、鳴海という役はテルくんには難しい役柄だったと思います。
なくとも児玉脚本での鳴海は、攻めでヘタレでM、という、ある意味すごく難しいキャラでしたから。
そもそも、テルくんには攻めキャラが難しい。圧倒的な美貌とスタイルで、立っているだけで視線を集めてしまうテルくんには、状況に流されてどこまでも彷徨ってしまうクライドが良く似合っていました。受け身でヘタレでどM、というキャラクターが。
Sなキャラはできるんですよね。本音を見せないロジャー(マリポーサの花)はOKでしたから。でも、攻め(=能動的に行動する)キャラクターは難しい。
あくまでも受け身の役者なんですよね。
児玉さんの脚本を素直に読めば、鳴海は一希に熱烈に恋をしているとしか解釈できないはず(真顔)なのに、テルくんの鳴海はどうしてもそうは見えなかった。かといって、深雪に恋しているようにはもっと見えない(描かれていない)。
だから、何故鳴海が深雪を一希から隠すのか理解できないんです…。
鳴海と深雪、二人の場面が一つも無いのに、どうやって恋心を表現しろっちゅーねん!?って感じですけどね(T T)。児玉さん的には、『鳴海が愛しているのは一希だけ。一希が深雪を愛したから、鳴海も深雪に恋してみることにした』っていう設定だから鳴海と深雪の場面なんていらないのよ★ってなところなんじゃないかと思うんですが、その設定間違ってるから!!>児玉さん
テルくんの芝居は根本的なところが優しくて可愛いので、一幕は良かったと思います。深雪との場面がないのはテルくんの責任じゃないし。
でも、二幕になると完全に破綻してしまう。深雪への恋情も、父親(飛鳥裕)への甘えまじりの反発も、どちらも表現しきれない。まぁ、父親との確執については飛鳥さんの責任も大きいんですけど(涙)、それにしても無理すぎる。
それがバウでの正直な感想でした。
でも。青年館では父親との会話の雰囲気が少し変わっていました。
バウではもっと、拗ねた子供のような甘えた感があったと思うんです。直前の一希との会話での狎れた雰囲気を引き摺っていて。その、なんというか“べたべた”した感じがラストの告白に繋がらなくて、すごく妙な印象が残りました。
それが、青年館では、一希との会話が終わってスツールを立った瞬間、それまでの甘えたな感じが消えて、ぴったりとシャッターを降ろしたような感じがしたんですよね。
豹変した、というか。
息子として“父親”に無闇に反発するのではなく、一人の青年として納得できないことに反論している感じを出したいのかな、と思いました。…残念ながら出来てはいなかったし、そもそも飛鳥さんがそういう変化を受け止められなくて全然ダメダメだったんですけど、テルくん自身が能動的に芝居を創ろう(動かそう)としたことを評価したいです。
個人的には。
差し伸べた手を一希に力いっぱい振り払われた瞬間のテルくんの苦しげな瞳に、クラッとできなかったのが残念でした。
視力を喪った深雪と一緒に逃げようとする鳴海。
「恋人が蛇になったら、自分も蛇になって共に生きる」…それが彼の、優しさゆえの選択。
でも、それはただの逃避で、現実の否定にすぎない。
彼は、一希に手を振り払われて初めてその事実に気づく。
自分には、一希を救う権利が無いことに。
あのとき、外科医の彼は一希が長くは保たないことを知っていた筈ですよね。
それでも行かせる……
……そういう、濃すぎる想いって……テルくんの一番の不得意分野だよな……。
テルくんの鳴海なら、原作どおりに静香さんが一希を刺した方が良かったと思います。>児玉さん
金井静香(愛原実花)。
脚本的には何一つ書き込まれていないのに、ミナコちゃんが立っているだけでナイトメアのオーラが漂うようで、ワクワクしました。
原作ではもっとヤバい人なんだろうな(宝塚で、若いスターが演じる役が原作より悪い人になることはまずあり得ないので)、とか想像しつつ、宝塚離れした悪意のあるキャラクターを見事に造形してのけるミナコちゃんに心底感動しました。
素晴らしい。
たぶん、この物語の中で真実「ピュア」なのは、一希と静香の二人だけなんですよね。
たった一つのことだけを思い詰めて、その一色に心を染めあげてしまった人。
鳴海にも深雪にも、邪念があった。父親への反発とか、一人ぼっちになることへの恐怖とか、一希へのライバル心とか、功名心とか。
でも、一希と静香には、それがない。
“深雪を迎えにいく”という一念を貫くために、命も鳴海もいらないと思った一希。
“一希が欲しい”一念で心を闇に染め上げて、“アチラ側”へ行ってしまった静香。
愛は人を幸せにするけれども、恋は人を鬼にする。
でも、もしかしたら。
鬼になってしまえるのなら、その方が幸せなのかもしれない……。
共に、鬼になって傍に居てくれる人がいるのなら。
…ミナコちゃんなら、最後に一希を刺すところまでキチンと説得力をもって創りあげてくれただろうに、もったいない……。
あれ?長くなってしまった。なんでだろう。
……すみません。続くみたいです……(嘆)。
.
とりあえず、千秋楽も過ぎましたのでネタバレします。
(前回も書きましたが、原作は未読ですのでご了承ください)
まずは、桜木一希(音月桂)。
キムちゃんの芝居って、以前も書いたことがあると思いますが、凄く情が深いんですよね。
濃すぎるくらいの、一つ間違えばウザくなってしまうくらいの熱量があるタイプ。
一希は、本来ならもっと優柔不断な根っからの犬猫オタクであるべきなんじゃないのか?と思うんですけど、キムちゃんはむしろ、母の死によるトラウマを重要視して、外部へのアクセスを閉ざした引きこもりタイプと解釈して演じているのかな、と思いました。
深雪と出会った高校時代の一希(帆風成海)が、明るくて優しい「おにいさん」タイプだったことからの想像ですけれども。
表面上は誰にでも優しくて、でも、内面には誰も踏み込ませない、そういう青年。
愛することにも、愛されることにも怯えている。他人と深い感情をやり取りすることができないタイプ。
そして、そうなってしまったきっかけは、母の死だという解釈なんだろうな、と。
東宝劇場で上演中の月組「夢の浮橋」も、“愛しすぎた罪”をテーマにした物語ですが、「忘れ雪」も、根底にある設定はよく似ているんだな、と思いました。
…似ているのは設定だけで、そこから生じる事件は全く違いますけれども。
夫を愛しすぎた挙句、次第に壊れていく母を近くで見守っていた「長男」という一希の立場。
甘やかされた「末っ子」としての満(大湖せしる)の立場。
その結果として、父親(未沙のえる)は酒におぼれ、長男は心を閉ざして精神的“ひきこもり”のまま動物病院を継ぐ。
ちなみに、グレて“半端者の世界”へ行ってしまったらしい末っ子も、案外ちゃんと家に帰ってきてるし、看護師の静香と仲が良いってことは病院にも顔を出しているらしい。…いい子じゃないか(^ ^)。いい家族なんだなーと思います。
それを、鳴海との対比という形でもっと表に出しても良かったのに、と。
…ま、それはともかく。
この作品において、児玉さんはどうして一希の両親のエピソードを説明台詞ですませたのかなー?と不思議に思います。
これが無いから、どうも話がよくわからないということになる。鳴海父子の関係とか、鳴海父と南のエピソードとか、深雪と義父のエピソードも同様。どうも、「大人側の事情」が全然見えてこないのが全体のストーリーを意味不明にしているような気がしてならないのです。
なにも、齋藤さんみたいに一希をマザコンにする必要はないんですよ。
でも、一希が高校時代と7年後で全く別人のように(実際別人だっていうのは置いといて)なってしまったことの契機となったのが母の死であるならば、そのエピソードは入れて欲しかった。
どんな芝居であれ、主役が首尾一貫した性格でないと観ている方は混乱するんです。たった7年で人格が変わってしまうなら、せめて「こんなことがあったら、変わっちゃっても仕方ないよね」という納得がほしい。
壊れていく母親にすがり付いて泣いている満と、必死で世話をする一希、みたいな回想シーンを入れてもいい。
父親に抗議する満だけじゃなくて、その時の一希の立場をもう少し明確に描くだけでも違う。
それも無理なら、せめて鳴海との会話の中で「いろんなことがあったから、高校時代のことは何も覚えていないんだよ俺」とか独白するだけでもいいんです。
とにかく、“ちょっとオクテで引っ込み思案だけど、心優しい普通の男の子”だったはずの一希が、7年を経て“優柔不断で潔癖症の子供みたいな男”になった理由を納得させてほしいんです。
ついでに、記憶障害の理由も、な……。
10代の女の子は変わりますから、7年も経ったらそりゃー深雪の顔はわからなくても不思議はないですけど、クロスの名前を聞いて、十字架の傷跡をみて、それでも気がつかないってどゆこと!?ホント、真顔で“ホンモノの一希はどうなっちゃったんだろう?ここに居るのは誰なんだろう……”って考えこんじゃいましたよ…(T T)私だけ?
…ま、それはともかく。
キムちゃんの「本当に」凄いところは、そんなオタクで優柔な引きこもり青年が、深雪の本音を聞いた途端、情熱を取り戻し、熱く燃え盛る火の玉みたいになっても違和感がないところ(^ ^)。
愛に怯え、好意を寄せられることにさえ嫌悪感を抱いていたはずの一希が!?とか思ってしまいそうな場面なのに、なぜか納得してしまうのは、その前に深雪に魅かれている一希が観客に見えているからなんですよね。
あのしょうもない遊園地の場面(マーチングバンドは楽しいけど、意味が無いにも程がある)と、それに続くマリア公演の僅か2場面で、実に丁寧に感情の動きを表現している。
深雪に魅かれていく自分へのとまどい。
その思いが、自ら張り巡らせた囲いをトントン叩いていることを、自身もなんとなく気づいている。
だから、深雪への気持ちを自覚したときに、いろんなものを叩き壊してやっと外へ出てきた「一希」は、子供のように自由で思い込みが強くて、猪突猛進なキャラになっているんです。
今まで閉じ込められていたから、そういうところだけが突出している。
……あの手紙を読んだら、男なら“怖い…”と思うのが普通なんじゃないか、とか言っちゃいけないんだろうなあ(^ ^;ゞ
鳴海昌明(凰稀かなめ)。
バウと青年館で観て、一番変わったなーと思ったのはテルくんでした。
まだまだ、『駄作をちからづくでなんとかする』域には全然達していないんですけれども、「自分がやらなくてはならない」という自覚を持って役に向き合うことができるようにはなったみたいだな、と、少し安心しました。
作品の中での自分の役の立場をきちんと把握して、全体のバランスを見ながら芝居をしようとしていたのが嬉しい。
まだまだ成果としてはキムちゃんにおんぶに抱っこでしたけど、「公演の二番手」という立場で“やるべきこと”を、ちゃんと考えられるようになったかな、と。
星組に異動して、どういう立場になるのか判りませんけれども。とにかく、その美貌とキャラクターを武器にして、挫けないでがんばってくださいねっ!!
正直、鳴海という役はテルくんには難しい役柄だったと思います。
なくとも児玉脚本での鳴海は、攻めでヘタレでM、という、ある意味すごく難しいキャラでしたから。
そもそも、テルくんには攻めキャラが難しい。圧倒的な美貌とスタイルで、立っているだけで視線を集めてしまうテルくんには、状況に流されてどこまでも彷徨ってしまうクライドが良く似合っていました。受け身でヘタレでどM、というキャラクターが。
Sなキャラはできるんですよね。本音を見せないロジャー(マリポーサの花)はOKでしたから。でも、攻め(=能動的に行動する)キャラクターは難しい。
あくまでも受け身の役者なんですよね。
児玉さんの脚本を素直に読めば、鳴海は一希に熱烈に恋をしているとしか解釈できないはず(真顔)なのに、テルくんの鳴海はどうしてもそうは見えなかった。かといって、深雪に恋しているようにはもっと見えない(描かれていない)。
だから、何故鳴海が深雪を一希から隠すのか理解できないんです…。
鳴海と深雪、二人の場面が一つも無いのに、どうやって恋心を表現しろっちゅーねん!?って感じですけどね(T T)。児玉さん的には、『鳴海が愛しているのは一希だけ。一希が深雪を愛したから、鳴海も深雪に恋してみることにした』っていう設定だから鳴海と深雪の場面なんていらないのよ★ってなところなんじゃないかと思うんですが、その設定間違ってるから!!>児玉さん
テルくんの芝居は根本的なところが優しくて可愛いので、一幕は良かったと思います。深雪との場面がないのはテルくんの責任じゃないし。
でも、二幕になると完全に破綻してしまう。深雪への恋情も、父親(飛鳥裕)への甘えまじりの反発も、どちらも表現しきれない。まぁ、父親との確執については飛鳥さんの責任も大きいんですけど(涙)、それにしても無理すぎる。
それがバウでの正直な感想でした。
でも。青年館では父親との会話の雰囲気が少し変わっていました。
バウではもっと、拗ねた子供のような甘えた感があったと思うんです。直前の一希との会話での狎れた雰囲気を引き摺っていて。その、なんというか“べたべた”した感じがラストの告白に繋がらなくて、すごく妙な印象が残りました。
それが、青年館では、一希との会話が終わってスツールを立った瞬間、それまでの甘えたな感じが消えて、ぴったりとシャッターを降ろしたような感じがしたんですよね。
豹変した、というか。
息子として“父親”に無闇に反発するのではなく、一人の青年として納得できないことに反論している感じを出したいのかな、と思いました。…残念ながら出来てはいなかったし、そもそも飛鳥さんがそういう変化を受け止められなくて全然ダメダメだったんですけど、テルくん自身が能動的に芝居を創ろう(動かそう)としたことを評価したいです。
個人的には。
差し伸べた手を一希に力いっぱい振り払われた瞬間のテルくんの苦しげな瞳に、クラッとできなかったのが残念でした。
視力を喪った深雪と一緒に逃げようとする鳴海。
「恋人が蛇になったら、自分も蛇になって共に生きる」…それが彼の、優しさゆえの選択。
でも、それはただの逃避で、現実の否定にすぎない。
彼は、一希に手を振り払われて初めてその事実に気づく。
自分には、一希を救う権利が無いことに。
あのとき、外科医の彼は一希が長くは保たないことを知っていた筈ですよね。
それでも行かせる……
……そういう、濃すぎる想いって……テルくんの一番の不得意分野だよな……。
テルくんの鳴海なら、原作どおりに静香さんが一希を刺した方が良かったと思います。>児玉さん
金井静香(愛原実花)。
脚本的には何一つ書き込まれていないのに、ミナコちゃんが立っているだけでナイトメアのオーラが漂うようで、ワクワクしました。
原作ではもっとヤバい人なんだろうな(宝塚で、若いスターが演じる役が原作より悪い人になることはまずあり得ないので)、とか想像しつつ、宝塚離れした悪意のあるキャラクターを見事に造形してのけるミナコちゃんに心底感動しました。
素晴らしい。
たぶん、この物語の中で真実「ピュア」なのは、一希と静香の二人だけなんですよね。
たった一つのことだけを思い詰めて、その一色に心を染めあげてしまった人。
鳴海にも深雪にも、邪念があった。父親への反発とか、一人ぼっちになることへの恐怖とか、一希へのライバル心とか、功名心とか。
でも、一希と静香には、それがない。
“深雪を迎えにいく”という一念を貫くために、命も鳴海もいらないと思った一希。
“一希が欲しい”一念で心を闇に染め上げて、“アチラ側”へ行ってしまった静香。
愛は人を幸せにするけれども、恋は人を鬼にする。
でも、もしかしたら。
鬼になってしまえるのなら、その方が幸せなのかもしれない……。
共に、鬼になって傍に居てくれる人がいるのなら。
…ミナコちゃんなら、最後に一希を刺すところまでキチンと説得力をもって創りあげてくれただろうに、もったいない……。
あれ?長くなってしまった。なんでだろう。
……すみません。続くみたいです……(嘆)。
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コメント
続きを楽しみにお待ちしていま~~す♪
千秋楽を見ていて・・・涙しました。
ナガさんのいつもながらの優しいご挨拶、音月さんの誠意あるご挨拶
あーたんの挨拶・・ 涙しました。 後ろで泣いている組子たちに涙しました。
劇場全体が初日の頃と明らかに違っていました。感じるのは同じ思い。
”この舞台、どうなってしまうんだろう” と、なんともいえない思いをしながら、呆然と見た初日からすれば、奇跡に近い気持ちです。
いや、音月さんは凄い 初日頃も 千秋楽も その一言です って思います。
原作でも脚本でもなく、役者が魂を込めて作り上げた舞台だと思いました。
児玉作品の場合、つっこみ所が多くて見ながら常に自分の頭の中で補足しているせいか、眠くなりません(笑)
思い出さない理由
1.実は桜木は母の車に同乗していて(酔っ払い運転を止めようとした)一緒に事故にあって記憶を失った
母は割と最近亡くなった雰囲気だったし。
2.直前に桜木と鳴海は雷にあって中身が入れ替わってしまっていて、実は中身は鳴海の桜木が助けてくれたのである
その後また雷にあって二人はもとに戻ったから、桜木は覚えてなくて鳴海は病院前であってもすぐに彼女のことがわかったし、いろいろと世話も焼いてくれたし、観客もびっくりなくらいに既に深雪ちゃんに恋に落ちていたのも納得。
千秋楽のご挨拶、CSで見ただけですが、皆のがんばりが見えたご挨拶でしたね。
やりきった感があって、さわやかで。
>原作でも脚本でもなく、役者が魂を込めて作り上げた舞台だと思いました。
本当にそんな感じでしたね。
出演者の皆様に、心からの拍手を捧げたいです。ええ、作・演出家ではなくて、ね。
絶対2ですね。ええ。何もかもぜーんぶスッキリ説明できる!!
素晴らしいです。もっと早くその事実を(←違う)知りたかった……(^ ^;
と、真顔で言いたくなるくらい不思議な記憶喪失でしたよねっ笑。