宝塚バウホールにて、雪組公演「忘れ雪」を観劇してまいりました。
多分私は、キムちゃんのファンなんだと思います。
どんなに作品が間抜けでも、キムちゃんがずーーーーっと舞台上にいて、
あの声で歌っているか、あの声で喋っているか、…それとも殴られているか(←おい)、
とにかく舞台上にずっと居てくれるという、喜び。
キムちゃんの声が好きです。歌声も、台詞声も。
なんだか、しみじみーと自覚した2時間半でした。
……作品がどんなに間抜けでも。
プログラムに、作・演出の児玉明子さんがこう書かれています。
「(前略)正直、初めは戸惑いました。これがテレビドラマや映画だったら良いのですが、歌も踊りもある宝塚で、いったいどうやって表現したら良いのだろう?…と(後略)」
こ、この無責任な他人事っっぷりは、いったい何!?
この原作を宝塚化しよう、と、最初言い出したのは誰なの!?
「忘れ雪」を音月桂で舞台化することを、そして、その実行部隊の総指揮官として、よりによって児玉明子を指名した誰かさんを、体育館裏(←どこだよ)に呼び出して、集団リンチにかけたい気分です……。
私は原作の「忘れ雪」(新堂冬樹)は読んだことがないのですが、
それなりの評価をされている作品のようですし、おそらく一つの物語としてちゃんとまとまっているんんだろうと思うんですよね。
だけど、児玉さんが舞台化するにあたって選んだ場面が、悉く間違っているような気がするのです。
クリエーターとして他の人の作品をきちんと読み込み、理解した上で「宝塚化したい!」あるいは「○○ にこの台詞を言わせたい!」という“思い”をもって舞台化したならば、「衝動、衝動、衝動~♪」でも、世界の名作「カラマーゾフの兄弟」が戦隊モノになっていても、観客にはしっかりと受け入れられるものなのです。
でも、「えー、宝塚で○○やんのー?なんであたしがー(凹)」という程度の“思い”で舞台化しようったって、そんなの巧くいくはずがない。宝塚化、潤色、といっても、それは立派な“創造”なのですから。
一つの物語世界をクリエートするには、それなりの犠牲が必要なのに、児玉さんにはその気合が感じられない。忘れ雪が降る世界をキチンと立ち上げよう、という気持ちが無いように見える。
正直、読み込みが足りないんじゃないか?という気もします。なぜ幼い深雪があんなに一希に入れ込むのか、なぜ一希が深雪のことを全く思い出さないのか、なぜ鳴海がああいう行動に出るのか、、、そのあたりの「何故?」を、児玉さん自身が全く解決できていないような気がするのです。
本人がわかっていないから、どのエピソードが必要でどのエピソードが不要なのか判断できない。だから、あんなにいらない場面ばかりの作品になってしまう。あれでは世界が立ち上がらないのに、それに気づくことさえできない。
確かに悲惨な物語です。
でも、悲惨だから×、とは、私は思いません。
たしかに暴力シーンが長すぎると思いますが、それは“無駄なエピソード”の一つであるというだけのことで、作品の評価において決定的な点だとも思いません。
ただただ、不要な場面が多すぎて、数少ないメインキャストの真情が全く伝わってこなかったのが残念です。
それにしても。
力技でキャラクターを立ち上げ、説得力を持たせてのけたキムちゃんとミナコちゃん(愛原実花)の、役者としての才能に感服しました。
二人に引っ張られて、ただただ真っ直ぐにキャラクターで魅きつけたみみちゃん(舞羽美海)や(大湖)せしる、キング(蓮城まこと)も良かったです。みみちゃん、やっぱり「凍てついた明日」のメアリーやっただけのことはある!「マリポーサの花」は本公演も新公もいまひとつだったので、正塚さんとは芝居(演出)の相性が悪いのかもしれませんが、あのけなげな可愛らしさは武器だなあと思いました。
テルくんは、ビジュアルは文句なく素敵なんですけど、「力技でキャラクターを立ち上げる」域に達するにはまだだいぶかかりそうだな、と(汗)。来年には研10になるテルくん。本公演でも番手がつく立場になりつつあるので、そろそろ「力技でなんとかする」ことが出来る役者になって欲しいかも。
「力技」で解決するためには、「私はこうしたい!」という強い意志、役に対する“思い”が必要なんですよ。テルくんはそういうものが感じられないところが個性でもあるのですが、やっぱりそれだけだと、「良い役がくれば良いけど、駄目なときはダメなのね~」で終わってしまって、もったいないと思うんですよね。
「凍てついた明日」で、舞台というか芝居の面白さがすこーし判ってきつつあるのかな?と思ったので、青年館で化けることを期待しています!
にわにわ(奏乃はると)は、、、歌も芝居も出来る人なのに、どうも「マリポーサの花」といい、なかなか良い役にめぐり合えませんねぇ。
キタロウ(緒月遠麻)は、、、、フェルッティの情けなさを思えば、短期間でよく成長したものだな、と☆
かおりちゃん(晴華みどり)は、みみちゃんの母親は本当に一瞬なので(汗)、クラブのシンガーの方が印象的でした。それにしても美人だなーーーーっ!
(真波)そらちゃんは、深雪(みみちゃん)の婚約者役、なのですが…。この役が一番意味不明だった(涙)。せめてもう少し……後から説明されるだけじゃなくて、南さんサイド(=深雪の父親サイド)の話をちゃんと書けば良かったのに、と思うんですよね。原作にあるのかないのか判りませんが、もし無いとしても適当に作っちゃってもいいくらい、重要なエピソードだと思うんですよ。
南=そら、深雪父=にわにわとかで2場面くらいあれば、随分話がわかりやすくなると思うんですよね。
とにかく、下手にサスペンス仕立てにして裏のエピソードを全部省いたばかりに、良くわからない話になってしまったような気がします。舞台で“サスペンスもの”は本当に難しいんだから、児玉さんが手を出すいは10年早いような気が……。
原作ではどういうふうに構成しているんでしょうね。(←読め)
がおりちゃん(香陵しずる)&沙月愛奈ちゃんの蛇が実に素晴らしかったので、もう少しこの蛇に関わるエピソードもちゃんとまとめて欲しかったなー。特に、「一緒に蛇になる」という鳴海の答えを、もっと象徴的な形でラストに示して欲しかった。
とにかく、いらない場面をスパっと削って、「これを伝えたい!」という“思い”を持って場面選定をしていただきたかったです。一幕最初の“クロスの訓練”の場面は丸ごといらないし、もったいぶって出てくる「マズルコントロール」というワードも、その後一度も出てこないし。
とりあえず、「なんで一希はあんなにキレイサッパリ深雪ちゃんのこと忘れてんのかしら。記憶喪失って感じでもないし。…あ、もしや、誰も知らないうちに別人とすり替えられている、とか?(鳴海だけが正体を知っている)…いやいや、きっとサイボーグなんだわ(鳴海だけが以下同文)」などと色々考えすぎてワクワクしていた時間を返してください……(←さかうらみ)
なにはともあれ、作品的にはいろいろあっても、キムちゃんがなんとか形にまとめてくれていました。
たぶん、脚本・児玉明子、演出・音月桂って書いたほうが実態に即しているんじゃないかと思うくらい、キムちゃん=一希の“思い”が空間を満たしていて、素晴らしかった!!
他のメンバーも、キムちゃんに引っ張られて、よくがんばっていたと思います。
上級生なのにコロス多すぎで、違う意味で泣ける人もいますが…。
青年館公演ももうすぐ始まりますね。
いろいろ大変そうですが、私ももう一回観られるので、皆がどんな風に成長しているのか、楽しみにしています☆
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多分私は、キムちゃんのファンなんだと思います。
どんなに作品が間抜けでも、キムちゃんがずーーーーっと舞台上にいて、
あの声で歌っているか、あの声で喋っているか、…それとも殴られているか(←おい)、
とにかく舞台上にずっと居てくれるという、喜び。
キムちゃんの声が好きです。歌声も、台詞声も。
なんだか、しみじみーと自覚した2時間半でした。
……作品がどんなに間抜けでも。
プログラムに、作・演出の児玉明子さんがこう書かれています。
「(前略)正直、初めは戸惑いました。これがテレビドラマや映画だったら良いのですが、歌も踊りもある宝塚で、いったいどうやって表現したら良いのだろう?…と(後略)」
こ、この無責任な他人事っっぷりは、いったい何!?
この原作を宝塚化しよう、と、最初言い出したのは誰なの!?
「忘れ雪」を音月桂で舞台化することを、そして、その実行部隊の総指揮官として、よりによって児玉明子を指名した誰かさんを、体育館裏(←どこだよ)に呼び出して、集団リンチにかけたい気分です……。
私は原作の「忘れ雪」(新堂冬樹)は読んだことがないのですが、
それなりの評価をされている作品のようですし、おそらく一つの物語としてちゃんとまとまっているんんだろうと思うんですよね。
だけど、児玉さんが舞台化するにあたって選んだ場面が、悉く間違っているような気がするのです。
クリエーターとして他の人の作品をきちんと読み込み、理解した上で「宝塚化したい!」あるいは「○○ にこの台詞を言わせたい!」という“思い”をもって舞台化したならば、「衝動、衝動、衝動~♪」でも、世界の名作「カラマーゾフの兄弟」が戦隊モノになっていても、観客にはしっかりと受け入れられるものなのです。
でも、「えー、宝塚で○○やんのー?なんであたしがー(凹)」という程度の“思い”で舞台化しようったって、そんなの巧くいくはずがない。宝塚化、潤色、といっても、それは立派な“創造”なのですから。
一つの物語世界をクリエートするには、それなりの犠牲が必要なのに、児玉さんにはその気合が感じられない。忘れ雪が降る世界をキチンと立ち上げよう、という気持ちが無いように見える。
正直、読み込みが足りないんじゃないか?という気もします。なぜ幼い深雪があんなに一希に入れ込むのか、なぜ一希が深雪のことを全く思い出さないのか、なぜ鳴海がああいう行動に出るのか、、、そのあたりの「何故?」を、児玉さん自身が全く解決できていないような気がするのです。
本人がわかっていないから、どのエピソードが必要でどのエピソードが不要なのか判断できない。だから、あんなにいらない場面ばかりの作品になってしまう。あれでは世界が立ち上がらないのに、それに気づくことさえできない。
確かに悲惨な物語です。
でも、悲惨だから×、とは、私は思いません。
たしかに暴力シーンが長すぎると思いますが、それは“無駄なエピソード”の一つであるというだけのことで、作品の評価において決定的な点だとも思いません。
ただただ、不要な場面が多すぎて、数少ないメインキャストの真情が全く伝わってこなかったのが残念です。
それにしても。
力技でキャラクターを立ち上げ、説得力を持たせてのけたキムちゃんとミナコちゃん(愛原実花)の、役者としての才能に感服しました。
二人に引っ張られて、ただただ真っ直ぐにキャラクターで魅きつけたみみちゃん(舞羽美海)や(大湖)せしる、キング(蓮城まこと)も良かったです。みみちゃん、やっぱり「凍てついた明日」のメアリーやっただけのことはある!「マリポーサの花」は本公演も新公もいまひとつだったので、正塚さんとは芝居(演出)の相性が悪いのかもしれませんが、あのけなげな可愛らしさは武器だなあと思いました。
テルくんは、ビジュアルは文句なく素敵なんですけど、「力技でキャラクターを立ち上げる」域に達するにはまだだいぶかかりそうだな、と(汗)。来年には研10になるテルくん。本公演でも番手がつく立場になりつつあるので、そろそろ「力技でなんとかする」ことが出来る役者になって欲しいかも。
「力技」で解決するためには、「私はこうしたい!」という強い意志、役に対する“思い”が必要なんですよ。テルくんはそういうものが感じられないところが個性でもあるのですが、やっぱりそれだけだと、「良い役がくれば良いけど、駄目なときはダメなのね~」で終わってしまって、もったいないと思うんですよね。
「凍てついた明日」で、舞台というか芝居の面白さがすこーし判ってきつつあるのかな?と思ったので、青年館で化けることを期待しています!
にわにわ(奏乃はると)は、、、歌も芝居も出来る人なのに、どうも「マリポーサの花」といい、なかなか良い役にめぐり合えませんねぇ。
キタロウ(緒月遠麻)は、、、、フェルッティの情けなさを思えば、短期間でよく成長したものだな、と☆
かおりちゃん(晴華みどり)は、みみちゃんの母親は本当に一瞬なので(汗)、クラブのシンガーの方が印象的でした。それにしても美人だなーーーーっ!
(真波)そらちゃんは、深雪(みみちゃん)の婚約者役、なのですが…。この役が一番意味不明だった(涙)。せめてもう少し……後から説明されるだけじゃなくて、南さんサイド(=深雪の父親サイド)の話をちゃんと書けば良かったのに、と思うんですよね。原作にあるのかないのか判りませんが、もし無いとしても適当に作っちゃってもいいくらい、重要なエピソードだと思うんですよ。
南=そら、深雪父=にわにわとかで2場面くらいあれば、随分話がわかりやすくなると思うんですよね。
とにかく、下手にサスペンス仕立てにして裏のエピソードを全部省いたばかりに、良くわからない話になってしまったような気がします。舞台で“サスペンスもの”は本当に難しいんだから、児玉さんが手を出すいは10年早いような気が……。
原作ではどういうふうに構成しているんでしょうね。(←読め)
がおりちゃん(香陵しずる)&沙月愛奈ちゃんの蛇が実に素晴らしかったので、もう少しこの蛇に関わるエピソードもちゃんとまとめて欲しかったなー。特に、「一緒に蛇になる」という鳴海の答えを、もっと象徴的な形でラストに示して欲しかった。
とにかく、いらない場面をスパっと削って、「これを伝えたい!」という“思い”を持って場面選定をしていただきたかったです。一幕最初の“クロスの訓練”の場面は丸ごといらないし、もったいぶって出てくる「マズルコントロール」というワードも、その後一度も出てこないし。
とりあえず、「なんで一希はあんなにキレイサッパリ深雪ちゃんのこと忘れてんのかしら。記憶喪失って感じでもないし。…あ、もしや、誰も知らないうちに別人とすり替えられている、とか?(鳴海だけが正体を知っている)…いやいや、きっとサイボーグなんだわ(鳴海だけが以下同文)」などと色々考えすぎてワクワクしていた時間を返してください……(←さかうらみ)
なにはともあれ、作品的にはいろいろあっても、キムちゃんがなんとか形にまとめてくれていました。
たぶん、脚本・児玉明子、演出・音月桂って書いたほうが実態に即しているんじゃないかと思うくらい、キムちゃん=一希の“思い”が空間を満たしていて、素晴らしかった!!
他のメンバーも、キムちゃんに引っ張られて、よくがんばっていたと思います。
上級生なのにコロス多すぎで、違う意味で泣ける人もいますが…。
青年館公演ももうすぐ始まりますね。
いろいろ大変そうですが、私ももう一回観られるので、皆がどんな風に成長しているのか、楽しみにしています☆
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コメント
衝撃の発表の連続に動揺しまくり、震え・・・・
これは東京では雪組の最後のかなめちゃんじゃないの!! と
忘れ雪を見て参りました。
私はこの状況の中で、あれだけのメンバーなのに顔が判別できない暗い舞台で、渾身のダンスを見せてくれる雪組っこが大好きです。愛しています。
そして、力尽くで空気を集中させた音月さんのもの凄さ!愛しています。
蛇、本当に素敵でした。
ねこ様の文章を改めて納得しながら、しみじみと読ませていただきました。
こうなったらしっかり最後まで応援させて頂くことにします。
そう、私も書いた後で「こ、これがテルくんの東京での雪組ラストなのか…」と動揺しまくりました。青年館も観に行くことにしておいて、良かったです。
「君を愛してる」といい、「マリポーサの花」といい、密かにキムちゃん&テルくんの持ち味の全く違う二人のコンビが好きだったりするので、組が離れるのはとても残念ですが、最後にがっつり組んだ二人が観られて良かったです。これで作品がもっ(黙)。
>顔が判別できない暗い舞台で、渾身のダンスを
みんながんばってましたね(T T)。素敵だぞ!!>雪ん子
それにしても深雪がナゼに父親や南に内緒でパリにいくか、またあそこまで桜木の思い出にすがりついているのかを、京都にいる父(もちろん嫌な感じのパパね!)とその手下って感じで
「お父様にあなたと結婚して後をついでと・・」という南部長がお芝居したら全然話の重さが違ってくるのにと思います。
にわさんとまゆちゃん、鼓笛隊で二人でシンバルなんて叩いてる場合じゃないですよね
(こだまっち!!!←怒)
自分が演出するなら、プログラムに言い訳なんて書くな!ぷんぷん
あらっ!!話違いますが、うめちゃん退団発表なんですね・・・
>かなめちゃん、片手くらいですがちょっと力技利かせ始めたような気がしますわ。
おお!楽しみ!
>二人の性格は@君愛が正しいらしくて
そんな感じですよね、あの二人。鳴海主役にして、鳴海=キム、一希=テルっていうのもアリかなーと思いました(^ ^)。
でも、あの底の無い優しさと「正義」の眩さがキムちゃんの良いところだとも思うので、やっぱり今回のキャストで正解かなー(←それ以前に、鳴海主役にするのが無理です)。
>にわさんとまゆちゃん、鼓笛隊で二人でシンバルなんて叩いてる場合じゃないですよね
>(こだまっち!!!←怒)
>自分が演出するなら、プログラムに言い訳なんて書くな!ぷんぷん
本当ですよね~~!!
なんだか、自分でものすごく色んなことを考えてフォローしないと話がわからないのが……
ラスト前の、マリア公演での二人の会話とか、本来ならかなり泣ける場面のはずなのに「どうしてこんな落ちに?」って気がしてしまうのは完全に児玉さんの失敗だと思うんですよね…。
一人で行かせる鳴海の気持ちこそ、切なくて苦しいはずなのに、それも全然描かれてないし。
ううう、私に場面選定させろーーっ!!(←まずは原作を読みなさい)