月の橋姫

2009年1月8日 宝塚(月)
東京宝塚劇場にて、月組公演「夢の浮橋/Apasionado!!」を観劇してまいりました。


年頭の誓い、じゃない、年末の誓い(週に一度はノー残業デー!)を守るべく、平日夜の日比谷に行ってまいりました(^ ^)。
この調子で来週からもがんばるぞ!!(←なにを)




何を隠そう、月組公演を担当している大野さん&藤井さん、あ~んど赤坂の雪組「カラマーゾフ…」の齋藤さん、この3人って、荻田さんが宝塚を卒業した今、「猫が大好きな演出家3人衆」なんですよね(^ ^;ゞ
この3人が東京に揃ったこの1月は、猫にとってもかなり幸せで、しかも忙しい(笑)季節です♪



いやーもう、とりあえず、月組ファン的には心が震えるサイコーのショーでした!
ホント、麻子さんも霧矢さんも素晴らしいショースターですねっっ!!(^ ^)しかも、並み居る月娘たちの男前でカッコイイこと!男役がずらりと並んだ中詰めの花々の場面、女装した男役さんたちがみんな可愛くてうっとりしました。周りを固める月娘たち、かっこよすぎです(←そんな月娘が大好きです)。




しかーし。藤井さんと齋藤さん、仲良すぎじゃない?
藤井さんの齋藤さん大好きっぷりにちょっと受けちゃいました。

もうご存知無い方も多いかもしれませんが、汐美真帆さんと大空祐飛さんがW主演をした齋藤さんの作品は「ライブ・アパシオナード 血と砂」というタイトルでした(爆)。
まさか「Apasionado!!」というタイトルの作品で、「血と砂」が出てこようとは。
フアン・ガルラードとドンニャ・ソルですよあなた。
しかもドンニャはみっぽー(美鳳あや)ちゃんですよっ!!
……牛だったくせにっっっ!!
で、ソロを歌うのがオトキチ(音姫すなお)ですよ!話を紹介するのが(城咲)あいちゃんですよ!
……ルシアだったり「砂」だったりしたくせにっっっ!!



いやーもう、たまらんほど可愛かったです。みっぽードンニャ。そして、残り少ない「血と砂」メンバーが総出で、楽しかったです(はぁと)。
麻子さん、ちゃんと闘牛服に着替えていただきたかったなあ………(←時間ないから無理)



というわけで、一番心に残ったのは、お花さんたちと「血と砂」。
…なんですけど、でも、とにかく全編好きです♪ なんというか、相変わらず藤井作品は「おもちゃ箱をひっくり返したような」という形容詞がよく似合うな、と。ごちゃごちゃしてまとまりがなくて、エネルギッシュでノンストップ!なところが。
あと、月組の今の体制をうまく使ったなーと思いました。ある意味、普通のトップ娘役よりトップスターに近かったあいちゃんの存在が、藤井さんのツボに入ったなーと思いました。


ただ。

藤井さんの創る作品は、突飛な衣装センスまで含めて大好き(真顔)な猫ですけど、それでもちょっとどうなの、と小一時間問い詰めてみたいと思ったのが、ノバ・ボサ・ノバの衣装の多用。
それ、ラテンだけどスパニッシュじゃないから!
…他に衣装無かったんか、と思っちゃいましたね。私にしては珍しく(^ ^)。






そして。
ちょっと順序が逆になりましたが、お芝居は大野さんの「夢の浮橋」。
いかにも大野さんらしい、ちょっと細かい所の詰めが甘いけど、大枠は「花のいそぎ」や「更に狂はじ」を思い出させる作品に仕上がってました(*^ ^*)。
これが大劇場デビューではありますが、一応「飛鳥夕映え」の演出経験があるので、人の動かし方やセットの使い方など、さすがでしたね。「飛鳥…」のときは、ちょっと大劇場の広い空間を使いきれていないなーと思ったのですが、今回は良かったです。



物語は、案の定「宇治十帖」とは何の関係も無かったです。
「宇治十帖」の外伝(スピンオフ)も違うんじゃ?と思ったほどにかけ離れた印象。

でも、「源氏物語」ではありました。だって、匂宮(瀬奈じゅん)が真実に意識しているのは、終始光源氏(萬あきら)なんだもん(- -;

……薫のことも、もうちょっとライバルとして意識してやってくださいよ(汗)。




「罪」をテーマにした宝塚歌劇。

美しくて、罪深いほど美しくて、……罪深さに苦しめば苦しむほど、甘美な毒に囚われていく。
そういう構造に、つい荻田作品を思いだしました。
「螺旋のオルフェ」の、「そして夜が明けたとき、明け方の空を美しいと思った。そして、そう思った自分を許せなかった」とか。
「凍てついた明日」の、「誰でも良かった。…でも、君だったんだ」とか。


暴力にとらわれないところは荻田さんとは違いますが、“「罪」に耐える姿こそが美しい”、という彼のイマジネーションは、「美しさは罪を孕んでいる」という荻田さんの幻想に通じるものがあって、私はものすごく嵌りやすかったりします。
…壊れているなあ、とは思うんですけどねぇ(^ ^;ゞ



特に今回、花組の小池作品と連続して観たので、「王座に座りたくない王」について色々と考えてしまいました。
小池さんの「太王四神記」は、「王座に座りたくない宿命の王」を主役に、「王座に座りたい英雄」を二番手に配し、王座には座らず「王座に座った者を思い通りに操りたいと願う魔術師」を三番手に振っています。
いわゆる「王道」ってやつですね(^ ^)。

それに対して、大野さんの「夢の浮橋」は「王座に座りたくない皇子」を主役に、「皇子の憧憬の対象」を二番手に、「王座に座りたい優等生」を三番手に配しました。
ただ、薫は「皇子の恋敵」であると同時に物語を「紡ぐ手」であり、「罪の子」として物語の根底にあるテーマ「罪」の象徴的な存在でもあります。
薫の渇望が物語世界を造り、匂宮の渇望が物語を動かす。

でも、匂宮が実際に執着を見せるのは、“罪”の象徴である「光る君」であり、「王座に座りたい優等生」である兄・二宮であって、薫ではない。




「太王四神記」と「夢の浮橋」の二人の皇子は、どちらも「自分より王座にふさわしいと思う人物」が身近に居ます。自分の立場と責任を自覚し、王座にふさわしくあらんと努力している人物、が。
でも、それを視て「俺より彼の方が王座にふさわしい」と思うこと自体が、神籍の王たる器なのではないか、というのは昨日も書きました。



一年前の荻田さんの「A-Rex」も「王座に座りたくなかった王」を主役にした作品ですが、あれは「自分より王座にふさわしいと思う人物」がいなかった例なんですよね。だから、あの作品では“A-Rexが真実“王の器”だったのか?”、ということについては触れていません。
ただ、A-Rexは王座に座った。そして旅に出た。それだけ。
あの作品で、瀬奈じゅんを“瀬奈じゅん”のまま舞台に置いた荻田浩一の鬼に思わず目を背けたくなった猫ですが、今回の大野さんは、麻子さんに“匂宮”の仮面をつけさせた上で、芝居をさせないという暴挙に出ていました。
立っているだけで人を魅了する、大輪の華。華はただひたむきに咲いていればいい、というのは“宝塚歌劇”の本質だと思うのですが、最近はそういう作品があまり無かったのでちょっと驚いてしまいました。

……荻田さんと大野さん。お二人の作品を観るたびに、物凄く良く似たところと、全く全然違うところがそれぞれあって、面白いお二人だなあと思います。
荻田さんが卒業されてしまった今、大野さんがその後を追うことのないように、祈るばかりです。






きりやんの薫は、昏い情熱をねつく醸し出していて、すごく怖かったです。あれだけの迫力あるお芝居ができるのはさすが。体調も戻られたみたいで、なによりです!(喜)


(羽桜)しずくちゃんの浮舟は、当たり役。彼女のいいところは、サリーの芝居でも思いましたが「あたしは憐れな女…」という自覚がないところ。常に相手のことだけを考えて、自分を卑下したり自己弁護したりするところが全くないんですよね。しずくちゃんご本人がどうなのかはわかりませんけれども、彼女の芝居は常に「相手の目を見凝めている」ところがすごく好きです。
だからこそ、相手の目を見る役者さんと組ませてあげたいなーと思いってしまいますね。技術的にはアレコレ拙いだけに(汗)。


あいちゃんの小宰相は嵌り役でしたね(*^ ^*)。美しくて華やかで、周囲の“貴族の”女性たちとは全く違う空気を纏った女。
彼女だからこそ、「誰だって自由じゃないのよ」という台詞に重みがあったのだと思いました。匂宮が無闇に憧れる「自由」なんてものは存在しないのだ、と。軽やかな口調で、匂宮の憧憬を切って捨てる、その邪気の無さ。
いい女になったよなあ、本当に……。



あーちゃん(花瀬みずか)の一宮も嵌り役でした♪最近のあーちゃんは良い役に立て続けに当たっていて、芝居がどんどん良くなっているのが嬉しい。ラスト前の匂宮とのやりとりの落ち着きが良かったです。
となみちゃんが卒業したら、「LUNA」のウサギちゃんたちで残るのはあーちゃん一人。学年を重ねても透明感を失わず、「母性」が出てこないのはある意味個性だと思うので、星組の柚美姉さまのような、素敵な女役さんになってくださいね♪




それぞれの子役は、匂宮が咲希あかねちゃん、薫が舞乃ゆかちゃん、女一の宮が花陽みらちゃん。花組の子役たちもみんな良かったけど、こちらもホントに成長後の姿と違和感がなくて、見事な配役でした(はぁと)。





そして。
個人的なこの公演の目玉、みっしょん(美翔かずき)の柏木&(天野)ほたるの女三宮。
予想通り回想シーン5分間のみの出番でしたが、あまりの美しさに衝撃を受けて、どうやら話題のシーンだったらしい“浮舟と匂宮の色事”場面を観おとしてしまいました……(T T)。つ、つ、次こそは。次こそは必ず。

……無理かな……(- -;ゞ





コメント