銀ちゃんの嘘【12】
2009年1月2日 宝塚(花)今年のお正月は、我ながらびっくりするほどの寝正月です(笑)。
元旦の一日、たぶん3時間くらいしか起きてなかった気がする。寝る前に初詣に行って、寝て、起きて餅焼いて喰って、寝て、起きて雑煮作って喰って、寝て、起きたらもう二日でした(^ ^;ゞ。
寝る子は育つ。
…でも、もう私、これ以上育たなくっていいんだけどな……。
(普段から朝食抜きなのに、朝バナナダイエットを始めて太ってしまった)(←当たり前)
というわけで(←だから何が!?)
花組ドラマシティ&青年館公演「銀ちゃんの恋」より
第十四場C すれ違う心
…今頃知ったのですが、「第十四場」って長いんですね。小夏のソロから生命保険までで一場なのか…。
塀の前⇒上手側に座敷(大部屋)のセット⇒下手側に店のセット⇒平場⇒また塀の前、と、セットもコロコロ変わるのに。
銀ちゃんとヤスのラヴシーン(←ラヴ言うな)の印象が強すぎて、そこだけ独立した場だとばかり思っていたのすが、場面の中のワンカットに過ぎなかったのか……愕。
差し入れを持ってきた小夏を置いて、席を立つヤス。
ヤスの背後で、お祝いの腹帯を贈る大部屋の仲間たち。やさしいまなざしで小夏の腹のあたりを見つめるトメさん、ちょっと気恥ずかしげに上目遣いで美しい“元女優”を見るマコト、そして、身体全体から憧れの気持ちダダ漏れでキラキラしているジミー。
幸せな、幸せな、…“擬似家族”の団欒風景。
その全てに背を向けて、ヤスは歩き出す。
流れるBGMが、小夏の幸せのソロのメロディから、なめらかにヤスの「映画の夢」へとつながっていくのが泣けました。
♪そんな夢を今も視るよ
♪幼いあの日の思い出のカケラを
彼の心にこだまする声は、ひとつだけ。
『せめて階段落ちがありゃあ…』
♪破れかけた町のポスターに
♪胸ふくらませた あの頃
ヤスにとっての、“すべて”だった銀ちゃん。
自分の人生を彩るポスターの中で、唯一のフルカラーの存在だった、銀ちゃん。
ヤスのすべては銀ちゃんのもの。
“銀ちゃんのためなら、俺は……”
それは決して犠牲心ではなくて。
犠牲だとは想っていないから、譲れない。絶対に。
銀ちゃんを守るのは、俺だ。その役だけは、絶対に誰にも譲らない。
…譲れ、ない。
小夏はヤスを選んだのに。
泣いて、喚いて、それでもヤスを選んだのに。
なのに、ヤスは小夏を選ばない。
ヤスの銀ちゃんへの“憧れ”、ひたすらに純粋な憧憬だったはずの想いが執着に変わったのは、たぶん、一幕ラストの銀ちゃんと小夏の会話を聞いてしまったとき、だったんだろうな。
憧れの小夏と一緒に暮らせることに有頂天になって。
必死で仕事を探して、傷だらけになってもがんばって。
小夏を愛している。心の底から。
たぶん、全てを懸けてもいいほどに。
なのに、
……銀ちゃんへの想いだけは譲れなかった……。
みつるくんが、花組版「銀ちゃんの恋」のヤスをどういう解釈で演じていらっしゃるのか、真実のところはわかりませんが。
なんとなーく、10年間ずーっと大部屋のつもりだったのかもなぁ、と思いました。主演経験がある、スターだった過去がある、っていう感じがしなかったので(←ごめんねみつる)
彼は、自分が美形でもスターでもないことを、負い目には思っていないような気がしたから。
「お客さん、こんな顔、見たがります?」
という自己突っ込みは、若い頃には色々あったのかもしれませんが、今はもう、それほどこだわっていないんじゃないかな、と。
もちろん、自己の全てを肯定するわけではないんですけれども、それよりも、みつるのヤスが持つ狂気は「銀ちゃんと俺は同じモノを見ているんだ」という確信だったような気がするのです。
“大人”の人間関係を結ぶことを、ハナから放棄していた二人。
思いの丈をぶつけて、殴り、殴られることでお互いの気持ちを確認しあっていた、ふたり。
そこに言葉はいらなかった。
言葉なんてなくても、俺たちは同じ思いを持って、それぞれの立場で戦っているはずだった。
大部屋とスタァ、当たる光の量は違っても、抱く夢が同じなら。
同じだから大丈夫、そう、信じてた-----。
物思いにふけって立ち止まっていたヤスが歩き出すと、
下手側の建物のセットから、監督と助監督が出てくる。
この二人の小芝居、大好きでした(はぁと)。観るたびに違ってて、
監督が助監督を叱りつけながら歩いてきたり、
セットを料亭か何かに見立てたらしく、鈴木が監督に奢ってもらった(多分)お礼を言いながら出てきたり、
監督が手真似で新しい作品のイメージ(多分)を語っていたり…
仲良さそうなお二人が、息ぴったりで楽しそうだったんですよね。
ちあき(白鳥かすが)がホントに楽しそうで、ああいう役が最後にやれて幸せだったろうなと思いました。
今頃ちあきはどうしているのでしょうか…。
近況をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてくださいませm(_ _)m。
立ち話している監督と助監督に、近づいていくヤス。
「俺に、階段落ちやらせてください!」
この映画、絶対ヒットさせたいんです!という必死の訴えに驚いて、しばらく固まっている監督。おろおろと二人を見比べる鈴木(助監督)。
「調子に乗るなこの莫迦!ホンモノのスタントマンでもないくせにっ!」
大道寺の罵声が、空間を満たす。
「お前死ぬんだよ!?よくて、半身不随になるんだよっ!!」
なんなら、俺、一筆書きますから、というヤスに、一番驚いたのは、多分鈴木だったと思います。
「本気なんだな!?」
「そんなぁ、監督ぅっ!」
止めようとする鈴木。でも止まらない。
映画に命を懸けているのは、ヤスだけじゃない。大道寺だって、それに多分、鈴木だって、同じ穴の狢だ。だから、止められるハズが、ない。
「よしわかった。撮影当日は、お前が主役だ。橘でも、銀ちゃんでもありゃしねぇ」
殺し文句を吐く監督を、おろおろと、でも諦めの入った眼で鈴木が視る。
人一人殺すのは、この人じゃない。他人事じゃないーーー俺も、殺すんだ、と、
その覚悟が未だ定まらない、気弱な瞳。
舞台に走る緊張を解す、橘一党の登場。
監督と助監督とヤスの、今の会話を聞いていたらしい。
「階段落ちなんて猿芝居で主役を獲られていいのか!?」
坂本竜馬なのに、どーして大部屋に負けるんだ!?という衝撃。スターらしくてかっこいいなあ、めおちゃん。喉を痛めた人の多いなか、めおちゃんの台詞の聞きやすさは快感でもありました(^ ^)。
「天井落ちでも、楽屋落ちでも、駆け落ちでも、なんでもいい!階段落ちより派手な手を考えろ~~!!」
と怒りまくる橘。スターってのはどこも我侭で感情的なものなんだなあ……(汗)
「この際、5人言わんと10人ほどまとめて殺したったらどうです?」
という輝良くんの突っ込みが結構好きでした。で、間髪いれずに応じる橘の
「馬鹿野郎!おめえらが全員死んじまったらいったい俺の面倒は誰が見るんだ~っ!!」
という悲鳴のような訴えと、「もう、ホント莫迦ばっか!!」とぷんぷんしながら袖に消えていく姿に、惚れまくりです(*^ ^*)。
橘を見送って、ちょっと呆然とする一党。嶺乃一真くんの
「殺すって…」
に対して、可愛らしく小首をかしげて応じる初輝よしやくんの
「ワテらのことかいな」
という一言が、とってもとっても好きでした(はぁと)。可愛い声ですよね。かなりのアニメ声だけど、この台詞のトボけた味は、ぴったりでした(^ ^)。
あーあ、ちあきもよしやくんも、もう居ないんだなあ……(しみじみ)
橘一党がハケると、セットの無い平場に銀ちゃんが登場。
追いかけるように、「銀ちゃ~ん!」と叫びながらヤスが登場。
この場面、初演のビデオを観たときはあまり印象に残らなかったのですが、
…再演花組版では、この場面が一番印象的だったかも(滝汗)。
「なんで引き受けた」「…俺のためにか」
地を這うような、銀ちゃんの極低音。
“鳩が豆鉄砲くらったような”ぽかんとした顔で長身の銀ちゃんを見上げるヤスが、無茶苦茶可愛い(はぁと)
「どうしたんです?銀ちゃん、喜んでくれないんですか?」
本気で、“銀ちゃんは喜んでくれる”と思い込んでいる、子供っぽい笑顔。
「…俺を、人殺しにするのか?」
搾り出すような銀ちゃんの声。
喉を痛めてかすれた祐飛さんの声が、このときばかりは“銀ちゃん”の哀しさを溢れさせる。
「お前から救いの手差し伸べられて、この映画がヒットして、」
紡ぐ言葉が、銀ちゃん自身を傷つける。
自傷に奔る銀ちゃんを、留められない、留めるすべを持たないヤスの、切ない瞳。
「…俺のプライドはどうなる?」
この台詞だけは、言いたくなかった。
この台詞だけは、言わせたくなかった。
驚いたように目を見開いて銀ちゃんを見上げて、そして、思わず目を逸らす、ヤス。
「俺が死んだら、銀ちゃんは小夏さんとよりを戻して」
「ばっかやろう!」
視線を合わせないヤスに焦れて、襲い掛かるようにヤスの胸倉を掴み挙げる銀ちゃん。
BGMに流れ出す、「蒲田行進曲」。
「どうしたんです?銀ちゃん。喜んでくれないんですか?」
宥めるような、ヤスの声。
ギリギリと歯を食いしばって、ヤスを絞り上げる腕に力を篭める、銀ちゃん。
「俺はおめぇから憐れみを受けるほど落ちぶれちゃいねぇんだよ!」
一息に吐き出して、拳をあげる。
ヤスの鼻先ギリギリで腕を止めて、やっと自分に戻ってきたヤスの視線の強さに、微かにたじろぐ。
「銀ちゃん。…どうして殴ってくれないんですか。どうしていつものようにぶっ叩いてくれないんですか。どうして…」
壊れたレコードのように「どうして」を繰り返すヤスを、投げ捨てるように手を離して、今度は銀ちゃんが目を逸らす。
「最近、立ち回りの時も全然本気で斬りかかってくれないしっ!?」
捨てられた女のように銀ちゃんをなじる、ヤス。
「ねぇ銀ちゃんっ!!」
責めるように掴みかかってくるヤスを、難なく捕えて身体ごと抱きとめる銀四郎。
ぎゅっ、と、まるで、もう二度と離すまいとするかのように、強く。
抱きとめられたヤスも、さっきまでの興奮が嘘のように、おとなしくその腕の中に囚われて。
凄まじい緊張を秘めたまま、メドゥーサに睨まれた恋人たちの彫像のように、動きを止めた二人。
「おめぇが死んだら」
ふ、と、ヤスの耳元に唇をよせて囁く低い声。
まるで、ハネムーンの甘い睦言のように。
「おめぇが死んだら、俺はいったい、誰をいじめりゃいんだよ…」
殺し文句というのは、人によってイロイロなんだな、と思いました。
こういう台詞が“殺し文句”になる倉丘銀四郎というスター、というか。
こういう台詞を“究極のキメ台詞”として口にできる大空祐飛という役者、というか。
あるいは、こういう台詞でコマされてしまうヤス、というか……
この場面にいたっても、まだ何一つ本音を吐かずに嘘ばかりの銀四郎と、嘘だと知っていてもその嘘に身を委ねてしまうヤスの、
その「本音」と「嘘」のバランスが秀逸すぎて。
祐飛さんなのか銀ちゃんなのか、ヤスなのかみつるくんなのか、わからなくなるほどの、緊迫感。
それにしても。
ドラマシティの最初に観たときは、そんな場面じゃなかったはずなのに、知らないうちに随分解釈が変わっていて、後半に遠征したときには完全に“ラヴシーン”としか言いようの無い場面になっていたことに驚きました(^ ^;ゞ
ナニかあったんですかあの二人。正視に堪えないほど切ない場面(←何か日本語の選択を間違えているような気がします)になっていたんですけど。
作劇上、この二人が本気で言葉を交わすのはココだけなんですよね。
ヤスのアパート(小夏を連れて来たとき)や焼肉屋では、銀ちゃんが一方的にヤスを責めるばかりだし。一幕ラストは会ってないし、回想シーンの銀ちゃんは思いっきりフィルターかかってるし。
銀ちゃんの語る言葉はここでも嘘ばかりなんだけど、あのヤスを抱きしめる腕の強さは嘘じゃない。このまま絡めとって自分の傍においておきたい、と、多分本気で思っている。
「どうして俺の気持ちがわからねぇんだ」
「俺とお前の関係は、そんなんじゃねぇんだよ…」
ほとんど泣き声にしか聴こえないのに、睦言は続く。
ヤスの心をとろかして、自分のところに戻らせようという、甘い罠。
ヤスのものは俺のもの。ヤスが差し出してくれるものなんか、いらない。ヤスが差し出さないものこそが、ほしい。
ヤス自身、自分が持っていることを知らないもの、が。
子供のような独占欲と、上に立つ“スター”としての見識。
ヤスが成長して、どこかへ行ってしまうことが怖い。
ただただ、今の今まで自分の腕の中にあったものを喪うことが怖いだけ。
言葉にすることはなくても、ヤスと同じ夢を追ってきた銀ちゃん。
いつの頃からか、ヤスの夢が自分の夢になっていた。
ヤスの語る自分でいなくてはならない、ヤスの夢見る自分であらねばならないという、重たいプレッシャー。
もちろん、そんなものに負けるつもりは、ない。自分は自分なのだから。
それでも。
ヤスの夢と、自分の夢。
区別がつかない程度には、お互いに依存していた、ふたり。
…そっと、銀ちゃんの暖かな腕から逃れ出るヤス。
「俺、もう後にはひけねぇっす」
俺だって役者ですから、と。
たった一度、観衆の前に立った快感が忘れられない、と。
必死で言い募る。
銀ちゃんが言った。「女も、役も、自分で獲ってこい!」と。
だから。
小夏が銀ちゃんを選ぶなら(←勘違い。小夏はヤスを選んでる)、
銀ちゃんが小夏を選ぶなら(←これは?)。
ならば俺は、銀ちゃんが望む自分になろう。
なってみせる。必ず。
「その日は、銀ちゃんじゃなくて、俺が、主役…です」
その言葉の重みに、銀ちゃんが目を伏せる。
「てめぇ。俺の許可なく、勝手に成長しやがって…」
すれ違う、二人の心。
「消えろ」
触れ合わない心。
「蒲田行進曲」の音楽が止まる。
無音の舞台に、ただひとり立つ、スター。
「おめぇも去っていくのか。ヤス…」
とてつもなく素晴らしい、大馬鹿野郎が、と。
涙も見せず、
泣きもせずに立ち竦む、
彼こそが。
子供で、大人で、たったひとりのスターなのだ、と。
たったひとりで歩かなくてはならない、孤独なスターなのだ、と……
.
元旦の一日、たぶん3時間くらいしか起きてなかった気がする。寝る前に初詣に行って、寝て、起きて餅焼いて喰って、寝て、起きて雑煮作って喰って、寝て、起きたらもう二日でした(^ ^;ゞ。
寝る子は育つ。
…でも、もう私、これ以上育たなくっていいんだけどな……。
(普段から朝食抜きなのに、朝バナナダイエットを始めて太ってしまった)(←当たり前)
というわけで(←だから何が!?)
花組ドラマシティ&青年館公演「銀ちゃんの恋」より
第十四場C すれ違う心
…今頃知ったのですが、「第十四場」って長いんですね。小夏のソロから生命保険までで一場なのか…。
塀の前⇒上手側に座敷(大部屋)のセット⇒下手側に店のセット⇒平場⇒また塀の前、と、セットもコロコロ変わるのに。
銀ちゃんとヤスのラヴシーン(←ラヴ言うな)の印象が強すぎて、そこだけ独立した場だとばかり思っていたのすが、場面の中のワンカットに過ぎなかったのか……愕。
差し入れを持ってきた小夏を置いて、席を立つヤス。
ヤスの背後で、お祝いの腹帯を贈る大部屋の仲間たち。やさしいまなざしで小夏の腹のあたりを見つめるトメさん、ちょっと気恥ずかしげに上目遣いで美しい“元女優”を見るマコト、そして、身体全体から憧れの気持ちダダ漏れでキラキラしているジミー。
幸せな、幸せな、…“擬似家族”の団欒風景。
その全てに背を向けて、ヤスは歩き出す。
流れるBGMが、小夏の幸せのソロのメロディから、なめらかにヤスの「映画の夢」へとつながっていくのが泣けました。
♪そんな夢を今も視るよ
♪幼いあの日の思い出のカケラを
彼の心にこだまする声は、ひとつだけ。
『せめて階段落ちがありゃあ…』
♪破れかけた町のポスターに
♪胸ふくらませた あの頃
ヤスにとっての、“すべて”だった銀ちゃん。
自分の人生を彩るポスターの中で、唯一のフルカラーの存在だった、銀ちゃん。
ヤスのすべては銀ちゃんのもの。
“銀ちゃんのためなら、俺は……”
それは決して犠牲心ではなくて。
犠牲だとは想っていないから、譲れない。絶対に。
銀ちゃんを守るのは、俺だ。その役だけは、絶対に誰にも譲らない。
…譲れ、ない。
小夏はヤスを選んだのに。
泣いて、喚いて、それでもヤスを選んだのに。
なのに、ヤスは小夏を選ばない。
ヤスの銀ちゃんへの“憧れ”、ひたすらに純粋な憧憬だったはずの想いが執着に変わったのは、たぶん、一幕ラストの銀ちゃんと小夏の会話を聞いてしまったとき、だったんだろうな。
憧れの小夏と一緒に暮らせることに有頂天になって。
必死で仕事を探して、傷だらけになってもがんばって。
小夏を愛している。心の底から。
たぶん、全てを懸けてもいいほどに。
なのに、
……銀ちゃんへの想いだけは譲れなかった……。
みつるくんが、花組版「銀ちゃんの恋」のヤスをどういう解釈で演じていらっしゃるのか、真実のところはわかりませんが。
なんとなーく、10年間ずーっと大部屋のつもりだったのかもなぁ、と思いました。主演経験がある、スターだった過去がある、っていう感じがしなかったので(←ごめんねみつる)
彼は、自分が美形でもスターでもないことを、負い目には思っていないような気がしたから。
「お客さん、こんな顔、見たがります?」
という自己突っ込みは、若い頃には色々あったのかもしれませんが、今はもう、それほどこだわっていないんじゃないかな、と。
もちろん、自己の全てを肯定するわけではないんですけれども、それよりも、みつるのヤスが持つ狂気は「銀ちゃんと俺は同じモノを見ているんだ」という確信だったような気がするのです。
“大人”の人間関係を結ぶことを、ハナから放棄していた二人。
思いの丈をぶつけて、殴り、殴られることでお互いの気持ちを確認しあっていた、ふたり。
そこに言葉はいらなかった。
言葉なんてなくても、俺たちは同じ思いを持って、それぞれの立場で戦っているはずだった。
大部屋とスタァ、当たる光の量は違っても、抱く夢が同じなら。
同じだから大丈夫、そう、信じてた-----。
物思いにふけって立ち止まっていたヤスが歩き出すと、
下手側の建物のセットから、監督と助監督が出てくる。
この二人の小芝居、大好きでした(はぁと)。観るたびに違ってて、
監督が助監督を叱りつけながら歩いてきたり、
セットを料亭か何かに見立てたらしく、鈴木が監督に奢ってもらった(多分)お礼を言いながら出てきたり、
監督が手真似で新しい作品のイメージ(多分)を語っていたり…
仲良さそうなお二人が、息ぴったりで楽しそうだったんですよね。
ちあき(白鳥かすが)がホントに楽しそうで、ああいう役が最後にやれて幸せだったろうなと思いました。
今頃ちあきはどうしているのでしょうか…。
近況をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてくださいませm(_ _)m。
立ち話している監督と助監督に、近づいていくヤス。
「俺に、階段落ちやらせてください!」
この映画、絶対ヒットさせたいんです!という必死の訴えに驚いて、しばらく固まっている監督。おろおろと二人を見比べる鈴木(助監督)。
「調子に乗るなこの莫迦!ホンモノのスタントマンでもないくせにっ!」
大道寺の罵声が、空間を満たす。
「お前死ぬんだよ!?よくて、半身不随になるんだよっ!!」
なんなら、俺、一筆書きますから、というヤスに、一番驚いたのは、多分鈴木だったと思います。
「本気なんだな!?」
「そんなぁ、監督ぅっ!」
止めようとする鈴木。でも止まらない。
映画に命を懸けているのは、ヤスだけじゃない。大道寺だって、それに多分、鈴木だって、同じ穴の狢だ。だから、止められるハズが、ない。
「よしわかった。撮影当日は、お前が主役だ。橘でも、銀ちゃんでもありゃしねぇ」
殺し文句を吐く監督を、おろおろと、でも諦めの入った眼で鈴木が視る。
人一人殺すのは、この人じゃない。他人事じゃないーーー俺も、殺すんだ、と、
その覚悟が未だ定まらない、気弱な瞳。
舞台に走る緊張を解す、橘一党の登場。
監督と助監督とヤスの、今の会話を聞いていたらしい。
「階段落ちなんて猿芝居で主役を獲られていいのか!?」
坂本竜馬なのに、どーして大部屋に負けるんだ!?という衝撃。スターらしくてかっこいいなあ、めおちゃん。喉を痛めた人の多いなか、めおちゃんの台詞の聞きやすさは快感でもありました(^ ^)。
「天井落ちでも、楽屋落ちでも、駆け落ちでも、なんでもいい!階段落ちより派手な手を考えろ~~!!」
と怒りまくる橘。スターってのはどこも我侭で感情的なものなんだなあ……(汗)
「この際、5人言わんと10人ほどまとめて殺したったらどうです?」
という輝良くんの突っ込みが結構好きでした。で、間髪いれずに応じる橘の
「馬鹿野郎!おめえらが全員死んじまったらいったい俺の面倒は誰が見るんだ~っ!!」
という悲鳴のような訴えと、「もう、ホント莫迦ばっか!!」とぷんぷんしながら袖に消えていく姿に、惚れまくりです(*^ ^*)。
橘を見送って、ちょっと呆然とする一党。嶺乃一真くんの
「殺すって…」
に対して、可愛らしく小首をかしげて応じる初輝よしやくんの
「ワテらのことかいな」
という一言が、とってもとっても好きでした(はぁと)。可愛い声ですよね。かなりのアニメ声だけど、この台詞のトボけた味は、ぴったりでした(^ ^)。
あーあ、ちあきもよしやくんも、もう居ないんだなあ……(しみじみ)
橘一党がハケると、セットの無い平場に銀ちゃんが登場。
追いかけるように、「銀ちゃ~ん!」と叫びながらヤスが登場。
この場面、初演のビデオを観たときはあまり印象に残らなかったのですが、
…再演花組版では、この場面が一番印象的だったかも(滝汗)。
「なんで引き受けた」「…俺のためにか」
地を這うような、銀ちゃんの極低音。
“鳩が豆鉄砲くらったような”ぽかんとした顔で長身の銀ちゃんを見上げるヤスが、無茶苦茶可愛い(はぁと)
「どうしたんです?銀ちゃん、喜んでくれないんですか?」
本気で、“銀ちゃんは喜んでくれる”と思い込んでいる、子供っぽい笑顔。
「…俺を、人殺しにするのか?」
搾り出すような銀ちゃんの声。
喉を痛めてかすれた祐飛さんの声が、このときばかりは“銀ちゃん”の哀しさを溢れさせる。
「お前から救いの手差し伸べられて、この映画がヒットして、」
紡ぐ言葉が、銀ちゃん自身を傷つける。
自傷に奔る銀ちゃんを、留められない、留めるすべを持たないヤスの、切ない瞳。
「…俺のプライドはどうなる?」
この台詞だけは、言いたくなかった。
この台詞だけは、言わせたくなかった。
驚いたように目を見開いて銀ちゃんを見上げて、そして、思わず目を逸らす、ヤス。
「俺が死んだら、銀ちゃんは小夏さんとよりを戻して」
「ばっかやろう!」
視線を合わせないヤスに焦れて、襲い掛かるようにヤスの胸倉を掴み挙げる銀ちゃん。
BGMに流れ出す、「蒲田行進曲」。
「どうしたんです?銀ちゃん。喜んでくれないんですか?」
宥めるような、ヤスの声。
ギリギリと歯を食いしばって、ヤスを絞り上げる腕に力を篭める、銀ちゃん。
「俺はおめぇから憐れみを受けるほど落ちぶれちゃいねぇんだよ!」
一息に吐き出して、拳をあげる。
ヤスの鼻先ギリギリで腕を止めて、やっと自分に戻ってきたヤスの視線の強さに、微かにたじろぐ。
「銀ちゃん。…どうして殴ってくれないんですか。どうしていつものようにぶっ叩いてくれないんですか。どうして…」
壊れたレコードのように「どうして」を繰り返すヤスを、投げ捨てるように手を離して、今度は銀ちゃんが目を逸らす。
「最近、立ち回りの時も全然本気で斬りかかってくれないしっ!?」
捨てられた女のように銀ちゃんをなじる、ヤス。
「ねぇ銀ちゃんっ!!」
責めるように掴みかかってくるヤスを、難なく捕えて身体ごと抱きとめる銀四郎。
ぎゅっ、と、まるで、もう二度と離すまいとするかのように、強く。
抱きとめられたヤスも、さっきまでの興奮が嘘のように、おとなしくその腕の中に囚われて。
凄まじい緊張を秘めたまま、メドゥーサに睨まれた恋人たちの彫像のように、動きを止めた二人。
「おめぇが死んだら」
ふ、と、ヤスの耳元に唇をよせて囁く低い声。
まるで、ハネムーンの甘い睦言のように。
「おめぇが死んだら、俺はいったい、誰をいじめりゃいんだよ…」
殺し文句というのは、人によってイロイロなんだな、と思いました。
こういう台詞が“殺し文句”になる倉丘銀四郎というスター、というか。
こういう台詞を“究極のキメ台詞”として口にできる大空祐飛という役者、というか。
あるいは、こういう台詞でコマされてしまうヤス、というか……
この場面にいたっても、まだ何一つ本音を吐かずに嘘ばかりの銀四郎と、嘘だと知っていてもその嘘に身を委ねてしまうヤスの、
その「本音」と「嘘」のバランスが秀逸すぎて。
祐飛さんなのか銀ちゃんなのか、ヤスなのかみつるくんなのか、わからなくなるほどの、緊迫感。
それにしても。
ドラマシティの最初に観たときは、そんな場面じゃなかったはずなのに、知らないうちに随分解釈が変わっていて、後半に遠征したときには完全に“ラヴシーン”としか言いようの無い場面になっていたことに驚きました(^ ^;ゞ
ナニかあったんですかあの二人。正視に堪えないほど切ない場面(←何か日本語の選択を間違えているような気がします)になっていたんですけど。
作劇上、この二人が本気で言葉を交わすのはココだけなんですよね。
ヤスのアパート(小夏を連れて来たとき)や焼肉屋では、銀ちゃんが一方的にヤスを責めるばかりだし。一幕ラストは会ってないし、回想シーンの銀ちゃんは思いっきりフィルターかかってるし。
銀ちゃんの語る言葉はここでも嘘ばかりなんだけど、あのヤスを抱きしめる腕の強さは嘘じゃない。このまま絡めとって自分の傍においておきたい、と、多分本気で思っている。
「どうして俺の気持ちがわからねぇんだ」
「俺とお前の関係は、そんなんじゃねぇんだよ…」
ほとんど泣き声にしか聴こえないのに、睦言は続く。
ヤスの心をとろかして、自分のところに戻らせようという、甘い罠。
ヤスのものは俺のもの。ヤスが差し出してくれるものなんか、いらない。ヤスが差し出さないものこそが、ほしい。
ヤス自身、自分が持っていることを知らないもの、が。
子供のような独占欲と、上に立つ“スター”としての見識。
ヤスが成長して、どこかへ行ってしまうことが怖い。
ただただ、今の今まで自分の腕の中にあったものを喪うことが怖いだけ。
言葉にすることはなくても、ヤスと同じ夢を追ってきた銀ちゃん。
いつの頃からか、ヤスの夢が自分の夢になっていた。
ヤスの語る自分でいなくてはならない、ヤスの夢見る自分であらねばならないという、重たいプレッシャー。
もちろん、そんなものに負けるつもりは、ない。自分は自分なのだから。
それでも。
ヤスの夢と、自分の夢。
区別がつかない程度には、お互いに依存していた、ふたり。
…そっと、銀ちゃんの暖かな腕から逃れ出るヤス。
「俺、もう後にはひけねぇっす」
俺だって役者ですから、と。
たった一度、観衆の前に立った快感が忘れられない、と。
必死で言い募る。
銀ちゃんが言った。「女も、役も、自分で獲ってこい!」と。
だから。
小夏が銀ちゃんを選ぶなら(←勘違い。小夏はヤスを選んでる)、
銀ちゃんが小夏を選ぶなら(←これは?)。
ならば俺は、銀ちゃんが望む自分になろう。
なってみせる。必ず。
「その日は、銀ちゃんじゃなくて、俺が、主役…です」
その言葉の重みに、銀ちゃんが目を伏せる。
「てめぇ。俺の許可なく、勝手に成長しやがって…」
すれ違う、二人の心。
「消えろ」
触れ合わない心。
「蒲田行進曲」の音楽が止まる。
無音の舞台に、ただひとり立つ、スター。
「おめぇも去っていくのか。ヤス…」
とてつもなく素晴らしい、大馬鹿野郎が、と。
涙も見せず、
泣きもせずに立ち竦む、
彼こそが。
子供で、大人で、たったひとりのスターなのだ、と。
たったひとりで歩かなくてはならない、孤独なスターなのだ、と……
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