宝塚花組ドラマシティ公演「銀ちゃんの恋」。

約一週間ぶりの観劇でしたが、いろんなピースがひとつづつ填まっていく様子をつぶさに観せていただいたような気がします。銀ちゃん、小夏、ヤス、橘……花組27名+邦さんの総勢28名が、一人ひとりキャラクターを成立させて、世界を作るためのピースになりつつ、なおかつ自分を輝かせていく姿、を。




中でも、小夏とヤス、という、事実上の主役コンビが、それぞれに、「野々すみ花」VS.「小夏」、「華形ひかる」VS.「ヤス」という闘いに、徐々に決着をつけつつあったのが爽快でした。

純粋で、ピュアで、「結婚に憧れるただの女」であった「元女優」と、
純粋で、ピュアで、「映画に命をかけた男」というより「決して手に入らない夢に心を奪われて」いる「ひとりの男」。
初演では、もっと生々しく毒のある『迷いを捨てられない一人の人間』として表現されていた二人が、あまりにもピュアな存在としてそこに在るので。
それゆえに、彼らによって描き出される「銀ちゃん」という存在もまた、あまりにもピュアで純粋な、「孤独な子供」としての表現形を与えられてその世界を生きることになった。

背中に「孤」の字を背負った、幼子のように。







小夏自身が朋子に語るとおり、「子供のまま(身体だけ)大きくなった」銀ちゃん。

“子供”という存在の、どんなにも純粋で、ピュアで、残酷で、他人の弱味を見逃してあげられなくて、自分に甘くて、そして嘘つきでいられるところが物凄く強く出た、タイトルロール。



祐飛さんの銀ちゃんは、あまりにも孤独で、言葉として表現する台詞はすべてが嘘で、なにひとつ本当にことを言おうとしないのに、
自分が「大人」だと思っている大人は、絶対に共感することのできない存在なのに、

なのに真っ直ぐに、世間の向かい風に正面から立ち塞がって、後からついてくる心弱い人々を守ってあげられる巨きさがあった。

子供のくせに。

「君を愛せもしない俺が、君に愛されたいと思う」

そんな本音を呟いてしまうくらい子供なくせに。


人を愛することを知らない子供が、
まだ愛されることしか知らない子供が、

「笑いあえば笑いあうほど離れていく…そんな気が、する」

微笑みあい、挨拶することでは、決して構築できない人間関係。
もっと生々しく、熱く、拳で殴りあい、刃で傷つけあって、はじめて理解できる、魂の形。
それは「子供たち」の人間関係。言葉では説明できない感情をぶつけあって、共感しあう子供たち。
『言葉』という武器を持つ大人たちには、決して理解できない人間関係。



この世で一番、タチの悪い子供のくせに、
誰よりも優しくて思いやりがあって、
誰よりも一番、世界を愛している、それが銀ちゃん。

そんな、ピュアな子供の『銀ちゃん』を描き出す、小夏とヤスの、穢れを知らない純粋さ。








先週末に観てから、一週間。今回の遠征で、総勢27人(+1)のタカラジェンヌたちが、表現者としての階段を一段上がる瞬間を目撃できたような気がします。
苦しんで、悩んで、人間の嫌な部分・黒い部分を見据えて登った一段は、技術をいくら訓練しても決して昇ることのできない一段で。外側をどれほど磨いても登りきれない一段で。時分ちょうどの作品と出会い、指導者に出会い、そして、正面から闘える共演者たちに出会って、初めて昇ることができるものなのでしょうけれども。

初演で銀ちゃんを演じた久世星佳さんが、CSの番組「華麗なる卒業生たち」で「銀ちゃんに出会って、卒業を意識した」という意のことを仰しゃっていらっしゃいましたが、やはり「銀ちゃんの恋」いえ「蒲田行進曲」という作品世界は、タカラヅカ的に異色であるばかりでなく、役者を『今まで居た場所』から一段押し上げてしまうパワーがあるのだろう、と思うのです。





ドラマシティの千秋楽まで、あと2日。
そして、来週には青年館公演が始まって、またあっという間に終わってしまう。
演じる皆様は、精神的には苦しくて辛くて、肉体的にはキツくて痛くて、大変な作品だと思いますけれども。
観ているだけでも、胸が痛くて切なくて、感情のアップダウンが激しすぎて、集中しすぎて観終わった後でぐったり疲れてしまう作品なのですけれども。


それでも。


短い時間ですけれども、この作品に出会えた幸運に感謝をして、悔いのないように楽しんでほしいと思います。
……ファンのみなさまも、ね!









ところで。
帰ってきて、録画していたCSのナウオンステージを観たのですが。


祐飛さん。あなたはドラマシティは「ブエノスアイレスの風」以来ではありませんよっ!!
……ま、ファン的には忘れたい作品の一つだし、ご本人がなかったことにしたい気持ちも、わからないでもありませんけどね……(^ ^;ゞ




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