蒲田行進曲を愛したタカラヅカ
2008年10月8日 宝塚(花) コメント (8)ドラマシティ公演「銀ちゃんの恋」。
…個人的なことですが。
「ねこの手も借りたい」ということわざどおり、借りられっぱなしの猫は、会社から“直行直帰”のドラマシティ遠征でございました。夜行バスで戻ってそのまま出社して、銀ちゃんに貰ったパワーで完徹の夜をなんとか乗り切り、昨日久しぶりに家に帰ったのですが。
おそろしいことに、
……窓が開けっ放しでした(汗)。
いやー、仕事が忙しいときって何をするかわかりませんねー。
あまりに忙しくてろくに掃除もしていないため、何か無くなったものがあるのかどうかさえわからない(爆)という、悲惨な状況で。ぼろ雑巾のように疲れ切って、やっとの思いで帰ったというのに、家に着いたら余計に疲れてしまった、というエピソードでした。
世の中は期初。忙しい方は他にも多いかと思いますが、書きたいことが多すぎて頭が沸騰しそうな「銀ちゃんの恋」の更新がこんなに遅れたのは、そういう切羽詰った状況だったからなのです…と、自分に言い訳してみたりして(汗)。
さて。
「銀ちゃんの恋」。
ずっとずっと、再演を待っていました。
ビデオでしか観たことがないのですが、(汐風)幸ちゃんのヤスが好きで、好きで、大好きすぎて、どれだけ「ナマで観たかった!」と悔やんだことか。
卒業してもいいじゃないか!「心中・恋の大和路」みたいにOG公演してくれ!と、どれほど祈ったことか。
まさか。
まさか、祐飛さんの銀ちゃんなんて、想像したこともなかったけれども。
でも。
再演のくせに、宛書としか思えない祐飛さんの銀ちゃん。
ご本人はどう思っているんだろう?と勘繰りたくなるほどの、“いくらなんでもそれはあんまりじゃないの?”的な宛書っぷり。「あれって祐飛さんへの宛書っつーか嫌味だよね?石田さんって…」と思った台詞のアレもコレも、みーんな初演から変わってなかったと解ったときの、衝撃。
最近、一部で流行っている言葉を使わせていただくならば。
再演は再演であって、初演の再現なんて出来るわけがない。
なのに。
再演のくせに、祐飛さんの銀ちゃんは、ふつーに宛書だった……
初演の「銀ちゃんの恋」は、『異色作』でした。
まず、時代が違います。12年前、「デイジーはタカラヅカのヒロインらしくない」という理由で「華麗なるギャツビー」が却下され続けた時代から、それほどたっていない頃。
「蒲田行進曲をタカラヅカで?気でも違ったのか?」と言われたことでしょう、きっと。
「愛」を根本テーマとするタカラヅカと、対極にある世界観。
メインとなる3人が、許しあい、認め合うことのない世界。
小夏の愛に依存して生きてきた銀ちゃんは、小夏が自分の人生を歩き始めることを許さない。
ヤスの憧憬に依存して“スターとしての自分”を創りあげた銀ちゃんは、ヤスが成長して「親離れ」していくことに耐えられずに、壊れてしまう。
銀ちゃんという“突出した存在”に依存していた小夏とヤスは、銀ちゃんを喪ったお互いの心の隙間を、闇を、舐めあうことはできても埋めることができない。
だけど。
石田さんは、「タカラヅカ」で「つか」をやりたかった。
そこに久世がいたから、
汐風がいたから、
風花がいたから。
…私は、意外と石田ファンの自覚があるんですけれども。
彼には狂気があると思うんですよね。「これをやらずにはいられない!」という、宛書の欲に勝てない狂気が。
そこに絵麻緒がいたから、「谷崎」をやらずにはいられなかったように。
谷崎の「春琴抄(殉情)」は、まだ比較的『「愛」に近い「執着」』をテーマにしているから入りやすかったはずですが、それでも、石田さんは彼らの「愛」を説明する“先生”を出す、という卑怯な技を駆使して、かろうじて「タカラヅカ」の中に片足残して作品を構築していました。
なのに。
つかの「蒲田行進曲」は、そもそもテーマが「依存」です。
「執着」でさえない。
ヤスが「銀ちゃんが殴ってくれない」ことを哀しむのは、彼が痛みに快感を感じるからではない。なのにそれを、「なぜ殴ってくれないんですか」という言い方しかできないところに、銀ちゃんとヤスの関係の歪み、依存による関係のひずみがあるわけです。
それが「執着」だったら、それを銀ちゃんに言うことも出来ないはずなのだから。
それだけ、銀ちゃんには自分の思い通りになる「ヤス」という存在が必要であり、ヤスには「銀ちゃんに必要とされている」という実感が必要なのだ、と。
それは、タカラヅカでは絶対にあり得ない関係だし、そもそも、誰の心にも「愛」の無い人間関係を、なぜタカラヅカでやらなくてはならないのか、というのは自然な疑問だと思うのです。
それでも石田さんは、久世と汐風と風花が揃った月組で、「つか」をやらずにはいられなかった。
……「タカラヅカ」なのに。
だからそれは、完全に「タカラヅカ」の枠を外れた『異色作』にならざるをえなかった。
石田さんは、結構根本的なところに手をいれていて、銀ちゃんが最後には役者としてのヤスを認め、彼の成長を見届ける方向に変わっていたり、小夏の気持ちをかなり“愛”に近いものに変えていましたけれども。
それが“愛”だと割り切ってしまったら、「つかこうへい」をやる意味がないわけで。
難しいバランスを、よく守りきったと思います。石田さんも、当時の月組メンバーも。
なのに。
12年たって、今度は「そこに大空祐飛と華形ひかると野々すみ花が揃った」から、「銀ちゃんの恋」を再演する、と決めたとき。
「銀ちゃんの恋」は、「タカラヅカ」になっていた!!
台詞は同じです。
場面もほとんど同じ。
なのに。
銀ちゃんが、ヤスの成長を許している。自分を超えていくことを望んでいる。
銀ちゃんが、ヤスを愛している。
むしろ、ヤスの銀ちゃんへ向かう気持ちが薄れたような気が、しました。
初演はビデオでしか観ていないので、そのせいかもしれませんし、
ヤスと銀ちゃんが、ひたすら互いだけを見詰め合うのはではなく、二人が同じ方向=“いい映画”を夢見ているのだ、ということが、初演以上に強く感じられたせいかもしれません。
あと、印象として強いのが、
ヤスが初演より可愛くなって、でも、「その気になれば、それなりのところに就職だって出来たんだ」という台詞が、負け惜しみではなく事実として納得できる現実感があったこと。
その扉を、「映画で夢を創ることを選んだんだ」と、誇らしげに言うヤスが、すごく格好かった!
幸ちゃんは役者馬鹿すぎて、そんな風には見えなかったのに…(同じ台詞があったかどうかは覚えていないのですが)
……「異色作」だから、「タカラヅカ」だから、どっちが上だ下だどうだと言うつもりはありません。
初演は、「タカラヅカでよくこれを上演した」という衝撃があったのでしょうし、
再演は、「よくこれをタカラヅカにした!」という驚愕がありました。
というか。
初演が「タカラヅカが恋をした蒲田行進曲」の話だとしたら、
再演は「蒲田行進曲を愛したタカラヅカ」の物語だった。
そういう、違う物語だったから。
共通しているのは、「夢」かな。
ヤスの観る夢は、銀ちゃん。
銀ちゃんが主役で格好良くキメてくれる映画を、彼は作りたいのだ。
それを観れば、すべてのひとが幸せになれると信じているのだ。
銀ちゃんにはそれだけのパワーがある、と、信じきって、疑わない。
それだけのプレッシャーを、その広い(ちっちゃくない)肩に載せて。
銀ちゃんは今日も行く。
心のあらゆるところに傷を受け、どくどくと血を流しながらも、
ただただ、世界のすべてを愛している。
それがスターというもので、
銀幕のスターも、タカラヅカのスターも、ファンの夢を背負っていることは同じなのだ、と、
……そういう話だったのか、と。
ヤスが、自分を超えていく。
やれるもんならやってみろ、という敵愾心と、
今まで自分を無条件に認めてくれた唯一の瞳を、喪う恐怖と、
そして、大事な身近な人の成長と成功を喜ぶ、素直な気持ち。
銀ちゃんの中の、そういった感情が渦を巻く、二幕。
二幕はもともとヤスが主役の物語なのですが、それでも、ヤスの視線の先にある「銀ちゃん」という存在は常に舞台の上にあって。
「銀ちゃん」から目を逸らそうとするヤス。
それを許さない、小夏の存在と、
ヤスが逃げても、背を向けても、ただ愛してあげられる、銀ちゃん。
銀ちゃんがヤスに向ける感情が、愛なのだと。
彼の成長を喜ぶ気持ち、それが、無償の愛なのだ、と。
それが、「蒲田行進曲」が「タカラヅカ」になった証なのだ、と。
めお(真野すがた)ちゃんの橘が、ものすごく格好良くて“いい男”だった!
銀ちゃんに対抗できる、たった一人のスター!!という存在感が、いかにもそれらしくて、本当にこの人も宛書みたいにぴったりはまっていました。素晴らしかったです。
この役は、数年前のつか演出の舞台版では「中村屋」という“伝統ある梨園の御曹司”というスターとして描かれていた役で、彼が下積みから這い上がってきた“成り上がり”のスター・銀ちゃんを馬鹿にする、という設定まで追加されていて、すごくいい役だったのですが、
今回の橘は、「銀ちゃんと同期のライバル」で、性格の悪さはたいして変わらない(^ ^)ながら、ちょっと泥臭い熱さ・激しさを売りにする銀ちゃんに対して、『スマートな格好良さ』を売りにしているという設定が、なんだか本当にリアルな感じで。
みつるくんのヤス、めおちゃんの橘というのは、観る前からそれしかないだろう!と思ってはいましたが、やっぱりそれしかなかったか!という感じでした(はぁと)
きらりん(華耀きらり)の朋子は、もうコレ以上のものは無いと思ったほど可愛かった!
……あのぉ。背負っているリュックが、猿のバージョンと熊のバージョンがあったんですけど、あれは衣装なんでしょうか。それとも私物なんでしょうか。私の箪笥で眠っている白兎のリュックとか、三毛猫のリュックとかを差し入れしたら、使っていただけるのでしょうか……(夢)
そして、(初姫)さあや。
最初から最後まで、さあやが出てくるたびにそっちを観てしまって、困りまくりました。
もう本当に、なんとかしてほしいほど素敵でした。銀ちゃんさえ目に入らないほど、さあやに釘付け。カラオケバー「ししとう」は本当に何をするかわからなくて目が離せません。
今回の公演は、「美少女」モードの場面はほとんどなくて、終始「美人秘書」モード全開で、大変なことになってました。いやもう、ちょっと長めのボブが死ぬほど似合う。美人すぎるくらい美人なのに、リアルで違和感がない。
そしてとどめが、一幕後半の人吉での盆踊りの歌手でしょうね。ここだけ美少女バージョンですが、おぼこい田舎娘のナチュラルな魅力全開で、真顔で見惚れてました…。下ではみんな色っぽく踊っているのになーーーーーっ(T T)。
そして、通し役のついていない下級生たちの中で、今回ちょっと目を惹いたのがアーサー(煌雅あさひ)と輝良まさとくんのコンビ。背も持ち味も雰囲気も、そんなに合っているとは思えない二人ですが、コレだけコンビ扱いされてずーっと二人で並んでいるのを観ていると、だんだんお似合いに見えてくるから怖いです。
二人とも以前から気になる下級生ではあったのですが、輝良くんは美貌に磨きがかかったような気がしました。すましていると、月組の遼河はるひさんにちょっと似てる?…見た目だけですけどね。中身は濃いです。花組男役ですから。
アーサーは声が好きなので、歌がなかったのが残念なのですが、なんだか今回めちゃくちゃ素敵でした。一番印象的だったのは、小夏と銀ちゃんの出会いを描いた「任侠一代」の場面の、“舎弟”役かな。時代物でよく見かける衣装ですが、よく似合っていて、一癖も二癖もあるヤクザものの色気がありました。……「白い朝」とか、いつか見てみたいかも。
紫陽レネさんは、橘のマネージャーがとっても素敵でした。保険屋も良かったけど(^ ^;)。
真瀬(はるか)くんは本当に芝居が巧いなぁ…。ラストの殺陣師なんて、どこの上級生かと思いましたよ!!こういう人に、ちゃんとした役がつく宝塚であってほしいと思います。
通し役がついている上級生たちも、本当に良くがんばってました。
銀ちゃんの子分たちも、橘の子分たちも、スタッフ陣も、女の子たちも、みんなみんな。
まだ初日があけたばかりで、周りを見れていない人もたくさん居ましたけれども、一人ひとりが「今の自分」の精一杯を出して、出し切って、緊張感とプレッシャーを楽しんでいたのが印象的です。
一回一回、公演のたびに。
観ている私にも、(たぶん)演じている彼らにも、新しい発見があり、新鮮な驚きがあった公演。
初日からもうすぐ一週間。ちょうど公演も中日を迎えようという今、芝居がどれだけ進化しているか、気になって気になってなりません。
異色作だけど、タカラヅカ。
タカラヅカの枠の中にしっかりと納まった、異色作。
“タカラヅカ”の懐の広さ、
“タカラヅカが描く世界”の、奥行きの深さ。
「ソロモンの指輪」から「銀ちゃんの恋」まで、
私は、すべてのタカラヅカを愛している。
「銀ちゃんの恋」がスタンダードになることはないだろうし、
そもそも、そんな「タカラヅカ」に興味は無いけれども、
いつまでも、「銀ちゃんの恋」を受け止められる「タカラヅカ」であってほしい、と、
切に、そう祈っています。
.
…個人的なことですが。
「ねこの手も借りたい」ということわざどおり、借りられっぱなしの猫は、会社から“直行直帰”のドラマシティ遠征でございました。夜行バスで戻ってそのまま出社して、銀ちゃんに貰ったパワーで完徹の夜をなんとか乗り切り、昨日久しぶりに家に帰ったのですが。
おそろしいことに、
……窓が開けっ放しでした(汗)。
いやー、仕事が忙しいときって何をするかわかりませんねー。
あまりに忙しくてろくに掃除もしていないため、何か無くなったものがあるのかどうかさえわからない(爆)という、悲惨な状況で。ぼろ雑巾のように疲れ切って、やっとの思いで帰ったというのに、家に着いたら余計に疲れてしまった、というエピソードでした。
世の中は期初。忙しい方は他にも多いかと思いますが、書きたいことが多すぎて頭が沸騰しそうな「銀ちゃんの恋」の更新がこんなに遅れたのは、そういう切羽詰った状況だったからなのです…と、自分に言い訳してみたりして(汗)。
さて。
「銀ちゃんの恋」。
ずっとずっと、再演を待っていました。
ビデオでしか観たことがないのですが、(汐風)幸ちゃんのヤスが好きで、好きで、大好きすぎて、どれだけ「ナマで観たかった!」と悔やんだことか。
卒業してもいいじゃないか!「心中・恋の大和路」みたいにOG公演してくれ!と、どれほど祈ったことか。
まさか。
まさか、祐飛さんの銀ちゃんなんて、想像したこともなかったけれども。
でも。
再演のくせに、宛書としか思えない祐飛さんの銀ちゃん。
ご本人はどう思っているんだろう?と勘繰りたくなるほどの、“いくらなんでもそれはあんまりじゃないの?”的な宛書っぷり。「あれって祐飛さんへの宛書っつーか嫌味だよね?石田さんって…」と思った台詞のアレもコレも、みーんな初演から変わってなかったと解ったときの、衝撃。
最近、一部で流行っている言葉を使わせていただくならば。
再演は再演であって、初演の再現なんて出来るわけがない。
なのに。
再演のくせに、祐飛さんの銀ちゃんは、ふつーに宛書だった……
初演の「銀ちゃんの恋」は、『異色作』でした。
まず、時代が違います。12年前、「デイジーはタカラヅカのヒロインらしくない」という理由で「華麗なるギャツビー」が却下され続けた時代から、それほどたっていない頃。
「蒲田行進曲をタカラヅカで?気でも違ったのか?」と言われたことでしょう、きっと。
「愛」を根本テーマとするタカラヅカと、対極にある世界観。
メインとなる3人が、許しあい、認め合うことのない世界。
小夏の愛に依存して生きてきた銀ちゃんは、小夏が自分の人生を歩き始めることを許さない。
ヤスの憧憬に依存して“スターとしての自分”を創りあげた銀ちゃんは、ヤスが成長して「親離れ」していくことに耐えられずに、壊れてしまう。
銀ちゃんという“突出した存在”に依存していた小夏とヤスは、銀ちゃんを喪ったお互いの心の隙間を、闇を、舐めあうことはできても埋めることができない。
だけど。
石田さんは、「タカラヅカ」で「つか」をやりたかった。
そこに久世がいたから、
汐風がいたから、
風花がいたから。
…私は、意外と石田ファンの自覚があるんですけれども。
彼には狂気があると思うんですよね。「これをやらずにはいられない!」という、宛書の欲に勝てない狂気が。
そこに絵麻緒がいたから、「谷崎」をやらずにはいられなかったように。
谷崎の「春琴抄(殉情)」は、まだ比較的『「愛」に近い「執着」』をテーマにしているから入りやすかったはずですが、それでも、石田さんは彼らの「愛」を説明する“先生”を出す、という卑怯な技を駆使して、かろうじて「タカラヅカ」の中に片足残して作品を構築していました。
なのに。
つかの「蒲田行進曲」は、そもそもテーマが「依存」です。
「執着」でさえない。
ヤスが「銀ちゃんが殴ってくれない」ことを哀しむのは、彼が痛みに快感を感じるからではない。なのにそれを、「なぜ殴ってくれないんですか」という言い方しかできないところに、銀ちゃんとヤスの関係の歪み、依存による関係のひずみがあるわけです。
それが「執着」だったら、それを銀ちゃんに言うことも出来ないはずなのだから。
それだけ、銀ちゃんには自分の思い通りになる「ヤス」という存在が必要であり、ヤスには「銀ちゃんに必要とされている」という実感が必要なのだ、と。
それは、タカラヅカでは絶対にあり得ない関係だし、そもそも、誰の心にも「愛」の無い人間関係を、なぜタカラヅカでやらなくてはならないのか、というのは自然な疑問だと思うのです。
それでも石田さんは、久世と汐風と風花が揃った月組で、「つか」をやらずにはいられなかった。
……「タカラヅカ」なのに。
だからそれは、完全に「タカラヅカ」の枠を外れた『異色作』にならざるをえなかった。
石田さんは、結構根本的なところに手をいれていて、銀ちゃんが最後には役者としてのヤスを認め、彼の成長を見届ける方向に変わっていたり、小夏の気持ちをかなり“愛”に近いものに変えていましたけれども。
それが“愛”だと割り切ってしまったら、「つかこうへい」をやる意味がないわけで。
難しいバランスを、よく守りきったと思います。石田さんも、当時の月組メンバーも。
なのに。
12年たって、今度は「そこに大空祐飛と華形ひかると野々すみ花が揃った」から、「銀ちゃんの恋」を再演する、と決めたとき。
「銀ちゃんの恋」は、「タカラヅカ」になっていた!!
台詞は同じです。
場面もほとんど同じ。
なのに。
銀ちゃんが、ヤスの成長を許している。自分を超えていくことを望んでいる。
銀ちゃんが、ヤスを愛している。
むしろ、ヤスの銀ちゃんへ向かう気持ちが薄れたような気が、しました。
初演はビデオでしか観ていないので、そのせいかもしれませんし、
ヤスと銀ちゃんが、ひたすら互いだけを見詰め合うのはではなく、二人が同じ方向=“いい映画”を夢見ているのだ、ということが、初演以上に強く感じられたせいかもしれません。
あと、印象として強いのが、
ヤスが初演より可愛くなって、でも、「その気になれば、それなりのところに就職だって出来たんだ」という台詞が、負け惜しみではなく事実として納得できる現実感があったこと。
その扉を、「映画で夢を創ることを選んだんだ」と、誇らしげに言うヤスが、すごく格好かった!
幸ちゃんは役者馬鹿すぎて、そんな風には見えなかったのに…(同じ台詞があったかどうかは覚えていないのですが)
……「異色作」だから、「タカラヅカ」だから、どっちが上だ下だどうだと言うつもりはありません。
初演は、「タカラヅカでよくこれを上演した」という衝撃があったのでしょうし、
再演は、「よくこれをタカラヅカにした!」という驚愕がありました。
というか。
初演が「タカラヅカが恋をした蒲田行進曲」の話だとしたら、
再演は「蒲田行進曲を愛したタカラヅカ」の物語だった。
そういう、違う物語だったから。
共通しているのは、「夢」かな。
ヤスの観る夢は、銀ちゃん。
銀ちゃんが主役で格好良くキメてくれる映画を、彼は作りたいのだ。
それを観れば、すべてのひとが幸せになれると信じているのだ。
銀ちゃんにはそれだけのパワーがある、と、信じきって、疑わない。
それだけのプレッシャーを、その広い(ちっちゃくない)肩に載せて。
銀ちゃんは今日も行く。
心のあらゆるところに傷を受け、どくどくと血を流しながらも、
ただただ、世界のすべてを愛している。
それがスターというもので、
銀幕のスターも、タカラヅカのスターも、ファンの夢を背負っていることは同じなのだ、と、
……そういう話だったのか、と。
ヤスが、自分を超えていく。
やれるもんならやってみろ、という敵愾心と、
今まで自分を無条件に認めてくれた唯一の瞳を、喪う恐怖と、
そして、大事な身近な人の成長と成功を喜ぶ、素直な気持ち。
銀ちゃんの中の、そういった感情が渦を巻く、二幕。
二幕はもともとヤスが主役の物語なのですが、それでも、ヤスの視線の先にある「銀ちゃん」という存在は常に舞台の上にあって。
「銀ちゃん」から目を逸らそうとするヤス。
それを許さない、小夏の存在と、
ヤスが逃げても、背を向けても、ただ愛してあげられる、銀ちゃん。
銀ちゃんがヤスに向ける感情が、愛なのだと。
彼の成長を喜ぶ気持ち、それが、無償の愛なのだ、と。
それが、「蒲田行進曲」が「タカラヅカ」になった証なのだ、と。
めお(真野すがた)ちゃんの橘が、ものすごく格好良くて“いい男”だった!
銀ちゃんに対抗できる、たった一人のスター!!という存在感が、いかにもそれらしくて、本当にこの人も宛書みたいにぴったりはまっていました。素晴らしかったです。
この役は、数年前のつか演出の舞台版では「中村屋」という“伝統ある梨園の御曹司”というスターとして描かれていた役で、彼が下積みから這い上がってきた“成り上がり”のスター・銀ちゃんを馬鹿にする、という設定まで追加されていて、すごくいい役だったのですが、
今回の橘は、「銀ちゃんと同期のライバル」で、性格の悪さはたいして変わらない(^ ^)ながら、ちょっと泥臭い熱さ・激しさを売りにする銀ちゃんに対して、『スマートな格好良さ』を売りにしているという設定が、なんだか本当にリアルな感じで。
みつるくんのヤス、めおちゃんの橘というのは、観る前からそれしかないだろう!と思ってはいましたが、やっぱりそれしかなかったか!という感じでした(はぁと)
きらりん(華耀きらり)の朋子は、もうコレ以上のものは無いと思ったほど可愛かった!
……あのぉ。背負っているリュックが、猿のバージョンと熊のバージョンがあったんですけど、あれは衣装なんでしょうか。それとも私物なんでしょうか。私の箪笥で眠っている白兎のリュックとか、三毛猫のリュックとかを差し入れしたら、使っていただけるのでしょうか……(夢)
そして、(初姫)さあや。
最初から最後まで、さあやが出てくるたびにそっちを観てしまって、困りまくりました。
もう本当に、なんとかしてほしいほど素敵でした。銀ちゃんさえ目に入らないほど、さあやに釘付け。カラオケバー「ししとう」は本当に何をするかわからなくて目が離せません。
今回の公演は、「美少女」モードの場面はほとんどなくて、終始「美人秘書」モード全開で、大変なことになってました。いやもう、ちょっと長めのボブが死ぬほど似合う。美人すぎるくらい美人なのに、リアルで違和感がない。
そしてとどめが、一幕後半の人吉での盆踊りの歌手でしょうね。ここだけ美少女バージョンですが、おぼこい田舎娘のナチュラルな魅力全開で、真顔で見惚れてました…。下ではみんな色っぽく踊っているのになーーーーーっ(T T)。
そして、通し役のついていない下級生たちの中で、今回ちょっと目を惹いたのがアーサー(煌雅あさひ)と輝良まさとくんのコンビ。背も持ち味も雰囲気も、そんなに合っているとは思えない二人ですが、コレだけコンビ扱いされてずーっと二人で並んでいるのを観ていると、だんだんお似合いに見えてくるから怖いです。
二人とも以前から気になる下級生ではあったのですが、輝良くんは美貌に磨きがかかったような気がしました。すましていると、月組の遼河はるひさんにちょっと似てる?…見た目だけですけどね。中身は濃いです。花組男役ですから。
アーサーは声が好きなので、歌がなかったのが残念なのですが、なんだか今回めちゃくちゃ素敵でした。一番印象的だったのは、小夏と銀ちゃんの出会いを描いた「任侠一代」の場面の、“舎弟”役かな。時代物でよく見かける衣装ですが、よく似合っていて、一癖も二癖もあるヤクザものの色気がありました。……「白い朝」とか、いつか見てみたいかも。
紫陽レネさんは、橘のマネージャーがとっても素敵でした。保険屋も良かったけど(^ ^;)。
真瀬(はるか)くんは本当に芝居が巧いなぁ…。ラストの殺陣師なんて、どこの上級生かと思いましたよ!!こういう人に、ちゃんとした役がつく宝塚であってほしいと思います。
通し役がついている上級生たちも、本当に良くがんばってました。
銀ちゃんの子分たちも、橘の子分たちも、スタッフ陣も、女の子たちも、みんなみんな。
まだ初日があけたばかりで、周りを見れていない人もたくさん居ましたけれども、一人ひとりが「今の自分」の精一杯を出して、出し切って、緊張感とプレッシャーを楽しんでいたのが印象的です。
一回一回、公演のたびに。
観ている私にも、(たぶん)演じている彼らにも、新しい発見があり、新鮮な驚きがあった公演。
初日からもうすぐ一週間。ちょうど公演も中日を迎えようという今、芝居がどれだけ進化しているか、気になって気になってなりません。
異色作だけど、タカラヅカ。
タカラヅカの枠の中にしっかりと納まった、異色作。
“タカラヅカ”の懐の広さ、
“タカラヅカが描く世界”の、奥行きの深さ。
「ソロモンの指輪」から「銀ちゃんの恋」まで、
私は、すべてのタカラヅカを愛している。
「銀ちゃんの恋」がスタンダードになることはないだろうし、
そもそも、そんな「タカラヅカ」に興味は無いけれども、
いつまでも、「銀ちゃんの恋」を受け止められる「タカラヅカ」であってほしい、と、
切に、そう祈っています。
.
コメント
早く青年館に来て!
その頃は東宝に通い詰めの私ですが、早く銀ちゃんに会いたいです。
宝塚大好き。 銀ちゃんも、あしたから東宝で会える彼も、今大劇場ではじけてる彼も、み~~んなだいすき。
いろんな姿を見ることのできる宝塚が好きで、よかった。
泥棒も恐いですが、お風邪などひかれませんでした?
素晴らしいレポ、ありがとうございます。
私も青年館待ちで、銀ちゃんはスカステニュースの映像しか観ていません。
でも、こちらを読ませていただいて、祐飛さんが銀ちゃんにしては格好いい、と感じた訳がわかりました。
ヤスを愛し、いい映画を撮るという夢があるから、”落ち目に見えない”んですね。
花組の若手演技派が殆ど揃ったかのようなメンバーですし、カンパニー全体も勢いや希望に溢れたものになっていそうですね。
輝良くんも『舞姫』での小芝居帝王ぶりに目を奪われました。
さあやちゃんも、本当に楽しみ。
真瀬くんは、『蒼いくちづけ』の評判が良かったので、今回とても楽しみにしている生徒さんの一人です。
サキちゃんは、ご贔屓なので、しっかり観る積りです。でも、こんな風に成長するとは思っていませんでした。もっとノーブル系というか、あまりクセが無いタイプかな?と、2年ほど前は思っていたので・・・。華奢だけど常に姿勢がいいので、お衣装の着こなしや、立ち姿、動きが綺麗ですよね。苦手だったダンスも上手になってきたし。
きらりんのリュック。差し入れを使ってもらえるといいですねー。
今、スカステで『THE LAST PARTY』東京楽を観ています。
この時は、殆どシルエットの海兵隊員とモブだっためおちゃんが・・・、と思うと感慨深いです。スカイレポートで、まりんが「橘は新しく書き直されて、あの人の為に書かれたような役になったよね」と言っていましたが・・・。
ねこさんのレポを読んで、益々『銀ちゃんの恋』が楽しみになりました。
お忙しいようですが、お身体を壊さないようにお過ごしくださいね。
いつもコメントありがとうございまーす!
>いろんな姿を見ることのできる宝塚が好きで、よかった。
本当ですよね!“いろんな世界”を見せてくれるから、“宝塚”って良いなあ、と思います。
しかし、同じ映画でも「Hollywood Lover」で撮っていた映画と、太秦で撮っている「新撰組」とじゃ全然違うんでそうねぇ~(^ ^)
>ヤスを愛し、いい映画を撮るという夢があるから、”落ち目に見えない”んですね。
「落ち目に見えない」ところが「毒の無さ」にもなっているとは思うので、評価はいろいろだと思います。ご覧になって判断いただかないと。
ただ、祐飛さんの芝居っていうのは、「カッコよく」はなっていても、「カッコつけ」の「綺麗事」には絶対にならないので、物凄く痛々しい芝居であることに替わりはないんですけどね。
アーサーは本当に良かったです!ちょっとお化粧変わられたのかしら?すっきり二枚目さんでした。頬のあたりのふっくら加減が、「誰かに似てる~!!」と思ったのですが…。ダンスは苦手だったんですか?そうは見えないです~!ダンサーではないけど、動作の型が決まっていて流れるようにキレイですよね♪輝良くんと並ぶと小柄なのが目立ちますけれども、スタイルのバランスがいいので娘役さんと並ぶとかっこいいです!
めおちゃんは、「The Last Party」で芝居の面白さを知ったんじゃないかと思っています(笑)。今回は本当に良かったですー!樹里ちゃんがやった役とは思えないくらい、かっこよくて美味しい役になってました☆
みなさん、青年館ですれ違える(?)のを楽しみにしています!
今回のさあやちゃんは美人モードなんですね!
スチール写真を見てみつきねこさんのレポを読んで、どんなさあやちゃんなのかと
今から妄想しまくりです(笑)。
本当に「銀ちゃんの恋」東京公演が待ち遠しいです。
レスが遅くなって申し訳ありません!さあやちゃんは、最初から最後まで本当に美人でかっこよくて超面白いです。私の回りでも、さあやちゃんから目が離せなくて、ご贔屓さんが観られない!と嘆いている人多数でした(^ ^)。
ぜひぜひ、ご覧になってあげてくださいね♪
何度もねこさまのブログを拝見して想像を膨らませていました。
銀ちゃんとヤスが喉を復活させて上京してきてほしいです。
大丈夫かなぁ?
そして、どうせなら正反対な方向の芝居をしている雪組の生徒さんに是非観てほしいです。
ただ、水曜日以外は観にいけない日程でしかもその水曜日は新公の翌日。
劇団も勉強させようって気持ちないのかしらねぇ
なんてその日程をみてぶつぶつ文句を言ってしまいました。
初演の久世、汐風も大好きでしたが、全く違う視点で改めて拝見するのが楽しみです☆
いよいよ千秋楽です。…ああ、観たかったなあ。
銀ちゃんとヤスの喉は、一進一退というか、じりじりと悪くなりながらなんとか踏みとどまっている…という感じでした。殆ど休みがないので、劇的によくなるというのは考えにくいかも(T T)。せっかくの台詞劇なので、万全の状態でやらせてあげたかったですね…。
でも、つか芝居ってそういうちょっと苦しい部分があってこそ演じられる部分もあるので、喉の痛みも味になっているかなーと思いました。特に、ヤスについては。
雪組さん、いらしてくださるといいなあ…。勉強はともかくとして(^ ^)、ただ体験してほしい☆