最近、浅田次郎を読み直しています。

あまりにも仕事が忙しくてぶち切れそうになっているのですが、浅田次郎はそういうときに良いような気がする。
あまり頭を使う人が出てこないから、頭が疲れているときにいいのかもしれません(^ ^;ゞ


私のお勧めは、なんたって「プリズンホテル」です♪
そもそもの最初は、石川禅ちゃんと毬谷友子さんが主演した音楽座ミュージカル「地下鉄(メトロ)に乗って」を観て、感動して読んだのが最初だった浅田次郎ですが、いろいろ読んでみて、やっぱり「プリズンホテル」かなあ、と。
「鉄道員」とかもモチロン傑作なんですけど、それでも私は、こういうスラップスティック(?)で大笑いできるのに切ないヤクザものは、この人しか書けないと思うんですよね。

特に好きなのは冬の章ですかねぇ…。ヤクザたちの寂しさを呑みこむ冬山の美しさが印象的で。秋の章の“往年の大歌手”も魅力的なんですが、やはり冬の章の“血まみれのマリア”こと阿部まりあ婦長が最高かな、と。






浅田さんの語る「ヤクザ」が、いわゆる「暴力団」とは違う、幻想の世界にしか存在しない「任侠団体」なところが良いんだと思います。私は、市東亮子さんの漫画「やじきた学園道中記」なんかも大好きだったりするわけですが、あちらにも「カタギ」とは別の世界に生きる任侠団体がよく描かれていますよね。ああいうのは、カッコいいなあ、と。

任侠団体、っていうのは、本来は社会の底辺を支える存在だったはずだと思うんですよ。「プリズンホテル」にも繰り返し出てきますが、「普通の社会にうまく嵌らない子供」たちの受け皿だったわけです。「奉公先でうまくいかない子」を引き取って、兵隊として使う代わりに食事の世話からすべてのしつけをする、“擬似家族”。盃を交わして、本当の「親子」になり、「兄弟」になるわけです。
あくまでもそれは「一家」であって、お上のいう「団体」ではないんですね。そこにいるのは、全員が“家族”だから。



ただ。
“集団”があれば、
“親父のためなら命もいらねぇ”という若い衆が集まっているとなれば、

そこには暴力が生まれてしまう。



たとえ、元は自分と家族の身を守り、地域社会を守るための“力”であったとしても、そこに「リーダー」と「兵隊」がいれば、それは「軍隊」になりうるわけです。
そして「軍隊」は、抑える力がなければ容易に「暴力」に変化する。
それは歴史の必然です。
荘園を守るために呼び込んだ武士たちが、土地を支配し、最終的に天下を取るのも必然。
外国と闘うために設置した“軍隊”に支配され、滅びるまで戦いつづけなくてはならなくなったのも、必然。




実社会では、とっくに「暴力団」に堕した彼らが、まだ「任侠」でいられる世界。
表の社会からはみ出した者たちが、まだ「一家の人間」でいられる世界。

そんな世界が、この平成の日本のどこかにあるのかどうか、私にはよくわかりませんけれども。





“世話になった”、あるいは自分を“男にしてくれた”親父さんに感謝し、「親が白いといやぁ、黒いカラスだって白いですねと肯くのが極道だ」とまで思い込める、
そうやって自ら道をふさぎ、自分の行く末を狭めて、目の前の道だけを真っ直ぐに歩くことが幸せな人もいるのです。

…たとえ、彼らの存在そのものが許されない社会になってしまったとしても。



他の道など、もう選べるはずがないことを知っていても。




「プリズンホテル」は、行く場所のない人々の吹き溜まり。
それでも、彼らが彼らなりに幸せになろうと努力することを、邪魔する権利のある人は誰もいない。

天国のような温泉に浸かって、
天使のような支配人に見守られて、

一人では歩くこともできない弱い彼らは、
手に手を取り合い、一家全員で固まって、歩きにくい一本道をただ歩いていくのです。







極彩色に輝く極楽、ただそれだけを目指して。







コメント

nophoto
はにはに
2008年10月3日17:07

プリズンホテル いいですよね♪

この作者が『蒼穹の昴』『中原の虹』を書いているというのが
作家のすごいところですよねぇ~

長生きして沢山書いてほしいです。JALの機内誌にエッセイを連載していて
それを読むのが宝塚往復の楽しみでもあります。

みつきねこ
2008年10月4日2:34

私も、「蒼弩の昴」も「中原の虹」も大好きです!あのジャンルの広さは凄いですよね。

>長生きしてたくさん書いてほしい
本当ですね!また新しいジャンルにも挑戦して欲しいかも。タカラヅカとか(笑)