新宿の紀伊国屋劇場にて、Studio Life公演「マージナル」を観劇してまいりました。
ひさしぶりに担当役者(だった)笠原浩夫さんが出演されるということで、萩尾ファンの猫は喜びいさんで行ってまいりました。
1985年に結成された劇団Studio Lifeは、脚本・演出の倉田淳を紅一点とした男優ばかりの劇団。
劇団が喧伝するほど美形ぞろいとも思わないのですが(苦笑)、萩尾作品や文芸耽美作品の舞台化で認められ、今にいたっている……のかな?私が初めて観たのは萩尾望都原作の「訪問者」(の、多分初演)で、その後「トーマの心臓」などいくつか観て……こないだの「カリフォルニア物語」が久しぶりのライフだったのですが。
今回で、だいぶ人を覚えたかなあ(汗)。
倉田さんの脚本は、漫画のコマ割りをそのまま舞台に再現しようとしているのか、場面が非常に細かく切られているので、よほど台詞術のある役者を揃えないと観客が流れについてきてくれない気がします。
あと、彼女の演出で特徴的なのは、強い台詞を言い捨てて暗転と、暗転の中のモノローグ、そして、暗転の中に響く大音量のクラシカルなBGM(大抵は、ファンタジーのあるボーイソプラノのソロ)。
暗転することで拡散した観客の意識をBGMに集中させ、BGMのヴォリュームを下げると同時に舞台に光を入れることでふたたび観客の耳目を集め、集中力を途切れさせない。ちょっと使い方は違いますが、世界のニナガワこと蜷川さんも時々使っていて、理屈のある演出手法だなあとは思うのですが、倉田さんの場合はちょっと多用しすぎ。
観客の意識を音と光で操る作業なので、ひとつの公演の中で何回も使われると観ていて疲れてしまうし、印象的な場面がぶつ切りになって物語そのものへの興味が切れてしまう。
宝塚歌劇団の植田景子さんもこの手法を良く使っていたのですが(「シニョール・ドンファン」は使う曲まで一緒で、倉田淳のパクリと当時言われてましたっけ…)、「Hollywood Lover」にはなかったんですよね。その代わりに、音楽に意味を持たせる手法を編み出したんだな、と。
“あ、景子さんは卒業したんだ!”と思ったものですが…。
対する倉田さんは、なかなか殻を捨てられないみたいですねぇ(; ;)。
今回の「マージナル」は、原作は単行本で5巻だか6巻だかにわたる長編漫画。
内容も複雑で、環境汚染によって死に瀕する地球、情報を統制されて全滅を待つばかりの羊のようなひとびと、月へ逃れた「上流階級」たち、火星へ移住した「先駆者」たち……多様な人間の集団が出会い、きしみ、彼らの利害と愛憎が絡み合い、縺れ合って、ラストに至る愛と救済のものがたり。
公演としては「砂漠編」と「都市編」に分けて構成されていて、私は、最終的にはWキャストのうち、WOMB(ウーム)チームの両編を観ました。
で。
今からこの作品を、しかも両方のバージョンを観る方に一つアドバイス!
砂漠編から先に観ることをお勧めします。
基本的に砂漠編が本編、都市編はその種明かしというか謎解き編というつくりになっているので、絶対そのほうが面白い。
あと、なんといっても、砂漠編は主人公がキラなので、ラストがきちんと語られているのが大きいですね。
砂漠編も、原作を全く知らなかったらちんぷんかんぷんでしょうけれども、それでも「なんかよくわかんないエピソードがいろいろあるけど、これは後で都市編を見たら解決するんだわきっと!」と思って見逃してあげてください。そうすれば大丈夫。
実際、都市編でそのあたりの疑問点は全部解決しますので。
砂漠編で中心となるメンバー(“地球人”)たちは、「何も知らない。」
その目線で語られる砂漠編の方が、予備知識(原作未読)の観客の意識に合うのです。
都市編は、まず主人公がメイヤードなところで終わっている(^ ^;ゞ、
こちらで中心となるメンバー(“月世界人”と“火星人”)たちは、「知っている」ひとびと。
だから、砂漠編で語りきれなかったエピソードを説明し、片付けるための物語になっているんですね。物語の全体の流れは知っている前提で、種明かしに時間を取られつつ話が進むので、予備知識がない観客はついていけないのではないかな、と。
まぁ、これは私の印象ですので、都市編から入ったほうが良いという方もいらっしゃるかもしれませんが…(^ ^;ゞ
舞台奥が高くなっている(よくある2階部分みたいな感じの)セットは、ほぼ転換無しで、砂漠も都市もこれ一つで表現する。美術担当は松野潤。なかなか良くできたセットでした。
今回、倉田さんの演出で、面白いなーと思ったのは、この2段になった舞台の使い方。
砂漠編では、原則として砂漠で起こることは本舞台で、都市で起こることは段上がりで描き、
都市編では逆に、都市で起こることを本舞台で、砂漠でのエピソードを段上がりで…という構成の妙。
ただ、物語の後半はどちらのバージョンも舞台が都市の中になるので、その区別がつけにくくなり、しかもキラを苦しめる幻影は常に段あがりにいるので、その人がどの立場の人なのか咄嗟にわかりにくくなってしまったりはするのですが。
もう少し話を整理して、砂漠編と都市編で入れるエピソードを完全に入れ替えるようなことができたら、もっと面白くできたと思うのですが、ちょっと中途半端だったかも。
それと、段あがりで演じられる芝居が、人が袖からちょろっと出てきて、何か喋って、またひっこむ、しかできないののがイマイチでしたね。段上なので奥行き狭いし、構造上真ん中が通れないセットなのであまり横の動きも出せなかったのはわかるのですが、それにしても…という感じ。
でも、都度暗転しなくてすむだけ良かったです。シーンの連続感があって、観ていて心を持っていきやすかったので。
……演出の話で長くなってしまいましたが、キャストの話も簡単に。
○キラ(荒木健太朗)
美形だけれども、やわらかみのないゴツゴツした男顔の美少年。“普段の”キラのキャラクターにはよく合っていたと思います。
ただ、“グリンジャと反応した”、両性具有モードの時のキラは、ちょっと物足りなかった…。
化粧を直すわけにもいかない場面なので、ライトをピンで当てて飛ばすとか、何か工夫して演出面でフォローしてあげてほしかったです。原作を読んでいなかったら、アシジンの驚きととまどいがサッパリ意味不明だったんじゃないかと思うので。(あそこが理解できないと、その後のアシジンのキラへの執着がぴんと来ないだろう)
○グリンジャ(笠原浩夫)
この人を目当てに観にいったので、もう単純に『あなたに会えて嬉しい』の一言です。
やっぱかっこいいし、外部出演が多いだけに芝居も達者だなあ、と。
ただ、割と愛情が溢れやすい人なので、グリンジャにしてはえらく愛情過多でしたね。もうちょっとクールなキャラだと思うんだけどおな、グリンジャは。
個人的な好みですが、アシジンを観てみたかったなーーーー。倉田さんのイメージするアシジンはタイプが違うのかしら?でも実際、笠原さんが「マージナル」に出るって言われて、最初に浮かんだのはアシジンだったんだけどなあ(T T)。
○アシジン(仲原裕之)
あんまり芝居が上手なんでびっくりしました。原作の美形っぷりを考えるとちょっと惜しいって感じですけど(←ごめんなさい)、グリンジャに対する妬みとか、いろんな複雑な感情が溢れ出るさまがすごく伝わってきました。
いい男だった!!……髪の毛大事にしてあげてください…。
○メイヤード(青木隆敏)
あの、人を小馬鹿にしきった喋り方と声は、わざとなんでしょうか…。砂漠編が終わったときには「虫唾がはしるほど嫌いだ!」と叫んでいた私ですが、都市編が終わったときにはなんだか納得してしまっていました……。
うーん、演出意図にぴったりと嵌っていたのは確かですね。他の人のメイヤードを観てみたかった気持ちはありますが、今回は彼で正解だったのかもしれません。
次回作を楽しみにしています。
○ミカル(三上俊)
かわいいいいいい!と、いいきなり激落ちしてしまいました(^ ^;ゞ 本当にいい加減にしろよ自分っ!
それにしても可愛いです。芝居も巧い。いや、キャラクター自体がミカルそのもの。まさに嵌り役とはこのことですっ!!いやーーーっ、惚れてしまった(汗)。次回公演「死の泉」で主演するらしいので、今から楽しみです♪
○ネズ(奥田努)
この人も、砂漠編では台詞に癖がありすぎて「ちょっといい加減にしてよ」…と言いたくなったりしたのですが、都市編は意外と良かったなあ~。それだけ、二つの物語は印象が違うってことなんでしょうけれども……。
メイヤードともども、自分がメインでない砂漠編での居方というのは、もう少し倉田さんと検討してみたほうが良かったかもね。
○フェロペ/ローニ(渡部紘士)
か、かっこよかったです(*^ ^*)。フェロペ、もっと出てきてほしかったなあ☆(←原作読んでる癖に何を言うか)
フェロペがカッコよすぎて、ローニの情けなさがちょっと違和感(汗)。なぜこの二人を一人にふったんだ倉田さん。謎。
○スズキ・ゴー(山崎康一)
私が観ていたころは、ぴっちぴちの若手スターだった(ような気がする)山崎さん。
すっかりロマンスグレイが似合う素敵なオジサマになっていてびっくりしました。卑屈な感じが素敵♪
次は「死の泉」のクラウスを演じるみたいで、やっぱり観てみたいなあと思ったりします☆
「カリフォルニア物語」の私が観た回にイーヴを演じていた松本慎也くんは、荒木くんとWでキラを演じていますが、どうなんでしょうねぇ…。もう観にいくのは無理なのですが、ちょっとだけ気になっています。がんばってほしいなあ。
ちょっと、遠ざかっていたライフ熱が戻ってきた公演でした。
嵌っちゃったらどうしよう(汗)。
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ひさしぶりに担当役者(だった)笠原浩夫さんが出演されるということで、萩尾ファンの猫は喜びいさんで行ってまいりました。
1985年に結成された劇団Studio Lifeは、脚本・演出の倉田淳を紅一点とした男優ばかりの劇団。
劇団が喧伝するほど美形ぞろいとも思わないのですが(苦笑)、萩尾作品や文芸耽美作品の舞台化で認められ、今にいたっている……のかな?私が初めて観たのは萩尾望都原作の「訪問者」(の、多分初演)で、その後「トーマの心臓」などいくつか観て……こないだの「カリフォルニア物語」が久しぶりのライフだったのですが。
今回で、だいぶ人を覚えたかなあ(汗)。
倉田さんの脚本は、漫画のコマ割りをそのまま舞台に再現しようとしているのか、場面が非常に細かく切られているので、よほど台詞術のある役者を揃えないと観客が流れについてきてくれない気がします。
あと、彼女の演出で特徴的なのは、強い台詞を言い捨てて暗転と、暗転の中のモノローグ、そして、暗転の中に響く大音量のクラシカルなBGM(大抵は、ファンタジーのあるボーイソプラノのソロ)。
暗転することで拡散した観客の意識をBGMに集中させ、BGMのヴォリュームを下げると同時に舞台に光を入れることでふたたび観客の耳目を集め、集中力を途切れさせない。ちょっと使い方は違いますが、世界のニナガワこと蜷川さんも時々使っていて、理屈のある演出手法だなあとは思うのですが、倉田さんの場合はちょっと多用しすぎ。
観客の意識を音と光で操る作業なので、ひとつの公演の中で何回も使われると観ていて疲れてしまうし、印象的な場面がぶつ切りになって物語そのものへの興味が切れてしまう。
宝塚歌劇団の植田景子さんもこの手法を良く使っていたのですが(「シニョール・ドンファン」は使う曲まで一緒で、倉田淳のパクリと当時言われてましたっけ…)、「Hollywood Lover」にはなかったんですよね。その代わりに、音楽に意味を持たせる手法を編み出したんだな、と。
“あ、景子さんは卒業したんだ!”と思ったものですが…。
対する倉田さんは、なかなか殻を捨てられないみたいですねぇ(; ;)。
今回の「マージナル」は、原作は単行本で5巻だか6巻だかにわたる長編漫画。
内容も複雑で、環境汚染によって死に瀕する地球、情報を統制されて全滅を待つばかりの羊のようなひとびと、月へ逃れた「上流階級」たち、火星へ移住した「先駆者」たち……多様な人間の集団が出会い、きしみ、彼らの利害と愛憎が絡み合い、縺れ合って、ラストに至る愛と救済のものがたり。
公演としては「砂漠編」と「都市編」に分けて構成されていて、私は、最終的にはWキャストのうち、WOMB(ウーム)チームの両編を観ました。
で。
今からこの作品を、しかも両方のバージョンを観る方に一つアドバイス!
砂漠編から先に観ることをお勧めします。
基本的に砂漠編が本編、都市編はその種明かしというか謎解き編というつくりになっているので、絶対そのほうが面白い。
あと、なんといっても、砂漠編は主人公がキラなので、ラストがきちんと語られているのが大きいですね。
砂漠編も、原作を全く知らなかったらちんぷんかんぷんでしょうけれども、それでも「なんかよくわかんないエピソードがいろいろあるけど、これは後で都市編を見たら解決するんだわきっと!」と思って見逃してあげてください。そうすれば大丈夫。
実際、都市編でそのあたりの疑問点は全部解決しますので。
砂漠編で中心となるメンバー(“地球人”)たちは、「何も知らない。」
その目線で語られる砂漠編の方が、予備知識(原作未読)の観客の意識に合うのです。
都市編は、まず主人公がメイヤードなところで終わっている(^ ^;ゞ、
こちらで中心となるメンバー(“月世界人”と“火星人”)たちは、「知っている」ひとびと。
だから、砂漠編で語りきれなかったエピソードを説明し、片付けるための物語になっているんですね。物語の全体の流れは知っている前提で、種明かしに時間を取られつつ話が進むので、予備知識がない観客はついていけないのではないかな、と。
まぁ、これは私の印象ですので、都市編から入ったほうが良いという方もいらっしゃるかもしれませんが…(^ ^;ゞ
舞台奥が高くなっている(よくある2階部分みたいな感じの)セットは、ほぼ転換無しで、砂漠も都市もこれ一つで表現する。美術担当は松野潤。なかなか良くできたセットでした。
今回、倉田さんの演出で、面白いなーと思ったのは、この2段になった舞台の使い方。
砂漠編では、原則として砂漠で起こることは本舞台で、都市で起こることは段上がりで描き、
都市編では逆に、都市で起こることを本舞台で、砂漠でのエピソードを段上がりで…という構成の妙。
ただ、物語の後半はどちらのバージョンも舞台が都市の中になるので、その区別がつけにくくなり、しかもキラを苦しめる幻影は常に段あがりにいるので、その人がどの立場の人なのか咄嗟にわかりにくくなってしまったりはするのですが。
もう少し話を整理して、砂漠編と都市編で入れるエピソードを完全に入れ替えるようなことができたら、もっと面白くできたと思うのですが、ちょっと中途半端だったかも。
それと、段あがりで演じられる芝居が、人が袖からちょろっと出てきて、何か喋って、またひっこむ、しかできないののがイマイチでしたね。段上なので奥行き狭いし、構造上真ん中が通れないセットなのであまり横の動きも出せなかったのはわかるのですが、それにしても…という感じ。
でも、都度暗転しなくてすむだけ良かったです。シーンの連続感があって、観ていて心を持っていきやすかったので。
……演出の話で長くなってしまいましたが、キャストの話も簡単に。
○キラ(荒木健太朗)
美形だけれども、やわらかみのないゴツゴツした男顔の美少年。“普段の”キラのキャラクターにはよく合っていたと思います。
ただ、“グリンジャと反応した”、両性具有モードの時のキラは、ちょっと物足りなかった…。
化粧を直すわけにもいかない場面なので、ライトをピンで当てて飛ばすとか、何か工夫して演出面でフォローしてあげてほしかったです。原作を読んでいなかったら、アシジンの驚きととまどいがサッパリ意味不明だったんじゃないかと思うので。(あそこが理解できないと、その後のアシジンのキラへの執着がぴんと来ないだろう)
○グリンジャ(笠原浩夫)
この人を目当てに観にいったので、もう単純に『あなたに会えて嬉しい』の一言です。
やっぱかっこいいし、外部出演が多いだけに芝居も達者だなあ、と。
ただ、割と愛情が溢れやすい人なので、グリンジャにしてはえらく愛情過多でしたね。もうちょっとクールなキャラだと思うんだけどおな、グリンジャは。
個人的な好みですが、アシジンを観てみたかったなーーーー。倉田さんのイメージするアシジンはタイプが違うのかしら?でも実際、笠原さんが「マージナル」に出るって言われて、最初に浮かんだのはアシジンだったんだけどなあ(T T)。
○アシジン(仲原裕之)
あんまり芝居が上手なんでびっくりしました。原作の美形っぷりを考えるとちょっと惜しいって感じですけど(←ごめんなさい)、グリンジャに対する妬みとか、いろんな複雑な感情が溢れ出るさまがすごく伝わってきました。
いい男だった!!……髪の毛大事にしてあげてください…。
○メイヤード(青木隆敏)
あの、人を小馬鹿にしきった喋り方と声は、わざとなんでしょうか…。砂漠編が終わったときには「虫唾がはしるほど嫌いだ!」と叫んでいた私ですが、都市編が終わったときにはなんだか納得してしまっていました……。
うーん、演出意図にぴったりと嵌っていたのは確かですね。他の人のメイヤードを観てみたかった気持ちはありますが、今回は彼で正解だったのかもしれません。
次回作を楽しみにしています。
○ミカル(三上俊)
かわいいいいいい!と、いいきなり激落ちしてしまいました(^ ^;ゞ 本当にいい加減にしろよ自分っ!
それにしても可愛いです。芝居も巧い。いや、キャラクター自体がミカルそのもの。まさに嵌り役とはこのことですっ!!いやーーーっ、惚れてしまった(汗)。次回公演「死の泉」で主演するらしいので、今から楽しみです♪
○ネズ(奥田努)
この人も、砂漠編では台詞に癖がありすぎて「ちょっといい加減にしてよ」…と言いたくなったりしたのですが、都市編は意外と良かったなあ~。それだけ、二つの物語は印象が違うってことなんでしょうけれども……。
メイヤードともども、自分がメインでない砂漠編での居方というのは、もう少し倉田さんと検討してみたほうが良かったかもね。
○フェロペ/ローニ(渡部紘士)
か、かっこよかったです(*^ ^*)。フェロペ、もっと出てきてほしかったなあ☆(←原作読んでる癖に何を言うか)
フェロペがカッコよすぎて、ローニの情けなさがちょっと違和感(汗)。なぜこの二人を一人にふったんだ倉田さん。謎。
○スズキ・ゴー(山崎康一)
私が観ていたころは、ぴっちぴちの若手スターだった(ような気がする)山崎さん。
すっかりロマンスグレイが似合う素敵なオジサマになっていてびっくりしました。卑屈な感じが素敵♪
次は「死の泉」のクラウスを演じるみたいで、やっぱり観てみたいなあと思ったりします☆
「カリフォルニア物語」の私が観た回にイーヴを演じていた松本慎也くんは、荒木くんとWでキラを演じていますが、どうなんでしょうねぇ…。もう観にいくのは無理なのですが、ちょっとだけ気になっています。がんばってほしいなあ。
ちょっと、遠ざかっていたライフ熱が戻ってきた公演でした。
嵌っちゃったらどうしよう(汗)。
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