マリポーサを君に捧ぐ
2008年9月8日 宝塚(雪)雪組大劇場公演「マリポーサの花」。
ネタバレはしません。たぶん。(←たぶん?)
まずは、じゃあ、らぎ(柊巴)ちゃんの話から。
らぎちゃん、お芝居では、マヤ(未沙のえる)さん扮する大農園主・イスマヨールの作物を買い付けに来たアメリカ企業の営業マン(?)。
タイトミニのスーツを着たミナコ(愛原実花)ちゃんと二人、首を縦に振らないイスマヨールをちょっと持て余し気味。
ちょっとミナコちゃんがエキセントリックなキャラづくりで、“そ、それじゃあ商談はうまくいかないよ……”と普通に思ってしまうのですが(汗)、らぎちゃん自身、営業マンとしてはあんまり有能な感じがしないよー(T T)。
うーん、でもド金髪をべったりなでつけた髪、嫌味なくらい真っ白な肌、そして椅子の背に身体を預けたまま、熱くまくしたてるイスマヨールをチラっと視る目つきとかに、『現地人を見下したアメリカ資本』のイヤらしさがあって、良かったです。マヤさんという大先輩と、短い時間ながらもがっつりやりあうお芝居ができて、最後にいい思い出になるんじゃないかなー。……今はまだ、手も足も出てない感じでしたけれども。
ここでイスマヨールの焦燥感(俺は何をしているんだ)という思いを引き出すことができると、この後のネロとの密輸の話がすんなりいくと思うので、らぎちゃんの役は結構大事なんだよね、と思いました。
ここで言う「密輸」の材料は、たぶん砂糖なんだよね?砂糖はこのとき、専売になっているはずだから。マイアミマフィア(キタロウ)に目をつけられるくらいだからヘロインかなーとも思ったのですが、自分とこの作物に自信を持っているイスマヨールが、気軽に「よしやろう!」「とにかくやろう」で始める密輸だから、商材自体は合法で、ただ横流しなだけかなー、と。
らぎちゃんたちは、『専売だからこれ以上の値段をつけるところはない』ことを知っていて買い付けに来ているから、あんなに上から目線で横柄なのか、
それとも、彼ら自身も密輸している可能性もあるのでしょうか?(専売だったら彼らの出る幕ないはず…ですよね)
うーん、どうなんでしょうねぇ…。
しかし……そうなると、らぎちゃんたちの企業が「イスマヨールのところは、うちを拒否してどこに売ってやがるんだ?」と調べ始めたら、彼らのやっていることは一発でバレちゃうと思うんだけど……
芝居としては、らぎちゃんの出番はここだけ。
あとは「コロス」としての出番のみになりますが。
……レッスン、がんばったんだろうなあ(*^ ^*)。
すっごくキレイに踊ってました。元々スタイルが良いから、コロス系のああいうスーツダンスが映えるタイプではあるんですけど。それにしても巧くなってた!がんばったんだね。ダンサーではないけど、なんたってホラ、ダブルターンちゃんと回ってたよね!?
感動。やればできる。信じれば回れる!(←某研17のことを思い浮かべたのはいうまでもない)最後の公演でこんな感動をくれるなんて…ありがとう、らぎちゃん。ファンの一人として、幸せをかみ締めています。
コロスしか出番のない時間が長い(約1時間半?)ので、ものすごく目立つど金髪がとてもありがたいです。金髪の人他にいないから、すぐ判る。しかも、ライトがなくても肌が白いから結構貌がちゃんと見える♪もしかして、アメリカ人の役を振ったのは卒業生への正塚さんの愛なのか?(笑)。
らぎちゃんの場面は、イスマヨールのキャラクターを表現するための場面であって、その後の物語にはあまり関わってこないんですが。
でも。たとえばテルくん(CIA)は、基本的にはらぎちゃんサイドの利益を守るために駐在しているんですよね。マイアミマフィアではなく、あくまでも“アメリカ資本”の利益を守るために。
だから、テルくんの言動を見ながら「らぎちゃんを守りたいんだなー」と思うとちょっと萌えます。(←全然関係ないから)
せっかくの美形二人、(私が観るようになってからは)ショーでも芝居でも、ついに絡むことなく終わるんだなー、と、それがとても残念です。
「マリポーサの花」は、正塚晴彦やりたい放題!な作品なワケですが。
正塚作品の永遠のテーマといえば「自分探し」だというのは定説、ってことにして良いでしょうか…?
月組の「マジシャンの憂鬱」の時に。
私は、
正塚さんが描きたいのは「人間」そのものではなく「人と人との関わり」なのだ
と思う、ということを書きました。
だから、
彼の主人公には「逃れたい過去」あるいは「忘れたい過去」があり、
それ故に、誰かとかかわりを持つことに恐れをいだきつつ、
常に「自分の居場所を探して」いて、
彼がついに「人間関係を修復し(主に運命の女との出会いによる)」、「自分の居場所を見つけた」時に「物語は終わる」のだ、と。
でも。
ここ数年の正塚作品は、そうじゃないんですね。
「マジシャンの憂鬱」のシャンドールは、最初から一つの居場所=大勢の居候を抱えた邸、を持っていました。
捨ててきた過去、も、「忘れられない過去」も、何も無かった。
あるいは、過去の幻影から完全に逃げ切った男、だった。
「マリポーサの花」のネロは、「店」を持っている。
捨てた過去はあるけれども、彼はもう「自分の居場所を探して」はいない。自分のやるべきこと、やれることを見据えて、“やれることをやる”を実行している。
過去の事実(自分の犯した罪=サルディバルへの助力)から逃げることなく、“あの頃”と同じ希望を抱いて一歩づつ歩もうとする誠実な男。−−−−−「ブエノスアイレスの風」のニコラスが、「CROSSROAD」のアルフォンソが、迷いに迷って、大事な人を喪ってはじめて見出した真実に、最初から気がついている。
だから。
ネロ、というキャラクターに一番近いのは、ニコラスのその後なのだと思う。
“ブエノスアイレスの風”も再演を控えているのでネタバレは避けますが、この二つの作品を同じ時期に東京で上演するのは、それなりに意味があるんじゃないか、と思っています。
(いや、あの、もちろん「ブエノスー」の舞台はキューバじゃないし、サルサじゃなくてタンゴだし、実際には全然関係ないですからね!!念のため)
ネロが、典型的な正塚作品の主人公の3年後(自分の居場所に完全に落ち着いた頃)だとするならば。
エスコバルは、正塚作品では結構珍しいキャラクターのような気がするのですが、どうなのでしょうか。私は「ブエノスアイレス」以前の正塚作品を知らないので、すごーく適当なことを書いているような気がしてならないのですが。
エスコバルの冷静なカッコよさと、人間としての卑小さ、そのギャップの大きい造形は、すっごく正塚好みのような気もするし、やっぱりユミコさんのキャラクターあってこそなのかなー、とも思うし…考えれば考えるほど、よくわからなくなってきます。
でも!
とにかく、エスコバルは超カッコイイ!!
いづるんじゃないけど、「豹よ、豹!」って感じ。飼いならされていない美しさ。ネロの手からしか餌を食わない、野生の生き物。
ネロとエスコバルの、なんというか濃すぎる関係、っていうのはいろいろな妄想を呼ぶわけですが(←私だけ?)。
軍隊生活長かったみたいだから、多少そんな関係があったって不思議じゃないし、なくたって不思議じゃない。あったとしても、それがネロ×エスコバルなのかエスコバル×ネロなのか、そんなことは本当にどうだっていいし。
ただ、二人がどちらも依存していないのが素敵でした。
お互いがお互いを「なくてはならないもの」と認識していながら、決して依存はしていない。1+1の関係。
こういう話で、しかもこういうキャラクターだと、割と依存しあった異常な関係になりやすいので、そのあたりのバランスを見事にとった役者二人と正塚さんには拍手を贈りたいです。
二人の過去について妄想をたくましくすることを許されるならば。
二人の恋人関係を想像するよりも、私は、エスコバルの恋人を想像してしまいます。たぶんその恋人は、サルディバルの革命で喪ったんだろう。…いやむしろ、ネロを救うための犠牲になったんじゃないか、と。
特殊部隊だったみたいだから、女性も居てもおかしくないし。
危険なところに取り残されて、救出が間に合わなかった、とか、
脱出行の殿軍を勤めた、とか。
エスコバルの、女性(アリシア)に対する露骨な忌避感。
ネロの、エスコバルに対する微妙な遠慮。そして、エスコバルの、ネロに対する微妙な感情なんかを観ていて、漠然と想像しただけですが。
それにしても、この二人の
「俺はお前の部下だった」
「お前は部下なんかじゃない!たった一人の親友だ!」
「そうか。…なら行けよ」
っていう、文字で書くと本当にしょうもないお惚気会話なんですけど。
エスコバルの「なら行けよ」が、ものすごくカッコイイ!と思いました。
…はい。ただの惚気です…。
こういう、対等な大人の男たちの会話がある一方で。
「一足飛びに理想を実現できないのなら、行動の意味がない」というリナレスの主張は、青臭い理想主義にすぎません。
それでも、リナレスの熱はネロの心を炙るのですけれども。
こういう、自らの熱で周囲の人を巻き込むタイプのキャラクターは、キムちゃんの嵌り役だなあと思いました。
ベッドの上で、うわごとのように「ラジオを聴いていればわかるのに…」と呟く彼の熱に、
煽られて、絆されて、炙られて。
今の雪組、メンバーの組み合わせの妙が凄いな、と思いました。
人間味の強い、やさしすぎるほど優しい芝居をする水くん。
どちらかといえば、寂しがりやで見た目をクールに繕ったような役を得意とするユミコさん。(情熱を表に出さずに秘めている役がカッコイイ)
熱くて、吸引力があって、回りを引っ張り込む力のあるキムちゃん。
そして、
文句無く美しい「ファム・ファタール」、となみちゃん。
正塚晴彦は、宝塚らしくない作品を作ると思われていますが。
ものすごく宝塚らしい!と思うのは、恋に理屈を言わないところ。
トップスターとトップ娘役が出会えば、恋に落ちるのが当然だ、という“真実”があるから、面倒なやりとりはすっ飛ばせる。
「マジシャンの憂鬱」みたいに、いずれ恋に落ちるのは当然、の前提で、そこに至る過程を楽しむ作品もありますが、
今回は、男たちの過去と現在を語るのに精一杯で、運命の女との恋物語に費やす時間はない。だから、そこはさらっと「俺はすでに、ある予感を持ってセリア(白羽ゆり)を見凝めていた」ですませて、ネロの心情を描くことに徹している。
その辺の戦略も、見事だと思いました。
(これでセリアとの恋まで丁寧に描き始めたら、それこそフィナーレやってる時間なかったと思う)
これで、テルくんのCIAとキタロウのマイアミマフィアが、もう少し格好がつけばなー、作品としては完璧なんだけどなー(^ ^)。
まぁ、キタロウは正塚作品に良く出てくるの「ダメダメ悪」の典型なので、あんなものなのかもしれませんが、テルくんにはもうひとがんばり、「切れ者」感と「怖さ」が欲しいです。
特に、カフェの場面で。
なんていうのか、今はまだ「テルくんのロジャー」」になってなくて、誰かの芝居の「真似」をしているのが丸わかりで芝居が浮いているのが気になってしまって…(誰かの、っていうか、多分正塚さんの見本どおりにやろうとしているんじゃないかしら、と…)
あんまり頭で作った演技が出来るタイプだとは思えないのですが、もう少し「ロジャーってそもそも何がしたいんだ?」を考えてみるといいんじゃないかな、と思いました。
とはいえ、あの酷薄な目つきは天性のものなんですよね♪最高に素敵です。できれば、ラファエル(彩那音)とリナレスを拷問する場面が観たいです!(←そんなこときっぱり宣言するなよ…)。
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ネタバレはしません。たぶん。(←たぶん?)
まずは、じゃあ、らぎ(柊巴)ちゃんの話から。
らぎちゃん、お芝居では、マヤ(未沙のえる)さん扮する大農園主・イスマヨールの作物を買い付けに来たアメリカ企業の営業マン(?)。
タイトミニのスーツを着たミナコ(愛原実花)ちゃんと二人、首を縦に振らないイスマヨールをちょっと持て余し気味。
ちょっとミナコちゃんがエキセントリックなキャラづくりで、“そ、それじゃあ商談はうまくいかないよ……”と普通に思ってしまうのですが(汗)、らぎちゃん自身、営業マンとしてはあんまり有能な感じがしないよー(T T)。
うーん、でもド金髪をべったりなでつけた髪、嫌味なくらい真っ白な肌、そして椅子の背に身体を預けたまま、熱くまくしたてるイスマヨールをチラっと視る目つきとかに、『現地人を見下したアメリカ資本』のイヤらしさがあって、良かったです。マヤさんという大先輩と、短い時間ながらもがっつりやりあうお芝居ができて、最後にいい思い出になるんじゃないかなー。……今はまだ、手も足も出てない感じでしたけれども。
ここでイスマヨールの焦燥感(俺は何をしているんだ)という思いを引き出すことができると、この後のネロとの密輸の話がすんなりいくと思うので、らぎちゃんの役は結構大事なんだよね、と思いました。
ここで言う「密輸」の材料は、たぶん砂糖なんだよね?砂糖はこのとき、専売になっているはずだから。マイアミマフィア(キタロウ)に目をつけられるくらいだからヘロインかなーとも思ったのですが、自分とこの作物に自信を持っているイスマヨールが、気軽に「よしやろう!」「とにかくやろう」で始める密輸だから、商材自体は合法で、ただ横流しなだけかなー、と。
らぎちゃんたちは、『専売だからこれ以上の値段をつけるところはない』ことを知っていて買い付けに来ているから、あんなに上から目線で横柄なのか、
それとも、彼ら自身も密輸している可能性もあるのでしょうか?(専売だったら彼らの出る幕ないはず…ですよね)
うーん、どうなんでしょうねぇ…。
しかし……そうなると、らぎちゃんたちの企業が「イスマヨールのところは、うちを拒否してどこに売ってやがるんだ?」と調べ始めたら、彼らのやっていることは一発でバレちゃうと思うんだけど……
芝居としては、らぎちゃんの出番はここだけ。
あとは「コロス」としての出番のみになりますが。
……レッスン、がんばったんだろうなあ(*^ ^*)。
すっごくキレイに踊ってました。元々スタイルが良いから、コロス系のああいうスーツダンスが映えるタイプではあるんですけど。それにしても巧くなってた!がんばったんだね。ダンサーではないけど、なんたってホラ、ダブルターンちゃんと回ってたよね!?
感動。やればできる。信じれば回れる!(←某研17のことを思い浮かべたのはいうまでもない)最後の公演でこんな感動をくれるなんて…ありがとう、らぎちゃん。ファンの一人として、幸せをかみ締めています。
コロスしか出番のない時間が長い(約1時間半?)ので、ものすごく目立つど金髪がとてもありがたいです。金髪の人他にいないから、すぐ判る。しかも、ライトがなくても肌が白いから結構貌がちゃんと見える♪もしかして、アメリカ人の役を振ったのは卒業生への正塚さんの愛なのか?(笑)。
らぎちゃんの場面は、イスマヨールのキャラクターを表現するための場面であって、その後の物語にはあまり関わってこないんですが。
でも。たとえばテルくん(CIA)は、基本的にはらぎちゃんサイドの利益を守るために駐在しているんですよね。マイアミマフィアではなく、あくまでも“アメリカ資本”の利益を守るために。
だから、テルくんの言動を見ながら「らぎちゃんを守りたいんだなー」と思うとちょっと萌えます。(←全然関係ないから)
せっかくの美形二人、(私が観るようになってからは)ショーでも芝居でも、ついに絡むことなく終わるんだなー、と、それがとても残念です。
「マリポーサの花」は、正塚晴彦やりたい放題!な作品なワケですが。
正塚作品の永遠のテーマといえば「自分探し」だというのは定説、ってことにして良いでしょうか…?
月組の「マジシャンの憂鬱」の時に。
私は、
正塚さんが描きたいのは「人間」そのものではなく「人と人との関わり」なのだ
と思う、ということを書きました。
だから、
彼の主人公には「逃れたい過去」あるいは「忘れたい過去」があり、
それ故に、誰かとかかわりを持つことに恐れをいだきつつ、
常に「自分の居場所を探して」いて、
彼がついに「人間関係を修復し(主に運命の女との出会いによる)」、「自分の居場所を見つけた」時に「物語は終わる」のだ、と。
でも。
ここ数年の正塚作品は、そうじゃないんですね。
「マジシャンの憂鬱」のシャンドールは、最初から一つの居場所=大勢の居候を抱えた邸、を持っていました。
捨ててきた過去、も、「忘れられない過去」も、何も無かった。
あるいは、過去の幻影から完全に逃げ切った男、だった。
「マリポーサの花」のネロは、「店」を持っている。
捨てた過去はあるけれども、彼はもう「自分の居場所を探して」はいない。自分のやるべきこと、やれることを見据えて、“やれることをやる”を実行している。
過去の事実(自分の犯した罪=サルディバルへの助力)から逃げることなく、“あの頃”と同じ希望を抱いて一歩づつ歩もうとする誠実な男。−−−−−「ブエノスアイレスの風」のニコラスが、「CROSSROAD」のアルフォンソが、迷いに迷って、大事な人を喪ってはじめて見出した真実に、最初から気がついている。
だから。
ネロ、というキャラクターに一番近いのは、ニコラスのその後なのだと思う。
“ブエノスアイレスの風”も再演を控えているのでネタバレは避けますが、この二つの作品を同じ時期に東京で上演するのは、それなりに意味があるんじゃないか、と思っています。
(いや、あの、もちろん「ブエノスー」の舞台はキューバじゃないし、サルサじゃなくてタンゴだし、実際には全然関係ないですからね!!念のため)
ネロが、典型的な正塚作品の主人公の3年後(自分の居場所に完全に落ち着いた頃)だとするならば。
エスコバルは、正塚作品では結構珍しいキャラクターのような気がするのですが、どうなのでしょうか。私は「ブエノスアイレス」以前の正塚作品を知らないので、すごーく適当なことを書いているような気がしてならないのですが。
エスコバルの冷静なカッコよさと、人間としての卑小さ、そのギャップの大きい造形は、すっごく正塚好みのような気もするし、やっぱりユミコさんのキャラクターあってこそなのかなー、とも思うし…考えれば考えるほど、よくわからなくなってきます。
でも!
とにかく、エスコバルは超カッコイイ!!
いづるんじゃないけど、「豹よ、豹!」って感じ。飼いならされていない美しさ。ネロの手からしか餌を食わない、野生の生き物。
ネロとエスコバルの、なんというか濃すぎる関係、っていうのはいろいろな妄想を呼ぶわけですが(←私だけ?)。
軍隊生活長かったみたいだから、多少そんな関係があったって不思議じゃないし、なくたって不思議じゃない。あったとしても、それがネロ×エスコバルなのかエスコバル×ネロなのか、そんなことは本当にどうだっていいし。
ただ、二人がどちらも依存していないのが素敵でした。
お互いがお互いを「なくてはならないもの」と認識していながら、決して依存はしていない。1+1の関係。
こういう話で、しかもこういうキャラクターだと、割と依存しあった異常な関係になりやすいので、そのあたりのバランスを見事にとった役者二人と正塚さんには拍手を贈りたいです。
二人の過去について妄想をたくましくすることを許されるならば。
二人の恋人関係を想像するよりも、私は、エスコバルの恋人を想像してしまいます。たぶんその恋人は、サルディバルの革命で喪ったんだろう。…いやむしろ、ネロを救うための犠牲になったんじゃないか、と。
特殊部隊だったみたいだから、女性も居てもおかしくないし。
危険なところに取り残されて、救出が間に合わなかった、とか、
脱出行の殿軍を勤めた、とか。
エスコバルの、女性(アリシア)に対する露骨な忌避感。
ネロの、エスコバルに対する微妙な遠慮。そして、エスコバルの、ネロに対する微妙な感情なんかを観ていて、漠然と想像しただけですが。
それにしても、この二人の
「俺はお前の部下だった」
「お前は部下なんかじゃない!たった一人の親友だ!」
「そうか。…なら行けよ」
っていう、文字で書くと本当にしょうもないお惚気会話なんですけど。
エスコバルの「なら行けよ」が、ものすごくカッコイイ!と思いました。
…はい。ただの惚気です…。
こういう、対等な大人の男たちの会話がある一方で。
「一足飛びに理想を実現できないのなら、行動の意味がない」というリナレスの主張は、青臭い理想主義にすぎません。
それでも、リナレスの熱はネロの心を炙るのですけれども。
こういう、自らの熱で周囲の人を巻き込むタイプのキャラクターは、キムちゃんの嵌り役だなあと思いました。
ベッドの上で、うわごとのように「ラジオを聴いていればわかるのに…」と呟く彼の熱に、
煽られて、絆されて、炙られて。
今の雪組、メンバーの組み合わせの妙が凄いな、と思いました。
人間味の強い、やさしすぎるほど優しい芝居をする水くん。
どちらかといえば、寂しがりやで見た目をクールに繕ったような役を得意とするユミコさん。(情熱を表に出さずに秘めている役がカッコイイ)
熱くて、吸引力があって、回りを引っ張り込む力のあるキムちゃん。
そして、
文句無く美しい「ファム・ファタール」、となみちゃん。
正塚晴彦は、宝塚らしくない作品を作ると思われていますが。
ものすごく宝塚らしい!と思うのは、恋に理屈を言わないところ。
トップスターとトップ娘役が出会えば、恋に落ちるのが当然だ、という“真実”があるから、面倒なやりとりはすっ飛ばせる。
「マジシャンの憂鬱」みたいに、いずれ恋に落ちるのは当然、の前提で、そこに至る過程を楽しむ作品もありますが、
今回は、男たちの過去と現在を語るのに精一杯で、運命の女との恋物語に費やす時間はない。だから、そこはさらっと「俺はすでに、ある予感を持ってセリア(白羽ゆり)を見凝めていた」ですませて、ネロの心情を描くことに徹している。
その辺の戦略も、見事だと思いました。
(これでセリアとの恋まで丁寧に描き始めたら、それこそフィナーレやってる時間なかったと思う)
これで、テルくんのCIAとキタロウのマイアミマフィアが、もう少し格好がつけばなー、作品としては完璧なんだけどなー(^ ^)。
まぁ、キタロウは正塚作品に良く出てくるの「ダメダメ悪」の典型なので、あんなものなのかもしれませんが、テルくんにはもうひとがんばり、「切れ者」感と「怖さ」が欲しいです。
特に、カフェの場面で。
なんていうのか、今はまだ「テルくんのロジャー」」になってなくて、誰かの芝居の「真似」をしているのが丸わかりで芝居が浮いているのが気になってしまって…(誰かの、っていうか、多分正塚さんの見本どおりにやろうとしているんじゃないかしら、と…)
あんまり頭で作った演技が出来るタイプだとは思えないのですが、もう少し「ロジャーってそもそも何がしたいんだ?」を考えてみるといいんじゃないかな、と思いました。
とはいえ、あの酷薄な目つきは天性のものなんですよね♪最高に素敵です。できれば、ラファエル(彩那音)とリナレスを拷問する場面が観たいです!(←そんなこときっぱり宣言するなよ…)。
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