宝塚大劇場にて、「ソロモンの指輪/マリポーサの花」を観劇してまいりました。
……嵌りました。
遠征している間(っつか、前後)にいろんなことが怒涛のように発表されておりますが、なにもかもほっぽらかして雪組公演の感想を書かずにはいられないくらいに嵌りました。
私個人は。
えーっと。
ネタバレせずに感想を書くのはすごーく難しいのですが、
今回はがんばります。
ただ、一つだけ忠告が。
何回もご覧になる方はいいのですが、一回しか観ない方は、ネタバレも何も気にせず、いろんなサイトで予習されることをお勧めします!
特に、ショーは。
荻田さん、やりたい放題!
30分間に、2時間分の内容をぶち込んだショー、でした。
猫は完全に“青年”(彩那音)視点で全編観ておりましたが、
…もしかしたら、あの視点が一番わかりやすかったんじゃないか、と思います。
指輪の精(水夏希・彩吹真央・音月桂)はある意味狂言回しで、
「指輪の中」という世界を支配するのはミストレス(白羽ゆり)であり、
そのミストレスを追うのが青年なので。
青年視点だと、当たり前にミストレスを追うことになり、あの複雑で猥雑な世界を探検して回るにはちょうどいいのではないか、と。
…っていうか、厳密にはルンペン(柊巴)視点なんですけどね、私は(^ ^;ゞ
ルンペン、と言っても、ずーっとルンペンなワケではなくて。
「ノバ・ボサ・ノバ」のソールが扮するルンペンみたいな感じなのですが。プロローグの途中でルンペン衣装を脱ぐと、ちょっとハードな、悪い人っぽい衣装になるので。
…ソールとの連想でいうと、らぎちゃんは指輪を狙う盗人の一人、なんじゃないかしら…。
で、
「悪い人」な“ルンペン”は、
「清純」な“美青年”(←ひろみちゃんの役名には「美」はついてませんが)に一目惚れする。
そして、
「清純」な“美青年”は、
「妖艶」で「神秘的」な美女“ミストレス”に一目惚れする。
ミストレスの美しさに危険な薫りを嗅いだ“ルンペン”は、
“青年”を引き留める。
「やめておけ。あの女は、」
危険だから、と、
最後の言葉は声にはならず。
「あの人は、どこ…?」
ふらふらと女の面影を追って、世界の果てのジャングルまで行こうとする“青年”を、引き留める言葉を持たない、ルンペン。
ジャングルの奥から、あらわれる“美女”たち。
惑わされ、誘惑される“青年”と“ルンペン”。
最後に、“ルンペン”は光と共に現れた麒麟の娘(山科愛)と運命の恋に落ち、
“青年”は、更なる世界の奥、更なる闇に向かう……
海へ、と。
「海」の場面、音楽も振り付けも素晴らしかったけど、でも「Red Hot Sea」の「かもめ」の場面の方が好きだ、と、真顔で思ったのは私だけでしょうか………(^ ^;ゞ
芝居は、別の意味で予習が必須!って感じでした。
3回観劇して、3回ともお隣の席の方はかなり長時間熟睡していらっしゃいましたので、多分、駄目な方は駄目なんだろうと思います。
特に、水くん・ユミコさん・キムちゃん、この3人のうち誰か一人でも苦手な人がいたらもう駄目だろうと思います。
だって、この3人のうちの二人が喋っているダケの場面が、2時間のうち半分以上を占めるんだもん。その中に嫌いな人がいたら、絶対無理だと思う。目を閉じて、ひたすら時間が過ぎるのを待つしかない。(ごめんなさい。その気持ちはとても良くわかる…)
でも。
その3人が嫌いじゃなくて、
多少のつじつまの合わなさには目をつぶれて(←だって正塚さんだもん)(正塚さんにしては、“多少”ですんでるから大丈夫)、
…キューバ近代史、じゃなくてもいいけど、なんらかの革命の「その後」について多少の興味や知識がある方なら、
ぜったい楽しめると思います。
お芝居の舞台は、キューバ。
明記されてはいませんが、あからさまにキューバを舞台にしている。
チャモロ(大湖せしる)のモデルは明らかにカストロだし、
サルディバル(未来優希)のモデルは、カストロによって政権を追われた独裁者・バティスタ。
そして、ネロ(水夏希)とエスコバル(彩吹真央)の二人は、
1952年のバティスタのクーデターの協力者でありながら、1953年のカストロの蜂起が起こる前に(あるいは、それに前後して)政権から離れた、という設定の、架空の人物。
だから。
ネロとエスコバルの思想は、ものすごく現実的(リアリスティック)なわけです。
学生(リナレス/音月桂)の机上の空論、理想論とはわけが違う。
「俺はやれることをやる」というネロの宣言は、「どうせやれないことは出来ないんだ」という諦めと、「だからこそ、やれることをきちんとやることが一歩になるなら、やり続けるだけだ」という信念になる。
……ものすごく切ないです。
彼が、どうしてそんなことを言うのか、を考えると、それだけで泣きたくなる。
だって彼は。
彼ら二人は、すでに一つの革命を成し遂げて、それが理想とは全く違う方向へ行ってしまうのを手を拱いて見守るしかなかった過去があるのだから。
今まで、正塚作品の主人公として何度も描かれてきた「革命家くずれ」(「ブエノスアイレスの風に」の主人公・ニコラスもその一人)。
彼らの「敗北」は、文字通りの敗北なのだと私はなんとなく思っていました。
「戦い」で敗れ、一人生き残ってしまった「レ・ミゼラブル」のマリウスのように。
彼らの嘆きは「空のテーブル、空の椅子」でマリウスが叫ぶ絶望と同じで、彼らと一緒に死にたかった、何故俺一人ここに居るんだ、という叫びなのだろう、と。
でも。
「革命」の失敗には、こういうパターンがあるんですよね。
「革命」自体は成功したけれども、「理想」の実現は成らなかった、という絶望的な敗北が。
「戦い」に敗北したならば、もう一度武器を取って闘えば、あるいは勝てることもあるかもしれない。
でも。
「勝利をこの手に掴んで」、そして「やってみた」けれども、
「理想を実現することはできなかった」……
これは、痛い。
決してやり直すことのできない、やり直してもどうにもならない、根本的な失敗。
……正塚さんの、真情なんだろうな、これは。
彼の前歴は知りませんが、安田講堂に立て篭もった人の一人だったのかもしれない、と思いました。
独りよがりな理想を語り、
不謹慎で不道徳な「大人たち」から権力を奪い、「真面目で正直な」自分たち若者が権力を握れば、それだけで世界は良くなるはずだ、という思い込み。
彼らにとって、「権力」は振り回すためのものではなく、握るべきものなわけです。「人々のために」。
でも、いざ権力を握ってみると、それを振り回さずにいられる人はいない。
ネロは、それを知らなかった。
でも、最初の革命でそれを知った。
だから。
もう二度と、権力を握るために動くことはしない、と。
誰の手からも権力は遠ざけておこう、と。
そのために、自身は政権を離れながら、サルディバルを押さえる手段は確保しておいた。
いざとなれば、サルディバルを止めることができるように。
これだけの手痛い失敗を経ても、まだ完全には諦めないネロの精神力、タフネスさには感心せざるをえません。
そして、その状況の中で、
「権力」を振り回すことなく、「自分のやれること」を探す根気よさ、も。
…えーっと。
ネタバレしないで、簡単に書くつもりだったのに(涙)、つい熱くなってしまった。
でも、まぁ、とにかくお勧めです!
誰がなんといおうと、らぎちゃんがキレイだ!!(←…あれっ?)
雪組85期萌えの猫には、目にも心にも毒な場面がたくさんあって、息が止まりそうでした……。
荻田さん、正塚さん、本当に本当にありがとうございますm(_ _)m。
.
……嵌りました。
遠征している間(っつか、前後)にいろんなことが怒涛のように発表されておりますが、なにもかもほっぽらかして雪組公演の感想を書かずにはいられないくらいに嵌りました。
私個人は。
えーっと。
ネタバレせずに感想を書くのはすごーく難しいのですが、
今回はがんばります。
ただ、一つだけ忠告が。
何回もご覧になる方はいいのですが、一回しか観ない方は、ネタバレも何も気にせず、いろんなサイトで予習されることをお勧めします!
特に、ショーは。
荻田さん、やりたい放題!
30分間に、2時間分の内容をぶち込んだショー、でした。
猫は完全に“青年”(彩那音)視点で全編観ておりましたが、
…もしかしたら、あの視点が一番わかりやすかったんじゃないか、と思います。
指輪の精(水夏希・彩吹真央・音月桂)はある意味狂言回しで、
「指輪の中」という世界を支配するのはミストレス(白羽ゆり)であり、
そのミストレスを追うのが青年なので。
青年視点だと、当たり前にミストレスを追うことになり、あの複雑で猥雑な世界を探検して回るにはちょうどいいのではないか、と。
…っていうか、厳密にはルンペン(柊巴)視点なんですけどね、私は(^ ^;ゞ
ルンペン、と言っても、ずーっとルンペンなワケではなくて。
「ノバ・ボサ・ノバ」のソールが扮するルンペンみたいな感じなのですが。プロローグの途中でルンペン衣装を脱ぐと、ちょっとハードな、悪い人っぽい衣装になるので。
…ソールとの連想でいうと、らぎちゃんは指輪を狙う盗人の一人、なんじゃないかしら…。
で、
「悪い人」な“ルンペン”は、
「清純」な“美青年”(←ひろみちゃんの役名には「美」はついてませんが)に一目惚れする。
そして、
「清純」な“美青年”は、
「妖艶」で「神秘的」な美女“ミストレス”に一目惚れする。
ミストレスの美しさに危険な薫りを嗅いだ“ルンペン”は、
“青年”を引き留める。
「やめておけ。あの女は、」
危険だから、と、
最後の言葉は声にはならず。
「あの人は、どこ…?」
ふらふらと女の面影を追って、世界の果てのジャングルまで行こうとする“青年”を、引き留める言葉を持たない、ルンペン。
ジャングルの奥から、あらわれる“美女”たち。
惑わされ、誘惑される“青年”と“ルンペン”。
最後に、“ルンペン”は光と共に現れた麒麟の娘(山科愛)と運命の恋に落ち、
“青年”は、更なる世界の奥、更なる闇に向かう……
海へ、と。
「海」の場面、音楽も振り付けも素晴らしかったけど、でも「Red Hot Sea」の「かもめ」の場面の方が好きだ、と、真顔で思ったのは私だけでしょうか………(^ ^;ゞ
芝居は、別の意味で予習が必須!って感じでした。
3回観劇して、3回ともお隣の席の方はかなり長時間熟睡していらっしゃいましたので、多分、駄目な方は駄目なんだろうと思います。
特に、水くん・ユミコさん・キムちゃん、この3人のうち誰か一人でも苦手な人がいたらもう駄目だろうと思います。
だって、この3人のうちの二人が喋っているダケの場面が、2時間のうち半分以上を占めるんだもん。その中に嫌いな人がいたら、絶対無理だと思う。目を閉じて、ひたすら時間が過ぎるのを待つしかない。(ごめんなさい。その気持ちはとても良くわかる…)
でも。
その3人が嫌いじゃなくて、
多少のつじつまの合わなさには目をつぶれて(←だって正塚さんだもん)(正塚さんにしては、“多少”ですんでるから大丈夫)、
…キューバ近代史、じゃなくてもいいけど、なんらかの革命の「その後」について多少の興味や知識がある方なら、
ぜったい楽しめると思います。
お芝居の舞台は、キューバ。
明記されてはいませんが、あからさまにキューバを舞台にしている。
チャモロ(大湖せしる)のモデルは明らかにカストロだし、
サルディバル(未来優希)のモデルは、カストロによって政権を追われた独裁者・バティスタ。
そして、ネロ(水夏希)とエスコバル(彩吹真央)の二人は、
1952年のバティスタのクーデターの協力者でありながら、1953年のカストロの蜂起が起こる前に(あるいは、それに前後して)政権から離れた、という設定の、架空の人物。
だから。
ネロとエスコバルの思想は、ものすごく現実的(リアリスティック)なわけです。
学生(リナレス/音月桂)の机上の空論、理想論とはわけが違う。
「俺はやれることをやる」というネロの宣言は、「どうせやれないことは出来ないんだ」という諦めと、「だからこそ、やれることをきちんとやることが一歩になるなら、やり続けるだけだ」という信念になる。
……ものすごく切ないです。
彼が、どうしてそんなことを言うのか、を考えると、それだけで泣きたくなる。
だって彼は。
彼ら二人は、すでに一つの革命を成し遂げて、それが理想とは全く違う方向へ行ってしまうのを手を拱いて見守るしかなかった過去があるのだから。
今まで、正塚作品の主人公として何度も描かれてきた「革命家くずれ」(「ブエノスアイレスの風に」の主人公・ニコラスもその一人)。
彼らの「敗北」は、文字通りの敗北なのだと私はなんとなく思っていました。
「戦い」で敗れ、一人生き残ってしまった「レ・ミゼラブル」のマリウスのように。
彼らの嘆きは「空のテーブル、空の椅子」でマリウスが叫ぶ絶望と同じで、彼らと一緒に死にたかった、何故俺一人ここに居るんだ、という叫びなのだろう、と。
でも。
「革命」の失敗には、こういうパターンがあるんですよね。
「革命」自体は成功したけれども、「理想」の実現は成らなかった、という絶望的な敗北が。
「戦い」に敗北したならば、もう一度武器を取って闘えば、あるいは勝てることもあるかもしれない。
でも。
「勝利をこの手に掴んで」、そして「やってみた」けれども、
「理想を実現することはできなかった」……
これは、痛い。
決してやり直すことのできない、やり直してもどうにもならない、根本的な失敗。
……正塚さんの、真情なんだろうな、これは。
彼の前歴は知りませんが、安田講堂に立て篭もった人の一人だったのかもしれない、と思いました。
独りよがりな理想を語り、
不謹慎で不道徳な「大人たち」から権力を奪い、「真面目で正直な」自分たち若者が権力を握れば、それだけで世界は良くなるはずだ、という思い込み。
彼らにとって、「権力」は振り回すためのものではなく、握るべきものなわけです。「人々のために」。
でも、いざ権力を握ってみると、それを振り回さずにいられる人はいない。
ネロは、それを知らなかった。
でも、最初の革命でそれを知った。
だから。
もう二度と、権力を握るために動くことはしない、と。
誰の手からも権力は遠ざけておこう、と。
そのために、自身は政権を離れながら、サルディバルを押さえる手段は確保しておいた。
いざとなれば、サルディバルを止めることができるように。
これだけの手痛い失敗を経ても、まだ完全には諦めないネロの精神力、タフネスさには感心せざるをえません。
そして、その状況の中で、
「権力」を振り回すことなく、「自分のやれること」を探す根気よさ、も。
…えーっと。
ネタバレしないで、簡単に書くつもりだったのに(涙)、つい熱くなってしまった。
でも、まぁ、とにかくお勧めです!
誰がなんといおうと、らぎちゃんがキレイだ!!(←…あれっ?)
雪組85期萌えの猫には、目にも心にも毒な場面がたくさんあって、息が止まりそうでした……。
荻田さん、正塚さん、本当に本当にありがとうございますm(_ _)m。
.
コメント
コメント書く順番が違うと思うんですが、スミマセン(先にマナハル君に反応してしまった私は、やはり怪しい・・・)
初日前から、たぶん私はこの荻田・正塚ワールドにハマると思っていました。そして、予想通りの賛否両論。
どうしても確かめたくなり、そして、全然まだできあがっていない(と思われる・・特にCIAとマフィア)芝居を、東京に来る前に見たくて見たくて、家族に内緒で飛行機日帰りで2回公演を見てきました。
・・ありえないくらいに嵌りました・・
雪っこ大好きな私は、キューバ革命も大体理解しているつもりだし・・台詞の応酬の芝居大好きで・・・
わからないと言う人がやっぱり周りにもいるわけですよ、私はその「わからない」というのがわからない。
台詞聞くのが面倒なのかなぁ、聞いてればわかるのになぁ・・なんで寝てるんだろうなぁ・・・なんでこの芝居にこれ以上の余計な説明がいるんだろう・・ と 思っていたわけです。
ねこ様の文章を読ませていただき、あ〜〜!と思いました。
確かに一人でも苦手な人がいたら無理かも・・・
戦うことの中に自身の存在価値を求める男たち
10月まで待てないなぁ、長いなぁ・・・
今度見るときは、青年の視点でショーを見ることにします♪
>・・ありえないくらいに嵌りました・・
あはははー(笑)。嵌ると深いンですよね!マリポーサ。
確かに、らぎちゃんだけのファンだったら私も辛かっただろうなあと思います。お芝居は。
でも、ショーがあり得ないほどの大活躍だし、お芝居も、本来入るはずのないコロスに入れてもらっているから満足していられるんですよね…。
ま、多分私は、今回らぎちゃんがにわにわポジだったとしても、それとは無関係に作品には嵌ったと思いますけど(笑)。
10月までは長いですよ〜(^ ^)。もう一回くらい遠征しましょうよー(悪魔の囁き)
……真那くん情報お待ちしてます♪(←あれっ?)