赤坂ACTシアターで上演されていた「かもめ」が、本日千秋楽でした。


この後、大阪・広島・名古屋と公演は続きますが、とりあえずひと段落ということで、忘れないうちに観劇の感想を。



コスチャに藤原竜也。
アルカージナに麻実れい。
トリゴーリンに鹿賀丈史。

キャストを聞いたときは、てっきり鹿賀さんが座長だと思っていたので、プログラムを見て竜也くんがトップクレジットだったことに、まず驚愕。「かもめ」って、きちんと観たことはないんですが、アルカージナとトリゴーリンが主役の物語だと思っていたので……でも、そう言われてみれば、物語世界を立ち上げるのはコスチャ(トレープレフ)とニーナ(美波)なんですね。アルカージナとトリゴーリンは、その世界に“登場”するだけで。


チラシの竜也コスチャは髭が生えていたので、勝手に髭萌えしていた猫ですが……。舞台では残念ながら(?)きれいに剃ってしまっていました。しょんぼり。
私が竜也くんを初めてみたのは、身毒丸の凱旋公演ですから……あれから10年以上たってるんですね。肩も腰もほそくて、それこそ今の早乙女太一くんみたいな身体だったのに(サッカーやってたせいか脚は太かったけど)、なんだかすっかり大人の身体になって…。顔は相変わらずまん丸くて童顔ですけどね(^ ^;ゞ……でも、やっぱり大人の顔になったなあ。昔はあんなに祐飛さんと似てるーと思ったのに、今はもう思わないですもんね。お二人とも、この10年で様々な経験をして、それぞれ違う方向に顔が変わったんでしょうね。
もちろん、今の方がかっこいい(*^ ^*)ですよ、ご両人とも♪



チェーホフの作品、って、シェイクスピアと違ってほとんど観たことがないので、作品についてはあまり語れないのですが。
プログラムで竜也くんが言っているとおり、劇構造として「ハムレット」に非常に良く似た設定をもっているんですね。若くて才能に溢れた若者と、美しくふしだらなその母と、若者の憎悪の対象となる母の恋人。
でも、根本的にこの作品は“喜劇”である。いや、非常にシリアスな物語を語るシリアスな世界なんですけど、なんとなくそれを茶化している雰囲気があるんですよね。
ハムレットが、殺された父を懐しみ、クローディアスへの恨みと煩悶を訴える場面なんて、ちょっと演出のテンポが悪かったり、役者のテンションが観客席をひっぱり切れなかったりしたらすぐ失笑が漏れてしまうんですけど、
それと全く同じことが、今回コスチャの嘆きやマーシャ(小島聖)の長台詞、トリゴーリンの自嘲などの場面で“笑いのネタ”として使われていたし、アルカージナは全編笑いを取りにきていたし。

それでも、二幕(戯曲的には“4幕”)で、戻ってきたニーナの語る物語を聞いているコスチャの、無表情の仮面を追うだけで、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

一幕冒頭で、「ああ、ニーナの足音だ!」と叫んで飛び上がって喜ぶコスチャの、若々しい激情の暴発っぷりと、
自分を守ろうという保身のない、ただ衝撃が大きすぎて感情を表に出す方法を見つけられないが故の“無”の仮面と。
コスチャ、という一人の人間の、ほんの数年を間においた変貌ぶりに、藤原竜也という役者が、10年を経てここまできたんだな、と実感いたしました…



アルカージナの麻実れい。
彼女の美しさと迫力はたとえようもなく、『モスクワ一の大女優』という称号がぴったり!その驕慢さ、美しさ、迫力。赤ん坊のように全てを欲して我侭で、子供のように残酷な、そうでなくては『大女優』なんてやってられない!という輝き。

今なお美しい彼女に、いつか「サンセット・ブールバード」の“往年の大女優”ノーマを演じて欲しい、という野望は、未だ私の中に強くあるのですが。
いつかノーマになる女性、としてのアルカージナ。その残酷な驕慢さを観て楽しむ私たち観客が、たぶん一番残酷なんだろう、と、あらためて思ったりもしました……。




トレゴーリンの鹿賀丈史。
1年前の「ジキルとハイド」で、役者としての今後を危ぶんだベテラン俳優。最初の長台詞をきちんとこなしたとき、思わず涙が出ました。完全復活されて、本当に良かった……。心配したんですよぉ、あの時は(涙)。

ま、そんなことはおいといて、
トレゴーリン、ステキでした♪私がニーナだったら絶対ついていくね。お洒落でかっこよくて誠意がない。掴みどころのない、“都会的”な紳士がこんなに似合う人も珍しい!!
そして、麻実さんとめちゃくちゃお似合いで(*^ ^*)。

チェーホフの謎めいた世界は、鹿賀さんに合っているのかなーと思いました。…またもう一度、トレゴーリン中心の演出で観てみたいなーと思います。




ニーナの美波。
ポリーナ役で出演なさった藤田弓子さんが、「文学座の新人女優が、まず勉強するのがニーナ」とプログラムに書かれていらっしゃいますが。
確かに、オフィーリアの現代版ともいうべきこの美しいキャラクターは、「新人女優」の勉強の場にぴったりでしょうね。「女優」という仕事への、その世界への限りない憧れ。すべてを捨てて憧れに生きる決意と、転んでも弾き出されても、諦めない情熱。その両方を勉強できる、滅多に無い機会。

シェイクスピアのオフィーリアは記号的な存在ですが、チェーホフのニーナは、最終的にはコスチャを超えて羽ばたいていく“かもめ”の化身。
「かもめ」というタイトルは彼女の台詞から来ているわけですから、ある意味彼女こそがタイトルロールなわけですが(^ ^)、美波さんのニーナは、確かにそれだけの存在感がありました。
一幕と二幕の間に過ぎる“数年”という時間は、コスチャとニーナの上だけを過ぎる。二人以外の登場人物は、その程度の時間では誰一人歳をとりません。ただ二人だけが、容赦ない時の流れに洗われ、磨かれて、本質を剥き出しにされていく。

二人の悲劇は、時が止まったような湖の端で、二人の上だけを時が過ぎてしまったために起こる。
アルカージナも誰も彼も、彼らの上を通り過ぎた時間に気づかない。時間にも、それによって奪われたものにも。




マーシャの小島聖さんは、美しかった!
喪服が似合って、清楚で、なのにどSで。
素晴らしかったです。

ただ、お恥ずかしいんですが、この戯曲の中での「マーシャ」という人物が私にはよくわからなくて……(汗)。なので、マーシャに関しては、もう一回観るまでの宿題にさせてくださいm(_ _)m。





あと、オジサマ蓮ではドルンの中島しゅうさんと、ソーリンの勝部演之さんが素晴らしかったです♪♪大人のオジサマの包容力と色っぽさ。おばさんと恋を語っても美しいドルン、妹(アルカージナ)や甥(コスチャ)への愛情深いソーリン。
ステキだったー!



チェーホフの、シリアスな喜劇。
完全にコスチャに感情移入して観てしまいましたが、作品としてはいろんな解釈が成立しうる、興味深い作品だな、と思います。

また近々のうちに、竜也のコスチャをもう一度観てみたいです。
名古屋のあと、もう一度東京に帰ってこないかしらん…
(一回では掴み切れない部分がたくさんあったので)


そして。いつの日か必ず、竜也のトリゴーリンで「かもめ」が上演される日が来ますように、と。竜也には、そういう役者になってほしいな、という夢をみることができて、幸せです。

しばらくはコスチャに集中!でしょうけれども、また次の作品を楽しみにしています☆




コメント

nophoto
dasy
2008年7月13日14:24

前々から竜也君のお芝居を見たいと思っていたので、出かけてきました。 チェーホフは三田和代さんの櫻の園以来ですから、何年振りなんだろう(いつかわからない・・・・) 新鮮でした。 
竜也君はさすがでした。もちろん!ターコさん・鹿賀さんの存在感・・・・ また見たいな。
チェーホフのとらえどころのない、いかようにも解釈できるところが、芝居好きの心を久々にくすぐりました。
現在、自分でも不思議なくらいに宝塚にどっぷりの私ですが(だって好きなんだもの♪)これからもいろいろなお芝居を見続けようと改めて思った、幸せな気持ちになった舞台でした。

みつきねこ
みつきねこ
2008年7月14日0:05

dasyさま、いつもコメントありがとうございますm(_ _)m。

>チェーホフのとらえどころのない、いかようにも解釈できるところが、芝居好きの心を久々にくすぐりました。

そうなんですよね。宝塚のお芝居は、どうしても展開が“ドラマティック”で“予定調和”で終わる作品が好まれがちなんですけど、人生って早々ドラマティックな事件が起きるものでもないし、こういうシンプルな台詞劇の面白さを忘れてしまいがちなんですよね。

これと、もう一本、シアタークリエで上演中の「Duet」。どちらも宝塚では絶対に上演できない名作・佳品で、とても幸せな時間をすごすことができました(詳しい感想は後日)。
こういう作品にたくさん巡り合うことができたら嬉しいです(^ ^)