トゥーランドット【2】
2008年4月28日 ミュージカル・舞台 コメント (2)赤坂ACTシアター「トゥーランドット」。(思いっきりネタバレあり)
久しぶりの赤坂。いやー、想像以上に雰囲気が変わってしまっていて、しばらく戸惑いました(汗)。いろいろ新しいのが出来たのは知ってたけど、実際行ってみると(@ @;)って感じです。
“赤坂ミュージカル劇場”時代も、“赤坂ACTシアター”時代も、あれやこれやと通ったのになぁ(感慨)。あの頃のBLITZ&ACTは、なんとなく場末っぽいというか、いかにもプレハブっていうか…な印象だったのに、えらくお洒落な街になってしまって、自分が凄い場違いな感じでした(^ ^;ゞ
さて、次はなっち。
安倍なつみ。
可愛い!!
……いや、あの。
以前、宝塚宙組で上演された「鳳凰伝」(木村信司)では、彩乃かなみ嬢が演じた女奴隷・リュー。
もちろん、作品が違うんだから全然違うキャラクターなのは当然なんですけど、この役はオペラでもほぼ準主役格の役なんですね。
トゥーランドットがあまりヒロインらしくないというか、いわば立役なので、いわゆる“ヒロイン系”はリューになる。宝塚でいえば、トゥーランドットはベテランの女役トップがやる役で、リューは若い娘役トップ、というのが一番わかりやすいかな?
今回は、潤色的にトゥーランドットが比較的普通の“恋する女の子”として描かれていたので、逆にリューがしっかり者で小生意気な子供になっていたのがすごく新鮮でした。
そして、なっちのリューの最大の魅力は、その子供っぽいけなげさだったのだと思います。
見返りを求めない必死さ。
カラフ以外は何一つ眼に入らない純粋さ。
カラフを想って歌う月夜の場面で。
傷ついたミンを膝枕する優しさと、
寝入った彼をおいて、カラフの幻を追うように歩き出す心もとなさ、
そして、激情にかられたあげく、慰めようとするミンを拒絶する、激しさ。
プライドの高い子供のような、
野生の獣のような娘。
馴らされた従順な飼い猫のようなミンとは全く違う激しさと、
二人に共通する、他人の中で人に仕えて生きてきた子供特有の、目配りの広さ。
私は「鳳凰伝」という作品があまり好きではなかったせいか、どうやら完全に記憶から抹消してしまったようなのですが。
かなみちゃんのリューは、もう少し大人で、もう少し計算高く“王子への片思い”を演じて酔っている印象があります。
その分、ラストの悲劇性が高くて、さすがかなみちゃん、という存在感ではあったのですが。
…なっちのリューは、とにかく真っ直ぐで可愛かった!!
イマドキ珍しいくらい、直球ど真ん中一本で勝負して、真正面で跳ね返されて。国を追われた王子にずっと仕えていたのも、供を命じられたからではなく、多分無理やりついてきちゃったんだろうな、なんて想像をしてしまいたくなるような。
岸谷カラフは、絶対「ついてくるな。戻れ」って冷たく言ったに違いない。それをティムールあたりが「そう仰らず。この子も食事の支度くらいはできますよ」かなんか言って許してやったんですよきっと。
とにかく、けなげで必死で可愛くて、しかも生活力のあるしっかり者で、
…ここまできたら、ちゃっかり生き残っても良かったのになぁ…と思っちゃいました(汗)。すごく生命力に溢れたリューで、“カラフとトゥーランドットが結ばれたら生きていられない”という儚さもなかったし、子供の一途さで、ほとんど刷り込み状態で追いかけているだけだから、いずれ諦めもついただろうに、…って。
本当は、ミンと二人で幸せになってくれれば、それが一番良かったんですけどねぇ…。でも、ミンが生き残るのは無理だったからなぁ……(T T)。
小林勝也。
さすがに文学座の重鎮は貫禄が違う!ストレートの舞台役者としてのキャリアは短い人が多かったので、こういう人がメインに一人いると安心です。お稽古も心強かったろうなあ。
…只者ではない貫禄が最初から漂いまくりだったのは、あれで正解、なんですよね…?カッコよかったです(*^ ^*)。
オペラではカラフの父親という設定のティムールを、カラフの従者で、実はトゥーランドットに仕えていた学者、という設定に大きく変えたために、だいぶ訳のわからない存在になっていましたが…(T T)。
ワン将軍とともに、今回の潤色の影響を強く受けた人の一人でした。
北村有起哉。
素晴らしかった!!
芝居は言うまでもなくて。歌も、身のこなしも、何もかも完璧(←褒めすぎ)と言いたくなるほど素晴らしかった。
北村さんがいたから、この「物売り」っていうキャラクターを設定したんだろうな、亜門さんは。いろんな説明をぜーーんぶやってくれるありがたーーーーい役でしたが、本当に素晴らしかったです!次の舞台も観にいくぞー!
最後に、全般的に「作品」について。というか、亜門さんの潤色について。
私は、オペラ「トゥーランドット」も一回しか観ていないので、偉そうなことを書いていても、実はあまり詳細を覚えてはいないのですが。
タイトルロールのキャラクターについては、非常に勝手にある種のイメージを持っておりました。
(それがあったので、「鳳凰伝」も受け入れられなかったのですが)
えーっと、どう書けばいいのかな…(悩)
まず。
私は、「自分自身を他人に明け渡すことができない」という性格設定が、非常に好きだったりします。
恋に落ちても、それで全てを投げ出して“この世にあなただけ”になれない人が好き、なんです。
意地を張って“あんたなんて知らない!”って言っちゃうとか、“するべきことがあるからあなたと一緒には行けないわ”と静かに言ったりするようなヒロインに共感しやすい。
…そのあたりが、世間一般の宝塚ファンの平均値より石田作品が好きな理由なのかな、と思っているのですが。
それも、「一緒には行けないわ」と言うその動機が、純粋に「するべきことがあるから」ではない人の方がタイプ。
「恋人に自分の心の全てを明け渡してしまったら、自分自身を見喪ってしまいそうで怖い」
だから、意地を張って拒否してみせる、
あるいは、もっと危険なところに自ら飛び込んでいってしまう、そんな少女が、一番ハマるタイプなんです。
以前観たオペラの「トゥーランドット」のタイトルロールは、まさにそういうタイプで。
「カラフに心を預けることが怖くてたまらない」姫君だったんですよね。最初の出会いで恋に落ちているにも関わらず。
国を守るという重圧の中、自分自身を支えるだけで精一杯。
自分の肩に国が載っている以上、決して他者に屈することはできない、と、必死で“支配者の孤独”に耐えて、意地をはる。
3つの謎を解いた男、自分を超えた初めての男に心密かに恋をしながら、絶対にそれを認めない。男がそんな女の意地を読んでかけてきた謎に答えるために、どんな犠牲も払おうと決意する。
その謎に答えるということは、生まれたばかりの恋を喪うことだと知っていながら。
国を守るために、というのは言い訳で。
本当は、カラフに全てを明け渡すことが怖かったから張った意地。
男に全てを預けることが怖くて、捨ててしまおうとした、恋。
そして。
かはたれ時の薄闇の中で、カラフが口にする、謎の答え。
答えを与えられて、初めて気づく。
彼が、すでに全てを明け渡していることを。
彼自身の全てを、女王に差し出していることを。
彼にできることが、我に出来ぬはずは、ない。
そう、それはもしかしたら、喜びであるのかもしれぬ。
…今このとき、女王の心には全ての可能性がある。
打つべき手の全てが、可能性の全てが揃っている。
後は、どれを打つかを撰ぶだけ、という全能感。
そして、女王は、
…愛、を撰ぶ…
宮本亜門の演出では、かなり初期からワン将軍という「黒幕」が設定されていたようです。
そのおかげで、心理的に理解しにくいこの物語が、ものすごく簡単な話になっていたと思います。
ごく単純な、勧善懲悪もの、に。
女王の側近に“成り上がった”ワン将軍に、「トゥーランドット姫への恋慕」と「ミンへの優しさ」という同情設定を加えつつ、宮廷ににおけるすべての罪と矛盾をのっけてしまった。
トゥーランドットは側近に裏切られた悲劇の女王になり、
カラフは女王の側近くに仕える悪魔を成敗する神の使いの役割を果たして、
ワン将軍の指揮に忠実な軍隊が起こしたクーデターは、女王派の市民たちが抑えて、
そして、女王は退位し、市民主導の政府を作る……
ものすごく現代的な展開だし、
ものすごく現代的な解決方法なのに、
残念ながら、すごーく古典的なキャラクター配置になってしまったな、と(涙)。
トゥーランドット姫の心理は、いろんな解釈がなされるもので、どれが正解というモノはないのだと思うのですが。
ただ、やっぱり「トゥーランドット」というタイトルである以上、主題は“トゥーランドット”の物語であるべきだと思うのです。
トゥーランドットが正義である必要はないのですが、「トゥーランドットの物語」ではあってほしかった。
いずれにせよ、ワンという悪役を作ってしまったことで、話はわかりやすいけど、薄っぺくなったなー、というのが一番の感想です。
なのに、全編を通して語られるのが、異国の王子に恋をして、なのに国を背負う孤独に打ち震え、そして側近にだまされた…『可哀相な、愚かな女王』であったことが残念です。
そして。
ああいう展開にするのであれば、前半にもう一声、ワンとトゥーランドットの場面がほしかった。ワンに頼っているふうを見せるトゥーランドットでもいいし、トゥーランドットを脅しつけるワンでもいいので。
でも、そういう微妙な場面を作るには、アーメイさんの日本語能力が問題だったのかもしれないな、と思ってしまって……余計に残念なのですけれども。
この潤色の動機に、「新赤坂ACTシアターの杮落としだから、華やかに祝祭風に」という要望があったのだとしたら、ちょっと残念な気がします。
確かにこの設定にすることで後味は良くなったかもしれないけど、せっかくの杮落としにもっと重厚で歴史に残る脚本をやらせてあげたかった気もするし。
それになにより。「祝祭」感を出したかったなら、別にあの展開で無理やりリューを死なせなくても良かったんじゃないの?と思っちゃいますよね。…ティムールとミンは仕方ないけど、リューは元々「カラフの名を洩らさぬために」死ぬわけで。
その場面もないのに、あんな経緯で死ぬ必要はなかったのでは?
それがすごく理不尽な感じでした。
“演劇界の他流試合”は面白かったけど、作品としてはちょっと消化不良気味……というのが正直な感想です。
ごめんなさい。
あんまり関係ないこと?
ラストに、国に緑が戻った祝祭の場面で。
旅から戻ったカラフを涙を浮かべて迎えるトゥーランドットを、階段セットの上で見守るティムールとリューとミン。
まんま、バルジャンとエポニーヌとアンジョルラスに見えるんですけどっ!?(@ @;;
あんまり関係ないこと?
公演とおして「すげーーーーっ!」と思ったこと。
いくつかあったのですが、特にびっくりしたのが、ミンの拷問場面で鞭を操る拷問係の技の見事さ(*^ ^*)。長い長い鞭を、まさに“生き物のように”完璧に制御していました。音(録音かと思っていましたが、違うんだそうです。コメントありがとうございました…)とぴったりあっていたのも素晴らしい。
いやー、名場面でしたぁ(←それかなり違うから)
.
久しぶりの赤坂。いやー、想像以上に雰囲気が変わってしまっていて、しばらく戸惑いました(汗)。いろいろ新しいのが出来たのは知ってたけど、実際行ってみると(@ @;)って感じです。
“赤坂ミュージカル劇場”時代も、“赤坂ACTシアター”時代も、あれやこれやと通ったのになぁ(感慨)。あの頃のBLITZ&ACTは、なんとなく場末っぽいというか、いかにもプレハブっていうか…な印象だったのに、えらくお洒落な街になってしまって、自分が凄い場違いな感じでした(^ ^;ゞ
さて、次はなっち。
安倍なつみ。
可愛い!!
……いや、あの。
以前、宝塚宙組で上演された「鳳凰伝」(木村信司)では、彩乃かなみ嬢が演じた女奴隷・リュー。
もちろん、作品が違うんだから全然違うキャラクターなのは当然なんですけど、この役はオペラでもほぼ準主役格の役なんですね。
トゥーランドットがあまりヒロインらしくないというか、いわば立役なので、いわゆる“ヒロイン系”はリューになる。宝塚でいえば、トゥーランドットはベテランの女役トップがやる役で、リューは若い娘役トップ、というのが一番わかりやすいかな?
今回は、潤色的にトゥーランドットが比較的普通の“恋する女の子”として描かれていたので、逆にリューがしっかり者で小生意気な子供になっていたのがすごく新鮮でした。
そして、なっちのリューの最大の魅力は、その子供っぽいけなげさだったのだと思います。
見返りを求めない必死さ。
カラフ以外は何一つ眼に入らない純粋さ。
カラフを想って歌う月夜の場面で。
傷ついたミンを膝枕する優しさと、
寝入った彼をおいて、カラフの幻を追うように歩き出す心もとなさ、
そして、激情にかられたあげく、慰めようとするミンを拒絶する、激しさ。
プライドの高い子供のような、
野生の獣のような娘。
馴らされた従順な飼い猫のようなミンとは全く違う激しさと、
二人に共通する、他人の中で人に仕えて生きてきた子供特有の、目配りの広さ。
私は「鳳凰伝」という作品があまり好きではなかったせいか、どうやら完全に記憶から抹消してしまったようなのですが。
かなみちゃんのリューは、もう少し大人で、もう少し計算高く“王子への片思い”を演じて酔っている印象があります。
その分、ラストの悲劇性が高くて、さすがかなみちゃん、という存在感ではあったのですが。
…なっちのリューは、とにかく真っ直ぐで可愛かった!!
イマドキ珍しいくらい、直球ど真ん中一本で勝負して、真正面で跳ね返されて。国を追われた王子にずっと仕えていたのも、供を命じられたからではなく、多分無理やりついてきちゃったんだろうな、なんて想像をしてしまいたくなるような。
岸谷カラフは、絶対「ついてくるな。戻れ」って冷たく言ったに違いない。それをティムールあたりが「そう仰らず。この子も食事の支度くらいはできますよ」かなんか言って許してやったんですよきっと。
とにかく、けなげで必死で可愛くて、しかも生活力のあるしっかり者で、
…ここまできたら、ちゃっかり生き残っても良かったのになぁ…と思っちゃいました(汗)。すごく生命力に溢れたリューで、“カラフとトゥーランドットが結ばれたら生きていられない”という儚さもなかったし、子供の一途さで、ほとんど刷り込み状態で追いかけているだけだから、いずれ諦めもついただろうに、…って。
本当は、ミンと二人で幸せになってくれれば、それが一番良かったんですけどねぇ…。でも、ミンが生き残るのは無理だったからなぁ……(T T)。
小林勝也。
さすがに文学座の重鎮は貫禄が違う!ストレートの舞台役者としてのキャリアは短い人が多かったので、こういう人がメインに一人いると安心です。お稽古も心強かったろうなあ。
…只者ではない貫禄が最初から漂いまくりだったのは、あれで正解、なんですよね…?カッコよかったです(*^ ^*)。
オペラではカラフの父親という設定のティムールを、カラフの従者で、実はトゥーランドットに仕えていた学者、という設定に大きく変えたために、だいぶ訳のわからない存在になっていましたが…(T T)。
ワン将軍とともに、今回の潤色の影響を強く受けた人の一人でした。
北村有起哉。
素晴らしかった!!
芝居は言うまでもなくて。歌も、身のこなしも、何もかも完璧(←褒めすぎ)と言いたくなるほど素晴らしかった。
北村さんがいたから、この「物売り」っていうキャラクターを設定したんだろうな、亜門さんは。いろんな説明をぜーーんぶやってくれるありがたーーーーい役でしたが、本当に素晴らしかったです!次の舞台も観にいくぞー!
最後に、全般的に「作品」について。というか、亜門さんの潤色について。
私は、オペラ「トゥーランドット」も一回しか観ていないので、偉そうなことを書いていても、実はあまり詳細を覚えてはいないのですが。
タイトルロールのキャラクターについては、非常に勝手にある種のイメージを持っておりました。
(それがあったので、「鳳凰伝」も受け入れられなかったのですが)
えーっと、どう書けばいいのかな…(悩)
まず。
私は、「自分自身を他人に明け渡すことができない」という性格設定が、非常に好きだったりします。
恋に落ちても、それで全てを投げ出して“この世にあなただけ”になれない人が好き、なんです。
意地を張って“あんたなんて知らない!”って言っちゃうとか、“するべきことがあるからあなたと一緒には行けないわ”と静かに言ったりするようなヒロインに共感しやすい。
…そのあたりが、世間一般の宝塚ファンの平均値より石田作品が好きな理由なのかな、と思っているのですが。
それも、「一緒には行けないわ」と言うその動機が、純粋に「するべきことがあるから」ではない人の方がタイプ。
「恋人に自分の心の全てを明け渡してしまったら、自分自身を見喪ってしまいそうで怖い」
だから、意地を張って拒否してみせる、
あるいは、もっと危険なところに自ら飛び込んでいってしまう、そんな少女が、一番ハマるタイプなんです。
以前観たオペラの「トゥーランドット」のタイトルロールは、まさにそういうタイプで。
「カラフに心を預けることが怖くてたまらない」姫君だったんですよね。最初の出会いで恋に落ちているにも関わらず。
国を守るという重圧の中、自分自身を支えるだけで精一杯。
自分の肩に国が載っている以上、決して他者に屈することはできない、と、必死で“支配者の孤独”に耐えて、意地をはる。
3つの謎を解いた男、自分を超えた初めての男に心密かに恋をしながら、絶対にそれを認めない。男がそんな女の意地を読んでかけてきた謎に答えるために、どんな犠牲も払おうと決意する。
その謎に答えるということは、生まれたばかりの恋を喪うことだと知っていながら。
国を守るために、というのは言い訳で。
本当は、カラフに全てを明け渡すことが怖かったから張った意地。
男に全てを預けることが怖くて、捨ててしまおうとした、恋。
そして。
かはたれ時の薄闇の中で、カラフが口にする、謎の答え。
答えを与えられて、初めて気づく。
彼が、すでに全てを明け渡していることを。
彼自身の全てを、女王に差し出していることを。
彼にできることが、我に出来ぬはずは、ない。
そう、それはもしかしたら、喜びであるのかもしれぬ。
…今このとき、女王の心には全ての可能性がある。
打つべき手の全てが、可能性の全てが揃っている。
後は、どれを打つかを撰ぶだけ、という全能感。
そして、女王は、
…愛、を撰ぶ…
宮本亜門の演出では、かなり初期からワン将軍という「黒幕」が設定されていたようです。
そのおかげで、心理的に理解しにくいこの物語が、ものすごく簡単な話になっていたと思います。
ごく単純な、勧善懲悪もの、に。
女王の側近に“成り上がった”ワン将軍に、「トゥーランドット姫への恋慕」と「ミンへの優しさ」という同情設定を加えつつ、宮廷ににおけるすべての罪と矛盾をのっけてしまった。
トゥーランドットは側近に裏切られた悲劇の女王になり、
カラフは女王の側近くに仕える悪魔を成敗する神の使いの役割を果たして、
ワン将軍の指揮に忠実な軍隊が起こしたクーデターは、女王派の市民たちが抑えて、
そして、女王は退位し、市民主導の政府を作る……
ものすごく現代的な展開だし、
ものすごく現代的な解決方法なのに、
残念ながら、すごーく古典的なキャラクター配置になってしまったな、と(涙)。
トゥーランドット姫の心理は、いろんな解釈がなされるもので、どれが正解というモノはないのだと思うのですが。
ただ、やっぱり「トゥーランドット」というタイトルである以上、主題は“トゥーランドット”の物語であるべきだと思うのです。
トゥーランドットが正義である必要はないのですが、「トゥーランドットの物語」ではあってほしかった。
いずれにせよ、ワンという悪役を作ってしまったことで、話はわかりやすいけど、薄っぺくなったなー、というのが一番の感想です。
なのに、全編を通して語られるのが、異国の王子に恋をして、なのに国を背負う孤独に打ち震え、そして側近にだまされた…『可哀相な、愚かな女王』であったことが残念です。
そして。
ああいう展開にするのであれば、前半にもう一声、ワンとトゥーランドットの場面がほしかった。ワンに頼っているふうを見せるトゥーランドットでもいいし、トゥーランドットを脅しつけるワンでもいいので。
でも、そういう微妙な場面を作るには、アーメイさんの日本語能力が問題だったのかもしれないな、と思ってしまって……余計に残念なのですけれども。
この潤色の動機に、「新赤坂ACTシアターの杮落としだから、華やかに祝祭風に」という要望があったのだとしたら、ちょっと残念な気がします。
確かにこの設定にすることで後味は良くなったかもしれないけど、せっかくの杮落としにもっと重厚で歴史に残る脚本をやらせてあげたかった気もするし。
それになにより。「祝祭」感を出したかったなら、別にあの展開で無理やりリューを死なせなくても良かったんじゃないの?と思っちゃいますよね。…ティムールとミンは仕方ないけど、リューは元々「カラフの名を洩らさぬために」死ぬわけで。
その場面もないのに、あんな経緯で死ぬ必要はなかったのでは?
それがすごく理不尽な感じでした。
“演劇界の他流試合”は面白かったけど、作品としてはちょっと消化不良気味……というのが正直な感想です。
ごめんなさい。
あんまり関係ないこと?
ラストに、国に緑が戻った祝祭の場面で。
旅から戻ったカラフを涙を浮かべて迎えるトゥーランドットを、階段セットの上で見守るティムールとリューとミン。
まんま、バルジャンとエポニーヌとアンジョルラスに見えるんですけどっ!?(@ @;;
あんまり関係ないこと?
公演とおして「すげーーーーっ!」と思ったこと。
いくつかあったのですが、特にびっくりしたのが、ミンの拷問場面で鞭を操る拷問係の技の見事さ(*^ ^*)。長い長い鞭を、まさに“生き物のように”完璧に制御していました。音(録音かと思っていましたが、違うんだそうです。コメントありがとうございました…)とぴったりあっていたのも素晴らしい。
いやー、名場面でしたぁ(←それかなり違うから)
.
コメント
少林寺の人が今回来てやってくれてます。
少林寺じゃない人も鞭をふるうシーンがあるんですが、その時の音はしょぼい(本人のブログ談)ので、なんであんな音がれ出るんだろうと毎回感心してるそうです。
本職じゃない方も、ちゃんと良い音出されてましたよ(^ ^)。
よろしかったらもっといろいろ教えてくださいませ!