雪組さんの「君を愛してる」を観てまいりました♪
大劇場で観たときの感想はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20080117.html
で、1ヶ月半たって東宝で観たわけですが、
印象はほとんど変わらず、でした。
もっと変わるかなー、と思っていたんですけどね。
相変わらずキムラ語は意味わかんないけど、
どこ見ても美形だらけでワクワクドキドキだし、
他愛ない話だけど理屈を考えなければ十分楽しめるし…。
なんだかね、去年「パリの空よりも高く」に、他の組のファンの友人を連れていったときの反応を思い出してしまいました。
「楽しいねー、皆可愛かったねー、かなみちゃん出番が少なくてちょっとかわいそうだけど、でも麻子ちゃんもきりやんも祐飛ちゃんもホント可愛いし、楽しかったよー」と喜んでくれたんですが……(ちょっとフクザツ)。
あのときの友人たちの気持ちが、今、痛いほどよくわかります。
“いい年をした贔屓役者が18歳の少年を痛々しく演じている”という拷問の苦しさを感じることもなく、
不得手なコメディを痛々し…(以下略)
普通に「カッコイイ男役が、ちょっとヘタレだけどけなげで可愛い役を一生懸命演じていてすごく可愛い!観ているだけで幸せになれるね!」そう、心の底から言いたい気持ち。
贔屓の出番はちょっと少なめだけど、その分他の下級生の出番が(あまり構成上の意味はなくても)多くて、あちこちチラ見しているうちにフィナーレに突入してしまう……そんな感じ。
あ、ちなみに誤解のないよう言い添えますが。私は実際「パリ空」に通った人間ですし、通ううちに愛着もわいて、最終的には“結構好きな作品”になったんですよ(汗)。
そして、逆に「君を愛してる」は、通ううちにキムラ語の意味がわかるようになってしまうだろうから、段々キツくなってくるんじゃないか、っつー気もするんですけどね……。
まあ、そうは言っても、とりあえず一回二回は十分楽しめます♪名作だとは全然思いませんし、とりあえず贔屓組でやってほしいかどうかは微妙、というのが正直なところですが(^ ^)。
誇張され、戯画化されたキャラクターたち。
その中でも、実は一番面白いのはアルガンなんじゃないかと思っています。
アルガンが悪人ではない、いや、アルガンに悪意がない、という事実が、作品を救っている。
サーカスが大好きで、
でも、“古きよきサーカス”の時代は終わりかけていて、
飛鳥&灯さんが率いるサーカス団が大好きで、
でも、昔ながらの暢気なサーカス団は立ち退きを迫られる現状で、
自分の力を試してみたくて、
自分の才能を試してみたくて、
自分の「時代を見る目」を信じていて、
「時代を見る目」を持たない人々を憐れんでいて、
そして、
…マルキーズが、欲しくってたまらなくて。
夜空にかかる星を欲しがるように、
湖に映る月を欲しがるように、
マルキーズが、欲しい。
マルキーズに、そばにいてほしい。
そんな彼が。
「君が僕と結婚してくれるなら」
僕は僕の信念をも破ろう。
サーカスは技能者集団であるべきだ、という信念を。
「若手たちも含めて、団員たちを全員引き取ろう」
……フランツだ〜っ!
愛してはならない天使を愛し、
それゆえに道を誤り、国を滅ぼした皇帝と、同じ道に迷いこんだ男。
アルガンは、ひとりよがりで、想像力に欠けていて、
でも、
心の底からマルキーズの幸せを祈っているんですよね。
で、「自分と結婚すること」が彼女の幸せだと信じて疑わない。
『サーカス魂』のビッグコーラスに圧倒された後。
彼は、マルキーズ一人を外に呼び出す。
切なげな眼をして。
「マルキーズ、外に出ておくれ。君が恋しい。結婚したい」
いつだって問題ばかり。
他のサーカス団との競争。
財政は苦しいのに、客の欲望はふくれあがるばかり。
団員の反発の処理、怪我や病気の多発…
「君の手紙何度も読んだよ。君の愛がぼくには必要。
若手の教育は引き受ける。他の希みも全て叶えよう」
だから、
「結婚してほしい」
と。
彼は、ジョルジュの存在も、彼とサーカス団員との交流も、何もしらない。
彼の中では時間は動いていないのです。
自分がサーカス団を離れたときから、一歩も。
面白いなあ、と思ったのが。
マルキーズの誕生日に、花を持って現れたアルガンに対する、サーカス団員たちの反応でした。
しな(山科愛)ちゃんのリュシールとか、ひろみ(彩那音)ちゃんのシャルルは、あからさまに敵意を見せます。
それは、マルキーズがアルガンに対して思いっきり嫌そうなそぶりを見せるから。
でも。
少なくとも、らぎ(柊巴)ちゃんのレザンさんは、アルガンが登場してなんだかんだマルキーズに話かけている間、なんか嬉しそうにアルガンに微笑みかけていたんですよね(アルガンには思いっきり無視されてましたが)。
で、シナちゃんの「アルガン、帰ってよ!」が出た瞬間に、ちょっと貌をしかめて、眼を伏せたんです。
ああ、レザンにとっては、アルガンはまだ「仲間」なんだな、と思ったのでした。
貸切公演の始まりで、飛鳥組長のアルガンに対する態度も「よく来たね」とかいう台詞だけでなく、“来てくれて嬉しいよ、…いろいろあったがねぇ…”という雰囲気というか、年輪を感じさせてとても好きなんですけど。
らぎちゃんも、見せ場というほどの見せ場ではないんですけど、結構面白い役をもらってるなーと思ってちょっと嬉しかったのでした。
…閑話休題。
と、いうわけで(←無理やりな展開…)、
アルガンは、マルキーズへの愛ゆえに、マルキーズの愛を得るために、
「シルク・ド・メール」が拡大成長するために取っておいた余剰分を、“マルキーズのサーカス団の若手を保護し、育てるために”使おうとします。
それは自分の信念を破るに等しい行為であり、自分自身が指摘した「新しいことへ挑戦する」ためのエネルギーを削ぐことに等しい賭けなのですが。
多分このとき、マルキーズが言われたとおりアルガンと結婚したとしても、おそらく巧くいかなかったと思うんですよね。
だって、根本的な問題は全く解決していないんだもの。
あの、のんびりしたサーカス団の技しか身につかないまま抱え込まれた若手たちは、そのまま不良債権となって「シルク・ド・メール」の採算を悪化させた可能性が高い。
そうなれば、彼らを手放す(解雇、あるいは雑用係として使うだけにして給料を下げる)しかない。
「シルク・ド・メール」がつぶれれば、いずれ彼らも路頭に迷うのだから、それが少し早まるだけのこと。
精進して芸を身に付け、「シルク・ド・メール」の戦力になれば、そんなことにはならないのだから、あとは自己責任だろう、ということになるでしょう。
遠からずその日がくる。
そのとき、マルキーズは自分の選択を是とできるだろうか…?
…でも。
そもそも、実際の「君を愛してる」の結論にしても、この問題には全く答えていないので。
根本的なところが解決していないのは一緒なんですよね。
だって。
親の遺産を受け継いだジョルジュは、事実上サーカス団のスポンサーというよりは、オーナーになるのかもしれませんが。
…あまりビジネスの才能もなさそうなジョルジュが、ブルジョアとして経済的に自立できるとも思いにくいので、基本的には「貴族」として、すでに持っているものの利子とか利用料とか、そういうもので暮らしをたてることになるんですよね…?
サーカス団なんて無限にお金がかかるものですから、独立で採算が取れないかぎり、ジョルジュの身代なんてあっという間に食いつぶしてしまうでしょう。
そうなったら、どうするのでしょうか?マルキーズは、自分の決断を後悔するんじゃないのか?
マルキーズがどちらを択んだとしても、
どちらにも転ぶ可能性がある。
だとしたら、愛を選んどけ。
……そういう話だったんだろうな、と。
そういう納得の仕方をしています、私は。
…意外とマルキーズとアルガンっていうのはお似合いのカップルだったのになぁ、と思っていたりすることはヒミツです。
だってさ、マルキーズも相当周りが見えていないと思うんですよ。
そもそも彼女を“犠牲の羊”にして、シルク・ド・メールの給料を食むことに満足するような人は、本当に「サーカスは家族」ならば、その中にはいないはずなの。
だから、彼女が自分を犠牲にしてアルガンに身を売る必然性は、ない。
マルキーズはただ、悲劇のヒロインである自分に酔っているだけで、全然現実の問題に対処しようとしていない。
必要なのは、“未熟な若手”が生きていけるように芸をつけさせるための方策を練ることであって、身を売って犠牲になって、なんて可哀そうな私、と苦しみに沈むことじゃない。
でも。
仕方ないのよ。
だってマルキーズは天使なんだもん。
木村さん恐るべし、と思うのは、こんなときです。
“ヘタレな水くん”という達者なお芝居で楽しませて、
“偉そうに突っ張って上から目線になろうとしている大間抜け”なユミコさんを、残酷なまでに切なくも可愛らしく描き出し、
キムちゃん(リアルにおひさま)、ひろみちゃん(リアルに月)、かなめちゃん(リアルに若手スター)の3人をうまーく使って、
となみちゃんの浮世離れした持ち味で話をまとめあげる。
あれもこれもそれもどれも突っ込みポイントだらけだけれども、
とりあえず私は、あのアルガンの“周りが全く見えていないお莫迦さ”と、マルキーズの天使っぷりにほれ込んでしまいました。
…あらゆる伏線を何一つ解決させようとしない木村さんに、乾杯。(←それを観て幸せになっている自分が、何か悔しい…)
.
大劇場で観たときの感想はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20080117.html
で、1ヶ月半たって東宝で観たわけですが、
印象はほとんど変わらず、でした。
もっと変わるかなー、と思っていたんですけどね。
相変わらずキムラ語は意味わかんないけど、
どこ見ても美形だらけでワクワクドキドキだし、
他愛ない話だけど理屈を考えなければ十分楽しめるし…。
なんだかね、去年「パリの空よりも高く」に、他の組のファンの友人を連れていったときの反応を思い出してしまいました。
「楽しいねー、皆可愛かったねー、かなみちゃん出番が少なくてちょっとかわいそうだけど、でも麻子ちゃんもきりやんも祐飛ちゃんもホント可愛いし、楽しかったよー」と喜んでくれたんですが……(ちょっとフクザツ)。
あのときの友人たちの気持ちが、今、痛いほどよくわかります。
“いい年をした贔屓役者が18歳の少年を痛々しく演じている”という拷問の苦しさを感じることもなく、
不得手なコメディを痛々し…(以下略)
普通に「カッコイイ男役が、ちょっとヘタレだけどけなげで可愛い役を一生懸命演じていてすごく可愛い!観ているだけで幸せになれるね!」そう、心の底から言いたい気持ち。
贔屓の出番はちょっと少なめだけど、その分他の下級生の出番が(あまり構成上の意味はなくても)多くて、あちこちチラ見しているうちにフィナーレに突入してしまう……そんな感じ。
あ、ちなみに誤解のないよう言い添えますが。私は実際「パリ空」に通った人間ですし、通ううちに愛着もわいて、最終的には“結構好きな作品”になったんですよ(汗)。
そして、逆に「君を愛してる」は、通ううちにキムラ語の意味がわかるようになってしまうだろうから、段々キツくなってくるんじゃないか、っつー気もするんですけどね……。
まあ、そうは言っても、とりあえず一回二回は十分楽しめます♪名作だとは全然思いませんし、とりあえず贔屓組でやってほしいかどうかは微妙、というのが正直なところですが(^ ^)。
誇張され、戯画化されたキャラクターたち。
その中でも、実は一番面白いのはアルガンなんじゃないかと思っています。
アルガンが悪人ではない、いや、アルガンに悪意がない、という事実が、作品を救っている。
サーカスが大好きで、
でも、“古きよきサーカス”の時代は終わりかけていて、
飛鳥&灯さんが率いるサーカス団が大好きで、
でも、昔ながらの暢気なサーカス団は立ち退きを迫られる現状で、
自分の力を試してみたくて、
自分の才能を試してみたくて、
自分の「時代を見る目」を信じていて、
「時代を見る目」を持たない人々を憐れんでいて、
そして、
…マルキーズが、欲しくってたまらなくて。
夜空にかかる星を欲しがるように、
湖に映る月を欲しがるように、
マルキーズが、欲しい。
マルキーズに、そばにいてほしい。
そんな彼が。
「君が僕と結婚してくれるなら」
僕は僕の信念をも破ろう。
サーカスは技能者集団であるべきだ、という信念を。
「若手たちも含めて、団員たちを全員引き取ろう」
……フランツだ〜っ!
愛してはならない天使を愛し、
それゆえに道を誤り、国を滅ぼした皇帝と、同じ道に迷いこんだ男。
アルガンは、ひとりよがりで、想像力に欠けていて、
でも、
心の底からマルキーズの幸せを祈っているんですよね。
で、「自分と結婚すること」が彼女の幸せだと信じて疑わない。
『サーカス魂』のビッグコーラスに圧倒された後。
彼は、マルキーズ一人を外に呼び出す。
切なげな眼をして。
「マルキーズ、外に出ておくれ。君が恋しい。結婚したい」
いつだって問題ばかり。
他のサーカス団との競争。
財政は苦しいのに、客の欲望はふくれあがるばかり。
団員の反発の処理、怪我や病気の多発…
「君の手紙何度も読んだよ。君の愛がぼくには必要。
若手の教育は引き受ける。他の希みも全て叶えよう」
だから、
「結婚してほしい」
と。
彼は、ジョルジュの存在も、彼とサーカス団員との交流も、何もしらない。
彼の中では時間は動いていないのです。
自分がサーカス団を離れたときから、一歩も。
面白いなあ、と思ったのが。
マルキーズの誕生日に、花を持って現れたアルガンに対する、サーカス団員たちの反応でした。
しな(山科愛)ちゃんのリュシールとか、ひろみ(彩那音)ちゃんのシャルルは、あからさまに敵意を見せます。
それは、マルキーズがアルガンに対して思いっきり嫌そうなそぶりを見せるから。
でも。
少なくとも、らぎ(柊巴)ちゃんのレザンさんは、アルガンが登場してなんだかんだマルキーズに話かけている間、なんか嬉しそうにアルガンに微笑みかけていたんですよね(アルガンには思いっきり無視されてましたが)。
で、シナちゃんの「アルガン、帰ってよ!」が出た瞬間に、ちょっと貌をしかめて、眼を伏せたんです。
ああ、レザンにとっては、アルガンはまだ「仲間」なんだな、と思ったのでした。
貸切公演の始まりで、飛鳥組長のアルガンに対する態度も「よく来たね」とかいう台詞だけでなく、“来てくれて嬉しいよ、…いろいろあったがねぇ…”という雰囲気というか、年輪を感じさせてとても好きなんですけど。
らぎちゃんも、見せ場というほどの見せ場ではないんですけど、結構面白い役をもらってるなーと思ってちょっと嬉しかったのでした。
…閑話休題。
と、いうわけで(←無理やりな展開…)、
アルガンは、マルキーズへの愛ゆえに、マルキーズの愛を得るために、
「シルク・ド・メール」が拡大成長するために取っておいた余剰分を、“マルキーズのサーカス団の若手を保護し、育てるために”使おうとします。
それは自分の信念を破るに等しい行為であり、自分自身が指摘した「新しいことへ挑戦する」ためのエネルギーを削ぐことに等しい賭けなのですが。
多分このとき、マルキーズが言われたとおりアルガンと結婚したとしても、おそらく巧くいかなかったと思うんですよね。
だって、根本的な問題は全く解決していないんだもの。
あの、のんびりしたサーカス団の技しか身につかないまま抱え込まれた若手たちは、そのまま不良債権となって「シルク・ド・メール」の採算を悪化させた可能性が高い。
そうなれば、彼らを手放す(解雇、あるいは雑用係として使うだけにして給料を下げる)しかない。
「シルク・ド・メール」がつぶれれば、いずれ彼らも路頭に迷うのだから、それが少し早まるだけのこと。
精進して芸を身に付け、「シルク・ド・メール」の戦力になれば、そんなことにはならないのだから、あとは自己責任だろう、ということになるでしょう。
遠からずその日がくる。
そのとき、マルキーズは自分の選択を是とできるだろうか…?
…でも。
そもそも、実際の「君を愛してる」の結論にしても、この問題には全く答えていないので。
根本的なところが解決していないのは一緒なんですよね。
だって。
親の遺産を受け継いだジョルジュは、事実上サーカス団のスポンサーというよりは、オーナーになるのかもしれませんが。
…あまりビジネスの才能もなさそうなジョルジュが、ブルジョアとして経済的に自立できるとも思いにくいので、基本的には「貴族」として、すでに持っているものの利子とか利用料とか、そういうもので暮らしをたてることになるんですよね…?
サーカス団なんて無限にお金がかかるものですから、独立で採算が取れないかぎり、ジョルジュの身代なんてあっという間に食いつぶしてしまうでしょう。
そうなったら、どうするのでしょうか?マルキーズは、自分の決断を後悔するんじゃないのか?
マルキーズがどちらを択んだとしても、
どちらにも転ぶ可能性がある。
だとしたら、愛を選んどけ。
……そういう話だったんだろうな、と。
そういう納得の仕方をしています、私は。
…意外とマルキーズとアルガンっていうのはお似合いのカップルだったのになぁ、と思っていたりすることはヒミツです。
だってさ、マルキーズも相当周りが見えていないと思うんですよ。
そもそも彼女を“犠牲の羊”にして、シルク・ド・メールの給料を食むことに満足するような人は、本当に「サーカスは家族」ならば、その中にはいないはずなの。
だから、彼女が自分を犠牲にしてアルガンに身を売る必然性は、ない。
マルキーズはただ、悲劇のヒロインである自分に酔っているだけで、全然現実の問題に対処しようとしていない。
必要なのは、“未熟な若手”が生きていけるように芸をつけさせるための方策を練ることであって、身を売って犠牲になって、なんて可哀そうな私、と苦しみに沈むことじゃない。
でも。
仕方ないのよ。
だってマルキーズは天使なんだもん。
木村さん恐るべし、と思うのは、こんなときです。
“ヘタレな水くん”という達者なお芝居で楽しませて、
“偉そうに突っ張って上から目線になろうとしている大間抜け”なユミコさんを、残酷なまでに切なくも可愛らしく描き出し、
キムちゃん(リアルにおひさま)、ひろみちゃん(リアルに月)、かなめちゃん(リアルに若手スター)の3人をうまーく使って、
となみちゃんの浮世離れした持ち味で話をまとめあげる。
あれもこれもそれもどれも突っ込みポイントだらけだけれども、
とりあえず私は、あのアルガンの“周りが全く見えていないお莫迦さ”と、マルキーズの天使っぷりにほれ込んでしまいました。
…あらゆる伏線を何一つ解決させようとしない木村さんに、乾杯。(←それを観て幸せになっている自分が、何か悔しい…)
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