アルジャーノンに花束を
2007年12月6日 演劇下北沢・本多劇場にて、劇団昴の「アルジャーノンに花束を」を観てまいりました。
…いや、実際に観劇してからはだいぶたってしまいましたが(汗)。
えーっと。
私は学生時代(……何年前だよっ!?)からの劇団昴ファンでして。当時本拠地だった三百人劇場にはずいぶん通いました。後援会(?)にも入って、シェイクスピアをはじめ、良質のお芝居たくさん見せていただいたものです。
その中でも、「クリスマス・キャロル」と「アルジャーノンに花束を」は、当時から『劇団の誇る名作』として、毎年のように再演されていました。ホント、何回も観ましたねぇ、私も(^ ^;ゞ
その後、私はミュージカルに嵌り、さらにタカラヅカに嵌ってストレートプレイを観に行く機会が減ってしまい(・・)…
三百人劇場のある千石へ行く用事もなくなってからは、だいぶ疎遠になってしまったのですが。
…それでも年に一回くらいは観ていたかな?
中でも「アルジャーノン…」は、もともと原作に惚れ込んでいたし、舞台も誠実なつくりで大好きだったんですよね♪
昨年末に三百人劇場が閉鎖される前から「昴」も全然観ていなかったのですが、たまたまチラシをもらったので、久しぶりに観に行ってみました。
「現代演劇協会」を離れて独立法人になったということで、雰囲気とかも変わっちゃったかな?と思ってたんですが、案外役者も残っていたし(*^ ^*)、ハコが違うにもかかわらず舞台の雰囲気も変わってませんでしたね♪
スタッフさんもそのまま残っているのかなあ…。とにかく、「昴」は「昴」のままだったことが一番嬉しかったです。
しばらくご無沙汰してしまっていたけど、やっぱり好きなんだなあ…。
(なーんて偉そうに書いていますが、三輪えり花演出での「アルジャーノン…」は1回しか観ていないはずなので、細かいところは違っていても解らなかった……はずっっ ^ ^;ゞ)
よくできた脚本を、練り直しての再演。
菊地准の脚本は、あまりひねらず、原作を大切にそのまんま舞台にのせているんですよね。無駄なモノローグも少なくて。
だから、役者の技量が大きくものを言う。
菊地さん自身が演出していたときは、舞台装置もシンプルで、まさに「台詞劇」だったこの作品。
何年か前に三輪えり花さんに演出が変わってから、ぐっとアグレッシブに、ハッタリのある舞台になったよなー、と思うのですが。
この作品が「台詞劇」であるという基本は、同じ、なんですよね。
で。
平田広明さんのチャーリーは、ものすごく純粋で残酷な、子供、でした。
優しくて、世間知らずで、正義感に満ちた、子供。
平田さんの魅力は、なんといっても声だと思うんですが。
あの膨大な量の台詞をひたすら喋りっぱなしな役でも、すべてのコトバを「チャーリー」、それもいろんな段階のチャーリーとして喋りつづけることができるのはサスガ!と、あらためて思いました。
棒読みも、テクニックとしての棒読みではなく、役作りとしての棒読み。
滔々と論陣を張って、教授たちをやりこめる場面の見事さ。
そして。
「………わからないんですか?」と教授に尋くときの、心底不思議そうな声と顔。
嫌味のひとっっかけらもなく、ただただ「え?」という不信感。
…いや、むしろ、そこに浮かんでいるのは、驚愕でしたねー♪
「オトナは、あらゆる問いに対する答えをスベテ知っている」はず。
そんな子供たちの信念を、裏切ってばかりのオトナたち。
……原作ファンなので、語り出すと止まらない(汗)。すいません、このへんでやめておきます。
平田さんのチャーリーで、いや昴の「アルジャーノン…」で一番好きなのは、チャーリーが最後まで人を愛していたことです。
解釈次第で、チャーリーがオトナ社会に絶望して“元に戻る”ことを望んだ、というように見せることも可能だと思うのですが。
平田さんのチャーリーは、最後のギリギリのところで包容力を見せてくれるのが、大好きです。
最後にアリスを救い、自分自身をも掬い上げて、
……その上で元の世界へ帰っていくチャーリーだからこそ。
だから、パン屋へ戻った時の笑顔が、心に沁みるのです。
アリス・キニアンの服部幸子さんは、相変わらずお見事でした。
落ち着いた、しっとりとした優しい女性。男の子が「憧れる」キャラクターにぴったりの雰囲気。
なのに、母性はないんだな………。
チャーリーが求めるものは、常に母親。
なのに、この作品には母親がいない。
チャーリーの母親本人を含めて、女性登場人物の誰一人として母性をもっていない。母親として、チャーリー自身を無条件に愛してくれる存在が、無い。
だから。
母性の欠如、というのは、アリス・キニアンという役に不可欠な条件です。アリスが母性に溢れたタイプだと、話が成立しませんから。
もちろん、フェイ(松谷彼哉)も。
まぁ、フェイは原作を普通に読めば“母性があるわきゃない”系になるんですけど、アリスは一見母性に溢れたキャラに見えてしまうのが難しいところですよね。
“先生”として慕われる=母性がある、と誤解されやすいポジションですし。
服部さんは、そんなアリスを「少女のように」演じていらしたと思います。可愛らしく、チャーリー以上に純粋で、その純粋さが魅力的な“少女”。
アリス、という名前から連想されるキャラクター、そのものでした。
お見事。
助演陣もみな見事だったなあ〜。
久しぶりに「普通の」ストレートプレイを観て、とても楽しかったです。
短い公演でしたが、また近々再演してほしい!
(来年は旅公演があるらしいです。……旅かぁ〜)
ああ、それにしても。
来年再演の噂があったのに、どうやらポシャった(涙)らしい
荻田浩一演出のミュージカル版「アルジャーノンに花束を」、
……再演切望っ!!!(←シメはそれですか)
なんでしたら署名協力でもなんでもしますので、もしかして運動している方がいらっしゃいましたら、ぜひお声をかけてくださいましm(_ _)m。
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…いや、実際に観劇してからはだいぶたってしまいましたが(汗)。
えーっと。
私は学生時代(……何年前だよっ!?)からの劇団昴ファンでして。当時本拠地だった三百人劇場にはずいぶん通いました。後援会(?)にも入って、シェイクスピアをはじめ、良質のお芝居たくさん見せていただいたものです。
その中でも、「クリスマス・キャロル」と「アルジャーノンに花束を」は、当時から『劇団の誇る名作』として、毎年のように再演されていました。ホント、何回も観ましたねぇ、私も(^ ^;ゞ
その後、私はミュージカルに嵌り、さらにタカラヅカに嵌ってストレートプレイを観に行く機会が減ってしまい(・・)…
三百人劇場のある千石へ行く用事もなくなってからは、だいぶ疎遠になってしまったのですが。
…それでも年に一回くらいは観ていたかな?
中でも「アルジャーノン…」は、もともと原作に惚れ込んでいたし、舞台も誠実なつくりで大好きだったんですよね♪
昨年末に三百人劇場が閉鎖される前から「昴」も全然観ていなかったのですが、たまたまチラシをもらったので、久しぶりに観に行ってみました。
「現代演劇協会」を離れて独立法人になったということで、雰囲気とかも変わっちゃったかな?と思ってたんですが、案外役者も残っていたし(*^ ^*)、ハコが違うにもかかわらず舞台の雰囲気も変わってませんでしたね♪
スタッフさんもそのまま残っているのかなあ…。とにかく、「昴」は「昴」のままだったことが一番嬉しかったです。
しばらくご無沙汰してしまっていたけど、やっぱり好きなんだなあ…。
(なーんて偉そうに書いていますが、三輪えり花演出での「アルジャーノン…」は1回しか観ていないはずなので、細かいところは違っていても解らなかった……はずっっ ^ ^;ゞ)
よくできた脚本を、練り直しての再演。
菊地准の脚本は、あまりひねらず、原作を大切にそのまんま舞台にのせているんですよね。無駄なモノローグも少なくて。
だから、役者の技量が大きくものを言う。
菊地さん自身が演出していたときは、舞台装置もシンプルで、まさに「台詞劇」だったこの作品。
何年か前に三輪えり花さんに演出が変わってから、ぐっとアグレッシブに、ハッタリのある舞台になったよなー、と思うのですが。
この作品が「台詞劇」であるという基本は、同じ、なんですよね。
で。
平田広明さんのチャーリーは、ものすごく純粋で残酷な、子供、でした。
優しくて、世間知らずで、正義感に満ちた、子供。
平田さんの魅力は、なんといっても声だと思うんですが。
あの膨大な量の台詞をひたすら喋りっぱなしな役でも、すべてのコトバを「チャーリー」、それもいろんな段階のチャーリーとして喋りつづけることができるのはサスガ!と、あらためて思いました。
棒読みも、テクニックとしての棒読みではなく、役作りとしての棒読み。
滔々と論陣を張って、教授たちをやりこめる場面の見事さ。
そして。
「………わからないんですか?」と教授に尋くときの、心底不思議そうな声と顔。
嫌味のひとっっかけらもなく、ただただ「え?」という不信感。
…いや、むしろ、そこに浮かんでいるのは、驚愕でしたねー♪
「オトナは、あらゆる問いに対する答えをスベテ知っている」はず。
そんな子供たちの信念を、裏切ってばかりのオトナたち。
……原作ファンなので、語り出すと止まらない(汗)。すいません、このへんでやめておきます。
平田さんのチャーリーで、いや昴の「アルジャーノン…」で一番好きなのは、チャーリーが最後まで人を愛していたことです。
解釈次第で、チャーリーがオトナ社会に絶望して“元に戻る”ことを望んだ、というように見せることも可能だと思うのですが。
平田さんのチャーリーは、最後のギリギリのところで包容力を見せてくれるのが、大好きです。
最後にアリスを救い、自分自身をも掬い上げて、
……その上で元の世界へ帰っていくチャーリーだからこそ。
だから、パン屋へ戻った時の笑顔が、心に沁みるのです。
アリス・キニアンの服部幸子さんは、相変わらずお見事でした。
落ち着いた、しっとりとした優しい女性。男の子が「憧れる」キャラクターにぴったりの雰囲気。
なのに、母性はないんだな………。
チャーリーが求めるものは、常に母親。
なのに、この作品には母親がいない。
チャーリーの母親本人を含めて、女性登場人物の誰一人として母性をもっていない。母親として、チャーリー自身を無条件に愛してくれる存在が、無い。
だから。
母性の欠如、というのは、アリス・キニアンという役に不可欠な条件です。アリスが母性に溢れたタイプだと、話が成立しませんから。
もちろん、フェイ(松谷彼哉)も。
まぁ、フェイは原作を普通に読めば“母性があるわきゃない”系になるんですけど、アリスは一見母性に溢れたキャラに見えてしまうのが難しいところですよね。
“先生”として慕われる=母性がある、と誤解されやすいポジションですし。
服部さんは、そんなアリスを「少女のように」演じていらしたと思います。可愛らしく、チャーリー以上に純粋で、その純粋さが魅力的な“少女”。
アリス、という名前から連想されるキャラクター、そのものでした。
お見事。
助演陣もみな見事だったなあ〜。
久しぶりに「普通の」ストレートプレイを観て、とても楽しかったです。
短い公演でしたが、また近々再演してほしい!
(来年は旅公演があるらしいです。……旅かぁ〜)
ああ、それにしても。
来年再演の噂があったのに、どうやらポシャった(涙)らしい
荻田浩一演出のミュージカル版「アルジャーノンに花束を」、
……再演切望っ!!!(←シメはそれですか)
なんでしたら署名協力でもなんでもしますので、もしかして運動している方がいらっしゃいましたら、ぜひお声をかけてくださいましm(_ _)m。
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