DIAMOND☆DOGSと荻田浩一
2007年11月27日 ミュージカル・舞台 コメント (1)DIAMOND☆DOGS「TANGO 2007 RHAPSODY in AUTUMN」の、つづき。
今日は、本当は花組新人公演を観てきたのですが♪♪、
ちょっと言葉にまとまるのに時間がかかりそうなので、またいずれ…。
あ、でも、今のうちに一言だけ。
すみ花、由舞、きらり…百花繚乱の“花組の娘役さんたち”を観ながら。花娘さんの可愛いらしさ、というのは、それ自体が個性なんだなあ、と思いました。
月娘たちの「個性的な気っ風の良さ」とは少し違う、嫋かなのに芯の強い存在の在り方というのが美しいなあ、と。
上級生になると個人個人の個性が強くなってくるんですけど、新公学年くらいだと、組による違い、というのが大きいんでしょうかねぇ。
…贔屓組だと“個人”を観てしまうので「全体像」に気づきにくいのですが、たま〜に観る組だと全体しか見ないので、つい傾向値で論じたくなってしまいますね〜。
お気に障ったようでしたらすみませんm(_ _)m。
で、本題。『DIAMOND☆DOGS』つづき。
子供たちが総出で盛り上げたところに、メンバー登場。
ああ、かっこいいなあ〜!
マジでかっこいい(*^ ^*)
去年の「TANGO 2006 FASHION in SUMMER」の時。
今だから正直に言いますけど、
……あれってタンゴ?いや、確かに物凄く格好良かったけどさ…?
というのが、初見での感想でございました(汗)。
元々、「エリザベート」で“東山くんのダンス凄いなー”、と思って、大好きで、『DIAMOND☆DOGS』も一度は観に行きたいと思いつつ、果たせないままに数年が過ぎていたのです。
だから、樹里ちゃんと共演するって聞いた時は滅茶苦茶嬉しくて、楽しみで楽しみで仕方なくって、一人で盛り上がっていたんですけど。
…だけど。
私の「タンゴ」に対する先入観というのもあったのかな、と。
「タンゴ」といえば、男と女がホールドして腰をぴったり合わせ、互いに脚を絡ませつつ踊るもの、という、勝手なイメージが染みついていて…
あと、会場もあまり良くなかったんですよ、確か。割とフラットな劇場で、私の前にかなり大柄な男性が座っていたので舞台の上手半分まるっと見えなかったりとか(涙)。
それに比べれば。
今回は、私の方も意識改革して観劇に臨んだ(←大袈裟)ので、しっかり“『DIAMOND☆DOGS』のタンゴの世界”にハマることができました♪♪
本当に、カッコヨかったですぅ〜!(*^ ^*)。
まだまだ勉強不足で、曲名を聞いても音楽が浮かばない(涙)。
なので、場面をひとつひとつあげていくことができないのですが…。
どの場面も、ひとつひとつ、1曲または連続した2曲の間に、一篇の詩があって、
言葉によって説明されることのない、肉体によって語られる物語が、ある。
一篇一篇、イメージでもいいから簡単に解説したプログラムがあれば、内容も思い出せるだろうけど…。
観ている時は、一つ一つの物語に酔っていられたのに、ひとつの物語が終わるごとに涙が出そうになっていたのに。
公演が終わると、言葉による表現ではないので、どうにも思い出しにくい…。
「文字」あるいは「言葉」の発明、というものが、「人間」を形成するにあたってどれほど重要なものであったのか、こういう時にしみじみと気づいたりします。
…いみじくも、荻田さんの創る世界は本能で感じるモノなんだなー、と、深〜く納得してみたりして……(溜息)。
えーっと。
2幕のラスト前の場面。
「千の風になって」〜「SWALLOWS」〜〜そして、フィナーレの「リベルタンゴ」に続く流れ。
あれこそ、まさに
…荻田浩一ここにあり!という構成でした。
あのラストの流れって、『DIAMOND☆DOGS』の元々のファンの方には、どう受け止められているのでしょうか…?
私は、いつもどおり(苦笑)、荻田さんにしてやられて泣いていたんですけど(^ ^;ゞ
『DIAMOND☆DOGS』に限らず、肉体を武器にしたパフォーマンスには、根っこのところに“祈り”があるのが普通だから。
別に荻田さんでなくても、そういう要素は必ず入っていたんだろうと思うんですよ、今までも。
悲しい程に切ない想い、
子供の形をした、純粋なナニカ。
ただ、その純粋すぎて透明すぎて、目に見えない“コドモ”の部分を、
あそこまで前面に出したことは今までに無かったんじゃないのかな、と。
…彼らのパフォーマンスを全部観ているわけでもないのに、偉そうにすみません。でも、私はそんなふうに思いました…。
諍いの果てに喪った命と、それを見守る天使たち。
降りしきる恵みの雨のように、そっと手向けられる白い花。
こどもたちは「祈り」を形にして、墓標に捧げる。
自分の持つ、いちばん純粋で、いちばんあかるくて、いちばんやさしいもの、
いちばん大切で、捨てることのできないモノを惜しげもなく捧げて、
天使たちは飛び去っていく。
……つばめのように、軽やかに。
荻田作品の基本設定は、「過去」です。
あるいは「時間軸」と言ってもいいかもしれませんが。
「現在」に生きていながら「過去」しか見ていない、
「現在」を生きていない主人公、という設定の物語がとても多い。
「過去」を、あるいは自分自身の“幻想”の時間を生きている、主人公。
天使たちは飛び去り、
一人の男が残される。
「自分自身」の中に閉じこもり、
自分が生きてきた「過去」を追い続けるだけ、の人生の中でも、
ちょっと立ち止まって振り向いたならば、飛び去らんとする天使たちの微笑みが見えた筈なのに…
荻田さん、というクリエーターの創る世界の基本設定に、ひさしぶりに“ピタッ”と嵌るパフォーマーが見つかったみたいで、荻田ファン的には、とても幸せな公演でした。
「マラケシュ」で、樹里ちゃんにレオンを振った荻田さん。
お笑いと荻田ワールドの間を一瞬にして往き来できるメンバーの中で、一瞬たりともおいていかれることなく、むしろ(あらぬ方向へ)引っ張っていくチカラのある樹里ちゃん。
爆笑トークから「パッションインブルー」への流れに、心が震えたのは私だけじゃないはずだ…(←私だけなのかな?)。
…・…・… ☆ …・…・… ☆ …・…・…
全編を締めるアストロリコの名演奏。
これを2時間みっちり聴ける、というだけで満足できるくらいなのに、
さらに、若い(←若干名除く)ダンサーたちの輝かしいダンスナンバーがあり、
歌手の歌があり……
おいしさ3粒分!って感じの2時間でした。
楽しかったー!もっと長期間やってくれればいいのになーーーーーっ。
オマケ。
せっかくイケメンが揃っているのに、男どおしでホールドして踊るナンバーが無かったのは何故(T T)と思ってしまうのは、私が腐女子だからでしょうか?>荻田さん
今回、1幕で少しだけドレス姿の樹里ちゃんが東山くんとホールドして踊る場面もあったのですが、
……腰が離れすぎてんじゃなーいっ?もっとくっつこうよ、脚は絡めようよ、タンゴなんだからさぁっ!!……なーんて、
心の中で叫んでいたことは内緒です((((^ ^;
.
今日は、本当は花組新人公演を観てきたのですが♪♪、
ちょっと言葉にまとまるのに時間がかかりそうなので、またいずれ…。
あ、でも、今のうちに一言だけ。
すみ花、由舞、きらり…百花繚乱の“花組の娘役さんたち”を観ながら。花娘さんの可愛いらしさ、というのは、それ自体が個性なんだなあ、と思いました。
月娘たちの「個性的な気っ風の良さ」とは少し違う、嫋かなのに芯の強い存在の在り方というのが美しいなあ、と。
上級生になると個人個人の個性が強くなってくるんですけど、新公学年くらいだと、組による違い、というのが大きいんでしょうかねぇ。
…贔屓組だと“個人”を観てしまうので「全体像」に気づきにくいのですが、たま〜に観る組だと全体しか見ないので、つい傾向値で論じたくなってしまいますね〜。
お気に障ったようでしたらすみませんm(_ _)m。
で、本題。『DIAMOND☆DOGS』つづき。
子供たちが総出で盛り上げたところに、メンバー登場。
ああ、かっこいいなあ〜!
マジでかっこいい(*^ ^*)
去年の「TANGO 2006 FASHION in SUMMER」の時。
今だから正直に言いますけど、
……あれってタンゴ?いや、確かに物凄く格好良かったけどさ…?
というのが、初見での感想でございました(汗)。
元々、「エリザベート」で“東山くんのダンス凄いなー”、と思って、大好きで、『DIAMOND☆DOGS』も一度は観に行きたいと思いつつ、果たせないままに数年が過ぎていたのです。
だから、樹里ちゃんと共演するって聞いた時は滅茶苦茶嬉しくて、楽しみで楽しみで仕方なくって、一人で盛り上がっていたんですけど。
…だけど。
私の「タンゴ」に対する先入観というのもあったのかな、と。
「タンゴ」といえば、男と女がホールドして腰をぴったり合わせ、互いに脚を絡ませつつ踊るもの、という、勝手なイメージが染みついていて…
あと、会場もあまり良くなかったんですよ、確か。割とフラットな劇場で、私の前にかなり大柄な男性が座っていたので舞台の上手半分まるっと見えなかったりとか(涙)。
それに比べれば。
今回は、私の方も意識改革して観劇に臨んだ(←大袈裟)ので、しっかり“『DIAMOND☆DOGS』のタンゴの世界”にハマることができました♪♪
本当に、カッコヨかったですぅ〜!(*^ ^*)。
まだまだ勉強不足で、曲名を聞いても音楽が浮かばない(涙)。
なので、場面をひとつひとつあげていくことができないのですが…。
どの場面も、ひとつひとつ、1曲または連続した2曲の間に、一篇の詩があって、
言葉によって説明されることのない、肉体によって語られる物語が、ある。
一篇一篇、イメージでもいいから簡単に解説したプログラムがあれば、内容も思い出せるだろうけど…。
観ている時は、一つ一つの物語に酔っていられたのに、ひとつの物語が終わるごとに涙が出そうになっていたのに。
公演が終わると、言葉による表現ではないので、どうにも思い出しにくい…。
「文字」あるいは「言葉」の発明、というものが、「人間」を形成するにあたってどれほど重要なものであったのか、こういう時にしみじみと気づいたりします。
…いみじくも、荻田さんの創る世界は本能で感じるモノなんだなー、と、深〜く納得してみたりして……(溜息)。
えーっと。
2幕のラスト前の場面。
「千の風になって」〜「SWALLOWS」〜〜そして、フィナーレの「リベルタンゴ」に続く流れ。
あれこそ、まさに
…荻田浩一ここにあり!という構成でした。
あのラストの流れって、『DIAMOND☆DOGS』の元々のファンの方には、どう受け止められているのでしょうか…?
私は、いつもどおり(苦笑)、荻田さんにしてやられて泣いていたんですけど(^ ^;ゞ
『DIAMOND☆DOGS』に限らず、肉体を武器にしたパフォーマンスには、根っこのところに“祈り”があるのが普通だから。
別に荻田さんでなくても、そういう要素は必ず入っていたんだろうと思うんですよ、今までも。
悲しい程に切ない想い、
子供の形をした、純粋なナニカ。
ただ、その純粋すぎて透明すぎて、目に見えない“コドモ”の部分を、
あそこまで前面に出したことは今までに無かったんじゃないのかな、と。
…彼らのパフォーマンスを全部観ているわけでもないのに、偉そうにすみません。でも、私はそんなふうに思いました…。
諍いの果てに喪った命と、それを見守る天使たち。
降りしきる恵みの雨のように、そっと手向けられる白い花。
こどもたちは「祈り」を形にして、墓標に捧げる。
自分の持つ、いちばん純粋で、いちばんあかるくて、いちばんやさしいもの、
いちばん大切で、捨てることのできないモノを惜しげもなく捧げて、
天使たちは飛び去っていく。
……つばめのように、軽やかに。
荻田作品の基本設定は、「過去」です。
あるいは「時間軸」と言ってもいいかもしれませんが。
「現在」に生きていながら「過去」しか見ていない、
「現在」を生きていない主人公、という設定の物語がとても多い。
「過去」を、あるいは自分自身の“幻想”の時間を生きている、主人公。
天使たちは飛び去り、
一人の男が残される。
「自分自身」の中に閉じこもり、
自分が生きてきた「過去」を追い続けるだけ、の人生の中でも、
ちょっと立ち止まって振り向いたならば、飛び去らんとする天使たちの微笑みが見えた筈なのに…
荻田さん、というクリエーターの創る世界の基本設定に、ひさしぶりに“ピタッ”と嵌るパフォーマーが見つかったみたいで、荻田ファン的には、とても幸せな公演でした。
「マラケシュ」で、樹里ちゃんにレオンを振った荻田さん。
お笑いと荻田ワールドの間を一瞬にして往き来できるメンバーの中で、一瞬たりともおいていかれることなく、むしろ(あらぬ方向へ)引っ張っていくチカラのある樹里ちゃん。
爆笑トークから「パッションインブルー」への流れに、心が震えたのは私だけじゃないはずだ…(←私だけなのかな?)。
…・…・… ☆ …・…・… ☆ …・…・…
全編を締めるアストロリコの名演奏。
これを2時間みっちり聴ける、というだけで満足できるくらいなのに、
さらに、若い(←若干名除く)ダンサーたちの輝かしいダンスナンバーがあり、
歌手の歌があり……
おいしさ3粒分!って感じの2時間でした。
楽しかったー!もっと長期間やってくれればいいのになーーーーーっ。
オマケ。
せっかくイケメンが揃っているのに、男どおしでホールドして踊るナンバーが無かったのは何故(T T)と思ってしまうのは、私が腐女子だからでしょうか?>荻田さん
今回、1幕で少しだけドレス姿の樹里ちゃんが東山くんとホールドして踊る場面もあったのですが、
……腰が離れすぎてんじゃなーいっ?もっとくっつこうよ、脚は絡めようよ、タンゴなんだからさぁっ!!……なーんて、
心の中で叫んでいたことは内緒です((((^ ^;
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コメント
すごく良かったのねということだけは、判りました(涙)
オマケに関しても、同意させてください。
昨日新公観てきましたよ、ふふふ
色々思うところありました。
ここで感想書かないほうがいいかなと思うので
ねこさまの感想を待ちます。