うすむらさきのひとりごと。
2007年11月9日 宝塚全体・OG コメント (2)日本青年館の、「Lavender Monologue」。
千秋楽おめでとうございますm(_ _)m♪
昨日は雪組子さんたちの感想だけで長〜〜くなってしまったので、轟さんについては別稿で、と書いたのですが。
うーん、うーん、文字にするのって難しいなぁ………、と、唸りつつ…。
轟悠さん。
私が初めて轟さんの舞台を観たのは、「春櫻賦」です、多分。
月組から組替えした汐風幸さん目当てで観に行って、ケロさんに落ちた思い出の公演ですが(笑)。
あの時の轟さんの印象は「端正な美形で、格好いい。歌も上手!でも、芝居歌は今ひとつかも…」といった感じでした。
あれから、10年。
轟さんに対する印象がまったく変わっていないことに、今更ながら驚いています。
不器用な人、なんでしょうね、きっと。
そして。不器用なりに「轟スタイル」を築き上げてしまった…それがある意味、一番の不幸だったのかもしれないな、と。
その確固とした「スタイル」がなければ、もう少しいろいろな役に挑戦できるんじゃないかと思うのに、轟さんご本人がその「スタイル」に固執しているのか、演出家が彼女のイメージを固定してしまっているのか、自由な発展を阻害しているような気がする。
…もったいないなあ、と思うのです。
良い役者だと思うのに、なんか使いこなせてないんじゃないかな、と。
去年。
月組は、かなり長期間にわたって轟さんとご一緒させていただきました。
「ジュリアス・シーザー」のシーザー役という、今の轟さんの状況を考えれば一番ぴったりの作品をあててもらって…ま、木村さんの脚本がオモシロすぎて、楽しい作品になってしまったことは不問にするとして、ね(笑)。
「レ・ビジュー・ブリアン」は、ちょっと昭和テイストっぽいゆるやかテンポのショーで、最初に観た時は「レビュー・オブ・ドリームズ」とのテンポの違いに呆然としてしまいましたけど(汗)、東京に来るころには見慣れて、大好きなショーの一つになっていました。
ただ、ね。
「オクラホマ!」は……ちょっと問題だったな、と。
若くて無鉄砲で口ベタな若者、カーリー………
なんでこんな役を轟さんにやらせるんだよっっっ!!!!
あれは明らかに、ジャッドを轟さんにふるべき作品でした。
そして、ジャッドをやっていれば、轟さん自身も、何年ぶりかで新境地を開けたんじゃないかと思うのです。
トップ時代、それも、もう10年も前の“トップなりたて”時代にやっていたら、もしかしたら「ぴったり!」と高評価だったかもしれないカーリー。(グンちゃんのローリーも似合いそうだ♪)
それをなぜ、2006年のあの時期に、研21(!)にもなってやらなくてはならなかったのか。
正直、気の毒で観ていられませんでした……(T T)。
役者には「時分の華」というものがある、と思うのに。
そして。
轟さんには、轟さんにしか出来ない役がある、ハズ。
たとえば、本来の戯曲的には主役だけれども、宝塚的主役ではない存在。
「暁のローマ」のシーザーもそうだし、たとえば「レ・ミゼラブル」のバルジャンとか、「ばらの騎士」の元帥夫人とか。
多くは「宝塚的主役」よりも人生経験豊富な「先輩」であり、若い人を見守り、導く、そんな存在。
「理事」として宝塚歌劇団の発展を望む立場で舞台に立つ以上、そういった意識が必要です。
座付き演出家たちの意識が変わらなくても、彼女自身にそういう意識があれば色々意見も言えるはず。
なので。
今回、轟さんの「単独コンサート」ということで、轟さんがこれから目指す方向性、あるいは、もしかしたら「宝塚」が目指す方向がはっきりと出た公演になるんじゃないか、と、そんな淡い期待を抱いて客席に座りました。
でも、
…わからなかった…(; ;)。
轟さんの向かう方向が見えない。
目指している風景が、見えてこない。
もしかして、ご自身の内面しか見ていないのでは?
そんな、求道者的な、いや、いっそ自閉的な雰囲気さえ感じてしまって。
そういうコンセプトだったのかもしれません。
最初からそういうつもりで作られたモノだったのかも。
でも。
私は、残念だった。とっても。
だって。
タカラヅカの“現役スター”は、
枯れちゃいけないんだから!。
いかなる時も常に、「ここでないどこか」を目指していてほしい。
手に入ったものに満足して、漫然と過ごしてほしくないんです。
そして。
「ただ自閉的に芸を磨く」という行動も、この「漫然と過ごす」の中にいれてしまいたい。
タカラヅカにおいて、それは同じくくりだと思うから。
観客を惹き付けるために芸を磨くのが、タカラヅカではないんですか?
「スター」になるために全てを捧げる、その潔さが必要なんです。
その気持ちを喪ったのなら、それはもう「宝塚のスター」じゃありません。
常に芸を磨き続けて、自分自身とのみ闘い続ける、それは、出てくれるだけで安心できる、専科のお姉さまの一人です。
スーツの着こなし。
ステッキの扱い。
轟さんは確かに慣れていらっしゃる。動きも流麗。脚は上がらなくても、「男役」の動きは完璧です。
でも、それが同じ舞台に立っている下級生に伝わらないのは何故ですか?
下級生たちがサボっているから?やる気がないから?能力がないから?
そんなこと言わせません。下級生のレベルを引き上げるのは、主演者の責任です。主演者が「観客に良いモノを見せて惹き付けよう!」と思うなら、絶対に下級生のレベルをあげずにはいられないはず。
そういうキモチがないのなら、ただ「自分自身の芸」にしか興味がないのなら、それはもう、タカラヅカで主演をはる意味がないと思う。
こんなところで下級生と単独コンサートなんてしていないで、素直に最下で専科エンカレッジコンサートに出て欲しかった。
……うーん。言葉にするのって、本当に難しい(汗)。
あと問題があるとしたら、選曲。
残念ながらプログラムを購入していないので、知っている曲についてしか語れないのですが、
まず、最初にひっかかったのが「アムステルダム」。
前後の曲とのつながりからいって、特にストーリー上必要な曲ということもないのですが、元々大好きな曲なので、前奏が流れた時には歓声をあげそうになりました…(汗)
でも。
この曲はね。もっと、声そのものに艶があって華のあるタイプの歌い手に歌って欲しい曲なんですよね…。
というか、これはホンモノの「男」の歌なので。男役として鍛え上げられた轟さんの喉でも、絶対に出ない声、朗々と響く豊かな男声でないと、あまりカッコヨクないんです。
…というハンデはわかっているのですが。
それにしても、ドラマが弱かったなあ(涙)。
シャンソンは、ましてジャック・ブレルは、一曲一曲が一つのお芝居です。
そのお芝居を、衣装も装置も何もない空っぽの舞台で上演するだけの表現力が、今の轟さんには無かった、…それだけのことなのですが。
そこまでの表現力が無くても、歌が完璧なら十分満足できる名曲なのですが、それは男じゃないと無理だしね。
轟さんがこれを歌いたい、と言ったのか、酒井さんが「この曲を歌える轟になってほしい」という期待を込めて選曲したのか、それは判りませんが。
どうしてこの曲だったんだろう?と思ってしまいました。
そして、「Mr. Bojangles」。
まぁ、この曲に関しては、つい先日観たばかりの「TAP GUY」の印象が強すぎて、比べちゃってごめんなさい、って感じなんですけど。
この曲は、いろんなショーで何度も観ていて、歌手が一人と、一人または複数のダンサーで構成される場面になっていることが多いんですが。
その表現は、大きく二つにわかれます。
「歌手=老いたダンサー」で、若いダンサーが溌剌と踊るのを切なく見凝めているバージョンと、
「歌手=観客」で、一人のダンサーの若い頃→老いていくまでを走馬燈のように見せるバージョン。
今回のコンサートでの表現手法は、どちらかと言えば前者だったと思うのですが。
……だったら、歌手はもっともっと、切なく枯れた声で歌っていただきたかった……。
他の曲は、特にイメージを持っていなかったので、轟さん、さすがにあんな声良く出るな〜!!、という感じでした。
あと、リズム感の無いタイプだとばかり思っていたので(ごめんなさい)、「Step’in Out」が、思ったよりかっこよくてステキで、びっくりしました(←さらにごめんなさい!)。
でも。
どうにもこうにも“惹き付けるもの”を感じられなかったのは、曲によって声が変わらなかったから、だと思います。
轟さんの声は素晴らしい。
男役として、完璧。
……それは確かに、そうかもしれません。
でも、轟さんの声は、たった一種類しかない。
それでは、たった一つの役、「轟悠」を演じることしかできません。
2時間のコンサート。
「男役」の究極、とか、完璧、とか、
そんなことを追求する男役って、つまらないんだな、と思いました。
何かを表現するために、「男役」になるんだもの。
「男役」をやるために「男役」になるのは、当たり前すぎる。
発展途上だから、タカラヅカ。
ココデナイドコカを目指しているから、面白いんだし、
目指すモノが一人一人違うから、大好きなんだ、と、
そんなことに気づかせてくれた(今更?)「うすむらさきの独白」、私は十分に楽しませていただきました。
こればっかりは、轟さんというオンリーワンの立場の方がいらっしゃらなければ実現しなかった公演なので。
いつか、轟さんも「変わって」くれることを期待しつつ、
ありがとうございました、と、心から。
バウ公演も観たかったなー。CSさん、放映よろしくお願いしまーす!!
.
千秋楽おめでとうございますm(_ _)m♪
昨日は雪組子さんたちの感想だけで長〜〜くなってしまったので、轟さんについては別稿で、と書いたのですが。
うーん、うーん、文字にするのって難しいなぁ………、と、唸りつつ…。
轟悠さん。
私が初めて轟さんの舞台を観たのは、「春櫻賦」です、多分。
月組から組替えした汐風幸さん目当てで観に行って、ケロさんに落ちた思い出の公演ですが(笑)。
あの時の轟さんの印象は「端正な美形で、格好いい。歌も上手!でも、芝居歌は今ひとつかも…」といった感じでした。
あれから、10年。
轟さんに対する印象がまったく変わっていないことに、今更ながら驚いています。
不器用な人、なんでしょうね、きっと。
そして。不器用なりに「轟スタイル」を築き上げてしまった…それがある意味、一番の不幸だったのかもしれないな、と。
その確固とした「スタイル」がなければ、もう少しいろいろな役に挑戦できるんじゃないかと思うのに、轟さんご本人がその「スタイル」に固執しているのか、演出家が彼女のイメージを固定してしまっているのか、自由な発展を阻害しているような気がする。
…もったいないなあ、と思うのです。
良い役者だと思うのに、なんか使いこなせてないんじゃないかな、と。
去年。
月組は、かなり長期間にわたって轟さんとご一緒させていただきました。
「ジュリアス・シーザー」のシーザー役という、今の轟さんの状況を考えれば一番ぴったりの作品をあててもらって…ま、木村さんの脚本がオモシロすぎて、楽しい作品になってしまったことは不問にするとして、ね(笑)。
「レ・ビジュー・ブリアン」は、ちょっと昭和テイストっぽいゆるやかテンポのショーで、最初に観た時は「レビュー・オブ・ドリームズ」とのテンポの違いに呆然としてしまいましたけど(汗)、東京に来るころには見慣れて、大好きなショーの一つになっていました。
ただ、ね。
「オクラホマ!」は……ちょっと問題だったな、と。
若くて無鉄砲で口ベタな若者、カーリー………
なんでこんな役を轟さんにやらせるんだよっっっ!!!!
あれは明らかに、ジャッドを轟さんにふるべき作品でした。
そして、ジャッドをやっていれば、轟さん自身も、何年ぶりかで新境地を開けたんじゃないかと思うのです。
トップ時代、それも、もう10年も前の“トップなりたて”時代にやっていたら、もしかしたら「ぴったり!」と高評価だったかもしれないカーリー。(グンちゃんのローリーも似合いそうだ♪)
それをなぜ、2006年のあの時期に、研21(!)にもなってやらなくてはならなかったのか。
正直、気の毒で観ていられませんでした……(T T)。
役者には「時分の華」というものがある、と思うのに。
そして。
轟さんには、轟さんにしか出来ない役がある、ハズ。
たとえば、本来の戯曲的には主役だけれども、宝塚的主役ではない存在。
「暁のローマ」のシーザーもそうだし、たとえば「レ・ミゼラブル」のバルジャンとか、「ばらの騎士」の元帥夫人とか。
多くは「宝塚的主役」よりも人生経験豊富な「先輩」であり、若い人を見守り、導く、そんな存在。
「理事」として宝塚歌劇団の発展を望む立場で舞台に立つ以上、そういった意識が必要です。
座付き演出家たちの意識が変わらなくても、彼女自身にそういう意識があれば色々意見も言えるはず。
なので。
今回、轟さんの「単独コンサート」ということで、轟さんがこれから目指す方向性、あるいは、もしかしたら「宝塚」が目指す方向がはっきりと出た公演になるんじゃないか、と、そんな淡い期待を抱いて客席に座りました。
でも、
…わからなかった…(; ;)。
轟さんの向かう方向が見えない。
目指している風景が、見えてこない。
もしかして、ご自身の内面しか見ていないのでは?
そんな、求道者的な、いや、いっそ自閉的な雰囲気さえ感じてしまって。
そういうコンセプトだったのかもしれません。
最初からそういうつもりで作られたモノだったのかも。
でも。
私は、残念だった。とっても。
だって。
タカラヅカの“現役スター”は、
枯れちゃいけないんだから!。
いかなる時も常に、「ここでないどこか」を目指していてほしい。
手に入ったものに満足して、漫然と過ごしてほしくないんです。
そして。
「ただ自閉的に芸を磨く」という行動も、この「漫然と過ごす」の中にいれてしまいたい。
タカラヅカにおいて、それは同じくくりだと思うから。
観客を惹き付けるために芸を磨くのが、タカラヅカではないんですか?
「スター」になるために全てを捧げる、その潔さが必要なんです。
その気持ちを喪ったのなら、それはもう「宝塚のスター」じゃありません。
常に芸を磨き続けて、自分自身とのみ闘い続ける、それは、出てくれるだけで安心できる、専科のお姉さまの一人です。
スーツの着こなし。
ステッキの扱い。
轟さんは確かに慣れていらっしゃる。動きも流麗。脚は上がらなくても、「男役」の動きは完璧です。
でも、それが同じ舞台に立っている下級生に伝わらないのは何故ですか?
下級生たちがサボっているから?やる気がないから?能力がないから?
そんなこと言わせません。下級生のレベルを引き上げるのは、主演者の責任です。主演者が「観客に良いモノを見せて惹き付けよう!」と思うなら、絶対に下級生のレベルをあげずにはいられないはず。
そういうキモチがないのなら、ただ「自分自身の芸」にしか興味がないのなら、それはもう、タカラヅカで主演をはる意味がないと思う。
こんなところで下級生と単独コンサートなんてしていないで、素直に最下で専科エンカレッジコンサートに出て欲しかった。
……うーん。言葉にするのって、本当に難しい(汗)。
あと問題があるとしたら、選曲。
残念ながらプログラムを購入していないので、知っている曲についてしか語れないのですが、
まず、最初にひっかかったのが「アムステルダム」。
前後の曲とのつながりからいって、特にストーリー上必要な曲ということもないのですが、元々大好きな曲なので、前奏が流れた時には歓声をあげそうになりました…(汗)
でも。
この曲はね。もっと、声そのものに艶があって華のあるタイプの歌い手に歌って欲しい曲なんですよね…。
というか、これはホンモノの「男」の歌なので。男役として鍛え上げられた轟さんの喉でも、絶対に出ない声、朗々と響く豊かな男声でないと、あまりカッコヨクないんです。
…というハンデはわかっているのですが。
それにしても、ドラマが弱かったなあ(涙)。
シャンソンは、ましてジャック・ブレルは、一曲一曲が一つのお芝居です。
そのお芝居を、衣装も装置も何もない空っぽの舞台で上演するだけの表現力が、今の轟さんには無かった、…それだけのことなのですが。
そこまでの表現力が無くても、歌が完璧なら十分満足できる名曲なのですが、それは男じゃないと無理だしね。
轟さんがこれを歌いたい、と言ったのか、酒井さんが「この曲を歌える轟になってほしい」という期待を込めて選曲したのか、それは判りませんが。
どうしてこの曲だったんだろう?と思ってしまいました。
そして、「Mr. Bojangles」。
まぁ、この曲に関しては、つい先日観たばかりの「TAP GUY」の印象が強すぎて、比べちゃってごめんなさい、って感じなんですけど。
この曲は、いろんなショーで何度も観ていて、歌手が一人と、一人または複数のダンサーで構成される場面になっていることが多いんですが。
その表現は、大きく二つにわかれます。
「歌手=老いたダンサー」で、若いダンサーが溌剌と踊るのを切なく見凝めているバージョンと、
「歌手=観客」で、一人のダンサーの若い頃→老いていくまでを走馬燈のように見せるバージョン。
今回のコンサートでの表現手法は、どちらかと言えば前者だったと思うのですが。
……だったら、歌手はもっともっと、切なく枯れた声で歌っていただきたかった……。
他の曲は、特にイメージを持っていなかったので、轟さん、さすがにあんな声良く出るな〜!!、という感じでした。
あと、リズム感の無いタイプだとばかり思っていたので(ごめんなさい)、「Step’in Out」が、思ったよりかっこよくてステキで、びっくりしました(←さらにごめんなさい!)。
でも。
どうにもこうにも“惹き付けるもの”を感じられなかったのは、曲によって声が変わらなかったから、だと思います。
轟さんの声は素晴らしい。
男役として、完璧。
……それは確かに、そうかもしれません。
でも、轟さんの声は、たった一種類しかない。
それでは、たった一つの役、「轟悠」を演じることしかできません。
2時間のコンサート。
「男役」の究極、とか、完璧、とか、
そんなことを追求する男役って、つまらないんだな、と思いました。
何かを表現するために、「男役」になるんだもの。
「男役」をやるために「男役」になるのは、当たり前すぎる。
発展途上だから、タカラヅカ。
ココデナイドコカを目指しているから、面白いんだし、
目指すモノが一人一人違うから、大好きなんだ、と、
そんなことに気づかせてくれた(今更?)「うすむらさきの独白」、私は十分に楽しませていただきました。
こればっかりは、轟さんというオンリーワンの立場の方がいらっしゃらなければ実現しなかった公演なので。
いつか、轟さんも「変わって」くれることを期待しつつ、
ありがとうございました、と、心から。
バウ公演も観たかったなー。CSさん、放映よろしくお願いしまーす!!
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コメント
轟さんのこと、好きなのですがこのリサイタルは「つまらなかった」の一言です。
「Mr. Bojangles」なんて、ほんと直前の玉野さんの作品が素敵すぎて頭の中はすぐにそちらに飛んでしまいました・・・
他の出演者の使い方も今ひとつで、全国終わってすぐにこれのお稽古で皆、疲れただろうなぁとかそんなこと考えてしまいました。
轟さんはやはり変る必要があるんですよね、来年宙組に出た後、轟さんはどうなっていくのかなぁ?
でも退団しないで、新しい道を探して歩んで欲しいと思ってます。どんどん周りが若くなっていきますが、自分から近づくことで違う轟さんを見せてくれるといいなぁ
轟さんが「変わらなくてはいけない」のかどうか、は…私には正直、よくわかりません。ただ、変わらない人は役者をやっていて楽しいのかな?とか思ってしまうんですけどね。
>でも退団しないで、新しい道を探して歩んで欲しいと思ってます。
そうですね。ここまで来た以上は、骨をうずめる覚悟もおありなんでしょうし、がんばっていただきたいなあとは思うんですよね。
ただ、今のような活動を続けるのはどうかなあ、と。やはり後進の指導にあたってくださると思えばこその今のポジションだと思いますし。
とにかくタニちゃんより20歳も若い男の役……いや、轟さんが希望して作品や役を決めているわけではないんでしょうけど…(笑)。
ま、それについては石田さんのお手並み拝見、ってことで。