東京芸術劇場中ホールにて、「蜘蛛女のキス」を観てまいりました。

皆さんご存知とは思いますが、念のためスタッフ&キャストを。

モリーナ      石井一孝
ヴァレンティン   浦井健治
オーロラ(蜘蛛女) 朝海ひかる

モリーナの母    初風諄
所長        藤本隆宏
マルタ       朝澄けい  
ガブリエル     縄田晋

訳・演出      荻田浩一
原作        マヌエル・プイグ
脚本        テレンス・マクナリー
作曲        ジョン・カンダー
作詞        フレッド・エッブ


こうしてあらためて見ると、女優は全員宝塚OGなんですね。
荻田さんは、この作品の根底に流れる「非現実感」を、宝塚に見ているんだろうなあ、と思ったりした終演後でした。



とりあえず。
コムさんをオーロラにキャスティングした意味は、よーっくわかりました。はい。
これは確かに、ターコ(麻実れい)さんでもナツメ(大浦みずき)さんでもなく、コムさんですね。他に思いつかないくらい、コムさんのための役として演出されていました…。

もっとモダンっぽい振付をつけて小さい劇場でやるんなら、蘭香レアちゃんとかもアリかもしれませんが…歌は吹き替えで(笑)。
いやむしろ、ダンスを無しにして檀ちゃんとかとなみちゃんとか…そういう「根っからのファム・ファタル」系にしちゃった方がいいのかも。


とにかく。
荻田さんのオーロラに必要なのは、「血の通わない人形」の幻影、「記号としてのファム・ファタル」の幻想だった、と思います。



オーロラは、もともと原作には出てこない役。

モリーナの語る「映画の物語」の中で、繰り返し語られるヒロイン像。報われぬ愛に生き、愛してはならぬ男に献身を捧げ、理想主義と愛の狭間で愛に殉じる「美しき女」たち。
ミュージカル化された時に、作品世界の象徴として設定された役で、愛することで相手の命を奪う「蜘蛛女」と同一視される「オーロラ」のイメージは…

ブロードウェイ版の演出家ハロルド・プリンスにとって、「オーロラ」に必要なものは「圧倒的な存在感」でした。
初演にチタ・リヴェラをキャスティングしてトニー賞を獲った彼にとって、必要なものはおそらく「圧倒的な肉体」を含めた、舞台世界を完全に支配する「リアルな威圧感」であったのだろうと思います。


しかし。

荻田さんが求めた「オーロラ」は、
「スクリーンの紗幕の向こうの存在」でした。


劇中、ヴァレンティンとモリーナが暮らす牢獄の中を、オーロラが歩く演出が何度もあるのですが。

同じベッドに寄り添って座っても、界のはざまにいるかのような違和感がある。リアルじゃないんですよ、コムさんのオーロラは。スクリーン越しに見ている感覚があるんです。ものすごく。

ターコさんだったらこうはいかないでしょうね。勿論演出的なもの(照明とか衣装とか)もあるんでしょうけれども、ターコさんには照明とか衣装とかと関係なく、ご本人から発散される「リアルな存在感」があるし、長身・ど迫力のスタイルは、脚を出しただけで「圧倒的」なオーラを発してしまう。それは、止められません。ターコさんも、なつめさんも、「リアル」な女優なんです。


でも、コムさんは違う。

彼女にはリアル感がない。「人外」の存在、と、トップ時代によく言われていましたが。たとえばリカ(紫吹淳)さんの「人外」っぷりとは違うんですね。
リカさんの「人外」は、いつだって存在感ありまくりでした。ものすごい迫力だった。でも、コムさんの「人外」は、ただ「ヒトナラヌモノ」というだけではなく、常にその「象徴」という印象が強くて。
「植物的」と言われるのもそんなところから来ているのかな?彼女の役をすべて観ているわけではありませんが、好きだった役はどれもそういう「象徴的な」存在の役ばかりでした。

重さのない、血の通わない、人形。
重力のくびきで地上に縛り付けられることのない彼女だからこそ、「アルバトロス」という作品も作られた訳で。
「天使」とか「悪魔」とかいうのは、あくまでも人間の立場からみた名前であって、彼ら同士の間には区別はないんだろうな、とか、そんなことを思った「パッサージュ」とか。

荻田作品のコムさんは、いつだってそういう存在で。



その分、「Gimme Love」みたいなオーロラがセンターをとる場面での演出が弱いのは残念なんですけどね。
アンサンブルの人数が圧倒的に少ないせいもあって、ハロルド・プリンス版ではものすごく印象的だった1幕終わりの「Gimme Love」が、物凄く印象が薄くてびっくりしました。
こういったショーアップされた場面の印象をあえて薄めて、芝居の複雑さを見せる。これが、荻田さんのイメージした「蜘蛛女」だったんでしょう。


それはわかります。
彼のイメージはとてもよくわかる。(多分ですけど)


でも。


だったら、どうしてこの版の演出、ということにしたんでしょう?

あまりにも有名な作品です。
そして、あまりにも印象的な作品なんです。

「Gimme Love」の圧倒的な迫力、
「The Day After That」の熱情、
その熱があって、はじめて「Dear One」の切なさとか「Mama, It’s Me」の苦しさがある。
そのめりはりがあって初めて、「Anything For Him」の痛みが生きてくるんです。

荻田さんには、荻田さんの蜘蛛女がいる。
荻田さんの「蜘蛛女のキス」がある。

だったら、荻田さんの「蜘蛛女のキス」が観たかった。
聴きたかった。


多分、キャストはこれでいいんですよね?
朝海さんの幻想的なオーロラ、石井さんの不器用なモリーナ、そして、あまりにも真っ直ぐで脆い、浦井くんのヴァレンティン。

音楽もこれでいいのかもしれない。少なくとも一部は。
でも、脚本はもっと荻田さん流にしなくちゃ、彼が演出する意味がない。

作品の持つ方向性と、演出が表現しようとした方向性に、ずれがあるんです。
そのずれは、90度違うわけではないけれども、45度よりもっと少ないんだろうけれども、でも、確実に少しズレていて。

キャストがすごく良かっただけに、
まんまとラスト前の「Kiss Of the Spider Woman」で号泣してしまっただけに、

その、わずかな「ズレ」が惜しくてたまりません。



いっそのこと、映画版を新たにミュージカル化した方が、荻田さんのイメージには合ったんじゃないでしょうか?

私は映画を観ていないので何とも言えませんが…
少なくとも、あの演出だったら、マルタはコムちゃんがやった方が自然だと思いましたね。それは、映画版もそうですよね?(映画版も「オーロラ」は出てきませんが、確か、映画のヒロインとマルタを同じ女優が演じていたはず)



うーーーー、感想を文字にするのって難しいですねぇ…。

誤解が生じてしまいそうなので確認しますけど。
荻田版「蜘蛛女のキス」、良かったんですよ?泣いたし、ものすごく残るものがあった。

ハロルド・プリンス版に比べるて、一番の違いは。
ヴァレンティンが、ちゃんとモリーナを愛していたこと、かな。

特に、別れの朝のヴァレンティンの芝居が、すごく良かった。
朝の挨拶の後、一度はモリーナからのキスから逃げた彼が、逡巡の末に
「もう二度と、自分を辱めるようなことをするな」
という名台詞を告げるまでの心理描写がすごく繊細で美しくて、浦井くんの演技力もすごいけど、多分こと細かに荻田さんから指示があったんだろうなあ、と…。

その台詞の後、力づけるように微笑んだヴァレンティン。吸い込まれるように唇を重ねる二人。
そして、モリーナが絞り出すように告げる。
「…伝言を、言って…?」

それは、自分自身への死刑宣告だと知りながら。

浦井くんは、「エリザベート」のルドルフ役から注目していましたが。
去年の「アルジャーノンに花束を」のチャーリーが決定打でした。私的に。声も好きですが、芝居が繊細で、しかも物凄く痛い芝居が出来る人。自分の弱いところ、汚いところをちゃんと見据えている人なんだろうと勝手に思っています。
サディストなところもマゾヒストなところも、両方供えている希有な役者。声の良さ、滑舌の良さ、存在自体の痛々しさ…荻田さんとの相性は最高ですね。ぜひ、彼のためのオリジナル作品を創ってあげてほしいなあ、と、ずっと思っています。

いや、その前に「アルジャーノンに花束を」の再演をお願いいたします!!



石井一孝。
この作品の中で、一番「まとも」な役者。彼にあえてモリーナをふった荻田さんは、さすがだなあと思います。
初演の市村さんは、マッチョな宮川浩ヴァレンティンに対比するべき、ほっそりと弱々しい、小柄な男でした。

でも今回、少年性を強く残した不良少年出身(宮川さんは、「大人の男」で、大学紛争出身の革命家って感じだった)の、あまり学もなさそうな(←頭が悪いという意味ではない)「半人前」の浦井ヴァレンティンに対するに。
石井さんの大柄な身体が、豊かな表情が、対比的に効いていたと思います。



宮川さんと市村さんの「Anything For Him」、は。
演出の違いもありますが、体格差も手伝って「絶対にこの二人は最後までヤッたよね」(←おい…)という感じでした、が。

石井さんと浦井さんは、もっと精神的なつながりを感じました。
服を着たまま、朝まで抱き合って眠っただけ…?みたいな。
…いや、そんなことはないんでしょうけれども(苦笑)。

「なんでもするわ彼のためなら」と詠う石井モリーナが、まるで母親のようで。

「なんでもするさ俺のためなら」と詠う浦井ヴァレンティンが、母親を足蹴にする家庭内暴力息子のわがままのようで。

母と息子の近親相姦の趣さえ湛える二人の歌と、それにかぶさるオーロラの歌。
痛々しく自分自身を、そして相手を痛めつけてさらに疵を増やす二人を絡みとり、縛り付ける、蜘蛛女のメロディ。



コムさん、歌はびっくりするほど良かったです。
すっごく心配していたので、ホッとしました(滝汗)。
音程はいろいろアレでしたが、とにかく声が良く出ていました。
音域もあっていたのかな?

難しい歌なので、そんなに見事に歌いこなすことは期待していなかったので。あの程度歌えていれば許容範囲ですわ♪

それにしても、独特の声が役にぴったりハマッていて驚きました。今まであまりコムさんの声って好きではなかったのですが、今回は本当に良かった!息漏れがなくなって艶がでてきたので、個性的な声が生きるようになりましたね。すごいなあ★
次の作品を楽しみにしています♪



マルタのカヨ(朝澄けい)ちゃん、予想以上に良かったです!
荻田さんはこの人の姿もだけど声も好きなんでしょうねぇ。
甘い甘い、かすれた低音。
やわらかな癖のある語尾。
彼女の声が加わるだけで、イマジネーションが拡がります。

姿は、上流階級のお嬢さんらしく、きっちりと美しく。
この姿でいったいどうやってヴァレンティンとデートしていたんだろう、という感じですが、

…でも。カヨちゃんはすっごくすっごく良かった!!んですけど、でも。
やっぱり、この演出だったらマルタはコムさんで良かったような気がします……(泣)。



ぜひ、次は浦井&朝澄コンビで、荻田さんオリジナルの新作を!
…死にたくなるほど痛い話になるヨカーン………。




うーん。またとりとめなく長くなってきたので。
とりあえず、公演が発表された時の日記へのリンクをはって、終わりにしたいと思います。
http://diarynote.jp/d/80646/20070124.html
携帯の方はこちら♪
http://80646.diarynote.jp/m/200701242344200000/



なんだか頭が整理できてないなあ(涙)。
やっぱり、プログラム買うべきだったかなも………(T T)。


コメント

nophoto
はにはに
2007年11月14日17:41

法事とか七五三とか、嫁として親戚付き合いでとうとう観ないで終わってしまいました。

キャストと演出家で絶対に見たいと思ったのですが・・・
ただ、「蜘蛛女」自体が暗い話すぎて、今ひとつ疲れているときにでも頑張ってみよう!とは思えなかったといこともあります。

ずっと映写機の音が流れていたって本当ですか?
それってオギーのオリジナル演出だと思うのですが、面白いですね(^^)
今後TVで放映しても、観ないかもしれません・・・

みつきねこ
みつきねこ
2007年11月14日21:35

あら(T T)。はにはにさまの感想楽しみにしていたのに〜。

>ずっと映写機の音が流れていたって本当ですか?
ずっと、ではなかったと思いますが、映画の話をする場面ではほぼ流れていたかも。あと、映画のイメージビジュアル(主演コムちゃん)をコラージュした画像を、舞台脇の移動壁に映写するという演出もありました。

…面白いことは面白いのですが、私は正直、あのテの演出は好きではなくて(涙)。荻田さんは結構映像とのコラボレーションがお好きですよね?月影さんのゼルダでしたっけ、あれもそうだったし、アルバトロスも重要なところで映像を使っていたし。
さすがに荻田さんの使い方は洗練されていて、小池さんみたいに「映像がメイン」みたいに使うのよりは全然マシなんですけど、でも、何かお手軽というか小手先の演出に見えてしまうんですよ、私には。

石井&浦井コンビの演技力なら、映像に頼らなくてもイメージは十分伝えられると思うのに、映像があるばっかりにそっちに気を取られてしまってもったいない…と思ってしまいました。

「凍てついた明日」の“傍観者”の扱いといい、意外と面白かったり新しかったりする演出手法に挑戦しがちで、「作品」にとっての必然性のない演出をする人だなあという印象があります。
センスがいいので、いろいろ冒険しても決定的な一線は守ってくれるのはありがたいですけどね。

>今後TVで放映しても、観ないかもしれません・・・
重たい話ですからね。私も多分、映像は観ないと思います。
やっぱり舞台は、ナマでないと!!
(でも、映画版はやっぱり一度観ておくべきかも?と思いました/ ^ ^;)