バレンシアの熱い花々【2】
2007年9月7日 宝塚(宙)宙組東宝劇場公演「バレンシアの熱い花」を観て参りました。
大劇場公演を観劇した時の日記はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070701.html
まずは、タニ(大和悠河)ちゃんのフェルナンド。
大劇場で1ヶ月半、東宝で半月。
それだけの時間をかけて、タニちゃんの芝居もものすごく変わっていました。
特に、印象的に変わったなーと思ったのは、ラストの決め台詞。
「私のイサベラも、死んだ…」
これを、タニちゃんは、自分に言い聞かせるように言うようになったんですね。
…なるほど。そういう解釈があったのか、と、目から鱗でした。
私が期待していた、というか勝手に想像していたラストは、ちょっと違うものだったのですが(私の想像には、新公の春風弥里さんの役づくりの方がフィットしていました/汗)、
『タニちゃんの』フェルナンドは、確かにここで自分にそう言い聞かせてしまうキャラかもしれません。そういう意味で、一人のキャラクターとして矛盾のない役作りにはなっていたような気がします。
最初の、レオン将軍を訪ねて来た時から、キラキラソラソラどうして…じゃない、キラキラした瞳の「美青年」。
ちょっとヤンチャで、レオン将軍にそそのかされて始めた「黒い天使」ゲームを、すごく楽しんでいる、少年。
そういう役づくりでしたよね?
そして。
イサベラとの恋は、遊びの恋だった。
そのはず、だった。
…タニちゃんのフェルナンドは、自分がイサベラに本気であったことに気づくのは、ラストですよね?
台詞の上では、マルガリータのことを打ち明ける時に「でも、君を本気で愛している」と言いますが…、タニフェルナンドもそのつもりなのかもしれませんが、本当の本気とはちょっと違う。
で。
ラスト、イサベラに別れを告げられた時。
“あれ?なんで俺、こんなに落ち込んでるんだ…?”
っていう顔をしているんですよね、タニちゃん(T T)。
ああ、こういう解釈があったのか…、と。本当に驚いたのです。
なんだか、驚愕のうちに幕が降りた、というかんじで。
「酸いも甘いも知り尽くした大人の恋の物語」が、
…キラキラしたソラの国の王子さまと、リアルに“生活”をしている“夢見がちな”女の、夢の恋物語になっている。
正直なところ。
「若さ」「純粋さ」を最大の魅力としているタニちゃんに、どうして劇団はこんな複雑微妙な大人の役をふったんだろう?という疑問は、どうしても消すことができません。
ドラマシティ公演「A/L」を観た時に抱いた疑問…「本公演のお披露目前に、ココまで宛書の作品をやってしまって、次からいったい何をするんだろう?」が、現実になってしまったような気がして………(涙)。
大劇場で観た時は、まだ始まったばかりで周りも手探りだったこともあって「ま、これからに期待♪」と思っていたのですが。
今回東宝で観て。
…ああ、やっぱりな、と。
あのフェルナンドと、マルガリータの未来が、私には全く想像できないんです。
「私のイサベラも、死んだ」この台詞と共に幕は降り、物語世界は消滅する。
崩壊するんじゃないんです。消滅するんです。
元々そこには、何も無かったかのように。
新公フェルナンドとマルガリータの、おままごとのような、けれども穏やかで暖かな日々は、なんとなく想像が出来たのですが。
物語世界は幕を閉じるだけで、崩壊も消滅もしなかったんですよ、新公では。
でも。
よーく考えてみると、そういう解釈もありなんだな、と思うのです。幕が降りた後のことなど、想像する必要はないのですから。
タニちゃんの個性は、「リアル」を完全に飛び越えたところにあるんですね、今は。
月組時代は、「長い春の果てに」のブリスとか、結構「リアル」な役も多かったし、それが魅力だったと思うのですが…
「今のタニちゃん」は、あんなにキラキラソラソラしているのね!!凄い!!あの輝きで組から浮き上がってしまうのではなく、「宙組」という新しい若い組をさらに輝かせることができれば。
今はまだ、地平線の向こうは見えないけれども、
…次の作品も、とっても楽しみです。
ウメちゃんのイサベラは、大劇場でもとっても良かったのですが、今回はまた、大劇場で足りなかった『大人の』色っぽさがあって、脆さのない、しなやかな強さを得て、さらにさらに、とても良くなっていました。
別れを告げたあと、立ち去りながらフェルナンドの心を表現する音楽に翻弄されるイサベラの、哀しい美しさ。
花道の壁にすがりついて、意地でも振り返るまい、振り返ったらまた駆け寄ってしまう、それは地獄へ堕ちるのと同じこと、と自分に言い聞かせて、でも身体は振り向いてしまう、止められない、留められない………どうすればいいの、どうすれば!?
…万感の思いをこめて一瞬だけ背後に視線を投げて、握っていたショールを抱きしめてまた向き直る。その…長い一瞬。
観ているこっちが胸を締め付けられて苦しくて、切なくて…
本気で泣けました。
台詞なんて一言もないのに、あれだけの表現をしてのける…ダンサー・ウメちゃんの身体表現力というのは凄いなあ、と。
歌さえ………、とは思いますが、でも、イサベラの歌は私はOKでした(^ ^;。ショーは……(無言/怒)って感じでしたけどねっ(苦笑)。
(蘭寿)トムくんのロドリーゴ。
…さすがは“男役の”と枕詞のつく花組で育っただけのことはあるな、と。
衣装の着こなしも、立ち居振舞いも、見事に「貴族」そのもので。
そういえば私、蘭トムくんの「身分の高い」「傲岸な」などの形容詞がつくような役を観るの、初めてかもしれないなー。どちらかというとわんころ系の役しか観てないような…
あ、慶喜があったか!あれもまさに、「身分の高い」「傲岸な」でも「真摯な」キャラクターだったな。そして、私は蘭トムの慶喜がとってもとってもダイスキだったのでした。
大劇場で観た時は、あまりにもラモンが嵌り役で、この人にロドリーゴをやらせるなんてなんて不憫な……と思ったりしたものですが。
なんのこたーない、ロドリーゴも負けず劣らず素敵でした(*^ ^*)♪
そして、前回観た時の「ロドリーゴが2番手の方が、芝居として良いような気がする」という感想が、裏付けられたなー、と。
フェルナンドとロドリーゴは、同格じゃないとやっぱり話が合わないんですよ!フェルナンドとロドリーゴが物語の2本柱で、同格で存在して、そこに物語を掻き回す役としてラモンが絡む。
別に、ロドリーゴが蘭トムになったからと言って台詞が増えたり出番が増えたりしたわけじゃないですし、蘭トムとみっちゃんでそんなに実力的に差があるわけではないのですが、
フェルナンドとロドリーゴが並んだ時、タニちゃんと蘭トムだと「同格」に見えるのに、タニちゃんとみっちゃんだと「弟分」に見えてしまうのは…
…こちらが学年差やら月組時代の関係を知っていて、先入観をもって観ている、のかもしれませんね………。ごめんね、みっちゃん。
という訳で、ラモンはみっちゃん(北翔海莉)。
いやー、良かった。びっくりするほど良かったです!
ラモン役単体で、と思うと微妙ですが、フェルナンド&ロドリーゴ&ラモンという3役のバランスで考えたら、私は蘭トムロドリーゴ、みっちゃんラモンの役替りバージョンの方が好きかも、です。
…歌も多いしな、ラモンは。
いや、本当に良かったです、みっちゃん。
色気はないけど、ラモンって別に色気がなくても大丈夫な役だったんだな、と。
イサベラを想う気持が真っ直ぐで、気恥ずかしいほど本当に真っ直ぐで。ラスト、フェルナンドが「イサベラを頼む」と言った時の反応の初々しさに感動してしまった私。
フェルナンド邸の前でのイサベラとの場面も全然違ってましたね。蘭トムくんは確か、しーっかりと(片手で)イサベラを抱きしめてしまって、イサベラにかなり強く突き放されていたと思うのですが、みっちゃんは抱きしめようとしてなかなかできなくて(←クラリスに抱きつかれてジタバタしているルパン三世みたい)、「よし行くぞ!」と思った瞬間に逃げられる…まさに、腕の間をすり抜けるようにイサベラが離れていく感じ。
しかも、離れたイサベラに向かって腕を伸ばすこともせず、俯いて歩き去るイサベラを背中で送る。拳を握りしめて、
…男泣きに。
いや、本当に(←しつこい)良かったんですよ、みっちゃんラモン。化粧以外は。いや、化粧と衣装以外は、な…
…みっちゃん、何故あなたはみっちゃんなの………(泣)。
どうしてみっちゃんだけ、黒塗りの額がまだらになったり、登場した時はそこそこ白かったハズのシャツの襟が、祭の頃にはまっ茶っ茶になるなんてことが起こり得るんですか?
みっちゃんって、もしかして戸井勝海さんレベルの汗かき(←失礼な。泉見洋平くんレベルと言ってくれ)(←もっと失礼)なの?それとも、肌が弱いとか何かの事情があって、皆が使っている落ちないつかないファンデ(←そんなものあるの?)が使えないとかなの…?
少なくとも、蘭トムのラモンはあんなことにはなっていなかったと思うのですが(泣)。
ああ、どうしてあなたはみっちゃんなのっ!?
そう、襟首掴んで問いつめたい気持でいっぱいです……。
ああ、(毎度のことながら)思いもよらず長くなっちゃった(涙)。
……ルカノール公爵については、次回また(←いつだ)
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大劇場公演を観劇した時の日記はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070701.html
まずは、タニ(大和悠河)ちゃんのフェルナンド。
大劇場で1ヶ月半、東宝で半月。
それだけの時間をかけて、タニちゃんの芝居もものすごく変わっていました。
特に、印象的に変わったなーと思ったのは、ラストの決め台詞。
「私のイサベラも、死んだ…」
これを、タニちゃんは、自分に言い聞かせるように言うようになったんですね。
…なるほど。そういう解釈があったのか、と、目から鱗でした。
私が期待していた、というか勝手に想像していたラストは、ちょっと違うものだったのですが(私の想像には、新公の春風弥里さんの役づくりの方がフィットしていました/汗)、
『タニちゃんの』フェルナンドは、確かにここで自分にそう言い聞かせてしまうキャラかもしれません。そういう意味で、一人のキャラクターとして矛盾のない役作りにはなっていたような気がします。
最初の、レオン将軍を訪ねて来た時から、キラキラソラソラどうして…じゃない、キラキラした瞳の「美青年」。
ちょっとヤンチャで、レオン将軍にそそのかされて始めた「黒い天使」ゲームを、すごく楽しんでいる、少年。
そういう役づくりでしたよね?
そして。
イサベラとの恋は、遊びの恋だった。
そのはず、だった。
…タニちゃんのフェルナンドは、自分がイサベラに本気であったことに気づくのは、ラストですよね?
台詞の上では、マルガリータのことを打ち明ける時に「でも、君を本気で愛している」と言いますが…、タニフェルナンドもそのつもりなのかもしれませんが、本当の本気とはちょっと違う。
で。
ラスト、イサベラに別れを告げられた時。
“あれ?なんで俺、こんなに落ち込んでるんだ…?”
っていう顔をしているんですよね、タニちゃん(T T)。
ああ、こういう解釈があったのか…、と。本当に驚いたのです。
なんだか、驚愕のうちに幕が降りた、というかんじで。
「酸いも甘いも知り尽くした大人の恋の物語」が、
…キラキラしたソラの国の王子さまと、リアルに“生活”をしている“夢見がちな”女の、夢の恋物語になっている。
正直なところ。
「若さ」「純粋さ」を最大の魅力としているタニちゃんに、どうして劇団はこんな複雑微妙な大人の役をふったんだろう?という疑問は、どうしても消すことができません。
ドラマシティ公演「A/L」を観た時に抱いた疑問…「本公演のお披露目前に、ココまで宛書の作品をやってしまって、次からいったい何をするんだろう?」が、現実になってしまったような気がして………(涙)。
大劇場で観た時は、まだ始まったばかりで周りも手探りだったこともあって「ま、これからに期待♪」と思っていたのですが。
今回東宝で観て。
…ああ、やっぱりな、と。
あのフェルナンドと、マルガリータの未来が、私には全く想像できないんです。
「私のイサベラも、死んだ」この台詞と共に幕は降り、物語世界は消滅する。
崩壊するんじゃないんです。消滅するんです。
元々そこには、何も無かったかのように。
新公フェルナンドとマルガリータの、おままごとのような、けれども穏やかで暖かな日々は、なんとなく想像が出来たのですが。
物語世界は幕を閉じるだけで、崩壊も消滅もしなかったんですよ、新公では。
でも。
よーく考えてみると、そういう解釈もありなんだな、と思うのです。幕が降りた後のことなど、想像する必要はないのですから。
タニちゃんの個性は、「リアル」を完全に飛び越えたところにあるんですね、今は。
月組時代は、「長い春の果てに」のブリスとか、結構「リアル」な役も多かったし、それが魅力だったと思うのですが…
「今のタニちゃん」は、あんなにキラキラソラソラしているのね!!凄い!!あの輝きで組から浮き上がってしまうのではなく、「宙組」という新しい若い組をさらに輝かせることができれば。
今はまだ、地平線の向こうは見えないけれども、
…次の作品も、とっても楽しみです。
ウメちゃんのイサベラは、大劇場でもとっても良かったのですが、今回はまた、大劇場で足りなかった『大人の』色っぽさがあって、脆さのない、しなやかな強さを得て、さらにさらに、とても良くなっていました。
別れを告げたあと、立ち去りながらフェルナンドの心を表現する音楽に翻弄されるイサベラの、哀しい美しさ。
花道の壁にすがりついて、意地でも振り返るまい、振り返ったらまた駆け寄ってしまう、それは地獄へ堕ちるのと同じこと、と自分に言い聞かせて、でも身体は振り向いてしまう、止められない、留められない………どうすればいいの、どうすれば!?
…万感の思いをこめて一瞬だけ背後に視線を投げて、握っていたショールを抱きしめてまた向き直る。その…長い一瞬。
観ているこっちが胸を締め付けられて苦しくて、切なくて…
本気で泣けました。
台詞なんて一言もないのに、あれだけの表現をしてのける…ダンサー・ウメちゃんの身体表現力というのは凄いなあ、と。
歌さえ………、とは思いますが、でも、イサベラの歌は私はOKでした(^ ^;。ショーは……(無言/怒)って感じでしたけどねっ(苦笑)。
(蘭寿)トムくんのロドリーゴ。
…さすがは“男役の”と枕詞のつく花組で育っただけのことはあるな、と。
衣装の着こなしも、立ち居振舞いも、見事に「貴族」そのもので。
そういえば私、蘭トムくんの「身分の高い」「傲岸な」などの形容詞がつくような役を観るの、初めてかもしれないなー。どちらかというとわんころ系の役しか観てないような…
あ、慶喜があったか!あれもまさに、「身分の高い」「傲岸な」でも「真摯な」キャラクターだったな。そして、私は蘭トムの慶喜がとってもとってもダイスキだったのでした。
大劇場で観た時は、あまりにもラモンが嵌り役で、この人にロドリーゴをやらせるなんてなんて不憫な……と思ったりしたものですが。
なんのこたーない、ロドリーゴも負けず劣らず素敵でした(*^ ^*)♪
そして、前回観た時の「ロドリーゴが2番手の方が、芝居として良いような気がする」という感想が、裏付けられたなー、と。
フェルナンドとロドリーゴは、同格じゃないとやっぱり話が合わないんですよ!フェルナンドとロドリーゴが物語の2本柱で、同格で存在して、そこに物語を掻き回す役としてラモンが絡む。
別に、ロドリーゴが蘭トムになったからと言って台詞が増えたり出番が増えたりしたわけじゃないですし、蘭トムとみっちゃんでそんなに実力的に差があるわけではないのですが、
フェルナンドとロドリーゴが並んだ時、タニちゃんと蘭トムだと「同格」に見えるのに、タニちゃんとみっちゃんだと「弟分」に見えてしまうのは…
…こちらが学年差やら月組時代の関係を知っていて、先入観をもって観ている、のかもしれませんね………。ごめんね、みっちゃん。
という訳で、ラモンはみっちゃん(北翔海莉)。
いやー、良かった。びっくりするほど良かったです!
ラモン役単体で、と思うと微妙ですが、フェルナンド&ロドリーゴ&ラモンという3役のバランスで考えたら、私は蘭トムロドリーゴ、みっちゃんラモンの役替りバージョンの方が好きかも、です。
…歌も多いしな、ラモンは。
いや、本当に良かったです、みっちゃん。
色気はないけど、ラモンって別に色気がなくても大丈夫な役だったんだな、と。
イサベラを想う気持が真っ直ぐで、気恥ずかしいほど本当に真っ直ぐで。ラスト、フェルナンドが「イサベラを頼む」と言った時の反応の初々しさに感動してしまった私。
フェルナンド邸の前でのイサベラとの場面も全然違ってましたね。蘭トムくんは確か、しーっかりと(片手で)イサベラを抱きしめてしまって、イサベラにかなり強く突き放されていたと思うのですが、みっちゃんは抱きしめようとしてなかなかできなくて(←クラリスに抱きつかれてジタバタしているルパン三世みたい)、「よし行くぞ!」と思った瞬間に逃げられる…まさに、腕の間をすり抜けるようにイサベラが離れていく感じ。
しかも、離れたイサベラに向かって腕を伸ばすこともせず、俯いて歩き去るイサベラを背中で送る。拳を握りしめて、
…男泣きに。
いや、本当に(←しつこい)良かったんですよ、みっちゃんラモン。化粧以外は。いや、化粧と衣装以外は、な…
…みっちゃん、何故あなたはみっちゃんなの………(泣)。
どうしてみっちゃんだけ、黒塗りの額がまだらになったり、登場した時はそこそこ白かったハズのシャツの襟が、祭の頃にはまっ茶っ茶になるなんてことが起こり得るんですか?
みっちゃんって、もしかして戸井勝海さんレベルの汗かき(←失礼な。泉見洋平くんレベルと言ってくれ)(←もっと失礼)なの?それとも、肌が弱いとか何かの事情があって、皆が使っている落ちないつかないファンデ(←そんなものあるの?)が使えないとかなの…?
少なくとも、蘭トムのラモンはあんなことにはなっていなかったと思うのですが(泣)。
ああ、どうしてあなたはみっちゃんなのっ!?
そう、襟首掴んで問いつめたい気持でいっぱいです……。
ああ、(毎度のことながら)思いもよらず長くなっちゃった(涙)。
……ルカノール公爵については、次回また(←いつだ)
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