「まほろば」についての(現段階での)感想をやっと書き終わって、ちょっと腑抜けているねこです。
えーっと。
とりあえず「まほろば」終わってから書こう、と思ってとっておいた小ネタがいくつかあったはずなのですが…
ねこには、記憶力もなければ、メモしておく習慣もないので…(だって筆無精なんだもん/涙)、
小ネタについては、思い出したら書く、ってことにして。
今日は、落ち穂拾いの日、ってことにさせていただきます。
…えーっと、まずは。
この日記を書き始めてから、観劇した舞台で何も書いていないのは…
○月組バウ「ハロー!ダンシング」
○中日劇場「ジキル&ハイド」
○USJ「ウィケッド」
○宙組東宝「バレンシアの熱い花/FANTASISTA」
○シアターコクーン「ドラクル」
…くらい、かな?
ハロダン〜!!
そっか、そういえば書いてないや何にも。みんなごめんよ!(←誰に言ってる)
本当に良かったよ!感動したわ!!(←だから誰に)
……すっごく今更ですが、CSで流れる前に書かせていただきたいと思います………(反省っ)
で、次。
「ジキル&ハイド」については、日生劇場公演の時にかなり書きましたので。5月の梅田公演から参加された、香寿たつきさんのルーシィについて、ちょっとだけ(←絶対嘘)。
ルーシィは、ハイド氏の相手役、というより、事実上の主役の片割れともいうべき大役ですが。
日本では初演からマルシアが演じ、ルーシィ=マルシア、というイメージを持っておられる方も多いと思います。
マルシアの“哀れな娼婦”という表現。
「店の売れっ子」としてのプライドと、
それ故にこそ、「性的な目で自分を見ない男」=「王子さま」という単純な思いこみ、
そこへ向けられる真っ直ぐな憧憬、
…それらが紡ぎ出す、“切ない女心”の発露としての「A New Life」。
マルシアのルーシィは、「子供のような純粋さ」を残した大人の女で、私もとても好きになりました。
でも。
タータンさんのルーシィは、少女そのものだった。
声の違いは大きいですね。
マルシアの声は、ご存じのとおり絶妙に掠れた、味のある艶声。
この声は、どうしたって少女の声にはなりません。
でも。
タータンさんは、男役時代は声が高すぎることで随分苦労なさっていましたが、女優として活動する上ではかなりお得な声質。
退団後の活動を見据えて、声を保っていらっしゃったのかと納得してしまったくらい、見事に「少女」の声、でした。
その声に合わせて、動作もキャラも子供っぽく作りこんでいて。
「A New Life」の可愛らしさといったらもう!(^ ^)、この顔文字のとおり、目尻をさげてニコニコしてしまいたくなるくらい可愛かったです。
個人的な感想ですが、初演時のマルシアと比べれば雲泥の差と言いたいくらい、タータンさんのルーシィは良かったです。
今後回を重ねられるのかどうか不明ですが、再演を重ねたタータンルーシィも観てみたいなーと思いました。
(しかし、タータンさんのルーシィでOKな新ジキル役者…心当たりがいないぞオイ…)
あとは、「Dangerous Game」での表現がもう少し…、ねぇ。
あ、いえ、あの。
決して、タータンさんに色気やエロさが足りないって言いたいんじゃないんです。
あの曲に必要なのは、シンプルな色気やエロさじゃないから。
でも、単純なマゾヒズムでもない。
あれはね、もっと微妙な空気がほしいんです。
虐待を諦めを持って受け入れ、それに微かに快感を覚える、という、空気。
その、微かな「悦び」を、理性が強く否定する。
拒否する。
理性は拒否しているのに、忘れられない。求めずにはいられない、
この二重構造がなくては、「Dangerous Game」という曲のエロティックな美しさは表現できない。
タータンさんのルーシィは、詳細な演技プランとそれを実現する「声と仕草の技術」で作りあげられた、ある意味「つくりものの少女」であるだけに、そういう微妙な揺れはすっ飛ばされてしまって…。
ああいうものが、回数を重ねることで表現できるようになるものなのか、天性のものなのか、それはわかりませんが。
とりあえず、今回の梅田・中日合わせて1ヶ月の公演では、そこには届かなかったな、という印象でした。
でも、ね。
いいのかもしれない。そのままでも。
だって、すごーーーーく可愛いルーシィだったんだもん(はぁと)。
大人っぽい女優、年上の「豊かな女」を得意とする女優になるんだろう、と思っていたタータンさんが、あんなに可愛らしくコケティッシュな「子供」を体当たりで演じていらっしゃったことに、ちょっと感動しました☆
タータンさん、次は「モーツァルト!」、ですよね?
前回観られなかったので、今度こそ!の男爵夫人、楽しみにしています♪♪
…落ち穂は全然拾えていませんが。
この内容で3000字とかになるのもどうかと思うので(汗)、このへんで。
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えーっと。
とりあえず「まほろば」終わってから書こう、と思ってとっておいた小ネタがいくつかあったはずなのですが…
ねこには、記憶力もなければ、メモしておく習慣もないので…(だって筆無精なんだもん/涙)、
小ネタについては、思い出したら書く、ってことにして。
今日は、落ち穂拾いの日、ってことにさせていただきます。
…えーっと、まずは。
この日記を書き始めてから、観劇した舞台で何も書いていないのは…
○月組バウ「ハロー!ダンシング」
○中日劇場「ジキル&ハイド」
○USJ「ウィケッド」
○宙組東宝「バレンシアの熱い花/FANTASISTA」
○シアターコクーン「ドラクル」
…くらい、かな?
ハロダン〜!!
そっか、そういえば書いてないや何にも。みんなごめんよ!(←誰に言ってる)
本当に良かったよ!感動したわ!!(←だから誰に)
……すっごく今更ですが、CSで流れる前に書かせていただきたいと思います………(反省っ)
で、次。
「ジキル&ハイド」については、日生劇場公演の時にかなり書きましたので。5月の梅田公演から参加された、香寿たつきさんのルーシィについて、ちょっとだけ(←絶対嘘)。
ルーシィは、ハイド氏の相手役、というより、事実上の主役の片割れともいうべき大役ですが。
日本では初演からマルシアが演じ、ルーシィ=マルシア、というイメージを持っておられる方も多いと思います。
マルシアの“哀れな娼婦”という表現。
「店の売れっ子」としてのプライドと、
それ故にこそ、「性的な目で自分を見ない男」=「王子さま」という単純な思いこみ、
そこへ向けられる真っ直ぐな憧憬、
…それらが紡ぎ出す、“切ない女心”の発露としての「A New Life」。
マルシアのルーシィは、「子供のような純粋さ」を残した大人の女で、私もとても好きになりました。
でも。
タータンさんのルーシィは、少女そのものだった。
声の違いは大きいですね。
マルシアの声は、ご存じのとおり絶妙に掠れた、味のある艶声。
この声は、どうしたって少女の声にはなりません。
でも。
タータンさんは、男役時代は声が高すぎることで随分苦労なさっていましたが、女優として活動する上ではかなりお得な声質。
退団後の活動を見据えて、声を保っていらっしゃったのかと納得してしまったくらい、見事に「少女」の声、でした。
その声に合わせて、動作もキャラも子供っぽく作りこんでいて。
「A New Life」の可愛らしさといったらもう!(^ ^)、この顔文字のとおり、目尻をさげてニコニコしてしまいたくなるくらい可愛かったです。
個人的な感想ですが、初演時のマルシアと比べれば雲泥の差と言いたいくらい、タータンさんのルーシィは良かったです。
今後回を重ねられるのかどうか不明ですが、再演を重ねたタータンルーシィも観てみたいなーと思いました。
(しかし、タータンさんのルーシィでOKな新ジキル役者…心当たりがいないぞオイ…)
あとは、「Dangerous Game」での表現がもう少し…、ねぇ。
あ、いえ、あの。
決して、タータンさんに色気やエロさが足りないって言いたいんじゃないんです。
あの曲に必要なのは、シンプルな色気やエロさじゃないから。
でも、単純なマゾヒズムでもない。
あれはね、もっと微妙な空気がほしいんです。
虐待を諦めを持って受け入れ、それに微かに快感を覚える、という、空気。
その、微かな「悦び」を、理性が強く否定する。
拒否する。
理性は拒否しているのに、忘れられない。求めずにはいられない、
この二重構造がなくては、「Dangerous Game」という曲のエロティックな美しさは表現できない。
タータンさんのルーシィは、詳細な演技プランとそれを実現する「声と仕草の技術」で作りあげられた、ある意味「つくりものの少女」であるだけに、そういう微妙な揺れはすっ飛ばされてしまって…。
ああいうものが、回数を重ねることで表現できるようになるものなのか、天性のものなのか、それはわかりませんが。
とりあえず、今回の梅田・中日合わせて1ヶ月の公演では、そこには届かなかったな、という印象でした。
でも、ね。
いいのかもしれない。そのままでも。
だって、すごーーーーく可愛いルーシィだったんだもん(はぁと)。
大人っぽい女優、年上の「豊かな女」を得意とする女優になるんだろう、と思っていたタータンさんが、あんなに可愛らしくコケティッシュな「子供」を体当たりで演じていらっしゃったことに、ちょっと感動しました☆
タータンさん、次は「モーツァルト!」、ですよね?
前回観られなかったので、今度こそ!の男爵夫人、楽しみにしています♪♪
…落ち穂は全然拾えていませんが。
この内容で3000字とかになるのもどうかと思うので(汗)、このへんで。
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