【4】で終わりにしようと思っていたのに終わらなかった(涙)「まほろば」感想文の、今度こそ最終回(のハズ…)。
【吹雪】
「鬼」の首領(越乃リュウ)が。
小碓尊に敗れ、最期に呪言を残す。
「この地に生きて、この地に死ぬ、踏みにじられし我らの…」
> 滅んだもの。
> 滅ぼしたもの。
> 残ったものが背負う義務。
> 死者の物語を紡ぎつづける、苦しい責務。
> それでも。
> 国を作る人柱になれるなら、
ということを、最初の日記には書きましたが。
小碓尊は「ヤマト」であり、「征服者」ではあるのですが。
熊襲、そして出雲、「西征」の時は、常に彼は倒したものに賞賛され、「ヤマトタケル」という御名を捧げてられてさえいます。
…どちらも、物凄く卑怯な手を使って倒したにもかかわらず(汗)。
「西征」での彼は、英雄だから。
でも。
「東征」は、常に裏切られるのは彼であり、さまざまな陰謀が小碓尊一行を襲う。(この作品中では語られませんが)
そして。
陸奥を、東を征した時、もはや彼を称えるものはないのです。
彼自身が捧げてきた犠牲(オトタチバナ姫、サルメ・サダルらの随身たち)を顧みるものもなく。
傷つき疲れ果てた小碓尊は、この後も旅を続けてヤマトを目指し、途中で力尽きるのですが。
この作品では、むしろ陸奥の雪の中に倒れたかのようにも見えます。
「この地に生きて、この地に死ぬ」
その呪のとおりに、「この地で」命を落とす。
この地に生まれたわけではない尊、「還るところ」を持たない皇子を、「この地」に死なせる。
本来は。
滅ぼしたモノは、滅ぼされたものをいつまでも背負っていかなくてはならないのです。
でも。尊は力尽きてしまった…。
「この地に生きて、この地に死ぬ」
この時代。
それが当たり前で、ヤマトを起点に熊襲から奥羽までを駆け抜けた小碓尊が例外なのでしょう。
「鬼」たちは、「まつろわぬもの」。
まつろわぬものが居ては、まつりごとは行えない。
まつりごとは、当時の人々にとっては「祀りごと」でもあったはず。
「鬼」たちが居ては、「政治」も「祭祀」も正常に回らない。
まつりごとが正常に回らなければ、人々は安心して収穫の祭をすることができない。
…だから。
滅ぼされた「鬼」たちもまた、神となる。
八百万の神々の席は、まだまだ空きがある。
まだまだ滅ぼさなくてはならないモノたちがいるのだから…。
話が少し戻りますが。
まさお(龍真咲)くんの行動について。
やっぱり、彼は「草薙剣を奪った」=「小碓尊の死」を表現しているんだろうなぁ、と思うのですが…
草薙剣の神剣ぶりを表す示すがないから、余計に意味不明な気がしてしまうんじゃないか、と(涙)なにしてんのアイツ?って思ったのは私だけ……?(泣)
やっぱり焼津の火攻めは入れた方が良かったのではないでしょうか。
そうすれば、草薙剣の真価も表現できるし、小碓とオトタチバナ姫のラブラブ場面も入れられただろうし。
今の構成だと、ヤマトヒメが「草薙剣」をオトタチバナ姫に持たせたばっかりに嵐に遭って、それでおしまい、って感じだし(T T)…くすん。
【椿】
まだまだ、大八嶋には“まつろわぬもの”がたくさん居たはずですが。
でも。
小碓尊は、もう眠りにつこうとしている。
尊が倒れた時。
ぽとり、と椿が落ちる。
まほろばの春に生まれた小碓尊が、
夏の熊襲を征し、
秋祭を経てヤマトに帰還し、
そして、冬を迎える奥羽を目指して死出の旅に出て−−−−
今、力尽きた尊の上に、降り積もるのは
雪ではなく。
純白の雪ではなくて、深紅の椿が降り積もる。
「神々の末裔 ヤマトタケルノミコト」
尊を惜しむアマテラス大御神の葬送唄に、スサノオとツクヨミが和して。
父に疎まれた皇子を見守ってきた三貴神の想いと、
紅い衣装の下級生たちのシンプルで明解な動きの和合。
日本の踊りは、どれもごくシンプルなものですが、
繰り返す時の負荷は意外と高いものなのだそうです。
「同じ動き」をトレースするのが難しいんでしょうね。
紅い着物の下級生が、いっせいに動き、腰を曲げた姿勢でずっと踊る。
ここの振り(音楽も)を、越中のおわらに似ている、というご意見を某巨大掲示板で拝見しましたが。
残念ながらおわら風の盆は、帝国劇場の「風の盆恋歌」を観たことがあるくらいで実地体験したことがないのでよくわかりませんが、なるほどなー、という感じです。謝さんのトークショーとかでそのあたりも種明かしされたのかなあ?
…ついつい小ネタに走ってしまうのは悪い癖です。すみません。
閑話休題。
ここは、男役も化粧を直す時間がないので、アップで観るとちょっと怖い椿がいっぱいます…。
世界に浸りきるのに飽きたら(←普通は飽きないよ)、上手前列あたりオペラグラスでガン観してみると、かなり目が離せない、と、思う…。
(周りの迷惑にならないようにお願いします←お前が一番迷惑だっつーの)
そして。そういうのとはちょっと違うのですが。
全国ツアーで覚えた篁(祐希)くん。
この場面でニコニコ笑うのは、解釈間違ってるから!!(←でも可愛い)
【白鷺】
すべてを浄化する白い光と、
白い鳥。
飛びたたんとする「鳥」の振りというのは、「ノバ・ボサ・ノバ」でもラストに使われていましたが、ショーのラストに持ってくる場面としては最高に盛り上がるものの一つだと思います。
この後にパレードのないショーなので、一番盛り上がる形で終わらせる方策だったのかな、と思いつつ。
なんで幕が降りるのあんなに早いのっ!?(怒)
あとほんの7、8拍も待てばきちんと終わるじゃん!!
ラストの「ア、ア、アアア、ア、ア、アアア、ア−−−−−」に
入ったあたりで降ろし始めて、「ア−−−−−」のロングトーンになったあたりで顔にかかりかけて(拍手が入って)、一番最後のドラムに合わせてぴったり降りきる、くらいでいいじゃないですか。
ほんの10秒かそこらの違いでしょう?
だったら、オープニングの無音の時間を10秒削ってもいいから。
せっかく、鳥さんたちが皆一生懸命踊ってるのにー(涙)。
なんか尻切れトンボ感が残るのが哀しくてなりません。
謝さん、ぜひ緞帳を降ろすタイミングだけはご再考くださいませ!
この場面についてはもう、「大好きで、素晴らしい!」という以外に語ることもないので。
だって。誰もご存じないかもしれないかもしれませんが、祐飛さんって実は鳥振りは結構得意なんですよ(←自慢げ)、ノバ・ボサ・ノバの時もがんばってたし(←頑張るのは当たり前だ)♪、なーんてことを語っても誰も喜ばなさそうなので。
伝説が終わり、歴史がはじまる。
という至言をもう一度繰り返して、「まほろば」についてはいったん終わりにしたいと思います。
また下級生チェックをしたら、あらためて♪(←多分誰も待ってないよ)
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【吹雪】
「鬼」の首領(越乃リュウ)が。
小碓尊に敗れ、最期に呪言を残す。
「この地に生きて、この地に死ぬ、踏みにじられし我らの…」
> 滅んだもの。
> 滅ぼしたもの。
> 残ったものが背負う義務。
> 死者の物語を紡ぎつづける、苦しい責務。
> それでも。
> 国を作る人柱になれるなら、
ということを、最初の日記には書きましたが。
小碓尊は「ヤマト」であり、「征服者」ではあるのですが。
熊襲、そして出雲、「西征」の時は、常に彼は倒したものに賞賛され、「ヤマトタケル」という御名を捧げてられてさえいます。
…どちらも、物凄く卑怯な手を使って倒したにもかかわらず(汗)。
「西征」での彼は、英雄だから。
でも。
「東征」は、常に裏切られるのは彼であり、さまざまな陰謀が小碓尊一行を襲う。(この作品中では語られませんが)
そして。
陸奥を、東を征した時、もはや彼を称えるものはないのです。
彼自身が捧げてきた犠牲(オトタチバナ姫、サルメ・サダルらの随身たち)を顧みるものもなく。
傷つき疲れ果てた小碓尊は、この後も旅を続けてヤマトを目指し、途中で力尽きるのですが。
この作品では、むしろ陸奥の雪の中に倒れたかのようにも見えます。
「この地に生きて、この地に死ぬ」
その呪のとおりに、「この地で」命を落とす。
この地に生まれたわけではない尊、「還るところ」を持たない皇子を、「この地」に死なせる。
本来は。
滅ぼしたモノは、滅ぼされたものをいつまでも背負っていかなくてはならないのです。
でも。尊は力尽きてしまった…。
「この地に生きて、この地に死ぬ」
この時代。
それが当たり前で、ヤマトを起点に熊襲から奥羽までを駆け抜けた小碓尊が例外なのでしょう。
「鬼」たちは、「まつろわぬもの」。
まつろわぬものが居ては、まつりごとは行えない。
まつりごとは、当時の人々にとっては「祀りごと」でもあったはず。
「鬼」たちが居ては、「政治」も「祭祀」も正常に回らない。
まつりごとが正常に回らなければ、人々は安心して収穫の祭をすることができない。
…だから。
滅ぼされた「鬼」たちもまた、神となる。
八百万の神々の席は、まだまだ空きがある。
まだまだ滅ぼさなくてはならないモノたちがいるのだから…。
話が少し戻りますが。
まさお(龍真咲)くんの行動について。
やっぱり、彼は「草薙剣を奪った」=「小碓尊の死」を表現しているんだろうなぁ、と思うのですが…
草薙剣の神剣ぶりを表す示すがないから、余計に意味不明な気がしてしまうんじゃないか、と(涙)なにしてんのアイツ?って思ったのは私だけ……?(泣)
やっぱり焼津の火攻めは入れた方が良かったのではないでしょうか。
そうすれば、草薙剣の真価も表現できるし、小碓とオトタチバナ姫のラブラブ場面も入れられただろうし。
今の構成だと、ヤマトヒメが「草薙剣」をオトタチバナ姫に持たせたばっかりに嵐に遭って、それでおしまい、って感じだし(T T)…くすん。
【椿】
まだまだ、大八嶋には“まつろわぬもの”がたくさん居たはずですが。
でも。
小碓尊は、もう眠りにつこうとしている。
尊が倒れた時。
ぽとり、と椿が落ちる。
まほろばの春に生まれた小碓尊が、
夏の熊襲を征し、
秋祭を経てヤマトに帰還し、
そして、冬を迎える奥羽を目指して死出の旅に出て−−−−
今、力尽きた尊の上に、降り積もるのは
雪ではなく。
純白の雪ではなくて、深紅の椿が降り積もる。
「神々の末裔 ヤマトタケルノミコト」
尊を惜しむアマテラス大御神の葬送唄に、スサノオとツクヨミが和して。
父に疎まれた皇子を見守ってきた三貴神の想いと、
紅い衣装の下級生たちのシンプルで明解な動きの和合。
日本の踊りは、どれもごくシンプルなものですが、
繰り返す時の負荷は意外と高いものなのだそうです。
「同じ動き」をトレースするのが難しいんでしょうね。
紅い着物の下級生が、いっせいに動き、腰を曲げた姿勢でずっと踊る。
ここの振り(音楽も)を、越中のおわらに似ている、というご意見を某巨大掲示板で拝見しましたが。
残念ながらおわら風の盆は、帝国劇場の「風の盆恋歌」を観たことがあるくらいで実地体験したことがないのでよくわかりませんが、なるほどなー、という感じです。謝さんのトークショーとかでそのあたりも種明かしされたのかなあ?
…ついつい小ネタに走ってしまうのは悪い癖です。すみません。
閑話休題。
ここは、男役も化粧を直す時間がないので、アップで観るとちょっと怖い椿がいっぱいます…。
世界に浸りきるのに飽きたら(←普通は飽きないよ)、上手前列あたりオペラグラスでガン観してみると、かなり目が離せない、と、思う…。
(周りの迷惑にならないようにお願いします←お前が一番迷惑だっつーの)
そして。そういうのとはちょっと違うのですが。
全国ツアーで覚えた篁(祐希)くん。
この場面でニコニコ笑うのは、解釈間違ってるから!!(←でも可愛い)
【白鷺】
すべてを浄化する白い光と、
白い鳥。
飛びたたんとする「鳥」の振りというのは、「ノバ・ボサ・ノバ」でもラストに使われていましたが、ショーのラストに持ってくる場面としては最高に盛り上がるものの一つだと思います。
この後にパレードのないショーなので、一番盛り上がる形で終わらせる方策だったのかな、と思いつつ。
なんで幕が降りるのあんなに早いのっ!?(怒)
あとほんの7、8拍も待てばきちんと終わるじゃん!!
ラストの「ア、ア、アアア、ア、ア、アアア、ア−−−−−」に
入ったあたりで降ろし始めて、「ア−−−−−」のロングトーンになったあたりで顔にかかりかけて(拍手が入って)、一番最後のドラムに合わせてぴったり降りきる、くらいでいいじゃないですか。
ほんの10秒かそこらの違いでしょう?
だったら、オープニングの無音の時間を10秒削ってもいいから。
せっかく、鳥さんたちが皆一生懸命踊ってるのにー(涙)。
なんか尻切れトンボ感が残るのが哀しくてなりません。
謝さん、ぜひ緞帳を降ろすタイミングだけはご再考くださいませ!
この場面についてはもう、「大好きで、素晴らしい!」という以外に語ることもないので。
だって。誰もご存じないかもしれないかもしれませんが、祐飛さんって実は鳥振りは結構得意なんですよ(←自慢げ)、ノバ・ボサ・ノバの時もがんばってたし(←頑張るのは当たり前だ)♪、なーんてことを語っても誰も喜ばなさそうなので。
伝説が終わり、歴史がはじまる。
という至言をもう一度繰り返して、「まほろば」についてはいったん終わりにしたいと思います。
また下級生チェックをしたら、あらためて♪(←多分誰も待ってないよ)
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