はい、月組大劇場公演「まほろば」のおもひで・続き。



【望郷〜遙か彼方ヤマト〜】

秋祭りの喧噪の中で、ふと国見の山に登って一人になった小碓尊が、故郷を想う…。


ここの麻子さんのソロ曲、吉田優子さんの数々の名曲の中でも、傑作の一つなんじゃないかと思うほどです。
歌そのものもいいし、編曲も素晴らしい。

故郷への、そして父への想い、
そして、オトタチバナヒメへの憧憬…

2コーラス歌った後、転調して「まほろば…」と歌い継ぐところが「ぐっ」とくるんですよ。あそこの編曲がすごく好き!

その後の運命を知っているだけに、本当に哀しい曲ですよね。
でも、かなしいからこその美しさだとも思うのです。
小碓を囲む、天女たち6人の舞も、哀しい程に美しい。
彼女たちの腕の一振り、足さばき、それらのすべてが音楽と相俟って、言葉よりも雄弁に彼の「想い」を伝えてくれる気がします…。

激しい振付ではないだけに、筋肉の隅々にまで物凄い負荷がかかっているのがわかるんですよね。
本当にゆったりとした踊りで、だけど、決して短くはない1曲の間中、「楽な姿勢」は一瞬たりとも無いのでは?どこかに無理のあるポーズを、無理があるからこそ美しいポーズからポーズへと動き続ける。

世界は止まらない。時は止められない。


…本来は。
もっと楽々と、「重力を感じさせずに」踊ってほしい振りなのかもしれませんが。

私はむしろ、重力に縛り付けられた天女たちが、ただただ必死に、その「あるべき理想の動き」をトレースしようとあがく姿から眼が離せませんでした。

「言葉」のない、
「言葉」にならない、
ただひたすらな、祈り。


謝さんのダンスには、祈りがあるから好きです。

言葉というデジタルなものでは表現できないはずのもの。
目で見ることができようはずのないものを、視覚化する。

「秋祭り」の場面も、ただの楽しい中詰めというだけではなくて。
「秋祭り」そのものが、「収穫」という純粋な喜びが「祈り」の域に達しているからこそ「祭祀」になるわけで。



小碓尊の望郷の念もまた、故郷の安寧を祈り、寿ぐ祝詞として昇華しているから。だから、あの音楽と、歌と、天女の舞と、すべてが見事に絡みあい、一つの「祈り」として展開される。

さいわいを求めるひとの、祈りとして。





【北への旅立ち】

いきなり「ヤマトタケルの名を貰い…」で始まるのはどうかと思うのですが(苦笑)。普通の人は意味不明なんじゃあ…。
名前のエピソードは出雲建がらみなので使えないんですよね。だから、出雲での出来事を飛ばさないでやってくれれば良かったのになー。


あんなに切ないほどに哀しい想いを吐露しながら銀橋を渡り、大和へ帰りついたというのに
スメラミコトはあっさりと東国遠征を命じる。



ここのあーちゃん(花瀬みずか)の、しっとりとした大人っぽい美しさと、タキさんとのハーモニーの美しさに感動…。
あーちゃんってソプラノのイメージが強かったのですが、タキさんがメロディであーちゃんが下ですよね?すごく良い声でした。

でもでも、ここだけはストーリー的にもヤマトヒメが「草薙の剣を…」から歌った方が自然だと思うんだけどな〜〜〜(ショボン)



この場面、密かに前の場面の天女たちが居残りでちょこんと場面に残っているのがお気に入りです。
なんとなく、道祖神か何かをイメージしているのかなー?トカ勝手に考えています。
決して短くない場面の間中、ぴくりとも動かないメンバーに感服。
上手席が多かったので、上手がみっぽーと蘭乃はなちゃんだったのはチェックしたんだけどな。センターと下手がわからない…。次回しっかり観てきます。




【嵐】

ここまでは全場面、音楽は吉田優子さんでしたが、ここだけ斉藤恒芳さん。荻田さんのショーではすっかり常連って感じの方ですが。
…ああ、作曲家の選定ひとつでここまで世界が変わるのかー!!と、目から鱗でした。謝さんありがとう。


ここについては、最初に「まほろば」について書いた時にちょっと書かせていただきましたが…(http://diarynote.jp/d/80646/20070814.html

うん。まだいろんな神子たちの判別がついていないので、特に語りたいこともないかな……。

ここはとにかく、2階席がお勧めです。1階席だと、船の後ろでくるくる回っている神子たちが見えませんし、後方に移ったあとのサルメとサダルのダンスも船や帆に隠されがち。

…いや、あれは「隠しとけ(特に下手)」っていう、神の、いや演出家の親心かもしれませんが…………(←おい)



【祈り】

嵐の海でオトタチバナ姫を海に奪われた一行。
花道にせりあがったサルメとサダル、そして天女たち。

しっとりとしたきりやんの美声と、切ない祈りの音楽。
小碓尊が歌いだして、サダルも加わる…

本舞台ですれ違う小碓尊とサダルが哀しいです。
慰めることのできない哀しみがそこにあるので。

天女の存在は、この作品全体を通してすごくキーになっているな、と。祈りの記号化、とでもいうのでしょうか。一列になって幕前を横切る演出も、葬列を思わせて。

…腰を曲げた姿勢をキープして、皆つらいだろうなぁ…なんて現実に戻ったりもしつつ(←苦笑)



【吹雪】

銀橋を渡る小碓尊一行。
風の神シナツヒコ(桐生園加)が、銀橋のたもとで行く手を遮る。


この場面の、影コーラスの「影歌」に結構ハマりました。

「奥羽」っていうのは、…こういうイメージなんでしょうね、やっぱり…(T T)。

雪深く、峠道には風が戸を立てて、
そして、暗い歌が常に幽かに流れ続ける……


まぁねぇ、「陸奥」だもんなぁ(涙)。
東北地方・太平洋岸出身の私にとっては、それってむしろ北陸のイメージなんですけどねぇ(^ ^;



津軽三味線の音律に乗って、すこーしづつ激しさを増す、「鬼」たちのダンス。
曲調が変わって、一行が登場…するんですけど。

ここの登場の仕方がめっちゃカッコいい!!
袖から飛んで出るのですが。
「シュタッ!」という効果音が入っているかのような(←入ってないよ)カッコよさです。マジで。祐飛さんだけ置いてかれることもなく、キレイにキメてます。ホ。(←だからどんだけ…)



殺陣は、皆がんばっているんですけどね。なんたって(嘉月)絵理ちゃんの殺陣は芸術的です。本人は言うまでもなくカッコイイんですけど、殺陣の基本は「斬る」側を格好よく見せること!それができているのは、もしかしたら絵理ちゃんだけなのかも?

あと見せ方が巧いなーと思ったのはガチャ(一色瑠加)、マギー(星条海斗)…あたり、かな。下級生はちょっと見分けがついてません。ごめんなさい。かえこ(良基天音)ちゃんあたりは、もう少しがんばってほしいなーと思いました。ダンサーとしては素晴らしいんですけどね、かえちゃんは。


サダルが集団に囲まれて槍で一突きされる。

と。

それを見た小碓尊は、思わず草薙剣を投げ捨てて駆け寄ってしまう。


どんだけサダルを愛しているんだ、小碓!!
マリウスが撃たれた時のアンジョルラスだけにしとけソレはっ!!
(すみませんレミゼネタです)



谷作品あたりだと、こういう瞬間は敵はひっこんでくれるお約束があるのですが(例:エルドラード)、謝さんはもちろんそんなことはしません。

サダルが死に際に遺言を残す時間も、尊が存分に嘆く暇も与えられることはなく、すぐに敵が襲い掛かってくる。


草薙剣を投げ捨てた小碓尊は、サダルを殺した槍(?違うかも)を取って応戦するのですが。
お約束どおりすぐにピンチに陥るので、

すぐ隣で闘っていたサルメが「尊!」と叫んで剣を投げる。


なんだけど、、そのまましばらくその状況で闘いは続き、
(サダルさんは、邪魔にならない舞台端でずっと死んだまま)

上手で弓を構えた…多分、かえこちゃん、が
矢を放つ、と、

…サルメの胸に矢が突き立つ………。



えっと。
いや、いいんですけどね。
せっかくカッコよく小碓尊に剣を投げた訳じゃないですか、サルメさんは。
その隙を突かれる、とか、たちあいで、とか、何か「剣が無いからヤラれてしまった!」という状況は作れなかったのでしょうか、と小一時間…。

なんか「尊に剣を投げた」エピソードが無駄遣いな気がするんです〜〜〜(T T)。
…ま、いいんです、別にね。



サルメまでも奪われた小碓尊。
ちなみに、彼が投げ捨てた草薙剣は、まさお(龍真咲)くんが咄嗟に拾い上げ、舞台奥へ走っています。
(サダルさんは、邪魔にならない舞台端でずっと死んだまま)

そして。

多分、サルメの死と前後して、小碓尊が鬼の首領(ナホ)と剣をまじえはじめたころ。

まさおは舞台奥に辿り着き、センターに仁王立ちして草薙剣を掲げ、勝利の名乗りをあげる。

しかし。

本舞台中央では、今まさに首領が小碓尊に斬られ、呪言を唱えている…。



まさおは、それを見て慟哭し、
剣(草薙剣ではなく、自分の腰のもの)を抜いて小碓尊にかかろうとするのですが。

…すかさず後ろから登場したスサノオ(萬あきら)に倒され、草薙剣を奪われてしまう…



「草薙剣」は、ヤマトヒメが「尊のお命、きっと守り参らせるであろう」と祈りを込めて、オトタチバナ姫に持たせた神剣。
それを奪われた時に、尊の命運も尽きていたのだ、と…

そういうことだとは思うのですが。



ってことは何?サダルが弱かったばっかりに、小碓尊は負けてしまった、ってこと!?
サダルって…どんだけ……



なんか微妙にオチがついたところで、
今宵はここまでにいたしとうございます。
(で、オチは必須なの?ねぇってば!?)



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コメント

いつか
いつか
2007年9月1日1:41

みつきねこさま。

またもや力作の感想で、どこからコメントをつけたらいいのか難しいのですが、ひとつだけ。

>謝さんのダンスには、祈りがあるから好きです。
>言葉というデジタルなものでは表現できないはずのもの。
>目で見ることができようはずのないものを、視覚化する。
この言葉に、納得致しました。
「民族舞踊」をテーマにした、この「スピリチュアル・シンフォニー」。神々と神話の時代の人間達を描いたこの作品について、作者も出演者達のコメントも、「祈り」という言葉が沢山使われます。
見る前は、日常的には「キレイゴト」な印象を受ける言葉たちだったのですが。
見た後はキレイゴトではなく、自然に「祈り」という言葉を、心と体で受け止める事ができるような気がしました。
収穫を祝う人々の歌う「美し美し嘉穂の国」「万の神に手を合わす」…神々の宿る自然の恵みに、感謝の祈りに。思わず、私も自然の豊かさ、美しさを思い出したりしました。
そして、島の娘達やオウスが繰り返し歌う「望郷」は、物理的な故郷の土地というだけでなく、心の帰るところなんだなーと。

>「言葉」のない、「言葉」にならない、
>ただひたすらな、祈り。
私も、言葉で言い表すことのできないものを、視覚的に表現する、力のようなものを感じました。
でもその感動を、なんとか言葉で表したいとワルアガキしてみたり…やっぱり無理だと思ったり^^;

天女の存在が祈りの記号化…というのも、同感です。
なんとも、可愛く美しく、清らかな祈りの形。
でも私が宝塚ファンになったのは、「宝塚歌劇」自体、そういう祈りが根底にある場所だからかなーとも思いました。「清く正しく美しく」…という祈りの純粋さ。元タカラジェンヌであった謝先生だからこそ作りえた、宝塚の為の作品なのでしょうね。
…毎度、長い上に話がとびまくりでゴメンナサイ。またの更新を楽しみにしております(^^)

みつきねこ
みつきねこ
2007年9月1日23:54

>「民族舞踊」をテーマにした、この「スピリチュアル・シンフォニー」。
私がこの言葉を読んだ時に、最初に思い出したのはTSミュージカル主催(多分)の「DAWN」でした。
あの時から、「謝振付」による「祈り」の表現、ということをすごく楽しみにして、初日を待ち焦がれていたんです♪

>島の娘達やオウスが繰り返し歌う「望郷」は、物理的な故郷の土地というだけでなく、心の帰るところなんだなーと。
そうなんですよね。だからこそ、「大和」という故郷に一度は拒まれた小碓尊が、肉体を喪った後に還るところとして、それでも大和を目指す切なさと歓びが苦しいほど胸を撃つんですよね…。

>でも私が宝塚ファンになったのは、「宝塚歌劇」自体、そういう祈りが根底にある場所だからかなーとも思いました。「清く正しく美しく」…という祈りの純粋さ。
おお!(ぽん)。そうなのかもしれませんね、確かに。
本来、巫女は神嫁として無垢な少女であるべきものでしたし、タカラジェンヌそのものが、ファンにとっては神の代理人としての巫女そのものなのかもしれませんね。
いつかさまの更新も、楽しみにしていまーす!