月組大劇場公演のお芝居、「マジシャンの憂鬱」。
私は、“なんちゃって柴田ファン” であると同時に“なんちゃって正塚ファン” でもあるのですが。
この二人って師弟なんだなーーーーー、と強く思いました。
恋愛至上主義。
…いや違う。恋愛至上主義なのは師匠の柴田さんか。
人間関係の成就を至上の命題とする作劇をされるお二人ですよね。
人間関係を動かすために全ての事件が起こる、
いえ、それも違う…
人間関係を描くために、全ての事件を起こしている。
「バレンシアの熱い花」を観た後だから、余計そう思うのかもしれません。
「バレンシア…」は、一回しか観ていないのであまり語れないんですけど(汗)、柴田さんの『ロマンティック至上主義』なところが如実に出た脚本だと思います。
“酒場の女と貴族のぼんぼんの、所詮報われるはずのない恋”と、“位が上の男に獲られた女を取り返そうとする男の絶望的な恋”を、ねじり飴のように巻き合わせてドラマを作ろうと思った時に、「復讐譚」という事件を思いついた、という。
ある意味、それだけの物語。
恋のために全ての事件が起こる。
恋ゆえに、という意味ではなくて(汗)、恋をはじめるために、あるいは成就させるために全ての物語が動き、山場としての「事件」が設定される。
…だからこそ、柴田作品は宝塚の一方の柱たりえたのだと思うのですが。
正塚さんも、描きたいものは常に「人間関係」なんですよね。
恋とは限らないところが師匠との違いなわけですけれども。
よく、彼のテーマは「自分探し」と言われますが、むしろ「自分の居場所探し=人間関係の第一歩を踏み出すこと」をテーマにされていることが多いと思うのです。
痛みの残る「過去」を捨てて「現在」に生きる男が、事件に巻き込まれる。
(たいていは女と一緒に)
なんだかんだあって事件が解決する。
男は、捨てた「過去」を拾って大事にしまいこみ、それまでのいい加減な人間関係を清算して、
そして、新しく出会った女と、これからの「過去」を作っていく=「未来」を目指す決心をする。
だから。
起きる「事件」は、なんでもいいんです。本筋とは関係ないから。
本筋は、その事件によって男がどう変わったか、なので。
たとえば、シェイクスピアは違うわけです。
シェイクスピアだったら、「事件」が主役です。登場人物はその事件を起こすために存在し、設定される。
宝塚でいえば、植田(紳)さん、木村さんなんかは後者ですね。
「事件」を語るために登場人物が設定される。だから、登場人物の心理を追っていくと「あれ?」と思うことが大変多い。事件を解決する(ラストに持っていく)ための設定も多くて、なんでそうなるの?みたいなことってかなり多いんですよね。
まぁ、さすがに世界の巨匠・シェイクスピアは、そういうことはほとんどないんですけど、宝塚の巨匠・植田さんあたりだと『そもそも主役の考えていることがわからん』みたいな羽目に陥りがち。
柴田さん・正塚さんも、『え?』ってことは大変多いのですが。
とりあえず、登場人物の心理として疑問が残ることはまずありません。
…登場しない人物、特に主人公の敵に回る男の心理には、不可思議なことがたくさんあったりすることもあるんですけどねっっ(滝汗っ)
まぁ、あの、何がいいたいか、というと。
「人間関係先」と「事件が先」、作劇の手法としては両方アリだと思うのです。
ただ、主役が格好良くあることが至上命題である「宝塚」においては、キャラクター設定というか心理に矛盾が生じやすい「事件が先」のパターンは失敗しやすい、ってことはあると思います。
あと、リピーターはだいたい「事件が先」パターンより「人間関係重視」の方にはまりやすい傾向はあると思いますね。
逆に、一見の団体客などは事件の解決部分の穴にすごーくひっかかりやすいというのは言えるかも。
リピーターは、ある程度その辺は諦めているので…(T T)。
長々と、何が言いたいのかというと。
マジシャンとその居候たちが巻き込まれる事件の流れそのものは、矛盾だらけで意味不明ですうけど、そこの細かいところは(いや、細かくない、かなり太い軸に大穴があいているところが問題なんですけど)いっさい!!気にしないで、シャンドールとヴェロニカの人間関係に集中して観てくださいね
…ってことです…。
そしてもうひとつ。
麻子さんのシャンドールは、どうみても完全に、アルマンドの「未来」でした♪
5年後くらいかなー。いや、マジシャンの修行が3年、その後この「某国」に来て屋敷を構え、なんだかんだしているうちに2年、っていう程度の計算ですけど(笑)。
正塚作品の特徴として、主人公が「過去を捨ててきた」という必須設定がありますが、シャンドールは、アルマンドであった過去を捨ててきてるんですね。
捨てているから、一切語られない。
でも、月組ファンなら、「パリの空よりも高く」に通った経験のある方なら、すぐわかる、はず。その前提で、物語全体が構成されている。
本歌取りっていうかなんていうか……すごくないですか?正塚さんってば(笑)
ミミと出会い、別れ、パリの街でもまれたことで。
アルマンドは、今まで以上に「詐欺師」として生きていくことを決心します。
でも、ただの詐欺師じゃなかなか儲からない時代になった……だから、手に職をつけようとマジシャンに弟子入りして。
あの手つきの心もとなさは、まだ初心者の証拠だと思うんですよね……(笑)。ちなみに、あのネタは角度にもよりますが、オペラグラスで観たら一目瞭然なので。夢を見たい方はぜひ裸眼で(笑)。
そして、「過去を捨てた」彼の「いい加減な人間関係」の象徴が、あの、家。
あの家と、5人(!)の居候。
最初に知り合ったのは、たぶんジグモンド(大空祐飛)ですよね。
おそらくは、何かマジックに使える発明のネタを持っていたか、実はああ見えて何か別の特技を持っていたか…
予想(妄想)としては、ジグモンドの特技は錠前破りじゃないかなー、と(笑/どっから出てきたんだソレ)。
その特技と、小物を発明する才能でラーズロの探偵社を手伝いつつ、些細な発明物を街で売っていてシャンドールに声をかける。
マジックのネタが少ないシャンドールが飛びついて、いろいろと細かい注文をつけたりするうちに居候する話になる。
……いやあの、捨ててきた過去の一部であるジョルジュに似てたから、っていうのがあるのかどうかは………(((^ ^;
同じような経緯で、占い師(出雲綾)も拾い、
そのうち探偵社がうまくいかなくてラーズロも転がり込んできて。
詩人(龍真咲)は、もう少しロマンティックな(?)状況を妄想したいんですけど、まだそこは思いついていないので割愛…。
…とにかく。
そんな、「マジック」を詐欺の一手くらいにとして考えていたシャンドールが。
生真面目で思い詰めやすいヴェロニカをからかっているうちに。
この娘が、ほしい、と。
…そう思うようになって。
「現在」の人間関係を清算し、新しく「マジック」に賭けてみようと思うまで。
そんな、お話。
ネタバレを避けると、ほかに書けることが何もないので……
とりあえず、第一弾は、こんな感じで。
(いいのか?本当にそれでいいのか!?)
.
私は、“なんちゃって柴田ファン” であると同時に“なんちゃって正塚ファン” でもあるのですが。
この二人って師弟なんだなーーーーー、と強く思いました。
恋愛至上主義。
…いや違う。恋愛至上主義なのは師匠の柴田さんか。
人間関係の成就を至上の命題とする作劇をされるお二人ですよね。
人間関係を動かすために全ての事件が起こる、
いえ、それも違う…
人間関係を描くために、全ての事件を起こしている。
「バレンシアの熱い花」を観た後だから、余計そう思うのかもしれません。
「バレンシア…」は、一回しか観ていないのであまり語れないんですけど(汗)、柴田さんの『ロマンティック至上主義』なところが如実に出た脚本だと思います。
“酒場の女と貴族のぼんぼんの、所詮報われるはずのない恋”と、“位が上の男に獲られた女を取り返そうとする男の絶望的な恋”を、ねじり飴のように巻き合わせてドラマを作ろうと思った時に、「復讐譚」という事件を思いついた、という。
ある意味、それだけの物語。
恋のために全ての事件が起こる。
恋ゆえに、という意味ではなくて(汗)、恋をはじめるために、あるいは成就させるために全ての物語が動き、山場としての「事件」が設定される。
…だからこそ、柴田作品は宝塚の一方の柱たりえたのだと思うのですが。
正塚さんも、描きたいものは常に「人間関係」なんですよね。
恋とは限らないところが師匠との違いなわけですけれども。
よく、彼のテーマは「自分探し」と言われますが、むしろ「自分の居場所探し=人間関係の第一歩を踏み出すこと」をテーマにされていることが多いと思うのです。
痛みの残る「過去」を捨てて「現在」に生きる男が、事件に巻き込まれる。
(たいていは女と一緒に)
なんだかんだあって事件が解決する。
男は、捨てた「過去」を拾って大事にしまいこみ、それまでのいい加減な人間関係を清算して、
そして、新しく出会った女と、これからの「過去」を作っていく=「未来」を目指す決心をする。
だから。
起きる「事件」は、なんでもいいんです。本筋とは関係ないから。
本筋は、その事件によって男がどう変わったか、なので。
たとえば、シェイクスピアは違うわけです。
シェイクスピアだったら、「事件」が主役です。登場人物はその事件を起こすために存在し、設定される。
宝塚でいえば、植田(紳)さん、木村さんなんかは後者ですね。
「事件」を語るために登場人物が設定される。だから、登場人物の心理を追っていくと「あれ?」と思うことが大変多い。事件を解決する(ラストに持っていく)ための設定も多くて、なんでそうなるの?みたいなことってかなり多いんですよね。
まぁ、さすがに世界の巨匠・シェイクスピアは、そういうことはほとんどないんですけど、宝塚の巨匠・植田さんあたりだと『そもそも主役の考えていることがわからん』みたいな羽目に陥りがち。
柴田さん・正塚さんも、『え?』ってことは大変多いのですが。
とりあえず、登場人物の心理として疑問が残ることはまずありません。
…登場しない人物、特に主人公の敵に回る男の心理には、不可思議なことがたくさんあったりすることもあるんですけどねっっ(滝汗っ)
まぁ、あの、何がいいたいか、というと。
「人間関係先」と「事件が先」、作劇の手法としては両方アリだと思うのです。
ただ、主役が格好良くあることが至上命題である「宝塚」においては、キャラクター設定というか心理に矛盾が生じやすい「事件が先」のパターンは失敗しやすい、ってことはあると思います。
あと、リピーターはだいたい「事件が先」パターンより「人間関係重視」の方にはまりやすい傾向はあると思いますね。
逆に、一見の団体客などは事件の解決部分の穴にすごーくひっかかりやすいというのは言えるかも。
リピーターは、ある程度その辺は諦めているので…(T T)。
長々と、何が言いたいのかというと。
マジシャンとその居候たちが巻き込まれる事件の流れそのものは、矛盾だらけで意味不明ですうけど、そこの細かいところは(いや、細かくない、かなり太い軸に大穴があいているところが問題なんですけど)いっさい!!気にしないで、シャンドールとヴェロニカの人間関係に集中して観てくださいね
…ってことです…。
そしてもうひとつ。
麻子さんのシャンドールは、どうみても完全に、アルマンドの「未来」でした♪
5年後くらいかなー。いや、マジシャンの修行が3年、その後この「某国」に来て屋敷を構え、なんだかんだしているうちに2年、っていう程度の計算ですけど(笑)。
正塚作品の特徴として、主人公が「過去を捨ててきた」という必須設定がありますが、シャンドールは、アルマンドであった過去を捨ててきてるんですね。
捨てているから、一切語られない。
でも、月組ファンなら、「パリの空よりも高く」に通った経験のある方なら、すぐわかる、はず。その前提で、物語全体が構成されている。
本歌取りっていうかなんていうか……すごくないですか?正塚さんってば(笑)
ミミと出会い、別れ、パリの街でもまれたことで。
アルマンドは、今まで以上に「詐欺師」として生きていくことを決心します。
でも、ただの詐欺師じゃなかなか儲からない時代になった……だから、手に職をつけようとマジシャンに弟子入りして。
あの手つきの心もとなさは、まだ初心者の証拠だと思うんですよね……(笑)。ちなみに、あのネタは角度にもよりますが、オペラグラスで観たら一目瞭然なので。夢を見たい方はぜひ裸眼で(笑)。
そして、「過去を捨てた」彼の「いい加減な人間関係」の象徴が、あの、家。
あの家と、5人(!)の居候。
最初に知り合ったのは、たぶんジグモンド(大空祐飛)ですよね。
おそらくは、何かマジックに使える発明のネタを持っていたか、実はああ見えて何か別の特技を持っていたか…
予想(妄想)としては、ジグモンドの特技は錠前破りじゃないかなー、と(笑/どっから出てきたんだソレ)。
その特技と、小物を発明する才能でラーズロの探偵社を手伝いつつ、些細な発明物を街で売っていてシャンドールに声をかける。
マジックのネタが少ないシャンドールが飛びついて、いろいろと細かい注文をつけたりするうちに居候する話になる。
……いやあの、捨ててきた過去の一部であるジョルジュに似てたから、っていうのがあるのかどうかは………(((^ ^;
同じような経緯で、占い師(出雲綾)も拾い、
そのうち探偵社がうまくいかなくてラーズロも転がり込んできて。
詩人(龍真咲)は、もう少しロマンティックな(?)状況を妄想したいんですけど、まだそこは思いついていないので割愛…。
…とにかく。
そんな、「マジック」を詐欺の一手くらいにとして考えていたシャンドールが。
生真面目で思い詰めやすいヴェロニカをからかっているうちに。
この娘が、ほしい、と。
…そう思うようになって。
「現在」の人間関係を清算し、新しく「マジック」に賭けてみようと思うまで。
そんな、お話。
ネタバレを避けると、ほかに書けることが何もないので……
とりあえず、第一弾は、こんな感じで。
(いいのか?本当にそれでいいのか!?)
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コメント
あの(汗)「バレンシアの熱い花」だから。
ま、それはともかく…初見の時、「瀬奈さんってアルマンドと同じ役作りってどうなの?」とかなり怒ってしまった私ですが、あ、そうなんですか。アルマンド本人だったんですね。
納得!
こちらでは、ハジメマシテ。
タイミングがズレてしまって、どうしようかと思っていたので、便乗してコメントさせていただきました。
私もシャンドール=アルマンド説には、笑いました。そして、ジョルジュに捨てられて、キャラが変わった説にも納得(^^)
アルマンドはジョルジュを置いてパリに行こうとしたくせに、自分が裏切られる事はまるで考えなさそうで、ダメージが大きいかも。
ジグモンドを居候させてもあまり心許してなさそうなのは、深入りしないように自制してるんですね。今度は傷つかないように(笑)
そしてペテンを働くと、アルマンドの癖が出て「ありえないー」とか「どうして?何が起こったの?」とか、同じような喋り方になるのですね^^;
………ごめんなさい柴田先生(←こういう時だけ先生呼び)
本文はコソーリ直しちゃいました(^ ^;ゞ
えっと。お久しぶりです(笑)。
そうなんですよー。アルマンド(5年後)=シャンドールなので、その役作りの確実さにホント感心しちゃうんです(^ ^)。
今回の公演観て、やっぱりアルマンドとミミは結ばれない運命だったんだなーと思いました。だって、ヴェロニカとミミは完全別人だもん(笑)。
……ハジメマシテ?(笑)
>ジグモンドを居候させてもあまり心許してなさそうなのは、深入りしないように自制してるんですね。今度は傷つかないように(笑)
そうなんです!!
多分ね、ジグモンドもそのうちレオーと二人で出て行ってしまう(←その二人は決定なのかオイ?)だろうから、アル…じゃない、シャンドールの心は不安で安まらないんですよね。
そんな彼が、あまりの一生懸命ぶりを見るていだけで「くすっ」と笑えて、一緒に居るとなんとなく安心する、それがヴェロニカ。
ペテン師として世を渡り、人生を舐めて生きてきたアルマンドが、始めて「実のある人生」を生きてみよう、と思った瞬間ですよね。
正塚作品って、どんなに事件の経緯が破綻していても、人間心理の本質をちゃんと突いてくれるんですよね…。これで、もうほんの少し解決部分にフォローがあればなあ…(泣)