「エリザベート」という作品における、ゾフィーとフランツ親子について。



何度も書いていますが、私は月組版のちづ(美々杏里)さんのゾフィーと、ガイチ(初風緑)さんのフランツが大好きでした。

国を憂う厳しい母親と、生真面目で頑固で、でもこの上もなく優しく愛情に満ちた、孤独な皇帝。



そして、雪組再演版のハマコ(未来優希)ゾフィーとユミコ(彩吹真央)フランツ親子も、負けず劣らず大好きです!

国を憂い、息子を案じる愛情豊かな母親と、素直で優しくて愛情に満ちた、責任感の強すぎる皇帝。



ウィーン版は、クリスタ・ヴェットシュタインさんのゾフィーにマルクス・ポールさんのフランツ。

いかにも偉大な「じょおうさま」な(←意味不明)、本質的には明るくて有能で積極的で、若い頃はさぞ魅力的であったろう母親と、どうしようもなく女心に疎いマザコン皇帝っ!(滝汗)。

母親は歳を取って頑固になり、ちょっといぢわる風味も増して、野生児な嫁を疎ましく思っているところが素敵。今まで観てきたゾフィーの中で、一番近かったのはタキ(出雲綾)さんのゾフィーでしたね。女のイヤらしさをはっきり出していたところが似ていたと思います(←誉めてる。多分)。

いわゆる「嫁姑の争い」みたいな雰囲気にならずにすんだのは、クリスタさんのからっとした持ち味と、マヤさんが「ゾフィーを完全に凌駕できる迫力のエリザベート」だったから。

そして、あのフランツのマザコンぶり!素晴らしい〜!!
執務室では全てママの顔色を見ながら判断を下し、何かっちゃママの手を取ってキスをする動作。またそれが嫌味じゃないのが羨ましくてなりません。
日本にはいませんねぇ、ああいう人は…。





正しい、正しくないではなく、好き、嫌いで言うならば。
私は月雪(再演)のゾフィー&フランツが好きなのですが(だって格好良いんですもの!!)

ウィーン版を観て。
…なるほど。これが「マザコン皇帝」なのね、
と納得したのでした。

宝塚版では、2番手男役が受け持つ「フランツ」という役は“良い男”でなくてはいけませんから、「女心をくすぐる」方向に変更しているんでしょうね、きっと。



なーるほど。
この人だから、あんなにさらっと「ママの方が経験豊富だ。任せよう」とか言えるんだな〜。

となみ(白羽ゆり)ちゃんくらい、イッちゃった天然素材の天使が相手なら、「そりゃそうだろうな」と思えるのですが、リアルでたくましい「野生児」である麻子(瀬奈じゅん)さんやマヤ・ハクフォートさんには、とてもそんなこと言えないですよ、普通。
まぁ、まるっきり「子供」だった麻子さんならともかく、リアルに“大人”だったマヤさんのシシィには、普通は。


でも!

マルクスさんのフランツだと。
ホンキでそう思っているのがまるわかりなんですよね…。


しかも、嫌味じゃない。
大真面目で、ホンキ。
真剣に、自分の妻より母の方が子育てに向いていると思っている

だから、シシィは怒る。許さない。
「わかりました!あなたは敵だわ!」
…もっと早く気が付かなくてはいけなかった。この宮中に、私の味方はいないんだわ。この人も敵だし、他の人はもっと敵!!と。



歌詞でも歌われてしまう「マザコン皇帝」。
でも、歴史上の彼は。
決して「遣り手」ではありませんでしたけれども、長期間にわたって“それなりに”安定した国を作り、守り抜いた名君の一人。
ただ「マザコン」だけの人ではなかったはずなのです。

ゾフィーが亡くなってからも、皇太子を喪っても、国を大きく乱れさせることなく、さまざまな矛盾を抱え込んだまま20世紀を迎えられたのですから。



でも、ウィーン版では。
この作品の主役はタイトルロールのエリザベートですから、「エリザベートから見たフランツ」像が描き出される。

それは、“妻の味方になってやることもできず、息子を守ることにも失敗した、優柔不断なマザコン男”という、一方的な評価とならざるを得ません。

ここでフランツが“いい男”になりすぎてしまうと、エリザベートが“嫌な女”あるいは“ダメな女”になってしまう。
主役がエリザベートである以上、観客が彼女に感情移入できないようなキャラクターするわけにはいかない。したがって、フランツは“マザコン”で“究極のダメ男”でなくてはならないのです。

そして。
そういう男だから、「エリザベート皇后が彼を愛し続けられなかったのは仕方がない」と観客は思う。

最初は(「嵐も怖くない」)愛してた。彼がいれば、知らない宮中も大丈夫(リプライズ)だと思っていた。
でも。
彼は、妻よりも母を選ぶ。
他の道などまったく思い浮かばない。

それは、彼が“エリザベート”という女ををはっきりと理解していなかったから。

それが、ウィーン版のゾフィーとフランツ。





ちづさんのゾフィーは、国を憂う大人。
大人すぎて、まるっきり子供のまま成長しないシシィの心情なんぞ、全く理解できない人でした。
フランツに対する深い信頼と愛はあっても、逆に理性が勝ちすぎていて「子供」に対する「盲目的な母性愛」がありそうなタイプにはあまり見えなかった。だから、もしかしたらフランツ自身も「愛に飢えた子供時代」を送っていて、それ故にエリザベートへの愛情の示し方が判らなかったのではないか、と。
そんな憶測さえ抱いていました。



でも、ハマコさんのゾフィーは。
きっと本来の性格は妹ルドヴィカに良く似た、まぁあれほど陽気ではないにしても、十分に愛情深いタイプだったのだろう、と。
そのままバイエルンの1貴族として子供を育てていたなら、エリザベートのような嫁が来ても、まぁ溜息くらいはつくかもしれませんが(笑)、それなりに可愛がってあげることができたのではないか、と…。

そんなふうに思うのです。

だって。
ハマコさんのゾフィーは、シシィへの複雑な感情をにじませるという難題にまでトライしてのけたんだもん。


でも、このとき彼女は「皇太后」であり、事実上の「帝王」だった。つまり、「国家と臣民のため生きる」存在。

…実際には、その義務は知っているけれども、ついつい現実の自分の幸せを求めた君主なんてたくさんいたことでしょう。
でも、彼らは「くそ真面目」な親子だった。「現実」を生きた人間とは思えないほどに。

自分の幸せは国家の安泰と臣民の幸せとイコールである、と
ホンキで心の底から思っている君主…
どんなに「現実にはソンナモノありえないよ!」と思っても。
少なくとも、宝塚版「エリザベート」というミュージカルにおけるフランツ・ヨーゼフは明確に「そういう存在」であり、
そうなのであれば、彼をそう育てたゾフィーもまた「そういう存在」であった、というのは非常にあり得る話であると思います。



そんな、人間とはとても思えない心理状態の親子。
「臣民が自分に感謝している」と信じることで幸せを感じる帝王と、その母親。


…ファンタジー作家の「麻城ゆう」さんの作品に「月光界」という作品世界があるのですが。
そこにいる「帝王」という種類の人々は、その「世界」のルールによって「民の感謝」という褒美を実際に受け取ることができます。「民が私のために祈っている。それがどんなに幸せなことか」と、その「祈り」によって直接に力を得る「帝王」は呟くのです。

でも、フランツ・ヨーゼフやゾフィーが生きた世界は魔法やファンタジーの世界ではないので、そういう褒美は受け取れないんですけどね……(T T)




実際にオーストリーの民がどれほど彼らに感謝していたとしても、それが具体的に王家に還元されることはない。
それでも、二人は果敢に義務を果たそうとする。

全てを、自分自身の存在意義を懸けて。




エリザベートにはそれが判らない。
それは彼女が帝王教育を受けていないからなのかもしれませんが、
根本的には「子供だから」なのだと思うのです。


感性豊かで発想が斬新。
これは子供の特徴です。
そして、その裏返しには「感情的になりやすい」という欠点が隠れている。

感情的になっては政治は動かせません。
彼女はその発想と美貌と行動力でフランツの「政治」を助けたこともあるのですが、
なかなかそういう活動は認めて貰えない。

いつまでたっても子供扱いのまま。




麻子さんのシシィは「子供」だったから、
…“子供扱い”を不満に思うのは、その人が“子供”である証拠
なんだよね、と思いました。

となみちゃんのシシィは「天使」だから。
何にも考えてない、という感じでした。

マヤさんのシシィは、リアルな女だったから。
ただの“子供扱い”ではなく、“貧乏貴族の、美人だけど頭が空っぽな娘”という扱いには我慢ができなかったのでしょうね…。



ゾフィー、フランツ、エリザベート、そしてルドルフ。
この、「現実世界」であるハプスブルク帝国の皇帝一家の人間関係がしっかり芝居として演出されていれば、
「彼岸」の存在であるトートやルキーニも動きやすくなって、自在になる。

私が「嵌った」3つの公演において。

一番「リアル」だったのは月組公演だったと思います。
ゾフィー、フランツ、エリザベートの3人が、3人ともすごくリアルで、いかにも現実にいそうな感じ。こんな3人だったんじゃないか、と思わせる一家。
エリザベートを愛しながら、それを外側から揶揄するルキーニと、遠くから見守っているトート。


逆に、一番劇画的というか「カリカチュア」っぽい印象を受けたのがウィーン版でした。
ゾフィーのキャラもフランツのキャラも記号っぽく、トートもルキーニもこの世に生きている感がなくて。
リアルに生きているのはエリザベート一人(あ、ルドルフもか)。
鬼がいっぱいに溢れている世界で、必死に鬼ごっこをしているエリザベート。回り中、彼女には理解できない、彼女とは別の世界にすんでいる鬼だらけの空間に生きている彼女の不安と恐怖。
くるんと裏返せば、正常な“世界”からはみ出しているのは彼女の方なのに、本人にはそれがわからない、

その不安と恐怖を眺める、観客の至福。
それが、この世で一番怖いものなのかもしれません…。


雪組再演版は、今はちょうどその中間くらいに見えます。
記号的だけれども愛情と理性に溢れたゾフィーとフランツ。そして、その家庭に入り込めない、入り方がわからない天使。
天使を愛した男の幸いと苦悩。
Mっ気たっぷりのフランツのキャラクターが、私はものすごく好きかもしれません。

そして、愛情深いゾフィーも。
東宝へいらっしゃるまでにどこまで進化するのか、それがとても楽しみです。







なんだか、あれこれ比較して書いているので、不愉快に思われた方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません。
そもそも、月組版が一番好き、と言っている時点で少数派であることは自覚しておりますので(滝汗)。

どうぞ(こんな長文ですけど)読み飛ばしていただければ幸いです…m(_ _)m




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