明日は宙組大劇場公演発売日。
昨日に引き続き春風さんモードから抜けられず、新公チケット欲しさにぴあに並びに行こうかと一瞬真剣に考えてしまいました。

チケット取ってどうするんだ。あんな日に休めるわけがないだろーが>自分。





さて。

違う「エリザベート」を観てしまう前に、雪組版について、とりあえず一番書きたいところを吐き出し、あ、いえ、書いておきたいと思います。

…さてさて。




ものすごーーーく私見ですが。

宝塚版の「エリザベート」という作品における、どの版でも共通の「基本設定」として。

「主役」はあくまでもトートであり、

「タイトルロール」はエリザベートであり、

「立役者」はゾフィーとフランツである、

と、私は考えています。


オリジナル作品との違いは、トートを前面に出したことでルキーニがその後ろに隠れてしまったこと。
結果、ルキーニはあくまでも「トートの道具」という位置、作品世界における狂言回しという存在に留まり、「物語」に積極的に関わっていく立場にありません。


ということはつまり。

「物語」を動かすのは「運命」であり、「運命の恋=Un Grande Amore」であって、トート本人の意志でもなければ、ルキーニでもない、ということでもあります。



「タイトルロール」のエリザベートの視点に沿って、彼女の目に映る「ここでないどこか」の象徴としてのトートを主軸に進む物語。
けれども、物語の縦糸となるのは、エリザベート本人の目にはほとんど映らない、「現世」を象徴する存在としてのゾフィーとフランツ。

「現世」を縦糸に、「幽り世」のトートを横糸にして織り出された、「エリザベート」というタイトルの織物。織機を操り、杼を通していくルキーニ

そういうイメージでした。


私が初めて生で観た「エリザベート」は、宙組版です。
初演の雪組版をご覧になっている方とは受けた印象が違うんでしょうね、きっと。「初演」というのはそれ自体特別なもので、再演とは全く違う物語空間を作るのが普通ですから。

雪組初演版では、星組版では、もしかしたらトートが故意に歴史を動かし、ハプスブルグ家を滅ぼした、という物語であったのかもしれません。

でも。



私の観た宙・花・月・雪ではそういう印象は弱くて、どの公演もトートは燃え上がった炎に風を送るくらいのことはしたかもしれませんが、「ほくちに火をつける」行為はしていなかったと思うのです。

東宝版は、そのあたりがちょっと微妙だったんじゃないかな、と思います。
…小池さんの演出意図は、私にはよくわかりませんケド(涙)




そして。
「宙組版・花組版」と「月組版・雪組再演版」で一番違うのは。

ゾフィーとエリザベートの対立軸でした。



花組版までは、どちらかと言えば「嫁と姑」、あるいは「自由と拘束」を対立の軸にしていた印象があります。

エリザベートは「自由」を求め、ゾフィーとその取り巻きは、彼女を見下しつつ「王家のルール」に従わせようとする、という構図。



でも。

月組版でのゾフィー(&フランツ)とエリザベートの対立軸は。

「責任能力のある大人」と「無責任な子供」の対立として私の目には映ったのでした…。




なんと言っても、ゾフィーのキャラクターが全然違ってたんですよね。
「怖い」「キツい」「恐ろしい」「酷い」といった形容詞ではなく、
「厳しい」「鋭い」「容赦ない」、…まぁ「キツい」はそのままかもしれないけど(^ ^)、そういった形容詞をつけたくなるキャラクターになっていた。


つまり。
平たくいえば。

客観的な正義は、完全にゾフィーの側にあったのです。

シシィにあるのは、「主観的な正義」だけ。そして、それはたやすく「自分勝手で我侭な言い分」に化けてしまいます。



トートがシシィに恋をしたのが「Un Grande Amore」ならば。
フランツがシシィに恋をしたのは、それ以上に「Un Grande Amore」だった。

だって彼は、この世で一番シシィに恋をしてはいけない男だったのだから。



国を背負って立つ一人の皇帝が、責任能力のない天使に恋をしてしまった。
これが月・再演雪版「エリザベート」という作品の、一番の悲劇でした…。



天使に国を背負える訳がないんです。
だって天使だもん。
娘を生んでも、皇太子を生んでも、シシィは大人にはならない。
彼女の理想は「パパ」。「パパみたいに」なりたい、「パパみたいに」生きたいのです。

せっかく背中に羽根があるんだから、その羽根をいっぱいに広げて大空に羽ばたいて、地上の柵などすぐにも断ち切ってしまいたくてたまらない。

そして。
その羽根をもぎ取ろうとする勢力のことは、全身全霊をかけて否定する。
闘うのではありません。否定したんです。「子供であり続ける」ことによって、戦いを拒否した。

敢然と頭をあげて「慣習」と闘うのではなく、敵に背を向け、自分の最大の武器となった「美貌」を磨くことで自分のアイデンティティを守り抜いて。なるべく顔を合わせないように、敵の陣地からなるべく身を離しておくように、というところに尽力して時代を生き抜こうとした、それが彼女の「戦い」。


天使は闘う存在ではないから。





それでも、彼女を地上につなぎ止める鎖をギリギリまで切らずにいたのは、彼女がフランツを「愛していた」から、というのが
月組版での麻子シシィの結論だったと思います。
麻子さんは、最後の「夜のボート」まで、フランツに対する情があった。
愛であったかどうかは判りませんが、確かにその名残があったのです。

でも。

雪組再演版でのとなみシシィは。

「あなたは私を見殺しにするのね」と言ったその時から、フランツのことは切り捨てていました。






ピシャっ、と。

そんな音さえ聞こえてきそうなほど、キッパリとフランツに背を向けるシシィ。
その声は「悲痛」ではなく、ただ淡々と「事実」を述べる声。

あなたは私を見殺しにするのね。
そう、そうなのね。
ならばいいわ。さようなら。


「嵐も怖くない」と言った満面の笑顔から、そんなに時間は過ぎていないのに。



冷たくそう吐き捨てて、ベッドへ向かうシシィ。





ナイフを取って、発作的に喉に向けようとして。
でも、それさえどうしたらいいのか判らない「子供」。

刺せる訳がない。そんなことが出来ようはずもない。
子供が興奮のあまりナイフを手首にあててみる、リスカするのをみせつける、
…その程度、の。



イヤよ、なんで私が死ななくちゃならないの。
私が悪いの?違うでしょ。何も悪いことなんてしてないわ。
当たり前のことが当たり前にできない、この宮殿の人たちがおかしいのよ。

私は、私よ。
私が生きるのは、私自身のためよ!





王者は全ての人民の手本とならねばならない。
それが王権神授説のもとで特権を与えられた王家の、唯一の義務。

その義務が、天使にはどうしても理解できない。
永遠のすれ違い夫婦。





この場面の水くんのトートは、もの凄く美しかったですね。
冷たく厳然とした、けれどもその中に全てを安らがせる「闇」をもった「死の眠り」。

彼が愛したのは、シシィの光。
天使だけが持つ、光輝。
だから、その背にある「翼」に傷をつけることなく冥府へ連れ去るために、彼女がスベテを諦めるのを待つことにした。

無理に、力づくでモノにしてしまえば、その背の翼は落ちてしまうから。
翼のないシシィ、天使でなくなったシシィには、興味がないから。


どこまでも追い続けよう。
お前がどこまでいけるのか、
この辛い現世を、その皓い翼を抱えたままで。

見守っていてやろう、その翼を落とすことのないように。
追い続けよう、いつまでも…。






そうして天使は目覚め、辛い牢獄の日々へ戻っていきます。
ハンガリーで味方を得、少しづつ宮廷に地歩を築きながら。

それでも。

今までの公演、フランツが子育てについて「ママの方が経験豊富だ任せよう」と歌うたびに。
「なんつーマザコン!」と思っていたのですが。(それはもう、ガイチさんの時でさえソコだけはどうかと思った)

なのに、今回ばかりは。

うん。フランツが正しい。
天使に子育ては、無理。子供を産むことはできても、育てるのは、まして「教育」するのは、もう絶対に無理。

そこがすんなり納得できたのは凄いなあ、と思いました。
となみちゃんのシシィが、あまりにも浮世離れした天使だったから。

国を憂う皇帝なら、自分の跡継ぎを天使に育てさせるなんて冒険はできるはずがなかった。

でも。

フランツは、最終的に「国」よりも「天使」を取る。

君の手紙、何度も読んだよ
君の愛が僕には必要

君のいない人生に耐えることなどできない…


一人の「生身の皇帝」の、凄絶な告白。
誠実な男の、初めての弱音。



ユミコさんのフランツの、鏡の間の歌は。
この選択の意味を真実に理解して歌っているな、と思いました。

この選択は間違いだ。
自分の国は、いずれ遠からず滅びるのだ、と。

彼女を選んだことで、自分は悪魔との契約書にサインしたのだ、と。



でも、彼にはどうすることもできなかった…。
君無しの人生は耐えられないから。


ガイチさんのこの場面も本当に好きでした。
このガイチさんを超える人はいないだろうと思っていました。

でも。
ユミコちゃんのフランツは、もしかしたら。
今後の進化次第では、マイベストフランツになるかもしれない、と…。

低音が豊かなのは、既存のミュージカルで男役をやるうえでもの凄い武器なんですよね。どうしても音域が低いところに来ますから。
ガイチさんも随分低い響きを作っていらっしゃいましたけれども、元々の声が細くて高いタイプなのでどうしても限界はあったんですよね。

ユミコちゃんの声。切ないほどに甘い、豊かな響き。
恋しいシシィを呼ばずにはいられない切迫感。
動きのほとんどない場面で、表情もほとんど髭に隠れて見えない役で、声だけでドラマを創る。

ドラマティックな、声。



皇帝は、まずは生きることが必要だった。
無傷で玉座に居ることが、最初の義務。
だから。

天使に傍にいてほしい。


その、あまりにも辛い叫びを。
全身全霊を懸けて声に篭める。

泣かせていただきました。
ユミコちゃん、ありがとう。



そして。
その呼びかけに応えて登場するエリザベートの、その圧倒的な美しさ。
フランツが間違った道を選んでしまう気持が心の底から納得できる、この世のものならぬ美貌。

ユミコちゃんは、扉が開いてとなみちゃんが振り返った瞬間に、ふ、と微笑んだんです。
ほんの幽かに、
哀しそうに。

美しい天使と引き替えに、国を売った裏切り者である自分。

それでも。
私にはこれが必要なのだ、と。




そんな二人を見守る水くんのトート。
銀橋にイヤラシク寝そべっていたトートが、ふいに起きあがる。

天使が嗤った、

その瞬間に。


子供だからこそ、自分の美しさのために振り回されるフランツを眺めるのが楽しくて仕方がない。
哀れな皇帝を莫迦にしきった、嗤い。


この人が私のモノであるかぎり、私は生きていけるかもしれない。
空に飛びたつことはできなくても、

このヒトが私のモノであるかぎり。




黄泉の帝王の受ける衝撃。

お前に命許したために
生きる意味を見つけてしまった



天使のくせに、
子供のくせに、
いや、子供だからこそ
誰よりも残酷で、思いやりの一欠片もない、
我が侭な美貌。

なのに、愛さずにはいられない。



皇帝が迷い、
黄泉の帝王が惑い、

そして求めずにはいられない、完璧な美貌。


エリザベート…!

驚愕と賛嘆の叫び声と共に、降りてくる幕。




Un Grande Amore.




オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立するのが1867年ですから、1幕ラストは1865年頃、ということになるのでしょうか?
イタリア王国が動きだし、ビスマルクが政権を取って少し落ち着いた頃。

中央ヨーロッパを巡る情勢が風雲急を告げ、
それに対応しようとしたフランツは、手に余る情勢の中で疲れ切って、そして、シシィの掌の中に堕ちていく。

シシィは、宮廷における小さな勝利に酔っている。

踊るなら。
踊りたい時に、好きな音楽で、
踊る相手も私が選ぶの

…踊るなら!




その、小さな勝利に酔った足元に、白蟻が巣くっていることを彼女は気づかない。

「ママー!」

悲痛な叫びが、母に届く日はこない。




シシィは。

彼女は「子供を可愛がりたかった」のであって、
「子供を育てたかった」のではない、のです。

子猫を可愛がるように、
子犬を可愛がるように、
仔馬を可愛がるように、

天使は子供たちを可愛がりたかった…。



シシィの分身であるトートは、エリザベートの分まで子供を可愛いがりに現れる。
シシィと同じものをみている子供。
シシィと同じ羽根を持った、天使。



シシィの愛は、子供の愛。
我が侭で、気まぐれで、
安定感のない、愛。
そして、求める者には与えられない、残酷な優しさ。



トートもそう。子供の愛。
思いこんだら一直線で、手に入るまでは決して諦めない、
でも、いったん手に入れてしまえばすぐに終わる、
気まぐれで激しい、嵐のような愛。



フランツの愛は、大人の愛。
空気のような、あって当たり前になりがちな、愛。
暖かな日だまりのような。

冬にはありがたいけど、夏には暑くてやってられない。
それが、フランツ。

気まぐれな嵐のようなトートの愛と、比べるなんて野暮の極み。



でも。

時として、水さんのトートの激しい愛は、そのまま引きずられてしまう魅力と迫力があったんですよね。
シシィを求め、欲するトートの激しさに。


この世のモノならぬメークと仕草、そして、圧倒的な激しさの「愛」。

こういうトートもありなんだ、と。
すっかり「トート=サエコさんのトート」で焼きついていた私の記憶も、すこーしづつ柔軟になりはじめたところ。


水くんの一番のイイトコロは、芝居に情があるところ。
今回は歌でいっぱいいっぱい(←でも良かったです!)な感じで、まだ芝居にまで気がいっていないのかな、という印象もありましたが。

初日頃と今とではまた全然違うらしいですが。
試行錯誤して、トートとしてあちこち彷徨って流離ってみて、
水くんらしい、水くんにしか出来ないトートを作りあげてくれることを祈っています。



…大劇場に通える方が、そうやって一歩進んで2歩下がる(←あれ?)水くんのトートを見守ることのできる方が、すごーくとっても羨ましいよー…。






コメント

nophoto
はにはに
2007年5月21日17:22

フランツの解釈、そうだよね〜!確かにそうだよねぇ〜
こうやってねこさまの深い深い読みを拝見していると
ほんと終演後に色々と話したかったなと思います。

あれからバタバタとずっと忙しくちょっと気持ちを
落ち着ける間もなく、今週末はまた雪エリザに行くんですよ。
大阪侍のチケットが無いので「コンフィデント絆」を
観てこようかなと思っています。

みつきねこ
みつきねこ
2007年5月22日0:21

コメントありがとうございます〜。ひょっとして
余計なお喋りをして嫌われてしまったのかとドキドキしてました(苦笑)

また遠征なさるんですね!羨ま〜。水くんもとなみちゃんもユミコちゃんもハマコさんも、きっと皆さん全然変わっているんでしょうねぇ。楽しんできてくださいね!

コンフィダント…おおっ!ぜひぜひ観てみてくださいませ!
そしたら、ネタバレな続編を書くのは来週以降にしましょうね(笑)。