Lake Dal のほとりで
2007年5月2日 宝塚(月) コメント (1)月組全国ツアー「ダル・レークの恋」。
お稽古集合日から丸4日。だいぶ佳境に…入ったのでしょうか?
まだまだかな?
さすがの観劇マニアの私もちょっとネタ切れしてしまったので、ダル湖のほとりをバーチャル散策してみたいと思うのですが…
また長くなっちゃいました(滝汗)
…本当はモダンミリーやNeverSleepなどなどの舞台となった1920年代のアメリカについて豆知識を集めていたんですが ^ ^;、うまくまとまらなかったんだもん…(涙)
“ダル湖”で検索をかけてみたら、かなりの数のページがひっかかります。
宝塚関連の情報も多いのですが、意外と多いのがインド紀行の中でダル湖に立ち寄っているもの。紛争地域だったため日本人は立ち入り禁止だった時代も長いのですが、ここ10年くらいの日記や紀行文が結構出ていて、読んでみると結構面白いんです♪
まず。“ダル湖”について、割と共通のイメージがあるんですね。
タージマハールみたいに、誰もが知っていて、実際に観た人もほぼ共通の感慨やイメージを抱く「有名な観光地」とは違うと思っていたのですが、インドに旅行に行くような人々の間では、ある程度大枠の「イメージ」はあるんだな、と思いました。
まぁ、日本で言えば…どこがイメージ近いんでしょうね。都のすぐ近くの高級リゾート…交通の要所でもあったところなので、関ヶ原を擁する鈴鹿とか伊吹とかあのあたり?でも高級リゾートとは言い難いような…。
古代の高級リゾートっていうと有馬と南紀白浜しか思いつかない私(涙)。
ダル湖。
カシミールの州都・シュリナガルを囲むように存在する、(正確な大きさは不明)多分、川口湖の倍くらい、かな?(←目分量)
残念ながら、水はあまりキレイではないらしいです。写真も水草がすごーくて、ちと多すぎる感じのものが多数(汗)。
でも、本来はヒマラヤの絶景を映し出す「水の宝石」、澄明な水面に雪の高山や湖畔の常緑樹の影を描く「天国の湖」であったようです。
各サイトさまに掲載されている日暮れや朝の写真は、どれもとても美しい。
また、イスラム帝国(ムガール帝国など)領であった時代も長いせいか、湖畔の建物も華麗なイスラム建築が多いようですね。(なんちゃってイスラムかもしれませんが)
どの写真を見ても、水面にはハウスボート(船の形をした宿泊施設)がたくさん。
インドがイギリスの植民地だった時代も、カシミールは藩王国(半独立国)であったためにイギリス人は自由に別荘を建てることができず、ダル湖に船を浮かべて避暑していたことから、ホテル(というか民宿の方が近いかな?)として営業されるようになったのだそうです。
何艘かのハウスボートを通路でつないで、大きなホテルとして営業していたりするそうな。揺れたという記述はあまりなかったです。そんなに大きな湖ではないから、波風も大したことはないのかな…。
ダル湖のあるカシミール地方は、インド・パキスタンの北端。
カシミヤ山羊の棲む深山幽谷です。
チベット高原(その南限としてのヒマラヤ山脈)に東を、カラコルム山脈からヒンズークシ山脈に北から西までを閉ざされ、K2とナンガパルパットという有名な山がそびえ立つ地域。
その山脈の隙間を、ヒマラヤ北嶺に端をはっしたインダス河が東から西へ抜けていく。
シュリナガル(ダル湖)はインダス河の支流であるジェラム川沿い。ヒマラヤとカラコルムに挟まれたこの“カシミール谷”は、別名“幸福な谷”とも言われる肥沃な土地で、カシミール地方の経済を支えています。
ちなみに。
ナホちゃんが演じるチャンドラ・クマールは、ベナレスの領主。
ベナレス(ヴァーラーナシー)は、ガンジス河による豊潤なヒンドゥスタン平原の上流部。釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)が近く、ヒンドゥー教、仏教の聖地となっています。
あひちゃんが演じるクリスナはハイダラバードの領主。
ハイダラバード(ハイデラバード)は、デカン高原のど真ん中。
熱帯の内陸性高原のため気温は一年中高く、特に乾期はアツイ。ドラヴィダ系の人が多く、イスラムが優勢。
現在はITなど工業が盛んだが、19世紀くらいまでは世界有数のダイヤモンド産出国だったそうです。
ペペルがリタをだまくらかしてまず向かうのが「ハイダラバード」だったのは非常に意味があるんだと思います(笑)。
かなみちゃんのカマラは、「この夏」が終わればデリー大公の姫の女官長になる身分。
デリーはもちろん、現インドの首都でパンジャブの中心地、商業・工業・政治の中心地のひとつ。基本的にはイギリス直轄領だったはずなのですが、「デリー大公」というくらいだから、藩王国ではなく、イギリスとの共同統治みたいな形になっていたのかもしれませんね…。
ちなみに、“某”さんの出身地であるベンガルは、現在のカルカッタを含むガンジス河下流の広大なデルタ域。もちろんバングラデシュも全域含まれます。
地域全体としてはイギリスの支配下にあったはずですが、中心地の一つであるダッカ(?)はフランス植民地でした。
「ダル・レークの恋」という物語が、どうしてイギリスではなくフランスを中心に話が進むのかすごく疑問だったのですが、ベンガルだから、だったんですね…。
第二次世界大戦後のインド共和国設立において、ハイダラバード藩王国は共和国への参加を拒否して別個の独立を主張し、中央政府との武力衝突を起こしました。
ダル湖を含むカシミール藩王国は、住民はイスラム(パキスタンへの帰属を希望)が多いにもかかわらず、藩王家がヒンズーだったことからインドへの帰属を希望し、いわゆる「カシミール紛争」が勃発。
現在はいちおう国境も落ち着いて、パキスタン側の“アザド・カシミール”、インド領の“ジャンム・カシミール”、そして中国が実行支配している東北端地域の3つに分断されていますが、最終的な決着がついたと言えるのかどうかは…?
歴史を辿ってみれば。
アーリア人がガンジス河流域に次々と国を建て、仏教などの新興(当時は)宗教が起こったのが前6世紀頃。
それに伴って国力を増した各国が、西からの圧力(ペルシア・マケドニア)を受けて北インド(カシミール〜ガンジス流域一帯、最大の時はアフガニスタンまで)を覆う統一帝国を作ったのが前4世紀のマウリヤ朝。仏教の推進で知られるアショーカ王は、このマウリヤ朝の3代目です。
これ以降、インドは南北に分裂した時代が長く、16世紀のムガール帝国成立ではじめて統一されることになります。
日本で言えば桶狭間の頃に出来たこのイスラム系帝国は、150年の長きにわたる繁栄を誇りますが、18世紀初頭(5代将軍綱吉の頃)から衰退。小王国が分立する状態に戻ります。
そのまま帝国主義時代を迎え、イギリス直轄領と諸王国の名残ともいうべき藩王国(半独立国)との斑ら文様に色分けされたインド。
イギリスのインド支配は、階級社会の上位を抑えた宥和策もあって比較的平穏。次第に現地でもイギリス本国に似たブルジョアが発達をはじめます。政治経済にも影響を与えるようになった彼ら“ブルジョア”は徐々に力をためて第二次世界大戦後の独立の力となっていったのでしょう…。
そしてまた、直接は関係ありませんが。
その昔。
唐の玄奘三蔵がインドへ向かったルートは、
【1】チベット高原の北を通ってゴビとタクラマカンの間を抜け、天山山脈(現キルギス)を越えてカザフスタン側へ
【2】パミール高原を大回りしてサマルカンド(ウズベキスタン)へ
【3】ヒンズークシ山脈を越えてカブールあたりに出て、カシミールからパンジャブへ出て、ガンジス河沿いに聖地へ
帰路は、カシミールからヒンズークシ山脈を越えずにチベット高原の北辺(タクラマカン砂漠の南側)を通って帰ったようですが、
いずれにしても、インドと中国という当時の“2大国家”が連絡を取るのに、このカシミールを通ってチベット高原を大回りするか、東南アジアをぐるーーーっと回ってカルカッタからガンジス河を遡るか、どちらかしかなかったことがわかります。
情報の伝達経路であり、国内有数の美しい保養地(避暑地)でもあるカシミール。
その、カシミール谷の中心にあるダル・レーク。
インド中の「王様」たちが一堂に会する場として、こんなにふさわしい場はないのでしょう。
本来、インドの階級制(ヒンズーのカースト制)は、同じカーストに属する同士以外の結婚を禁ずるものですから、「ヴァイシャ」と明示されたラッチマンと、どう考えてバラモンかクシャトリアのカマラが結婚できないのはそりゃーそうなんですが。
ただちょっと気になるのは、確か「ヴァイシャ」のカーストはいつの頃からか「商人」を表すようになっていたはずので、騎兵大尉のラッチマンは、本来は政治・軍事に携わる「クシャトリア」なんじゃないかと思うんですけどね。
それとも、騎兵大尉っていうのは尉官になっているけれども、実際は下士官で、カーストとは無関係なんでしょうかねぇ…。
…いえ、こんな屁理屈、作品の面白さとは何の関係もないんですけどね…(滝汗)
ダル・レークの恋。
帝国劇場で上演されたのを一度だけ観ましたが。
麻路さきさんのターバン姿の格好良さと、
星奈優里ちゃんのサリー姿がそれはそれはキレイで、うっとり見惚れていたのと、
稔幸さんの登場場面が凄く印象的で、それ以外の出番は全く覚えていないんですけど(汗)あそこだけ目に焼き付いているのと、
絵麻緒ゆうさんのおっとり坊やが大好きだったのと、
…アレ?結構覚えているじゃん私…。
イギリス統治下のインド貴族たち。
麻子さん、かなみちゃん、あひちゃん、あいちゃん、
そして貴族じゃない人代表:祐飛さん。
初日まで、あと3週間、ですね♪
どんなカシミールに連れて行ってくださるのか、楽しみにしています!
.
お稽古集合日から丸4日。だいぶ佳境に…入ったのでしょうか?
まだまだかな?
さすがの観劇マニアの私もちょっとネタ切れしてしまったので、ダル湖のほとりをバーチャル散策してみたいと思うのですが…
また長くなっちゃいました(滝汗)
…本当はモダンミリーやNeverSleepなどなどの舞台となった1920年代のアメリカについて豆知識を集めていたんですが ^ ^;、うまくまとまらなかったんだもん…(涙)
“ダル湖”で検索をかけてみたら、かなりの数のページがひっかかります。
宝塚関連の情報も多いのですが、意外と多いのがインド紀行の中でダル湖に立ち寄っているもの。紛争地域だったため日本人は立ち入り禁止だった時代も長いのですが、ここ10年くらいの日記や紀行文が結構出ていて、読んでみると結構面白いんです♪
まず。“ダル湖”について、割と共通のイメージがあるんですね。
タージマハールみたいに、誰もが知っていて、実際に観た人もほぼ共通の感慨やイメージを抱く「有名な観光地」とは違うと思っていたのですが、インドに旅行に行くような人々の間では、ある程度大枠の「イメージ」はあるんだな、と思いました。
まぁ、日本で言えば…どこがイメージ近いんでしょうね。都のすぐ近くの高級リゾート…交通の要所でもあったところなので、関ヶ原を擁する鈴鹿とか伊吹とかあのあたり?でも高級リゾートとは言い難いような…。
古代の高級リゾートっていうと有馬と南紀白浜しか思いつかない私(涙)。
ダル湖。
カシミールの州都・シュリナガルを囲むように存在する、(正確な大きさは不明)多分、川口湖の倍くらい、かな?(←目分量)
残念ながら、水はあまりキレイではないらしいです。写真も水草がすごーくて、ちと多すぎる感じのものが多数(汗)。
でも、本来はヒマラヤの絶景を映し出す「水の宝石」、澄明な水面に雪の高山や湖畔の常緑樹の影を描く「天国の湖」であったようです。
各サイトさまに掲載されている日暮れや朝の写真は、どれもとても美しい。
また、イスラム帝国(ムガール帝国など)領であった時代も長いせいか、湖畔の建物も華麗なイスラム建築が多いようですね。(なんちゃってイスラムかもしれませんが)
どの写真を見ても、水面にはハウスボート(船の形をした宿泊施設)がたくさん。
インドがイギリスの植民地だった時代も、カシミールは藩王国(半独立国)であったためにイギリス人は自由に別荘を建てることができず、ダル湖に船を浮かべて避暑していたことから、ホテル(というか民宿の方が近いかな?)として営業されるようになったのだそうです。
何艘かのハウスボートを通路でつないで、大きなホテルとして営業していたりするそうな。揺れたという記述はあまりなかったです。そんなに大きな湖ではないから、波風も大したことはないのかな…。
ダル湖のあるカシミール地方は、インド・パキスタンの北端。
カシミヤ山羊の棲む深山幽谷です。
チベット高原(その南限としてのヒマラヤ山脈)に東を、カラコルム山脈からヒンズークシ山脈に北から西までを閉ざされ、K2とナンガパルパットという有名な山がそびえ立つ地域。
その山脈の隙間を、ヒマラヤ北嶺に端をはっしたインダス河が東から西へ抜けていく。
シュリナガル(ダル湖)はインダス河の支流であるジェラム川沿い。ヒマラヤとカラコルムに挟まれたこの“カシミール谷”は、別名“幸福な谷”とも言われる肥沃な土地で、カシミール地方の経済を支えています。
ちなみに。
ナホちゃんが演じるチャンドラ・クマールは、ベナレスの領主。
ベナレス(ヴァーラーナシー)は、ガンジス河による豊潤なヒンドゥスタン平原の上流部。釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)が近く、ヒンドゥー教、仏教の聖地となっています。
あひちゃんが演じるクリスナはハイダラバードの領主。
ハイダラバード(ハイデラバード)は、デカン高原のど真ん中。
熱帯の内陸性高原のため気温は一年中高く、特に乾期はアツイ。ドラヴィダ系の人が多く、イスラムが優勢。
現在はITなど工業が盛んだが、19世紀くらいまでは世界有数のダイヤモンド産出国だったそうです。
ペペルがリタをだまくらかしてまず向かうのが「ハイダラバード」だったのは非常に意味があるんだと思います(笑)。
かなみちゃんのカマラは、「この夏」が終わればデリー大公の姫の女官長になる身分。
デリーはもちろん、現インドの首都でパンジャブの中心地、商業・工業・政治の中心地のひとつ。基本的にはイギリス直轄領だったはずなのですが、「デリー大公」というくらいだから、藩王国ではなく、イギリスとの共同統治みたいな形になっていたのかもしれませんね…。
ちなみに、“某”さんの出身地であるベンガルは、現在のカルカッタを含むガンジス河下流の広大なデルタ域。もちろんバングラデシュも全域含まれます。
地域全体としてはイギリスの支配下にあったはずですが、中心地の一つであるダッカ(?)はフランス植民地でした。
「ダル・レークの恋」という物語が、どうしてイギリスではなくフランスを中心に話が進むのかすごく疑問だったのですが、ベンガルだから、だったんですね…。
第二次世界大戦後のインド共和国設立において、ハイダラバード藩王国は共和国への参加を拒否して別個の独立を主張し、中央政府との武力衝突を起こしました。
ダル湖を含むカシミール藩王国は、住民はイスラム(パキスタンへの帰属を希望)が多いにもかかわらず、藩王家がヒンズーだったことからインドへの帰属を希望し、いわゆる「カシミール紛争」が勃発。
現在はいちおう国境も落ち着いて、パキスタン側の“アザド・カシミール”、インド領の“ジャンム・カシミール”、そして中国が実行支配している東北端地域の3つに分断されていますが、最終的な決着がついたと言えるのかどうかは…?
歴史を辿ってみれば。
アーリア人がガンジス河流域に次々と国を建て、仏教などの新興(当時は)宗教が起こったのが前6世紀頃。
それに伴って国力を増した各国が、西からの圧力(ペルシア・マケドニア)を受けて北インド(カシミール〜ガンジス流域一帯、最大の時はアフガニスタンまで)を覆う統一帝国を作ったのが前4世紀のマウリヤ朝。仏教の推進で知られるアショーカ王は、このマウリヤ朝の3代目です。
これ以降、インドは南北に分裂した時代が長く、16世紀のムガール帝国成立ではじめて統一されることになります。
日本で言えば桶狭間の頃に出来たこのイスラム系帝国は、150年の長きにわたる繁栄を誇りますが、18世紀初頭(5代将軍綱吉の頃)から衰退。小王国が分立する状態に戻ります。
そのまま帝国主義時代を迎え、イギリス直轄領と諸王国の名残ともいうべき藩王国(半独立国)との斑ら文様に色分けされたインド。
イギリスのインド支配は、階級社会の上位を抑えた宥和策もあって比較的平穏。次第に現地でもイギリス本国に似たブルジョアが発達をはじめます。政治経済にも影響を与えるようになった彼ら“ブルジョア”は徐々に力をためて第二次世界大戦後の独立の力となっていったのでしょう…。
そしてまた、直接は関係ありませんが。
その昔。
唐の玄奘三蔵がインドへ向かったルートは、
【1】チベット高原の北を通ってゴビとタクラマカンの間を抜け、天山山脈(現キルギス)を越えてカザフスタン側へ
【2】パミール高原を大回りしてサマルカンド(ウズベキスタン)へ
【3】ヒンズークシ山脈を越えてカブールあたりに出て、カシミールからパンジャブへ出て、ガンジス河沿いに聖地へ
帰路は、カシミールからヒンズークシ山脈を越えずにチベット高原の北辺(タクラマカン砂漠の南側)を通って帰ったようですが、
いずれにしても、インドと中国という当時の“2大国家”が連絡を取るのに、このカシミールを通ってチベット高原を大回りするか、東南アジアをぐるーーーっと回ってカルカッタからガンジス河を遡るか、どちらかしかなかったことがわかります。
情報の伝達経路であり、国内有数の美しい保養地(避暑地)でもあるカシミール。
その、カシミール谷の中心にあるダル・レーク。
インド中の「王様」たちが一堂に会する場として、こんなにふさわしい場はないのでしょう。
本来、インドの階級制(ヒンズーのカースト制)は、同じカーストに属する同士以外の結婚を禁ずるものですから、「ヴァイシャ」と明示されたラッチマンと、どう考えてバラモンかクシャトリアのカマラが結婚できないのはそりゃーそうなんですが。
ただちょっと気になるのは、確か「ヴァイシャ」のカーストはいつの頃からか「商人」を表すようになっていたはずので、騎兵大尉のラッチマンは、本来は政治・軍事に携わる「クシャトリア」なんじゃないかと思うんですけどね。
それとも、騎兵大尉っていうのは尉官になっているけれども、実際は下士官で、カーストとは無関係なんでしょうかねぇ…。
…いえ、こんな屁理屈、作品の面白さとは何の関係もないんですけどね…(滝汗)
ダル・レークの恋。
帝国劇場で上演されたのを一度だけ観ましたが。
麻路さきさんのターバン姿の格好良さと、
星奈優里ちゃんのサリー姿がそれはそれはキレイで、うっとり見惚れていたのと、
稔幸さんの登場場面が凄く印象的で、それ以外の出番は全く覚えていないんですけど(汗)あそこだけ目に焼き付いているのと、
絵麻緒ゆうさんのおっとり坊やが大好きだったのと、
…アレ?結構覚えているじゃん私…。
イギリス統治下のインド貴族たち。
麻子さん、かなみちゃん、あひちゃん、あいちゃん、
そして貴族じゃない人代表:祐飛さん。
初日まで、あと3週間、ですね♪
どんなカシミールに連れて行ってくださるのか、楽しみにしています!
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コメント
今日初めて、今月号の歌劇を読みました。
「ダルレーク」上演に合わせて、インド紀行の記事が載ってるんですね。しかも内容もかなり被ってる。
…この日記、いらなかったな………(がっかり ←歌劇誌はちゃんと読みましょう)