演劇フォーラム『宝塚歌劇「明智小五郎の事件簿〜黒蜥蜴〜」をめぐって』に参加して参りました♪

一日遅れてしまいましたが、簡単にご報告させていただきますm(_ _)m。



最初の講師は、作家の荒俣宏さん。(←プロフィールでは博物学者が最初に書いてありましたから、ご本人的にはそっちが主なんですね!…私も彼の博物図鑑は大好きですが)

お題は「江戸川乱歩の世界」。


まず、入って来るなり。
挨拶もそこそこに、「こんなに女性ばっかりだとは思わなかった…」と仰った荒俣さん。
「僕は乱歩のことを話す演台は初めてではないのですが、だいたい乱歩っていうのはマニアックなファンが多くて、集まってくるのはほとんどが男性なんですよ」ってな話から入りました。

うーん、そりゃそうだろうなあ。私も一度、星新一ファンクラブ総会みたいなのに参加したことがありますが、そりゃーおじさんばっかりでしたからねぇ。乱歩はもっと凄いでしょうね…。

で、しばらく、荒俣さんの率直な乱歩賛歌を聞かせていただきました。
「あの『宝塚』が乱歩作品を取り上げるなんて考えられないくらい、どちらかといえば『アングラ』であり『エロ・グロ・ナンセンス』の世界を描いた作家だった」と、マニア向けの小説家だったということをお話ししていらっしゃいました。

私は、小学校の図書館に入っていた高学年向けの乱歩全集を全巻読んだはずなのですが、内容を覚えている作品は少ないんですよね…。その後読み返したこともないので、結局「知っているようであまりよく知らない作家」の一人になってしまっています。(ちなみに「A/L」のルパンシリーズも同じような位置づけ)

でも、荒俣さんのお話には本当に乱歩への愛と尊敬が溢れていて、聞いているうちに“乱歩もう一度読み返してみようかなあ…”とか思っちゃいました(←素直)。


ちょうど、先日発売された最相葉月さんの評伝「星新一(1001話をつくった人)」を読み終わったところなのですが。あれを読むと、日本では探偵小説とSF小説の間の壁が非常に低いんですね。探偵小説系の新人賞を獲って、SFを書いている人も多いですし。
そして、乱歩という人は「探偵小説の父」であるだけでなく、「空想小説の父」でもあり、「日本SFの祖父」くらいの役割を果たしてくれた人なんですね…。ご自身がSFを書いたとか、直接SF雑誌を編集したとかではありませんが、日本SFを育てた「宇宙塵」や「SFマガジン」にコメントを寄せ、星新一を見いだし、いい作品が出れば自身が主宰していた雑誌「宝石」に転載して広く読者に紹介し……
「文芸」とは違う「空想小説」というジャンルの読者を育て、作家を育てた、日本の出版界の神様みたいな存在だったんだろうなあ、とあらためて思ったりしたのでした。



その後、「レビュー」についてに続いたのかな。
「レビュー」は、年末などの区切りの時期に、劇場でその年一年間にあったことを振り返るもので、「事前に観る」意の「プレ・ビュー」の反対語「レ・ビュー」なのである、と。

一年間に起こった出来事を、今ならニュース映像の切り貼りで流すわけですが、当時はそんなもの(映像)がなかったので、劇場でやるようになった、と。

そういわれてみれば、歌舞伎の「忠臣蔵」なんかも事件が起こってから非常に早い時期に上演された「ニュース番組」であった、という話は聞いたことがあるなあ、と思ったり。
実際、テレビが無い頃には、旅回りの芸人集団が都のニュースを持っていったわけですが。彼らはただの噂話として話すのではなく、講談にしたり歌や踊りをつけたりして、「情報」としてではなく「芸」として金を取っていた訳ですよね。

それが、パリあたりの華やかな劇場で、一つの形式としてまとまったものがレビューの始まりかと思えば、すごく納得できます。
荒俣さんが「一つの場面を2,3分で、すごい早替わりで色んな人に成り代わって出てくるのも、いろんな事件を次から次に演じてみせるから必然的にそうなるんだ」という話をされていて。
おお、なるほど!と思ったのでした。

そして、「黒蜥蜴」は、小説自体が「レビュー」になっているんだ、と。
「クラブを舞台」とし、「緑川夫人の歌と踊りで始ま」って、「事件を語る」、という、その形式自体が「レビュー」である、と。

最初に「乱歩の世界はアングラである。宝塚の煌びやかな世界とは全く相容れない」という話をしておいて、「でも黒蜥蜴はレビューである」と。
「乱歩の世界のレビュー」に宝塚が挑戦する。そこが面白い、というような話をなさっていたと思います。


それから、黒蜥蜴の本来の舞台である大阪と通天閣について。
(木村版で上野の大仏さんになっている宝石の受け渡しの現場は、原作では通天閣)
どうしても「塔」ものに弱くなっている月組ファンとしては、当時の通天閣の話もとても面白かったです。また、「大阪」という微妙な土地を舞台にしているからこその面白さ、という話も出て、やっぱり時代や土地の匂いというのは、作品を作る上でもの凄く重要なんだなあ、と思ったのでした。
基本設定を変えるなら、全ての部分をチェックしないとダメですよ!



多分。
あの一階席を埋め尽くした1000人以上のお客さまの中で、「一番の目当て」が座談会でなかった人(私含む)は本当にごく僅かだっただろうと思いますが。
…私にとっては、とても興味深くて面白い15分間でした♪


本題とは何の関係もないのですが、星新一の評伝は、父親である星製薬初代社長・星一の業績からはじまって、戦後の日本SF黎明期の激動を細かく描いた、大変面白い本でした。
星新一、という、他に比べようもない数奇な運命を辿ってきた“御曹司”の、他に比べようもない偉大な才能とその限界について、容赦なく描ききったノンフィクション。星新一の作品のファンでなくても、明治から戦後までの「時代の空気」を感じられるいいルポだと思います。ご興味がありましたら、ぜひお手にとってみてくださいませ♪






次のコーナーは、木村信司トークショー。
★ちなみに、この先でネタバレがあります。まだ公演を未見の方はご注意ください★

まず。
「扉のこちら」で採用され、2作目を書くように言われた時。
「最初に思いついたのは、子供の頃から憧れていた理想の男・明智小五郎だった」そうです。
んで、その時も黒蜥蜴をやりたいと思ったけれども、「まだちょっと早いかなと思って黄金仮面にした」と。三島由紀夫の名作戯曲が既にあるわけですから、これは賢明なんですけれども。
「今回は、あれから12年たっていて、もういいかなと思って」黒蜥蜴を選んだんだそうで…。
(いやあの。まだまだ100年くらい早かったんじゃないでしょうか…?)


「乱歩作品の面白さは?」と問われて、
「すごく時代色が濃いところ。荒俣さんはエログロと仰ってましたが、僕は大正浪漫を感じる」と。
(だったら、どうして戦後なんだよ!)


三島戯曲と自作との違いは?と言う問いには。
「三島さんの作品はモノとモノの関係で語っている。人の内面に入っていかないから、逆の意味でファンタジーとして成立している」と。
「今回、明智にも黒蜥蜴にも赤い血がどくどくと流れている」のだそうですが…
(え?ものすごく人形劇チックな、心情的にあり得ない展開だと思ったのは私だけ?)


そして。一番大事な質問・「なぜこの時代を選んだのか」に対しては。

「宝塚化」、とは、イコール「ラブロマンスにすること」である。ゆえに黒蜥蜴と明智小五郎は愛し合わなくてはならない。かつ、ハッピーエンドではダメで、ドラマティックな悲劇を迎えなくてはならない。

平凡な発想では、普通に「愛される」=「他人に自分を預ける」ことを肯えない黒蜥蜴が、明智の愛を受け入れることを拒否して自殺する、という展開を思いつくわけですが。

木村さんが最初に思いついた「ドラマティックな悲劇」とは。

兄妹ネタ。

…それかよ〜〜〜〜!!!!!


愛し合い、それをお互い受け入れた後で、自分たちが兄妹で会ったことが判る。
それのどこが、ドラマティックな悲劇?
…今の時代の戯曲としては、そういうのを陳腐っていうんですけどね…




まぁ、突っ込みは置いといて。
最後まで兄妹であることに気づかない→顔がわからない→なぜ離ればなれになったのか?→戦争で離ればなれになった、という脳内展開があって、戦後の話になった、と。

先に「戦争は厭」という木村さんお得意の前提があって、戦争による悲劇として兄妹の別れ→最後の悲劇が起こってしまう、という発想の流れだとばかり思っていたので、少しだけ意外でしたが。

だからと言って、納得できるモンではありませんけどね…。





あとは、今までの作品を振り返って一言コメント、みたいなのをしていましたね。
ジュリアス・シーザーは、「オペラが続いたので、たまにはシェイクスピアをやりたいと思った」とか。
で、「コーラスをメインにした音楽劇、という作り方は、これで行き着くところまで行ったと思った」と。



で、最近過去の作品を読み返したのですが、「俺って変わってないな、懲りないな」と思った、と。
自分では結構変えているつもりだったのだそうですが。

たしかに変わってないし、成長してないよね…。
少しでいいから懲りてくれ、頼むから




…私はずっと、木村さんは「宝塚」ということに興味がないんだろう、と思っていました。

でも今回、彼の話を初めてじっくり聞いて。
「宝塚はラブロマンスでなくてはならない」「それも、ドラマティックで悲劇的な愛でなくてはならない」「だから、どうしても敵対関係にある二人が愛し合うという設定になりがちだ」という、非常に一元的ではあるけれども明快な意見を聞いて。
彼は彼なりに「宝塚でなければできないもの」「宝塚だからこそできるもの」を追求してココまで来たんだな、と思いました。

宝塚が好き、
宝塚が大好き。
その思いは誰にも負けない、という気合いを感じたのです。



私にとっても、「十二夜」とか「不滅の棘」とか、好きな作品もあるんですよ。
大劇場作品では「ゼンダ城の虜」は佳作だったと思いますし、「暁のローマ」は、歌詞さえ書き直してくれれば…と思い続けた迷作でしたし。

でも。
「鳳凰伝」と「王家に捧ぐ歌」、2作続けてどうしても性に合わなくて。
放浪の王子タカコさんも、偉大な将軍ラダメスのわたるさんも、豪華な衣装があまりにも完璧に似合ったハナちゃんも檀ちゃんも、本当に皆大好きだったのですが。
脚本に焼き付けられた木村さんの声高な主張がどうしても受け入れられなくて。

…その後は「暁のローマ」まで、木村作品は観ませんでした。



かなり話が飛んでしまって恐縮ですが。
童話作家の佐藤さとるさんの小説に、鏡つくりの話があります。
昔昔、まだ庶民が鏡というものを知らなかった頃のお話。

鏡は、ただ心を込めて真っ平らに磨き上げるべきもので、裏の細工がどんなに素晴らしくても、鏡面に曇りがあれば駄鏡、ましてや文様を鏡面に彫り込むに至っては愚の骨頂である、と。

そういう「寓話」なのですが。


「鳳凰伝」以降の木村さんの作品を観るたびに、この寓話を思い出します。

植田紳さんは、裏の細工に凝りすぎて鏡面に歪みが出てしまいがちなタイプ。
そして木村さんは、文句なく鏡面一面に文様を彫り込んでしまうタイプ。

作品を観るたびに、そう思うのです。


彼が彫り込むテーマが嫌いなんじゃないんです。
私だって戦争は嫌いだし、誰にも戦って欲しくない。

だけど、それを鏡の表に彫るのはやめてほしい。

見終わった観客が、全員胸の中で「そうだよね、戦争は良くないよね」って、すとん、と思うような作品を作ってほしい。
歌詞で、台詞で、「戦争は嫌〜♪」っていくら繰り返されても、それは当たり前のことで、皆が思っていることだから、「今更?」としか思わないじゃないですか。

そこに早く気が付いてほしい。



彼は最後に言っていました。
「次はもっと、『宝塚でこれをやるなんて』といわれるような題材に挑戦してみたい」と。

彼の発想は面白いです。
とっても。
宛書の才能もあると思う。
だから。

次の作品こそはぜひ、「鏡を磨き上げる」ことだけに集中してみてほしい。
題材だけを与えて、役者の内側から出てくるモノをもっと大事に演出してみてほしい。

木村さんは「宝塚」に愛がないから仕方ないんだ、とずっと思っていたのですが。

こんなに愛していたのなら、
途中できれい事に逃げるのをやめて、あがいてみてほしい。
説明台詞で愛は語れないんだ、と早く気づいて。


愛は美しいものだけれども、“きれい事”ではないのです。
そして、恋にも愛にも理由など、ない。


演出手法としてのハッタリ感や、マスゲーム調のアンサンブルの動かし方は面白いと思うのですが。
一度、それこそ柴田さんの往年の名作あたりの再演演出をしてみたら、勉強になるんじゃないでしょうか…。(柴田さん&柴田さんファンはお嫌でしょうけれども)





…だいぶ横道にそれてしまいました。すみませんm(_ _)m。
この後もいくつか話をして、最後に
「乱歩のご遺族がご覧になって『明智小五郎が格好良くて嬉しかった』というコメントをいただいた。とっても嬉しかった」という話を披露していました。

で、司会の水落さんが「確かに春野さん格好良かったですね」とコメントした瞬間に、会場から大拍手♪
いやー、オサさんのファンは皆様熱いですねぇ…。





第一部はここで終了。

少し時間が余ったので、木村さんが「5分早く休憩に入って、5分早くオサたちに出て貰いましょう」と発言して、またもや大拍手を貰っていました(笑)。



前回の月組フォーラムの植田さんと違って、一応会話がなりたっていたので、協会側のみなさんもホッとされたのではないでしょうか…。

ま、相手の話を聞いていないのは師弟よく似ていらっしゃいますが★



とりあえず、ココで15分の休憩が入りましたので。
続き(←普通の参加者にとってはここからが本番)はまた、近いうちにUPしたいと思いますm(_ _)m。
…久しぶりの5千字超えになってしまった…(涙)。



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コメント

nophoto
はにはに
2007年4月23日19:13

いやぁ〜、私、一番興味があった荒俣氏のを聞き逃したのが悔しくてなりません。
というか、次回は絶対に一部から聞けるように会社を早退しようと決めました。すごく面白いですね。

木村先生はなんというか、うーん、せかせかした人でしたよね(笑)
あと、ずんこさんの「明智さん」ものはすごく良かったので(成瀬さんがまたカッコよかったし)木村先生に限っては留学させないほうが良かったのではと思ってしまいます。
日本国内で蜷川とか野田両氏みたいに演出家に国内留学させたほうが彼のためになったかも・・・

ところで、佐藤さとるさんといえば「誰もしらない小さな国」とかのころぼっくる物語を書いた方ですよね。
私、大好きでした。そして鏡の話もとてもうなづけました。
ねこさま、これ、木村先生にお手紙してくださいよ〜〜

お願い・・・

みつきねこ
みつきねこ
2007年4月24日0:54

あらっ、遅れちゃったんですか?
残念でしたねぇ〜!面白かったですよ、まともなお話で(笑)。

木村さんね…もう少し、人の話を聞いたら一回咀嚼してから答えてくれると良いと思うんですけどね。頭の回転も早いし。国内留学するなら、蜷川・野田より、もう少し等身大の…昔の音楽座とか、キャラメルボックスとか、ああいうところで揉まれてみると面白いと思うんですけどね…。

「結末のかなた」は誉める方多いですよね。観てみたいです!CSでやらないかなあ〜。

…手紙…(汗)。はにはにさま、全文転載許可しますので、お手紙書いていただけませんか?(笑)

佐藤さとる氏は、そうです。コロボックルシリーズが一番有名ですね。個人的には「わんぱく天国」という作品が一番好きでしたが…。宝塚向きの作品ではありませんが、あの級長さん、七帆くんとかいいかも〜♪と今回思いました(笑)。