19世紀末のパリ。
宙組公演「A/L」も、月組公演「パリの空よりも高く」も、この、バスティーユ陥落からちょうど100年が過ぎ、第三共和政となっているパリを舞台にしています。
今となっては、どんな“時代”だったのか、は、想像するしかないわけですが…、
きっとドラマティックな時代だったのでしょうね。実際、小説などでもこの時代を取り上げたものがとても多いような気がします。
「パリの空よりも高く」は宝塚オリジナルなのでちょっと置いておくとして。
「A/L」の原作である「アルセーヌ・ルパン」シリーズ。
「ファントム」の原作である、ルルーの「オペラ座の怪人」。
「エリザベート」の主役・シシィがフランツと結婚したのが1854年、没年1898年。
以前も描きましたがマイヤーリンク事件が1889年、ということは「うたかたの恋」もこの時。
そして。
隣の日生劇場で上演されている「ジキル&ハイド」は、19世紀末のロンドンを舞台にしていますし、
「オクラホマ!(アメリカ中部)」と「堕天使の涙(パリ)」は、いずれも20世紀の初頭の物語いうことになっています…。
…そして!日本に目を向ければ。
「星影の人」「維新回天・竜馬伝」「大阪侍」、いずれもほぼ同時期の物語です。
「バレンシアの熱い花」は19世紀初頭でちょっと早いのですが、ここ1年弱の間に宝塚で上演された作品のほとんどが「19世紀末」か「20世紀前半」に集中している、というのも凄いことだなあと思います。
これだけ立て続けに同時代の作品を見ていると、それぞれの関係が段々面白くなってくるんですよね…。
19世紀末の、パリ。
革命からちょうど100年。
長く続いた混乱期も、1870年のナポレオン3世失脚(普仏戦争敗北)、それに続くドイツ皇帝のフランス戴冠と、それに反対するパリ・コミューンの動乱という山場を最後に落ち着きを取り戻し、ブルジョアを中心とする第三共和政の時代が始まって(1875〜)国力回復と「偉大なるフランス」の回復につとめた時代。
「世界の華」と謳われたパリは、アジアの片隅から見たらまさに天国のような世界だったことでしょう…。
坂本竜馬は、もしあんなところで夭折したりしなければ絶対!世界各国を(密航してでも)回っていそうな気がするので。
きっとエッフェル塔を観にパリに来て、パリ・オペラ座でちゃっかりオペラを観て(ぐっすり寝て)。それから、発売されたばかりのルブランの新刊をプレゼントされて「へぇ〜、鼠小僧みたいなのが仏蘭西にもおるぜよ〜」と感心し(←この頃はまだ鼠小僧=義賊という認識はなかったと思われますが)、
最後に、
ウィーンに立ち寄ってフランツ・ヨーゼフに謁見し、「奥さんキレイじゃき、おりょうがおらんかったら迷うぜよ(←言葉めちゃくちゃっ!)」とか言って嫌われていそう(笑)。
土方さんも喜んで行きそうですねぇ〜。
出来たばかりのエッフェル塔に、「鍛錬だ!」とか言ってエレベーター使わずに歩いて登りそう。でもオペラ座では、ちゃっかり入り込んで歌姫クリスティーヌのサイン貰っていたりとか(笑)。
ルブランの新刊は逆さに持って眺めてるだけっぽいし、
ウィーンでは、皇太子ルドルフと語り合って飲み明かして、あげくにルドルフ行きつけの娼館に連れて行ってもらって大いに盛り上がっていそうな気がします♪
慶喜さんも、ナポレオン3世から贈られた軍服を喜んで着ていた、というエピソードが物語るとおり相当なハイカラ好き、フランス好きなので。
まだエレベーターが動いていない頃にエッフェル塔に行って、がんばって登り始めるんだけど途中で(100段くらい上がったところで)力尽きて倒れていそう(^ ^;。
オペラ座は…いそいそと踊り子さんを観に行くかなあ。
フランツ・ヨーゼフとは比較的ちゃんと話をしそうな気がしますね。有能な政治家だったようですから。
桂小五郎は、実際外遊してましたよね…?あれっていつだっけ。
もともと、パリの「第二回目の」万博には、確か長州からも「出品」していたような気がします(他に薩摩と幕府)ので、桂はそれなりに関係あった可能性がありますね。日本政府が正式に「参加(出展)」したのはウィーン(1873年)ですが、このときはどうだったのかな。
1889年のパリ万博、彼は行ったのかしら…。行ったとしたら、ルブランの新刊はプレゼントされていそうだなあ(←フランス語が読める人は当時の日本に居たのでしょうかねぇ…)
なんだか、段々話が縒れてきてしまいましたが(^ ^;ゞ
いろんなエピソードの積み重ねで歴史は出来ていて、
表には出てこない「他のエピソードとの関係性」を想像するのが、歴史を学ぶ上で一番面白いところなんですよね。
ココのところ、割と時代が近い物語ばかり立て続けに観たので、すっかり面白くなってしまったのです♪
内容がないよー…なのに、長文になってしまってごめんなさいm(_ _)m
.
宙組公演「A/L」も、月組公演「パリの空よりも高く」も、この、バスティーユ陥落からちょうど100年が過ぎ、第三共和政となっているパリを舞台にしています。
今となっては、どんな“時代”だったのか、は、想像するしかないわけですが…、
きっとドラマティックな時代だったのでしょうね。実際、小説などでもこの時代を取り上げたものがとても多いような気がします。
「パリの空よりも高く」は宝塚オリジナルなのでちょっと置いておくとして。
「A/L」の原作である「アルセーヌ・ルパン」シリーズ。
「ファントム」の原作である、ルルーの「オペラ座の怪人」。
「エリザベート」の主役・シシィがフランツと結婚したのが1854年、没年1898年。
以前も描きましたがマイヤーリンク事件が1889年、ということは「うたかたの恋」もこの時。
そして。
隣の日生劇場で上演されている「ジキル&ハイド」は、19世紀末のロンドンを舞台にしていますし、
「オクラホマ!(アメリカ中部)」と「堕天使の涙(パリ)」は、いずれも20世紀の初頭の物語いうことになっています…。
…そして!日本に目を向ければ。
「星影の人」「維新回天・竜馬伝」「大阪侍」、いずれもほぼ同時期の物語です。
「バレンシアの熱い花」は19世紀初頭でちょっと早いのですが、ここ1年弱の間に宝塚で上演された作品のほとんどが「19世紀末」か「20世紀前半」に集中している、というのも凄いことだなあと思います。
これだけ立て続けに同時代の作品を見ていると、それぞれの関係が段々面白くなってくるんですよね…。
19世紀末の、パリ。
革命からちょうど100年。
長く続いた混乱期も、1870年のナポレオン3世失脚(普仏戦争敗北)、それに続くドイツ皇帝のフランス戴冠と、それに反対するパリ・コミューンの動乱という山場を最後に落ち着きを取り戻し、ブルジョアを中心とする第三共和政の時代が始まって(1875〜)国力回復と「偉大なるフランス」の回復につとめた時代。
「世界の華」と謳われたパリは、アジアの片隅から見たらまさに天国のような世界だったことでしょう…。
坂本竜馬は、もしあんなところで夭折したりしなければ絶対!世界各国を(密航してでも)回っていそうな気がするので。
きっとエッフェル塔を観にパリに来て、パリ・オペラ座でちゃっかりオペラを観て(ぐっすり寝て)。それから、発売されたばかりのルブランの新刊をプレゼントされて「へぇ〜、鼠小僧みたいなのが仏蘭西にもおるぜよ〜」と感心し(←この頃はまだ鼠小僧=義賊という認識はなかったと思われますが)、
最後に、
ウィーンに立ち寄ってフランツ・ヨーゼフに謁見し、「奥さんキレイじゃき、おりょうがおらんかったら迷うぜよ(←言葉めちゃくちゃっ!)」とか言って嫌われていそう(笑)。
土方さんも喜んで行きそうですねぇ〜。
出来たばかりのエッフェル塔に、「鍛錬だ!」とか言ってエレベーター使わずに歩いて登りそう。でもオペラ座では、ちゃっかり入り込んで歌姫クリスティーヌのサイン貰っていたりとか(笑)。
ルブランの新刊は逆さに持って眺めてるだけっぽいし、
ウィーンでは、皇太子ルドルフと語り合って飲み明かして、あげくにルドルフ行きつけの娼館に連れて行ってもらって大いに盛り上がっていそうな気がします♪
慶喜さんも、ナポレオン3世から贈られた軍服を喜んで着ていた、というエピソードが物語るとおり相当なハイカラ好き、フランス好きなので。
まだエレベーターが動いていない頃にエッフェル塔に行って、がんばって登り始めるんだけど途中で(100段くらい上がったところで)力尽きて倒れていそう(^ ^;。
オペラ座は…いそいそと踊り子さんを観に行くかなあ。
フランツ・ヨーゼフとは比較的ちゃんと話をしそうな気がしますね。有能な政治家だったようですから。
桂小五郎は、実際外遊してましたよね…?あれっていつだっけ。
もともと、パリの「第二回目の」万博には、確か長州からも「出品」していたような気がします(他に薩摩と幕府)ので、桂はそれなりに関係あった可能性がありますね。日本政府が正式に「参加(出展)」したのはウィーン(1873年)ですが、このときはどうだったのかな。
1889年のパリ万博、彼は行ったのかしら…。行ったとしたら、ルブランの新刊はプレゼントされていそうだなあ(←フランス語が読める人は当時の日本に居たのでしょうかねぇ…)
なんだか、段々話が縒れてきてしまいましたが(^ ^;ゞ
いろんなエピソードの積み重ねで歴史は出来ていて、
表には出てこない「他のエピソードとの関係性」を想像するのが、歴史を学ぶ上で一番面白いところなんですよね。
ココのところ、割と時代が近い物語ばかり立て続けに観たので、すっかり面白くなってしまったのです♪
内容がないよー…なのに、長文になってしまってごめんなさいm(_ _)m
.
コメント
内容がないなんてとんでもない、エッフェル塔を駆け上がる「鍛錬」土方さんに、ツボってしまいました(笑)。
「19世紀末」そして「20世紀前半」って、どこのお国に関しても、私も何か惹かれるものがあります。
近頃上演されてたりした作品だけでも、これだけの人たちが、実在架空はあっても、同じ時代を生きていたなんて、なんだかすごいですよね。
ねこさまの文章のおかげで、なんとなく色々読み直してみたくなって、ウィーンのほうのですが、万博関連の本を持ち出して見直してしまいまして、
万博の日本庭園を訪れた皇帝フランツと皇后エリザベートの図に、今更ながらしみじみ何とも言えない感慨がきちゃいました。。。
最初はA/Lの感想の続きを書くつもりだったのに、脱線したまま戻れなくなってしまいました(笑)。この時代の物語って本当に多くて、書き始めると止まらなくなってしまうんですよ…。ウィーン万博の日本庭園での皇后夫妻の図、そんなものがあるんですね。すごいなあ、しみじみ…。貴重な情報、ありがとうございましたm(_ _)m。
当時のことに関しての本とか今度図書館で探してみようかなと久々に勉学の意欲がわきました。
みつきねこさまの脱線と妄想(笑)、あちこちに波紋を呼んでます〜
この時代が宝塚で好まれるのは、いくつか重要な理由があると思います。
まず、服装の面から言うと、宝塚では最もポピュラーな
黒燕尾orタキシード(男)とロングドレス(女)
という組み合わせが町を歩いていたのは
この時代だけなんです。
この後、第一次世界大戦のお洒落どころではない時代の後、
ミニスカートのフラッパースタイルが大流行して
ロングドレスの時代は終わってしまいます。
またもう少し前だと、男性のファッションの主流は
ベルばらやスカピンの白タイツになってしまいます。
以外と燕尾服は最近のものなんです。
もう一つ、重大なのが現代人の恋愛観が生まれたのが
この時代なんです。
これ以前の時代の、特に貴族の恋愛観は現代人とは全く異なっていて、大幅に修正しないと現代人が感情移入できるようにならないのです。(一例を挙げるとエマの夫ハミルトン卿は自分の妻が救国の英雄ネルソンと付き合っているのを名誉だと喜んでいました。)
つまり、二人の男女が恋をして愛し合った結果として結婚するのであり、二人が生涯愛し合うのが正しい結婚の形であるという価値観を貴族や王族も持つようになったのがこの時代なんです。逆に言うと政略結婚や愛人を持つことが間違いだと認識されたのが、この時代なんです。
これ以前の時代の物語、特に恋愛物を作るなら、主要人物は全員現代人と同じ価値観を持ったうえで、その時代の人間としてふさわしい行動をとるようにしないといけないのです。(ヅカにはこれに失敗した駄作がかなりあります。)
また、これ以後の20世紀になると、結婚するまでだれとも付き合ったことがなかったとか、初恋の人と一生添い遂げるといったことがいっきに嘘くさくなってしまいます。
この時代は物語にとって都合が良い時代なんです。
コメントありがとうございます!なるほど、深いですね(^ ^)。
「衣装」と「恋愛観」かー。それは確かに、「タカラヅカ」で作品かする上で非常に重要なポイントですよね!言われてみれば、ショーの衣装で圧倒的に多いのはこの時代の衣装ですね(^ ^)。それより古いと「コスチュームプレイ」といわれ、それより新しいと「スーツ物」と言われる、そのちょうど中間にあたるんんですね。
この文章を書いてから4年とちょっと。その間にも、この時代を描く作品はいろいろ上演されています。最近は、これより少し後の第一次世界大戦前後の比率が上がっているような気もしますが、やっぱり、この時代は面白い時代なんでしょう!!