今日は、日生劇場「ジキル&ハイド」の初日。
そして明日は、東京宝塚劇場花組公演と、東京芸術劇場「心中・恋の大和路」の初日。
…毎日どこかの劇場が初日を迎え、
どこかの劇場が千秋楽を迎え、
そして
どの劇場でも、観客は泣いて、笑って、みんなきっと、楽しんでいる。
ステキな、夢です。
時代は変わりましたねー。
昔は、まぁ「お芝居」はイロイロやっていたのかもしれませんが、「音楽劇」に類するものなんて宝塚が0〜1本、劇団四季が1〜2本、そしてそれ以外に1本か2本。合計4本もやっていたら「多いわね」くらいなもんだったのに。
今は、東京近郊だけで劇団四季が3〜4本、宝塚が1〜2本、それ以外が2〜5本。下手すると10本以上同時に走っていたりする時代ですものね。
それだけ観客層が増大して、観劇が「普通の娯楽」になったんだなあ、と思うと感慨深いです。
…私の回りはまだまだ時代遅れのようで、一つの作品を3回以上観ると言ったら変人扱いされましたが…(涙)。
宝塚も、せめて日本語としてまとも かどうかくらいは吟味してからイタに載せてほしいものです(懇願)。
もとい。
今回の日生「ジキル&ハイド」には、宝塚OGが3人出演されています。
真木めぐみさん、秋園美緒さん、岡本茜(神月茜)さん。
多分3人ともアンサンブル(メインは娼婦)だと思うのですが、この作品は音楽的に「アンサンブルが主役」の作品なので、がんばってほしいな〜!
スティーブンソンの傑作ホラー小説を、「スクルージ」「ヴィクター/ヴィクトリア」のレスリー・ブリカスが脚色し、
フランク・ワイルドホーンが作曲したブロードウェイ・ミュージカル「Jekyl & Hyde」。
「Never Say Good-bye」の作曲家として宝塚ファンにも名前を知られたワイルドホーンの、これが出世作。
私が初めてワイルドホーンを知ったのも、「jekyl&Hyde」でした。
フランク・ワイルドホーン。
私は本当にこの人の音楽が大好きです。
20世紀の世界は、たくさんの作曲家を生み出しました。
その中でも、私が“とりあえず”作曲家の名前「だけ」で観劇を決める作曲家は。
「レ・ミゼラブル」のシェーンベルク、「オペラ座の怪人」のウェッバー、「エリザベート」のリーヴァイ、そして、「ジキル&ハイド」のワイルドホーンの4人。
…多分、実際にはもっといると思いますけど。「香港ラプソディ」のディック・リーも、新作作ったら絶対観に行くだろうし。
でも、なんていうか。この4人は、私の中では別格、なのです。
そんな中でも、ワイルドホーンは本当に別格。
この人だけです。CDを聴いただけで嵌ったのは。(他の方は皆、舞台を観て嵌ったので)
音楽のカッコ良さ、力強さ。
甘美なとしか言いようのないメロディライン。
エロティックなコード進行。
どこかの怪しげな宗教団体と組んだら、あっという間に世界を制覇してしまいそうな、ありえない求心力。
名曲「This is the Moment」だけじゃないんです。
他にも名曲だらけ。
そして、一番素晴らしいのはアンサンブルのナンバー!とにかくワイルドホーンは、コーラスがカッコイイ!!コード進行なんかもすごく特別なんですよね。聴いていると本当に引き込まれてしまうんです。
日本版の初演では、メインキャストが軒並み歌唱面でコケる中、林アキラさんたちを中心とするアンサンブルのコーラスで作品を支えていました。ブロードウェイよりも日本の方がアンサンブルのレベルはずっと上だ、と言われていたのを覚えています(私も全く同感です)。
一幕で市民たちが辛い現実を嘆く「Facade」、2幕冒頭で殺人事件に怯えて騒ぐロンドン市民たちの「Murder, Murder」。この2曲を最大限に楽しむなら、2階席センターがお勧めです。コストパフォーマンスもいいですしね♪
気が狂った父(…アルツハイマーなのか、別の理由なのか?)に正気を取り戻させるため、人間の精神を作り替える薬、人間の心の「善と悪を分離」する薬を作ったヘンリー・ジキル。
そして、彼に絡む女性が二人。
貴族の娘で、ジキルと強い愛情で結ばれた婚約者エマ。
パブでジキルと出会って恋をし、ハイドとも惹かれ合う娼婦ルーシィ。
この物語は、この3人にジキルの親友アターソン、エマの父親にしてジキルの理解者であるダンヴァース卿を加えた5人を中心に進みます。
ジキルは、表面上は「この上もなくお堅い」優等生だった、という設定もありですが、「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」というのもありなんですよね。
前者であれば、「優等生」の部分はエマを求め、その裏で抑圧された別人格が薬をきっかけに表に出て、ルーシィを求める、という関係になりますし、
後者であれば、「尊大さの陰に隠れた優しい青年」的な部分がエマを求め、薬をきっかけに「良心」と切り離された表人格(尊大な天才児)が暴走する話、ということになります。
ブロードウェイで観た時は、前者だと思ったのですが…(英語には弱いので台詞はわかりませんでしたが、なんとなく)、少なくとも日本版は、鹿賀さんの演技としても後者の方針で作っているのではないかと思います。(アターソンの台詞に「僕は君の数少ない友人の一人なんだよ」というのがありますし)
まぁ、どちらの設定でもエマはジキルを愛するだけな(ハイドの存在は最後まで知らない)ので、キャラクターもあまり変わりませんが、ジキルとハイド、両方に関わるルーシィは結構違うはずなんですよね…。
私がブロードウェイで観たルーシィ(以前TVで放送された時のルーシィ役)は、若くてものすごい美人でした。
不幸な境遇の中でけなげに生きている、というか、何をどうすれば自分が救われるのかさっぱり解らず、回りの人間の一挙手一投足に怯えて生きている子猫のような存在。
ジキルに憧れて、憧れて、でも、王子さまには手が届かなくて。
ただひたすら、星に手を伸ばすように夢見るばかりで。
最初から諦めている。
ハイドとはただ客と娼婦の関係で、お金を貰うためには仕方がないと思っているだけ。ハイドには惹かれないルーシィ。
厭で厭でたまらないのに、逃げられない現実。
だから、初めてジキルに振り向いてもらった(と思う)「A New Life」は、文字通り「人生これから!やり直すのよあたし!」的な、圧倒的な喜びに溢れていたんですよね…。
でも、日本版では。
マルシア、という、ちょっと日本語に不自由な歌手がキャスティングされているせいもありますが。
なんとなく、アジアの片隅から密入国船で入ってきて10年たった、そんな雰囲気で観てしまうのです。
(香寿さんになったらまた違うのでしょうね。楽しみです!)
どん底の店で、古株(売れっ子?)として君臨するルーシィにととって、「自分に興味を示さない」男というのがそもそも初めてだったんじゃないかと思います。
踊っていても性的な目では見ていない。
(実際には、ジキルは自分の研究のことで頭がいっぱいなだけなのですが)
だから、誘いをかけてみる。
水を向ける。「私で試してみない?」
その呪文で、ジキルは気づいてしまう。
そうだ。実験台なんかいらないじゃないか。自分で薬を呑んでみればいいんだ!!
そんな思いつきで頭がいっぱいになったジキルには、女のことなどほとんど残っちゃいなかったのでしょう。
そして。
ジキルは自分の研究室に戻り、呑んではいけない薬を口にする。
自分が失敗するわけがないと思っているから。
「自分が作ったものに間違いはない」
謙虚さのかけらもなく。
「頭の固い爺ぃ婆ぁが、なぜ自分の邪魔をするのか」、
「単に自分の才能に嫉妬しているだけに違いない!」
そんな思いこみ。
過剰な自信。それが、神の領域に踏み込む動機になる。
心の奥底で、良心は叫んでいたはずなのに。
『ヤバいよ、それは。やめておけよ。エマに相談してみろよ…』
それとも、呟いただけだったのか。
呟いただけでは、尊大な魂には伝わらないのに。
そして彼は、薬を口にする。
怪しげな蛍光レッドの液体を、一気に飲み干す。
『良心』から切り離され、『自由』を得た主人格。
心の赴くまま、誰に邪魔されることもなく街へ出てルーシィと出会う。
自分(ジキル)に実験を示唆した娼婦。
気の強い女。
でも、憐れみをほしがっている。
自分の纏う血の匂いに怯えている。
もっと。
もっとこの女を傷つけたら。
…ジキルは悲しむだろうか?
ジキルが悲しむことが俺は愉しい、
そんな嗜虐の気持。
そして、ルーシィ側にもそれ(虐待)を受け入れる素地がある。
被虐の快感。一度はまったら抜けられない地獄の穴に、落ちてしまったルーシィ。
そのくらいの、刺激的な関係。
それに比べて、ルーシィのジキルへの恋心は、相手をちゃんと見ていない幻想の恋。ある意味、とっても闇雲な恋です。
でも、諦めているわけじゃない。必ず手は届く、と信じている。
「A New Life」を聴きながら、思い浮かぶのは「ジキルのいる風景」。ルーシィは、ジキルとはじめる新生活を信じて疑わないんだと思ったのです。そして、そう思った自分に吃驚しました。CDでも、ブロードウェイでも、…そんなふうに思ったことは、なかったから…。
今回の公演では、どんな設定に見えるのでしょうか。
自分でもとても楽しみです。
なるべく白紙で観たいと思っております♪
2幕のハイドとルーシィのエロティックなナンバー、「Dangerous Game」。
実は、この作品の中でも一番好きな音楽だったりもするのですが。
ルーシィが応じて、自らハイドを求めるか、それともひたすら嫌がって逃げるか。
同じ歌でも、全然違う場面が作れる曲ですから。
どんなふうに演出されて、どんなふうに演じられるのか。
本当に、とっっっても楽しみです!
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
宝塚で上演するとしたら(あり得ないけど)、娘役トップは絶対!エマ、なんですよね。
ルーシィは、専科時代の檀ちゃんとかあすかちゃんみたいな、主役もはれるけど『娘役トップ』ではない人がやる役。
役の印象としてはルーシィの方が濃いので、2番手娘役がやるわけにはいかない役なんですよね…。
うーん。ジキル/ハイド役は、主役であることをさっぴいても、どうしたって自分の贔屓にやってもらいたい役。
なので、あえて名前を挙げるのは避けますが。
ブロードウェイのプレイビルには「Young Smart Doctor」と書かれていたので、そういう人にやっていただきたいです(笑)。
話はいきなり吹っ飛びますが。
スティーブンソンが「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」を発表したのは、1886年のこと。
例の、「3回目の」パリ万博の3年前。
…ちょうど、アルマンドとジョルジュがパリに着いた頃の出来事なんですね♪(←違うからそれは)
.
そして明日は、東京宝塚劇場花組公演と、東京芸術劇場「心中・恋の大和路」の初日。
…毎日どこかの劇場が初日を迎え、
どこかの劇場が千秋楽を迎え、
そして
どの劇場でも、観客は泣いて、笑って、みんなきっと、楽しんでいる。
ステキな、夢です。
時代は変わりましたねー。
昔は、まぁ「お芝居」はイロイロやっていたのかもしれませんが、「音楽劇」に類するものなんて宝塚が0〜1本、劇団四季が1〜2本、そしてそれ以外に1本か2本。合計4本もやっていたら「多いわね」くらいなもんだったのに。
今は、東京近郊だけで劇団四季が3〜4本、宝塚が1〜2本、それ以外が2〜5本。下手すると10本以上同時に走っていたりする時代ですものね。
それだけ観客層が増大して、観劇が「普通の娯楽」になったんだなあ、と思うと感慨深いです。
…私の回りはまだまだ時代遅れのようで、一つの作品を3回以上観ると言ったら変人扱いされましたが…(涙)。
宝塚も、せめて日本語としてまとも かどうかくらいは吟味してからイタに載せてほしいものです(懇願)。
もとい。
今回の日生「ジキル&ハイド」には、宝塚OGが3人出演されています。
真木めぐみさん、秋園美緒さん、岡本茜(神月茜)さん。
多分3人ともアンサンブル(メインは娼婦)だと思うのですが、この作品は音楽的に「アンサンブルが主役」の作品なので、がんばってほしいな〜!
スティーブンソンの傑作ホラー小説を、「スクルージ」「ヴィクター/ヴィクトリア」のレスリー・ブリカスが脚色し、
フランク・ワイルドホーンが作曲したブロードウェイ・ミュージカル「Jekyl & Hyde」。
「Never Say Good-bye」の作曲家として宝塚ファンにも名前を知られたワイルドホーンの、これが出世作。
私が初めてワイルドホーンを知ったのも、「jekyl&Hyde」でした。
フランク・ワイルドホーン。
私は本当にこの人の音楽が大好きです。
20世紀の世界は、たくさんの作曲家を生み出しました。
その中でも、私が“とりあえず”作曲家の名前「だけ」で観劇を決める作曲家は。
「レ・ミゼラブル」のシェーンベルク、「オペラ座の怪人」のウェッバー、「エリザベート」のリーヴァイ、そして、「ジキル&ハイド」のワイルドホーンの4人。
…多分、実際にはもっといると思いますけど。「香港ラプソディ」のディック・リーも、新作作ったら絶対観に行くだろうし。
でも、なんていうか。この4人は、私の中では別格、なのです。
そんな中でも、ワイルドホーンは本当に別格。
この人だけです。CDを聴いただけで嵌ったのは。(他の方は皆、舞台を観て嵌ったので)
音楽のカッコ良さ、力強さ。
甘美なとしか言いようのないメロディライン。
エロティックなコード進行。
どこかの怪しげな宗教団体と組んだら、あっという間に世界を制覇してしまいそうな、ありえない求心力。
名曲「This is the Moment」だけじゃないんです。
他にも名曲だらけ。
そして、一番素晴らしいのはアンサンブルのナンバー!とにかくワイルドホーンは、コーラスがカッコイイ!!コード進行なんかもすごく特別なんですよね。聴いていると本当に引き込まれてしまうんです。
日本版の初演では、メインキャストが軒並み歌唱面でコケる中、林アキラさんたちを中心とするアンサンブルのコーラスで作品を支えていました。ブロードウェイよりも日本の方がアンサンブルのレベルはずっと上だ、と言われていたのを覚えています(私も全く同感です)。
一幕で市民たちが辛い現実を嘆く「Facade」、2幕冒頭で殺人事件に怯えて騒ぐロンドン市民たちの「Murder, Murder」。この2曲を最大限に楽しむなら、2階席センターがお勧めです。コストパフォーマンスもいいですしね♪
気が狂った父(…アルツハイマーなのか、別の理由なのか?)に正気を取り戻させるため、人間の精神を作り替える薬、人間の心の「善と悪を分離」する薬を作ったヘンリー・ジキル。
そして、彼に絡む女性が二人。
貴族の娘で、ジキルと強い愛情で結ばれた婚約者エマ。
パブでジキルと出会って恋をし、ハイドとも惹かれ合う娼婦ルーシィ。
この物語は、この3人にジキルの親友アターソン、エマの父親にしてジキルの理解者であるダンヴァース卿を加えた5人を中心に進みます。
ジキルは、表面上は「この上もなくお堅い」優等生だった、という設定もありですが、「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」というのもありなんですよね。
前者であれば、「優等生」の部分はエマを求め、その裏で抑圧された別人格が薬をきっかけに表に出て、ルーシィを求める、という関係になりますし、
後者であれば、「尊大さの陰に隠れた優しい青年」的な部分がエマを求め、薬をきっかけに「良心」と切り離された表人格(尊大な天才児)が暴走する話、ということになります。
ブロードウェイで観た時は、前者だと思ったのですが…(英語には弱いので台詞はわかりませんでしたが、なんとなく)、少なくとも日本版は、鹿賀さんの演技としても後者の方針で作っているのではないかと思います。(アターソンの台詞に「僕は君の数少ない友人の一人なんだよ」というのがありますし)
まぁ、どちらの設定でもエマはジキルを愛するだけな(ハイドの存在は最後まで知らない)ので、キャラクターもあまり変わりませんが、ジキルとハイド、両方に関わるルーシィは結構違うはずなんですよね…。
私がブロードウェイで観たルーシィ(以前TVで放送された時のルーシィ役)は、若くてものすごい美人でした。
不幸な境遇の中でけなげに生きている、というか、何をどうすれば自分が救われるのかさっぱり解らず、回りの人間の一挙手一投足に怯えて生きている子猫のような存在。
ジキルに憧れて、憧れて、でも、王子さまには手が届かなくて。
ただひたすら、星に手を伸ばすように夢見るばかりで。
最初から諦めている。
ハイドとはただ客と娼婦の関係で、お金を貰うためには仕方がないと思っているだけ。ハイドには惹かれないルーシィ。
厭で厭でたまらないのに、逃げられない現実。
だから、初めてジキルに振り向いてもらった(と思う)「A New Life」は、文字通り「人生これから!やり直すのよあたし!」的な、圧倒的な喜びに溢れていたんですよね…。
でも、日本版では。
マルシア、という、ちょっと日本語に不自由な歌手がキャスティングされているせいもありますが。
なんとなく、アジアの片隅から密入国船で入ってきて10年たった、そんな雰囲気で観てしまうのです。
(香寿さんになったらまた違うのでしょうね。楽しみです!)
どん底の店で、古株(売れっ子?)として君臨するルーシィにととって、「自分に興味を示さない」男というのがそもそも初めてだったんじゃないかと思います。
踊っていても性的な目では見ていない。
(実際には、ジキルは自分の研究のことで頭がいっぱいなだけなのですが)
だから、誘いをかけてみる。
水を向ける。「私で試してみない?」
その呪文で、ジキルは気づいてしまう。
そうだ。実験台なんかいらないじゃないか。自分で薬を呑んでみればいいんだ!!
そんな思いつきで頭がいっぱいになったジキルには、女のことなどほとんど残っちゃいなかったのでしょう。
そして。
ジキルは自分の研究室に戻り、呑んではいけない薬を口にする。
自分が失敗するわけがないと思っているから。
「自分が作ったものに間違いはない」
謙虚さのかけらもなく。
「頭の固い爺ぃ婆ぁが、なぜ自分の邪魔をするのか」、
「単に自分の才能に嫉妬しているだけに違いない!」
そんな思いこみ。
過剰な自信。それが、神の領域に踏み込む動機になる。
心の奥底で、良心は叫んでいたはずなのに。
『ヤバいよ、それは。やめておけよ。エマに相談してみろよ…』
それとも、呟いただけだったのか。
呟いただけでは、尊大な魂には伝わらないのに。
そして彼は、薬を口にする。
怪しげな蛍光レッドの液体を、一気に飲み干す。
『良心』から切り離され、『自由』を得た主人格。
心の赴くまま、誰に邪魔されることもなく街へ出てルーシィと出会う。
自分(ジキル)に実験を示唆した娼婦。
気の強い女。
でも、憐れみをほしがっている。
自分の纏う血の匂いに怯えている。
もっと。
もっとこの女を傷つけたら。
…ジキルは悲しむだろうか?
ジキルが悲しむことが俺は愉しい、
そんな嗜虐の気持。
そして、ルーシィ側にもそれ(虐待)を受け入れる素地がある。
被虐の快感。一度はまったら抜けられない地獄の穴に、落ちてしまったルーシィ。
そのくらいの、刺激的な関係。
それに比べて、ルーシィのジキルへの恋心は、相手をちゃんと見ていない幻想の恋。ある意味、とっても闇雲な恋です。
でも、諦めているわけじゃない。必ず手は届く、と信じている。
「A New Life」を聴きながら、思い浮かぶのは「ジキルのいる風景」。ルーシィは、ジキルとはじめる新生活を信じて疑わないんだと思ったのです。そして、そう思った自分に吃驚しました。CDでも、ブロードウェイでも、…そんなふうに思ったことは、なかったから…。
今回の公演では、どんな設定に見えるのでしょうか。
自分でもとても楽しみです。
なるべく白紙で観たいと思っております♪
2幕のハイドとルーシィのエロティックなナンバー、「Dangerous Game」。
実は、この作品の中でも一番好きな音楽だったりもするのですが。
ルーシィが応じて、自らハイドを求めるか、それともひたすら嫌がって逃げるか。
同じ歌でも、全然違う場面が作れる曲ですから。
どんなふうに演出されて、どんなふうに演じられるのか。
本当に、とっっっても楽しみです!
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
宝塚で上演するとしたら(あり得ないけど)、娘役トップは絶対!エマ、なんですよね。
ルーシィは、専科時代の檀ちゃんとかあすかちゃんみたいな、主役もはれるけど『娘役トップ』ではない人がやる役。
役の印象としてはルーシィの方が濃いので、2番手娘役がやるわけにはいかない役なんですよね…。
うーん。ジキル/ハイド役は、主役であることをさっぴいても、どうしたって自分の贔屓にやってもらいたい役。
なので、あえて名前を挙げるのは避けますが。
ブロードウェイのプレイビルには「Young Smart Doctor」と書かれていたので、そういう人にやっていただきたいです(笑)。
話はいきなり吹っ飛びますが。
スティーブンソンが「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」を発表したのは、1886年のこと。
例の、「3回目の」パリ万博の3年前。
…ちょうど、アルマンドとジョルジュがパリに着いた頃の出来事なんですね♪(←違うからそれは)
.
コメント
でも何度もみてしまってます。
なぜか惹かれる音楽なんですよねぇ〜
あと、真樹めぐみさんが好きなの。彼女の声は魅力的だしそんちゃんもですが、じっくり聞きたいですよね。
で、なに!今年は茜ちゃんも出てるの?
今年はやめようと思っていたのですが困ったなぁ・・・
(梅田まで2回遠征するので資金難)
私も、これだけ語っておいてなんですが、実は日本版ジキル&ハイドは初演以来観ていなくて…あはは(笑)。
はにはにさま的には禅ちゃんもいないし、ってところですか?でも、鹿賀さんもファイナルだそうなので、ぜひ一度観てあげてくださいませ!(^ ^)