若人たちのパリ【その3】
2007年3月2日 宝塚(月) コメント (2)芸達者な職人さんたちを語り終えて、さて次は。
ちょっと緊張しつつ(苦笑)、メインキャストについて。
この作品のメイン5人の新公キャスト、私は、全員ものすごく好きなんですよね。
あ、5人っていうのは、もちろんエレノール(出雲)=青葉みちる、アルマンド(瀬奈)=龍真咲、ギスターヴ(霧矢)=星条海斗、ジョルジュ(大空)=明日海りお、ミミ(彩乃)=夢咲ねねの5人ですけれども。
うん。5人とも、本当にみんな上手で達者で、なのに必死で。
そして、可愛かったです。
本役より芝居の巧いひともいれば、歌の上手いひともいました。
本役より可愛い人もいれば、衣装が似合っていたひともいました。
でも、やっぱり新公は新公なんだな、と。
さすがに本役は本役を張るだけのことはあるんだな、と。
そんなことをしみじみ思った1時間半でした。
でもね。
生田さんの演出で本公演を観てみたい、とは思いましたよ。
どこがどう違う、と言葉で説明するのは難しいのですが、しっかり一人一人を見てくださって、演技指導なさったんだろうなあ、と…
舞台を観ていて本当にそう思ったので。
まあ、本役は全員、演技指導されなくちゃ何もできないような学年でも経験でもない筈ですけれども。
この作品。5人+ジャンが、それぞれいろんなところでちょっとずつ絡むのですが、メイン全員が舞台に揃う場面っていうのがないんですよね。
そのぶん、「その場にいない人」に対してどう思っているかを表現する芝居、という難題をクリアしないと、芝居が成立しないワケですが…
たとえば、アルマンドとミミ。舞台の上で出会うのは、最初の出会いと、金庫騒ぎの後と、ラストシーンのみ。
たとえば、アルマンドとギスターヴ。舞台の上で出会うのは、最初のホテルの部屋とパーティのみ。
…でも、そうでなくてはならないのです。だって、アルマンドはペテン師ですから。
一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、ボロが出る。
だから、最低限の会話を交わすだけにして、ミミへの、あるいはギスターヴへの心情はジョルジュに向かって語るわけです。
逆に、ジョルジュには心情を吐露する場面がありません。
それは、アルマンドが聞いてくれないから(笑)というのではなく、多分、ジョルジュがまだ「一人前のペテン師ではない」からなんだと思うのです。
ジョルジュとミミは、都合4回出会います。(ラストシーンでは同じ舞台に立っているだけで絡みはありませんが…)
多分これは、出会いすぎ。そして、そのこと自体がジョルジュの「ペテン師」としてのレベルの低さを表しているんだと思うのです。
アルマンドはプロだけど、ジョルジュはプロじゃなかった。
ジョルジュはプロじゃないから、ミミとアルマンドは幸せになれるんだと(そうなれば自分もいつか幸せを見つけられる、と)、そう思いたい。
だから、モンマルトルの場面をセッティングする。
でも。アルマンドはプロだから、ミミを置いてパリを出る行動に迷いがない。
…その心情に説得力がなくては、話そのものが成立しません。
だから。
だから、アルマンドのキモは、ジョルジュに向かって「ミミにはギスターヴがお似合いだ」と語る場面だと思うわけです。
ミミとギスターヴ、その場にいない二人に対してどんな想いでいるのか、それを表現する唯一の場ですから。
そして、ジョルジュのキモは。
ミミのボタンを貰いに行ったときに何を話したのか、それを観客に想像させることができるかどうか。
アルマンドとミミ、二人に対する口には出さない想いを表現できるかどうか…
ミミは、ジョルジュに向かってアルマンドのことを語る場面。
ギスターヴは、落成式でアルマンドとジョルジュのことを語る場面。
エレノールは、アルマンドにジュリアンの思い出を語る場面。
新公のお稽古ではきっと、どうすればこの課題をクリアできるか、全員が本当に真剣に考えたんだろうな、と思いました。
クリアできた人もいるし、ちょっと厳しかった人もいたと思いますが。
それをまとめあげてきっちりとイタに載せた生田さんに、拍手。
本公演と一番キャラクターが違っていたのは、ミミでしょうか。
ねねちゃんは、本当に本当に本当に、純粋無垢に可愛かった!ので。
本質的に無色透明な、ほんのりと白い光に包まれたような少女。
こういう役は、かなみちゃんみたいな「酸いも甘いも…」なベテラン娘役には難しいのかもしれませんね。
なにもわざわざかなみちゃんにこんな役をあてなくても、と心から思いますし。エレノールをもう少し若い設定にして、アルマンドと恋をさせればいいじゃないか!と何度思ったことか(怒)。
でも、植田さんが脚本を書いた「パリの空よりも高く」のヒロインは、ミミ。
だから仕方ない。かなみちゃんは、やるしかないんです。
かなみちゃんのミミは、孤児で育って、かなり世間にもまれて苦労している娘。守ってくれる人もなく、可愛い弟を守ることに精一杯で、自分の幸せを求めることを知らない、そんな印象でした。
最初に観た時、ひょっとして花だけじゃなくて春も売っている設定なんじゃないか、と思ったくらい(←違うからソレ)、「不幸」のベールをまとった存在。
そんなミミが唯一見つけた「夢」。それが、「パリの空よりも高い塔を建てる」ことであり、そんな「夢」を描いてくれたギスターヴにほのかな憧れを抱く。
だけど、そんな「実現不可能だったはずの夢」を、現実に実現させてしまいそうなアルマンドという存在に出会って、いきなり彼に恋をする…
かなみちゃんのミミは、ギスターヴの気持もジョルジュの気持も、薄々勘づいていながら避けている印象もあって(「まさか」の言い方が、本当に「思ってもいなかったことを言われた驚き」というより、もう少し「あーあ言われちゃった…」みたいに聞こえるんですよね……考えすぎ?)。意外と自分のことはよくわかっている人なんだなあ、と。
かなみちゃんのミミには、そんな印象があったのですが。
ねねちゃんのミミは。
…とにかく可愛かったなあ……(←ダメみたいです私)
なんでだろう。ねねちゃんのミミは、「不幸」の陰を感じませんでした。
決して、大根だから陰を表現できなかったというのではないんですよ?そんなものを飛び越えて、むしろ「堕天使の涙」のリリスのような、幸も不幸もすべてを受け入れて、全てを赦してしまう無色透明さと、人としての大きさを感じた、と言ったら誉めすぎでしょうか…。
…誉めすぎだろうなきっと。
えーっと。
ねねちゃんのミミは、孤児だけど、人情に厚いパリの下町で大人たちに可愛がられて育った、そんな印象がありました。
「愛されたことがなかった」という台詞は勿論あるのですが、そこに固執していなかった、というのかな。
この台詞、本公演では「本当の私を知っている人、見てくれる人は誰もいないの」という寂しさ(=不幸の影)があって。ジャンがあんなに熱愛しているのに、なんでわかってあげないんだー!と思ってしまったりしたのですが。
ねねちゃんのミミは。
「みんな私を可愛がってはくれるけど、私が本気で好きになった人に愛されたことは、ない」
という意味に聞こえたのです…。
ジョルジュに愛されても、ギスターヴに愛されても、そんなものはまったくのアウト・オブ・眼中。
ミミの目に映るのは、アルマンドただ一人。
そんな純粋でかたくななまっすぐさが、ひどくいとおしいのです。
しかも、彼女はアルマンドの愛を得る可能性を全く考えていないんですよね。
「アルマンドさんは偉い人だから」
と言いながら、
「だから私じゃ無理なんだわ」
と思っているんじゃないんです。
最初から、そんなことは考えてもいない。
「アルマンドさんは私を愛さない」
でもそれは、ミミにとって不幸なことではないのです。
ミミはまだ、女じゃないから。子供だから。
だから、ミミは透明で。
キレイなまま、去りゆくアルマンドを見送ることができる。
アルマンドさんは、自分を愛してくれた、と。
その思い出だけを胸に抱いて。
本公演のミミは、ギスターヴと幸せになっただろうな、と素直に思えるのですが。
新人公演のミミは。
…そのまま一人で、初恋の思い出を胸にがんばっていそうだなあ、と思いました。
もしかしたら、オテル・ド・サンミッシェルをもっと本格的に手伝うようになって、エレノールの跡を継いじゃったりなんかするかもしれませんね(*^ ^*)。
ジャン(本役・明日海りお)の紫門ゆりや。
ショーのシェヘラザードに出ている唯一の「知らない下級生」だったのですが、もう覚えましたよ♪
笑顔が可愛くて、すごくいいお芝居をする人ですね!
本役のみりおくんよりちょっと大人っぽくて、「ミミに守られている可愛い弟」ではなく、「ちょっと天然なお姉ちゃんを守るしっかり者の弟」という感じ。
どの場面もちょこちょこ小芝居していて目が離せなかったのですが。
まず、「ギスターヴ応援団長」っぷりと「ジョルジュ=敵」認定っぷりに爆笑しました。
ミミがギスターヴに花束をあげる場面でも、ジョルジュが花束を奪い取った瞬間に顔色が変わるの(笑)。
「やめてください!姉さんが困ってます」の台詞も、怖い怖い。
2度目の街角で、ミミが突然「アルマンドさんってすごいですよねぇ〜♪」とギスターヴに話し始めた途端、わたわたしちゃって(爆)。
で、ギスターヴが一生懸命「ミ、ミ、ミミミミ…」ってやっているのを見て、軽く溜息をついて、「んじゃ、俺、これを届けてくるからさ、」と言ってからちらっとギスターヴの方を見る、その視線の送り方!「(あとはうまくやりなね、ギスターヴさん)」って台詞が聞こえてきそうでした(死)
ジョルジュに対するむき出しの敵意も面白かったですね。
そして、ラスト。
ミミの腰に抱きついて、引き留めるジャン。
本公演のみりおくんは、なんだか本当に「お姉ちゃん行かないで!」という感じのお芝居をされていたと思うのですが。
紫門くんのジャンは。
ただ、切ない瞳でアルマンドを見詰めて立ち竦むミミの傍に跪いて。
軽く腰に手を回して。
そして、下からミミの顔をのぞき込むんですよね。
引き留めようとするのではなく、別れに涙を流す姉を、暖かく包み込んで、宥めるように。
ちょっと話がずれますが。
メインキャストの年齢設定を考えてみました。(根拠は全くなし&ル・サンクの年齢表記は誤植だという解釈の上で)
役名 本公演 新公
エレノール 56→59歳 36→39歳
アルマンド 25→28歳 23→26歳
ギスターヴ 22→25歳 28→31歳
ジョルジュ 18→21歳 16→19歳
ミミ 20→23歳 18→21歳
ジャン 15→18歳 17→20歳
エレノールは、本公演ではジュリアンのちょっと下くらい。新公では、ジュリアンと出会った時16,7の小娘。
ジョルジュとジャンは、本公演と新公で年齢差が逆転。
ミミとジャンは、本公演ではミミがだいぶ年上で弟を守る立場、新公では、年もほとんど一緒で、弟が姉を守る立場。
うん。
この年齢設定の違いの影響が一番出たのがジャンとミミであり、ジャンとジョルジュの関係だったように思いました。
アルマンド(本役・瀬奈)のまさお。
初主演なんですね、そういえば。
そんな感じは全然しませんでした。(挨拶以外は)
いろいろありましたけど、まさおくんは終始落ち着いて、しっかり演じていたと思います。
えーっと。
私は、まさおくんの声の良さに惚れて以来、ずーっと注目していたんですよね。
最初に「この子いいなあ」と思ったのは、コンサート「SENA!」での麻子さんとのデュエットで(笑)。
新公ルドルフも好きだったし、YoungBloodsはわざわざバウまで観にいったし、本公演でちょこまか小芝居しているのが観ていて楽しくて。
でも。
YoungBloods!を観て。
これはヤバイ、と思ったんですよね…。
巧すぎる。
そして、本人も自分が巧いことを知りすぎている。
芝居、というのは、歌やダンスのように点数で評価することの非常に難しいもの。
声色の使い分けや抑揚、仕草など、点数で評価出来る部分もあるのですが、役の本質を掴むことができるかどうか、というのは点数のつけようがありません。
そしてまさおくんは、点数で評価する分野についてはものすごく高得点を取れるのですが、点数をつけられないもの(評価基準がはっきりしないもの)については、どうしたらいいのか全くわからなくなってしまうタイプのような気がします。
今はまだ、若さという勢いがあるからいいのですが。
いずれ新公も卒業してしまえば、「なんでもできる優等生だけど、おもしろみに欠けるタイプ」と言われかねない。
容姿が良いのでアイドルタイプに見られがちですが、実は意外と職人タイプなんですよね…。
こういう人は、若いうちになるべくいろんな役をやって、引き出しを増やしておくことが一番大切で、特に新人公演で違うタイプの本役の役をやらせてもらうと良いと思うのですが。
次の正塚さんのお芝居が、新公ラスト、ですよね…。
次も麻子さんの役だろうなあ…。うー、心配…。
でも、今回の「パリの空よりも高く」は、「暁のローマ」の時ほど「本役のコピーじゃんっ!!」とは思わなかったので。
まさおも少しづつ成長しているのだと思えて、嬉しかったです。
とりあえず真似から入るのも、芸を磨くには大事なことですもんねっ。
まさおの一番の魅力は、声。
それが、この膨大な台詞をハイテンションで喋り続けなくてはならないアルマンドというキャラを演じるには大きな武器になったと思います。
それも、ただ「笑いを取るために」変な声をだすのではなく、ちゃんと心情の裏付けがあったうえで「声色を使っている」のは大したものです。
間の取り方も、麻子さんとはまた違った感性なんですよね。相手も違うんですから、当たり前なのですが。
生田さんが細かく演出されたのか、細々としたところで本公演と違うことがたくさんあったのですが。
キャラとして、本公演のアルマンドと一番大きく違っていたのは、ジョルジュとの関係でしょうか。
麻子さんと祐飛さんの、仲がいいからってソコまでやらんでいい!的な異常なラブラブっぷりは影を潜めて、ごく普通の、年齢にも経験にもかなり差がある仕事上のコンビっぷり。
本役アルマンドの、妙にジョルジュに頼る風もなかったし、本役ジョルジュの、ちょっとアルマンドに対して甘えたような口調になるところもなくて。
仲はいいけど、クールなお二人でした。
本役より少し若いカンジの役作りでしたが、一つ一つの芝居を丁寧にやっていたのが印象的です。
会話している相手の台詞を、真剣に聞いているのが伝わってきて。
「芝居は相手とのキャッチボールだと教えてくれた生田先生」というようなことを挨拶で言っていましたが。
本当にそれがわかったのなら。
だとしたら、もうまさおくんは大丈夫なのかもしれない、と。
ちょっと安心してみたり。
実際、「暁のローマ」の本役ストラトーンでは、ブルータスとのキャッチボールが全然成立していなかった(YoungBloodsは、そもそも藤井さんの脚本に「会話」というものが無かったので仕方ないけど…)ことを考えれば、凄い成長したんだなあ、と涙目になってみたり。
新公は本当に、観るだけで疲れるんですよね…(←ナニカが違うような気がする)
ギスターヴ(本役・霧矢)のマギー。
あれ?声がキリヤンそっくり!?
全然違う声の筈なのに、ああいう吃りの芝居をしようとすると声まで似てしまうのでしょうか。
本公演で、「このパリにできるなんてステキじゃないかー!」と、ちょっと棒読みっぽい台詞を言っている人とはまるで別人のようでした。
芝居自体はキリヤンとはまた違っていて面白かったのですが、ちょっと気になったのは、芝居が押せ押せの一本槍だったこと。
「エリザベート」のエルマーや、「暁のローマ」のカエサルは、そこが良かったのだと思うのですが。
…ギスターヴは、引くところは引かないと。
一番気になったのは、最初のパーティで塔について説明するところ。
あまりにも芸達者で、表現力がありすぎて、
滔々と喋りすぎて、完全にギスターヴじゃなくなってしまっていましたよね。
なんてね。
文句もいいますけど、でも、マジで応援しています。
研7の最初の新公で初主演し、最後は2番手役で新公を卒業するマギー。
実力は十分にある人なので、幸せなジェンヌ人生を歩んで欲しいなあ、と祈りつつ、
…深い感慨を抱いてしまう私…。
誰かさんと違って実力はありあまるほどあるので。
新公を卒業したら、もう組内では「中堅」になるのですから。
「回りを見て」「回りを読んで」「空気を乱さない」ことも、一つの公演をし遂げる上で、とても大切なことです。
どんなに理不尽でも回りに合わせろ、って話をしているわけじゃありません。
ただ、「芝居全体」「場面全体」が、観客席からどう見えるか、をもう少し意識するともっと良くなるんじゃないかなあ、と…。
新公学年での「やりすぎ」は、問題ない。というより、やらなくちゃいけません。
どうせ新公学年は本公演での出番も少ないし、どんなにがんばっても、なかなか「場面を壊す」のって難しいですし。
「やりすぎ」ができない人は、やっぱり偉くはなれないと思いますから。
だけど、中堅は出番も多く、役割も重要になって、ちょっとしたことですぐ「場面を壊し」てしまえるようになるのですから。
「舞台」の、あるいは「作品」の中の自分の役割は何なのか(弾ければいいのか、弾けてはいけないのか)を常に考えることも必要なのかな、と。
ジョルジュ(本役・大空)のみりおくん。
この人も本当に芝居の巧い人です。
歌も結構歌える。なんといっても、「暁のローマ」で、あのアントニウスを演じきり、歌いきった方ですから。
でも。
今回は歌は苦戦してましたね…(しょんぼり)。好きな声なので、音とりをもう少しがんばってほしいです。
アントニウスのソロが表現豊かに歌い切れたんだから、絶対大丈夫!がんばれー!!
語るのは最後になってしまいましたが、ジョルジュも本公演と新公、全然違っていました。
年齢的に若くて弟が似合う、というキャラクターの違いもあるのでしょうが、
なにか、もっと本質的なところが。
ラストシーン。
下手花道に立つジョルジュは、最後にちらっとミミを見て口許に笑みを浮かべ、パリに背を向けます。
…エッフェル塔を見ることなく。
もう出来あがってしまった塔には、終わってしまった仕事には、興味がない、と。
新公では、アルマンドだけでなくジョルジュも、実力はどうあれ、一応はプロのペテン師だから。
…そんな風に解釈するのは、うがちすぎでしょうか?
新公のジョルジュが、年齢もキャラクターも若くて可愛いタイプなのに不思議と大人っぽく見えて、
本公演のジョルジュが、年齢もキャラクターも柄違いなのに、不思議と痛々しいほど子供に見えるのは。
ジョルジュが「背伸びした子供」でなく「可愛い大人」に見えるんですよね。
この違いが、演出家の意図なのか、役者の解釈なのかはわかりませんが、結果的には、どちらもありだったと思います。
うまく言葉にすることができませんが、主筋に絡まない割に出番が多いだけに、いろいろな解釈が可能な役なんだな、と思いました。
そして、主筋には絡まないにもかかわらず、ジョルジュのキャラクター次第で作品の雰囲気がずいぶん変わるんだな、と。
(アルマンドやギスターヴは、そんなに大きく違ったキャラクターを構築することが難しいので…)
…やっぱり長くなってしまったなあ(涙)。
まだ語っていないのは、ボーイたちとパリ市民。次で終わるかな、無理かな…。
.
ちょっと緊張しつつ(苦笑)、メインキャストについて。
この作品のメイン5人の新公キャスト、私は、全員ものすごく好きなんですよね。
あ、5人っていうのは、もちろんエレノール(出雲)=青葉みちる、アルマンド(瀬奈)=龍真咲、ギスターヴ(霧矢)=星条海斗、ジョルジュ(大空)=明日海りお、ミミ(彩乃)=夢咲ねねの5人ですけれども。
うん。5人とも、本当にみんな上手で達者で、なのに必死で。
そして、可愛かったです。
本役より芝居の巧いひともいれば、歌の上手いひともいました。
本役より可愛い人もいれば、衣装が似合っていたひともいました。
でも、やっぱり新公は新公なんだな、と。
さすがに本役は本役を張るだけのことはあるんだな、と。
そんなことをしみじみ思った1時間半でした。
でもね。
生田さんの演出で本公演を観てみたい、とは思いましたよ。
どこがどう違う、と言葉で説明するのは難しいのですが、しっかり一人一人を見てくださって、演技指導なさったんだろうなあ、と…
舞台を観ていて本当にそう思ったので。
まあ、本役は全員、演技指導されなくちゃ何もできないような学年でも経験でもない筈ですけれども。
この作品。5人+ジャンが、それぞれいろんなところでちょっとずつ絡むのですが、メイン全員が舞台に揃う場面っていうのがないんですよね。
そのぶん、「その場にいない人」に対してどう思っているかを表現する芝居、という難題をクリアしないと、芝居が成立しないワケですが…
たとえば、アルマンドとミミ。舞台の上で出会うのは、最初の出会いと、金庫騒ぎの後と、ラストシーンのみ。
たとえば、アルマンドとギスターヴ。舞台の上で出会うのは、最初のホテルの部屋とパーティのみ。
…でも、そうでなくてはならないのです。だって、アルマンドはペテン師ですから。
一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、ボロが出る。
だから、最低限の会話を交わすだけにして、ミミへの、あるいはギスターヴへの心情はジョルジュに向かって語るわけです。
逆に、ジョルジュには心情を吐露する場面がありません。
それは、アルマンドが聞いてくれないから(笑)というのではなく、多分、ジョルジュがまだ「一人前のペテン師ではない」からなんだと思うのです。
ジョルジュとミミは、都合4回出会います。(ラストシーンでは同じ舞台に立っているだけで絡みはありませんが…)
多分これは、出会いすぎ。そして、そのこと自体がジョルジュの「ペテン師」としてのレベルの低さを表しているんだと思うのです。
アルマンドはプロだけど、ジョルジュはプロじゃなかった。
ジョルジュはプロじゃないから、ミミとアルマンドは幸せになれるんだと(そうなれば自分もいつか幸せを見つけられる、と)、そう思いたい。
だから、モンマルトルの場面をセッティングする。
でも。アルマンドはプロだから、ミミを置いてパリを出る行動に迷いがない。
…その心情に説得力がなくては、話そのものが成立しません。
だから。
だから、アルマンドのキモは、ジョルジュに向かって「ミミにはギスターヴがお似合いだ」と語る場面だと思うわけです。
ミミとギスターヴ、その場にいない二人に対してどんな想いでいるのか、それを表現する唯一の場ですから。
そして、ジョルジュのキモは。
ミミのボタンを貰いに行ったときに何を話したのか、それを観客に想像させることができるかどうか。
アルマンドとミミ、二人に対する口には出さない想いを表現できるかどうか…
ミミは、ジョルジュに向かってアルマンドのことを語る場面。
ギスターヴは、落成式でアルマンドとジョルジュのことを語る場面。
エレノールは、アルマンドにジュリアンの思い出を語る場面。
新公のお稽古ではきっと、どうすればこの課題をクリアできるか、全員が本当に真剣に考えたんだろうな、と思いました。
クリアできた人もいるし、ちょっと厳しかった人もいたと思いますが。
それをまとめあげてきっちりとイタに載せた生田さんに、拍手。
本公演と一番キャラクターが違っていたのは、ミミでしょうか。
ねねちゃんは、本当に本当に本当に、純粋無垢に可愛かった!ので。
本質的に無色透明な、ほんのりと白い光に包まれたような少女。
こういう役は、かなみちゃんみたいな「酸いも甘いも…」なベテラン娘役には難しいのかもしれませんね。
なにもわざわざかなみちゃんにこんな役をあてなくても、と心から思いますし。エレノールをもう少し若い設定にして、アルマンドと恋をさせればいいじゃないか!と何度思ったことか(怒)。
でも、植田さんが脚本を書いた「パリの空よりも高く」のヒロインは、ミミ。
だから仕方ない。かなみちゃんは、やるしかないんです。
かなみちゃんのミミは、孤児で育って、かなり世間にもまれて苦労している娘。守ってくれる人もなく、可愛い弟を守ることに精一杯で、自分の幸せを求めることを知らない、そんな印象でした。
最初に観た時、ひょっとして花だけじゃなくて春も売っている設定なんじゃないか、と思ったくらい(←違うからソレ)、「不幸」のベールをまとった存在。
そんなミミが唯一見つけた「夢」。それが、「パリの空よりも高い塔を建てる」ことであり、そんな「夢」を描いてくれたギスターヴにほのかな憧れを抱く。
だけど、そんな「実現不可能だったはずの夢」を、現実に実現させてしまいそうなアルマンドという存在に出会って、いきなり彼に恋をする…
かなみちゃんのミミは、ギスターヴの気持もジョルジュの気持も、薄々勘づいていながら避けている印象もあって(「まさか」の言い方が、本当に「思ってもいなかったことを言われた驚き」というより、もう少し「あーあ言われちゃった…」みたいに聞こえるんですよね……考えすぎ?)。意外と自分のことはよくわかっている人なんだなあ、と。
かなみちゃんのミミには、そんな印象があったのですが。
ねねちゃんのミミは。
…とにかく可愛かったなあ……(←ダメみたいです私)
なんでだろう。ねねちゃんのミミは、「不幸」の陰を感じませんでした。
決して、大根だから陰を表現できなかったというのではないんですよ?そんなものを飛び越えて、むしろ「堕天使の涙」のリリスのような、幸も不幸もすべてを受け入れて、全てを赦してしまう無色透明さと、人としての大きさを感じた、と言ったら誉めすぎでしょうか…。
…誉めすぎだろうなきっと。
えーっと。
ねねちゃんのミミは、孤児だけど、人情に厚いパリの下町で大人たちに可愛がられて育った、そんな印象がありました。
「愛されたことがなかった」という台詞は勿論あるのですが、そこに固執していなかった、というのかな。
この台詞、本公演では「本当の私を知っている人、見てくれる人は誰もいないの」という寂しさ(=不幸の影)があって。ジャンがあんなに熱愛しているのに、なんでわかってあげないんだー!と思ってしまったりしたのですが。
ねねちゃんのミミは。
「みんな私を可愛がってはくれるけど、私が本気で好きになった人に愛されたことは、ない」
という意味に聞こえたのです…。
ジョルジュに愛されても、ギスターヴに愛されても、そんなものはまったくのアウト・オブ・眼中。
ミミの目に映るのは、アルマンドただ一人。
そんな純粋でかたくななまっすぐさが、ひどくいとおしいのです。
しかも、彼女はアルマンドの愛を得る可能性を全く考えていないんですよね。
「アルマンドさんは偉い人だから」
と言いながら、
「だから私じゃ無理なんだわ」
と思っているんじゃないんです。
最初から、そんなことは考えてもいない。
「アルマンドさんは私を愛さない」
でもそれは、ミミにとって不幸なことではないのです。
ミミはまだ、女じゃないから。子供だから。
だから、ミミは透明で。
キレイなまま、去りゆくアルマンドを見送ることができる。
アルマンドさんは、自分を愛してくれた、と。
その思い出だけを胸に抱いて。
本公演のミミは、ギスターヴと幸せになっただろうな、と素直に思えるのですが。
新人公演のミミは。
…そのまま一人で、初恋の思い出を胸にがんばっていそうだなあ、と思いました。
もしかしたら、オテル・ド・サンミッシェルをもっと本格的に手伝うようになって、エレノールの跡を継いじゃったりなんかするかもしれませんね(*^ ^*)。
ジャン(本役・明日海りお)の紫門ゆりや。
ショーのシェヘラザードに出ている唯一の「知らない下級生」だったのですが、もう覚えましたよ♪
笑顔が可愛くて、すごくいいお芝居をする人ですね!
本役のみりおくんよりちょっと大人っぽくて、「ミミに守られている可愛い弟」ではなく、「ちょっと天然なお姉ちゃんを守るしっかり者の弟」という感じ。
どの場面もちょこちょこ小芝居していて目が離せなかったのですが。
まず、「ギスターヴ応援団長」っぷりと「ジョルジュ=敵」認定っぷりに爆笑しました。
ミミがギスターヴに花束をあげる場面でも、ジョルジュが花束を奪い取った瞬間に顔色が変わるの(笑)。
「やめてください!姉さんが困ってます」の台詞も、怖い怖い。
2度目の街角で、ミミが突然「アルマンドさんってすごいですよねぇ〜♪」とギスターヴに話し始めた途端、わたわたしちゃって(爆)。
で、ギスターヴが一生懸命「ミ、ミ、ミミミミ…」ってやっているのを見て、軽く溜息をついて、「んじゃ、俺、これを届けてくるからさ、」と言ってからちらっとギスターヴの方を見る、その視線の送り方!「(あとはうまくやりなね、ギスターヴさん)」って台詞が聞こえてきそうでした(死)
ジョルジュに対するむき出しの敵意も面白かったですね。
そして、ラスト。
ミミの腰に抱きついて、引き留めるジャン。
本公演のみりおくんは、なんだか本当に「お姉ちゃん行かないで!」という感じのお芝居をされていたと思うのですが。
紫門くんのジャンは。
ただ、切ない瞳でアルマンドを見詰めて立ち竦むミミの傍に跪いて。
軽く腰に手を回して。
そして、下からミミの顔をのぞき込むんですよね。
引き留めようとするのではなく、別れに涙を流す姉を、暖かく包み込んで、宥めるように。
ちょっと話がずれますが。
メインキャストの年齢設定を考えてみました。(根拠は全くなし&ル・サンクの年齢表記は誤植だという解釈の上で)
役名 本公演 新公
エレノール 56→59歳 36→39歳
アルマンド 25→28歳 23→26歳
ギスターヴ 22→25歳 28→31歳
ジョルジュ 18→21歳 16→19歳
ミミ 20→23歳 18→21歳
ジャン 15→18歳 17→20歳
エレノールは、本公演ではジュリアンのちょっと下くらい。新公では、ジュリアンと出会った時16,7の小娘。
ジョルジュとジャンは、本公演と新公で年齢差が逆転。
ミミとジャンは、本公演ではミミがだいぶ年上で弟を守る立場、新公では、年もほとんど一緒で、弟が姉を守る立場。
うん。
この年齢設定の違いの影響が一番出たのがジャンとミミであり、ジャンとジョルジュの関係だったように思いました。
アルマンド(本役・瀬奈)のまさお。
初主演なんですね、そういえば。
そんな感じは全然しませんでした。(挨拶以外は)
いろいろありましたけど、まさおくんは終始落ち着いて、しっかり演じていたと思います。
えーっと。
私は、まさおくんの声の良さに惚れて以来、ずーっと注目していたんですよね。
最初に「この子いいなあ」と思ったのは、コンサート「SENA!」での麻子さんとのデュエットで(笑)。
新公ルドルフも好きだったし、YoungBloodsはわざわざバウまで観にいったし、本公演でちょこまか小芝居しているのが観ていて楽しくて。
でも。
YoungBloods!を観て。
これはヤバイ、と思ったんですよね…。
巧すぎる。
そして、本人も自分が巧いことを知りすぎている。
芝居、というのは、歌やダンスのように点数で評価することの非常に難しいもの。
声色の使い分けや抑揚、仕草など、点数で評価出来る部分もあるのですが、役の本質を掴むことができるかどうか、というのは点数のつけようがありません。
そしてまさおくんは、点数で評価する分野についてはものすごく高得点を取れるのですが、点数をつけられないもの(評価基準がはっきりしないもの)については、どうしたらいいのか全くわからなくなってしまうタイプのような気がします。
今はまだ、若さという勢いがあるからいいのですが。
いずれ新公も卒業してしまえば、「なんでもできる優等生だけど、おもしろみに欠けるタイプ」と言われかねない。
容姿が良いのでアイドルタイプに見られがちですが、実は意外と職人タイプなんですよね…。
こういう人は、若いうちになるべくいろんな役をやって、引き出しを増やしておくことが一番大切で、特に新人公演で違うタイプの本役の役をやらせてもらうと良いと思うのですが。
次の正塚さんのお芝居が、新公ラスト、ですよね…。
次も麻子さんの役だろうなあ…。うー、心配…。
でも、今回の「パリの空よりも高く」は、「暁のローマ」の時ほど「本役のコピーじゃんっ!!」とは思わなかったので。
まさおも少しづつ成長しているのだと思えて、嬉しかったです。
とりあえず真似から入るのも、芸を磨くには大事なことですもんねっ。
まさおの一番の魅力は、声。
それが、この膨大な台詞をハイテンションで喋り続けなくてはならないアルマンドというキャラを演じるには大きな武器になったと思います。
それも、ただ「笑いを取るために」変な声をだすのではなく、ちゃんと心情の裏付けがあったうえで「声色を使っている」のは大したものです。
間の取り方も、麻子さんとはまた違った感性なんですよね。相手も違うんですから、当たり前なのですが。
生田さんが細かく演出されたのか、細々としたところで本公演と違うことがたくさんあったのですが。
キャラとして、本公演のアルマンドと一番大きく違っていたのは、ジョルジュとの関係でしょうか。
麻子さんと祐飛さんの、仲がいいからってソコまでやらんでいい!的な異常なラブラブっぷりは影を潜めて、ごく普通の、年齢にも経験にもかなり差がある仕事上のコンビっぷり。
本役アルマンドの、妙にジョルジュに頼る風もなかったし、本役ジョルジュの、ちょっとアルマンドに対して甘えたような口調になるところもなくて。
仲はいいけど、クールなお二人でした。
本役より少し若いカンジの役作りでしたが、一つ一つの芝居を丁寧にやっていたのが印象的です。
会話している相手の台詞を、真剣に聞いているのが伝わってきて。
「芝居は相手とのキャッチボールだと教えてくれた生田先生」というようなことを挨拶で言っていましたが。
本当にそれがわかったのなら。
だとしたら、もうまさおくんは大丈夫なのかもしれない、と。
ちょっと安心してみたり。
実際、「暁のローマ」の本役ストラトーンでは、ブルータスとのキャッチボールが全然成立していなかった(YoungBloodsは、そもそも藤井さんの脚本に「会話」というものが無かったので仕方ないけど…)ことを考えれば、凄い成長したんだなあ、と涙目になってみたり。
新公は本当に、観るだけで疲れるんですよね…(←ナニカが違うような気がする)
ギスターヴ(本役・霧矢)のマギー。
あれ?声がキリヤンそっくり!?
全然違う声の筈なのに、ああいう吃りの芝居をしようとすると声まで似てしまうのでしょうか。
本公演で、「このパリにできるなんてステキじゃないかー!」と、ちょっと棒読みっぽい台詞を言っている人とはまるで別人のようでした。
芝居自体はキリヤンとはまた違っていて面白かったのですが、ちょっと気になったのは、芝居が押せ押せの一本槍だったこと。
「エリザベート」のエルマーや、「暁のローマ」のカエサルは、そこが良かったのだと思うのですが。
…ギスターヴは、引くところは引かないと。
一番気になったのは、最初のパーティで塔について説明するところ。
あまりにも芸達者で、表現力がありすぎて、
滔々と喋りすぎて、完全にギスターヴじゃなくなってしまっていましたよね。
なんてね。
文句もいいますけど、でも、マジで応援しています。
研7の最初の新公で初主演し、最後は2番手役で新公を卒業するマギー。
実力は十分にある人なので、幸せなジェンヌ人生を歩んで欲しいなあ、と祈りつつ、
…深い感慨を抱いてしまう私…。
誰かさんと違って実力はありあまるほどあるので。
新公を卒業したら、もう組内では「中堅」になるのですから。
「回りを見て」「回りを読んで」「空気を乱さない」ことも、一つの公演をし遂げる上で、とても大切なことです。
どんなに理不尽でも回りに合わせろ、って話をしているわけじゃありません。
ただ、「芝居全体」「場面全体」が、観客席からどう見えるか、をもう少し意識するともっと良くなるんじゃないかなあ、と…。
新公学年での「やりすぎ」は、問題ない。というより、やらなくちゃいけません。
どうせ新公学年は本公演での出番も少ないし、どんなにがんばっても、なかなか「場面を壊す」のって難しいですし。
「やりすぎ」ができない人は、やっぱり偉くはなれないと思いますから。
だけど、中堅は出番も多く、役割も重要になって、ちょっとしたことですぐ「場面を壊し」てしまえるようになるのですから。
「舞台」の、あるいは「作品」の中の自分の役割は何なのか(弾ければいいのか、弾けてはいけないのか)を常に考えることも必要なのかな、と。
ジョルジュ(本役・大空)のみりおくん。
この人も本当に芝居の巧い人です。
歌も結構歌える。なんといっても、「暁のローマ」で、あのアントニウスを演じきり、歌いきった方ですから。
でも。
今回は歌は苦戦してましたね…(しょんぼり)。好きな声なので、音とりをもう少しがんばってほしいです。
アントニウスのソロが表現豊かに歌い切れたんだから、絶対大丈夫!がんばれー!!
語るのは最後になってしまいましたが、ジョルジュも本公演と新公、全然違っていました。
年齢的に若くて弟が似合う、というキャラクターの違いもあるのでしょうが、
なにか、もっと本質的なところが。
ラストシーン。
下手花道に立つジョルジュは、最後にちらっとミミを見て口許に笑みを浮かべ、パリに背を向けます。
…エッフェル塔を見ることなく。
もう出来あがってしまった塔には、終わってしまった仕事には、興味がない、と。
新公では、アルマンドだけでなくジョルジュも、実力はどうあれ、一応はプロのペテン師だから。
…そんな風に解釈するのは、うがちすぎでしょうか?
新公のジョルジュが、年齢もキャラクターも若くて可愛いタイプなのに不思議と大人っぽく見えて、
本公演のジョルジュが、年齢もキャラクターも柄違いなのに、不思議と痛々しいほど子供に見えるのは。
ジョルジュが「背伸びした子供」でなく「可愛い大人」に見えるんですよね。
この違いが、演出家の意図なのか、役者の解釈なのかはわかりませんが、結果的には、どちらもありだったと思います。
うまく言葉にすることができませんが、主筋に絡まない割に出番が多いだけに、いろいろな解釈が可能な役なんだな、と思いました。
そして、主筋には絡まないにもかかわらず、ジョルジュのキャラクター次第で作品の雰囲気がずいぶん変わるんだな、と。
(アルマンドやギスターヴは、そんなに大きく違ったキャラクターを構築することが難しいので…)
…やっぱり長くなってしまったなあ(涙)。
まだ語っていないのは、ボーイたちとパリ市民。次で終わるかな、無理かな…。
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コメント
実は、私も新公見たんです。
本当に良い新人公演でしたね(^^)
みつきねこ様のご意見、私も同じように感じたので、またお邪魔させていただきました。
特にねねちゃんのミミについて。
私も新公ミミのねねちゃんは、アルマンドへの恋が実るという事はまるで考えてないように感じました。
それはやはり、アルマンドは上流階級の人間で、住む世界が違うからなのかな?と思ったんですよ。
でも本当に可愛いミミでしたねー!
町中の人に「お仕事頑張って下さいね! 成功を祈ってます!」と笑顔を振りまいているような、無邪気でいじらしいミミでした。
本公演との一番の違いは、ミミがアルマンドにお金を持ってくる場面。
お金を渡して、包み込むように手を握られたミミは、ハっとしたようにアルマンドを見ます。
その瞬間。
ミミはアルマンドへの想いが、もはや憧れではなく、強い恋心だと悟ったように見えました。
それが届かない想いである事も。
でも、次第にその切なさが、この素敵な人に恋した喜びに変わっていく・・・。
何気ない場面なのに、ちょっと泣きそうになりました(^^ゞ
この時の表情がすごく印象的だったので、デュエットの「二人の手 遠く見え」という歌詞がすごく活きていました。
そして、その後ミミが一人で「いつからでしょう あなたを好きになったのは 二人の手触れた時 それとも…」と歌う場面で、見ているほうも自然とあの夜の事を思い出して切なくなってしまうんですね。
恋の成就を願う事の無いミミにとって、塔の完成が恋の形見のように思える事も伝わってきました。
その後、嵐の中必死に「あなたの大切な塔が!」と言うのも、大切なのはむしろミミにとってなんだろうな…と、納得出来たんです。行ってどうなるものではなくても、心が触れ合ったあの一瞬の為に、二人は嵐の中に出て行くんだなぁ・・・と。
このねねちゃんの演技、本当に純粋無垢で、脚本を丁寧に読んで表現したもので関心しました。
演出による指導もあるのでしょうね。全体に「一番大切な部分だけをきっちりこなす事」に的を絞り、作り上げたように思えました。難しい芝居であるだけに、本公演で表現されているニュアンスの部分には目を瞑って。
たとえば、本公演では一番若いジョルジュの三年間の成長などはとても目立つものですが、そこはばっさり切り捨て、ただ掛け合いの台詞の部分をきっちり作る。その取捨選択の確かさ、丁寧さに演出の生田先生の力を感じましたね。
長くなってしまって、すみません。
ねねちゃんのお芝居、大好きなもので思わす語ってしまいました(^^ゞ
これからも楽しみに読ませていただきますね〜(^^)
>お金を渡して、包み込むように手を握られたミミは、ハっとしたようにアルマンドを見ます。
私もこの場面、ものすごく印象的でした!同じようなトコ観てますね(笑)。
今日、ちょうど本公演を観たのでチェックしてきたのですが、この「ハッとアルマンドを見る」動作自体はかなみちゃんもやっているんですね。でも、なんていうのかな。かなみちゃんは普通に嬉しそう…というか、「きゃっ☆」みたいな感じで。普通に甘い空気が流れているように見えたんです。
新公のような、「ああ、世界の違うひとなのに」っていう刹那の想い、切ない気持ちは役づくりの中に入れていらっしゃらないみたいで。そもそもの解釈が全然違うんだなあ、と、あらためて思いました。
3/4追記:ここ、本日また観劇して再度確認、と思ったら、かなみちゃんは全然違ってました…詳しくは本文に書きます。ごめんなさい。
>その後ミミが一人で「いつからでしょう あなたを好きになったのは 二人の手触れた時 それとも…」と歌う場面
そうなんですよね!あの場面、新公で私泣いてしまって(汗)、なんでだろう〜?と思っていたのですが。
そっか、「手が触れた時」に具象的な意味があったから、か。確かにそうかも!!ご指摘ありがとうございます!!
>その後、嵐の中必死に「あなたの大切な塔が!」と
あの台詞、ねねちゃんは「あなたの」と「大切な塔が」の間に微妙に間をおいてましたよね?
「あなたの(作った、あたしの)大切な塔が!」と勝手に補完してました(笑)。
>行ってどうなるものではなくても、心が触れ合ったあの一瞬の為に、二人は嵐の中に出て行くんだなぁ・・・と。
これは本当にそう思います。良い場面になってましたね。
良い新公でした。
もう一回、いえ、何度でも観たいです…。