清く、正しく、美しい幕末
2007年2月15日 宝塚(雪) コメント (4)雪組中日劇場公演「星影の人/Joyfull2」を観てきました。
…感想ですか?
柴田さんのお茶会があったら、必ず参加させていただきます。
参加して、「なぜ新撰組と全く関係ない話なのにこの題材を使ったんですか?」って聞くの。
…答えてくださるでしょうか、柴田さんは。
題材が新撰組ということで、先日まで東宝劇場で上演されていた宙組の「維新回天・竜馬伝」と同じ時代の作品であることは誰でもわかることなのですが。
夜野愉美さまのブログでご指摘いただいて初めて気が付きましたが、今週末から東宝劇場で始まる月組の「パリの空よりも高く」も、同じ時代の作品なんですね。
http://blog.so-net.ne.jp/nights-entertainment_troup-leader/2007-02-08
ちょっと違う形で時代が動いたならば。
彼らはパリ万博に遊びに来ていたかもしれないんだな、と思いながら。
世界の都・パリと、ニッポンの京都。
産業革命前と、後。
舞台装置の質の差は大きいですけど(苦笑)、
乗っ取られてしまう前に、
全てを奪われてしまう前に、
ニッポンは「革命」をしなくてはいけなかったわけだなぁ…(感慨)
「星影の人」
初演は1976年。31年前、なんですね。
…とにかく、ふるい。
今の演出の主流が、幕前・暗転を極力減らして盆やせり、装置の変形・移動を多用する方向になってきている中で、細切れのエピソードを暗転でつなぐ演出が「古さ」を強調しているような気がします。
でも、それはそれ。
演出だけの責任じゃない。やっぱり、脚本自体も古すぎるような気がしてなりません。
31年前。
最初の新撰組ブームはいつだったのでしょう…?
少なくとも、「新撰組マニア」は、今では想像できないくらいアングラだったのではないでしょうか。
ほんの3年前の大河ドラマの時代でも、ネットのあちこちで「あんなテロ集団の話をNHKが取り上げるなんて」という論調が見られたのです。
ましてや、31年前。
31年前に、タカラヅカで新撰組を取り上げた、というのは、もしかしたら凄いことだったのではないんでしょうか…?
…それはさすがに、考えすぎカナ?
この作品は、あくまで「沖田総司の恋物語」であって、「新撰組」の話ではないんですね。
血生臭い「革命」の物語ではなく、「清く、正しく、美しい」恋の物語。
同時期に上演された「竜馬伝」と、どうしても比べたくなってしまうのは悪い癖なのですが…
「竜馬伝」は、「幕末」の話でした。
登場人物が、全員真剣に「これからの日本」を案じ、どうすればいいのか、自分は何をすれば日本のためになるのか、を考えている。
「ニッポンの夜明けが見たいぜよ」というキャッチコピーは、気恥ずかしいけれども見事に作品のホンネを突いていたと思います。
それでいて、きちんと竜馬とおりょうの想いも、心の交流も描いたし、石田さんの、幕末という時代への愛が漏れ漏れで、すごくって。
全体としては、突っ込みどころ満載ながらもそれなりに佳作ではあったと思います。
それに対して、この「星影の人」は。
「幕末」でもなければ「新撰組」でもない。
描きたいのは、「沖田総司」。
それもアリだとは思うのですが。
ちょっと食い足りない感じは否めないんですよね…。
私は、柴田さんの「チェーザレ・ボルジア」で宝塚初見、大劇場作品で好きな作品は?と聞かれたら、5本の指のうちには必ず「黒い瞳」が入る、という、なんちゃって柴田ファンなのですが。
柴田さんの作品の、おそらく一番の特徴というのはあの「ロマンティック」至上主義的な切り口なんだと思うのです。
名作「あかねさす紫の花」にしても、額田を挟んだ三角関係だけで、あの激動の時代の政治の動きを全部説明してしまおうという暴挙に出ていらっしゃったし、
「うたかたの恋」も、原作映画ではあそこまでマリーだけのために何もかも捨てる設定ではなかったですし…
柴田さんの全盛期の作品を、柴田さんご自身で演出した公演を観たことがないのであまり偉そうなことは言えませんが、柴田さんの作品っていうのはもの凄く「ロマンティック」だなあ、といつも思うのです。
「恋のために何もかも捨てる」とか、
「あなたさえいれば何もいらない」とか、
そういうシチュエーションが繰り返し出てきますよね?
それ自体はすごく宝塚的なモチーフですし、私も大好きなので全然構わないのですが。
「沖田総司」は、「友のために恋を捨てる」人なので。
なぜ柴田さんは沖田を取り上げたのかなあ、と思ってしまうのです…。
私が観ていないから知らないだけで、柴田さんってああいう“痩せ我慢(愛しているからこそ身を引く)系”の男が主役の作品もあるのでしょうか…?どちらかと言うと植田(紳)さんの専売特許かと思っていたのですが。
ミズ(水夏希)くんの沖田は、溌剌とした若さと明るさがあって、とても良かったと思います。
声が高いのは男役としては欠点なのですが、今回の役に限っては沖田の若さを強調する効果があって良かったと思います。
ミズくんは、巷で言われているほど「渋い」男よりも少年っぽい役の方が嵌るンじゃないかなー、と思いました。
ロミオもすっごく若いイメージでしたしね☆
ユミコ(彩吹真央)ちゃんの土方は、目ヂカラのある化粧がとても良かったな。声を随分低く創ってきていたので、沖田に対する年上感があってよかったです。
やっぱり日本物のユミコちゃんって大物感があっていいわーーー。
声を創りすぎたのか、得意の筈の歌がちょっと微妙になっちゃったのが残念でしたが、ささやくように歌う「星影の人」はメチャクチャ良くて嵌りました。
あとは、もう少ししっとりとした色気があると良いんだけど。
ちょっと生真面目な剣士っぽさになってしまっていたのが残念。
照葉との場面も、もう少し土方に匂い立つような色気があると、迷う女の意味もわかるのですが…
今回の流れだと、ぶつ切れのエピソードの一つで終わってしまって、作品の中でのこのエピソードの意味がわかりにくい、と思いました。
結局は女関係が派手だった土方のキャラを出すための場面のように思えるのですが、31年前に何かこれに関係する話題でもあったんでしょうかね…?
とりあえず、ガチガチの尊攘派だった十津川郷士田村某、って、新撰組プチマニアのつもりだった私は初めてきいた名前でした…まだまだだな>自分。
となみ(白羽ゆり)ちゃんの玉勇は可愛かったー!
阿呆っぽいのは役作り?素?とても魅力的な芸妓さんでしたが、ちょっとコトバに違和感があったような…?
ひろみ(彩那音)ちゃんの山南は、今回一番の驚き。
あの可愛かったひろみちゃんが、すっごい男前で出てきた!
声をもの凄く低くしていて、ミズくんの沖田より上に見せるために出来ることは全てやりました、感がありあり。
…そんなあからさまに努力の跡を見せちゃだめだけど。
でも、その気持は買いたいです、私は。
「沖田くん」と呼びかけても違和感のない人物に、
…千秋楽までになれますように…。
とりあえず、衣装の着付けはもう一度見直してください。衣装部さんと仲良くなって、いろいろ教えて貰うといいかも。羽織に着られてしまっているのはちょっと切ないです…。
テル(凰稀かなめ)の桂小五郎。
宙組のみっちゃん(北翔海莉)の桂が、歌も芝居も達者ながら「美形じゃないのが残念」と言われていたのに対して。
テルの桂は「そこまでキレイって志士としてヤバくない?」という感じでした。
剣が使えそうに見えなかったのが惜しいのかも。
とにかくキレイでしたが、ひろみちゃん以上に「沖田くん」に無理があったなあ…。
池田屋の後、逃げる途中で沖田を心配する場面なんて、どこの恋人の心配しているのかと思いましたし。
石田さんは、「猛き黄金の国」で沖田と竜馬に相互理解の糸をはりましたが、柴田さんは「星影の人」で、沖田と桂を結びつけるんですね。
三谷幸喜の大河ドラマ「新撰組!」では、竜馬と近藤・土方の間に交流を持たせていましたが…
沖田と桂。
最初は桂の怪我を見て沖田が見逃し(←斬っとけよ…)、
2度目は池田屋から逃げる途中に桂が沖田の病状を訴えて、
3度目にやっと祇園の料亭で対峙し、剣での会話が始まるけれども、またすぐに玉勇に邪魔されて。
桂さん、沖田くんとの心の交流をぶった切られて可哀相…、
とかいう腐女子視点は置いておいて。
桂さんって、剣と剣での会話を望むような単細胞ではないと思うんだけど、というのも置いておいて。
さすがに二人とも身のこなしがキレイで、見応えのある殺陣でした。
それにしても柴田さん。
どうしても「新撰組の沖田総司」でなく「沖田総司の恋」を描きたかったのならば。
そのために、池田屋事件を暗転に声のみで演出する、なんていうジョーカーを出さなくても、素直に「屯所で待っている玉勇」を描けば良かったんじゃないかと思うんですけどねぇ。
事件の現場を描かずに、そのバックヤードを描いて、事件については観客の想像に任せる、というのは、芝居においてはよくある手です。
具体的には、ホテルのロビーから一歩も出ない「パリの空よりも高く」の嵐の場面とか。
あんな感じで、屯所で玉勇がドキドキしながら待っていると、次々にけが人が運ばれてきて、最後に沖田が虫の息で登場、原田くんとか源さんとかが事件の様子を語る…のでも十分だったと思うのです。
それどころか、話自体を池田屋の後から始めたって良い。
どうせプロローグも池田屋から生還した後の場面のリプライズなんですから、話もそこから初めて、途中で回想に入って、また元の時代に戻る。柴田さんのお得意の手法じゃありませんか?
柴田さん的に、そういう手法が確立する前の作品ということになるのかなあ…
エピソードのぶつ切れ感は、脚本だけが悪いのか、演出の問題なのか演者の問題なのか…初演は「名作」と呼ばれたのに、今回こんなに流れが悪く感じられるのは、時代なのかなんなのか。
31年前。
あまりにも遠い昔で、想像することも難しいです…。
「Joyfull II」
私、藤井大介さんのショーって好きなんです★
バウデビューの「Non-Stop」、DCデビューの「Alas」、大劇場デビューの「GLORIOUS」…どれも本当に大好きで。
姿月あさとさんのサヨナラ公演だった「GLORIOUS」を、和央ようかさんのお披露目全ツに持って行くことになった時、いったいあのサヨナラ仕様のショーをどうするんだ!?と思っいたら、見事にお披露目仕様に作り替えていた腕の冴えにすっかり感動して…
Joyfull!本公演を見逃しているので今回の変更点はよくわかりませんが、ネットの感想などを読んでいると随分褒められているので、さすがにあの「宛書」の腕はなまっていないんだなあと嬉しくなりました。
まぁ、あの、斎藤さんともどもショーに専念してほしい作家ではありますが。
タカラヅカの座付きは、宛書してナンボだと思いますので。
がんばっていただきたいです。ショー作家として。
で。
らぎ(柊巴さん)落ちしました。
スタイル良いですよね。頭小さいし。
芝居の「井上先生」が、童顔で可愛らしくてどうしていいのかわからないくらい可愛かったんですが、ショーになったらえらく「キリっ」とした顔で踊られていて。
あれ、らぎ、とっても良いじゃない?と思っていたら。
中詰めの始まりで。
ユミコちゃんセンターの後ろの群舞に、いくら探してもらぎがいない!
谷みずせさんも、真波そらさんも、白帆凛さんも、岬麗さんも、大凪真生さんも…とにかく若手はみんないるのに、組長までいるのに、
らぎがいない。
あれ……?と思って
盆が回ったら
…センターだった。
涼花リサちゃんとデュエットしてるよっ!?
すげーかっこいいいいいい!
ってゆーか、可愛いいいい!
しかも、こんなに歌えるの!?
本当に驚きました。
全く知らなかった。
これから雪組は、ひろみちゃんとらぎとかなめちゃんときたろうと………←多すぎだから。目は2個しかないんだから。
コホン。
とりあえず、エリザベートが楽しみです。
チケットがありますように♪
.
…感想ですか?
柴田さんのお茶会があったら、必ず参加させていただきます。
参加して、「なぜ新撰組と全く関係ない話なのにこの題材を使ったんですか?」って聞くの。
…答えてくださるでしょうか、柴田さんは。
題材が新撰組ということで、先日まで東宝劇場で上演されていた宙組の「維新回天・竜馬伝」と同じ時代の作品であることは誰でもわかることなのですが。
夜野愉美さまのブログでご指摘いただいて初めて気が付きましたが、今週末から東宝劇場で始まる月組の「パリの空よりも高く」も、同じ時代の作品なんですね。
http://blog.so-net.ne.jp/nights-entertainment_troup-leader/2007-02-08
ちょっと違う形で時代が動いたならば。
彼らはパリ万博に遊びに来ていたかもしれないんだな、と思いながら。
世界の都・パリと、ニッポンの京都。
産業革命前と、後。
舞台装置の質の差は大きいですけど(苦笑)、
乗っ取られてしまう前に、
全てを奪われてしまう前に、
ニッポンは「革命」をしなくてはいけなかったわけだなぁ…(感慨)
「星影の人」
初演は1976年。31年前、なんですね。
…とにかく、ふるい。
今の演出の主流が、幕前・暗転を極力減らして盆やせり、装置の変形・移動を多用する方向になってきている中で、細切れのエピソードを暗転でつなぐ演出が「古さ」を強調しているような気がします。
でも、それはそれ。
演出だけの責任じゃない。やっぱり、脚本自体も古すぎるような気がしてなりません。
31年前。
最初の新撰組ブームはいつだったのでしょう…?
少なくとも、「新撰組マニア」は、今では想像できないくらいアングラだったのではないでしょうか。
ほんの3年前の大河ドラマの時代でも、ネットのあちこちで「あんなテロ集団の話をNHKが取り上げるなんて」という論調が見られたのです。
ましてや、31年前。
31年前に、タカラヅカで新撰組を取り上げた、というのは、もしかしたら凄いことだったのではないんでしょうか…?
…それはさすがに、考えすぎカナ?
この作品は、あくまで「沖田総司の恋物語」であって、「新撰組」の話ではないんですね。
血生臭い「革命」の物語ではなく、「清く、正しく、美しい」恋の物語。
同時期に上演された「竜馬伝」と、どうしても比べたくなってしまうのは悪い癖なのですが…
「竜馬伝」は、「幕末」の話でした。
登場人物が、全員真剣に「これからの日本」を案じ、どうすればいいのか、自分は何をすれば日本のためになるのか、を考えている。
「ニッポンの夜明けが見たいぜよ」というキャッチコピーは、気恥ずかしいけれども見事に作品のホンネを突いていたと思います。
それでいて、きちんと竜馬とおりょうの想いも、心の交流も描いたし、石田さんの、幕末という時代への愛が漏れ漏れで、すごくって。
全体としては、突っ込みどころ満載ながらもそれなりに佳作ではあったと思います。
それに対して、この「星影の人」は。
「幕末」でもなければ「新撰組」でもない。
描きたいのは、「沖田総司」。
それもアリだとは思うのですが。
ちょっと食い足りない感じは否めないんですよね…。
私は、柴田さんの「チェーザレ・ボルジア」で宝塚初見、大劇場作品で好きな作品は?と聞かれたら、5本の指のうちには必ず「黒い瞳」が入る、という、なんちゃって柴田ファンなのですが。
柴田さんの作品の、おそらく一番の特徴というのはあの「ロマンティック」至上主義的な切り口なんだと思うのです。
名作「あかねさす紫の花」にしても、額田を挟んだ三角関係だけで、あの激動の時代の政治の動きを全部説明してしまおうという暴挙に出ていらっしゃったし、
「うたかたの恋」も、原作映画ではあそこまでマリーだけのために何もかも捨てる設定ではなかったですし…
柴田さんの全盛期の作品を、柴田さんご自身で演出した公演を観たことがないのであまり偉そうなことは言えませんが、柴田さんの作品っていうのはもの凄く「ロマンティック」だなあ、といつも思うのです。
「恋のために何もかも捨てる」とか、
「あなたさえいれば何もいらない」とか、
そういうシチュエーションが繰り返し出てきますよね?
それ自体はすごく宝塚的なモチーフですし、私も大好きなので全然構わないのですが。
「沖田総司」は、「友のために恋を捨てる」人なので。
なぜ柴田さんは沖田を取り上げたのかなあ、と思ってしまうのです…。
私が観ていないから知らないだけで、柴田さんってああいう“痩せ我慢(愛しているからこそ身を引く)系”の男が主役の作品もあるのでしょうか…?どちらかと言うと植田(紳)さんの専売特許かと思っていたのですが。
ミズ(水夏希)くんの沖田は、溌剌とした若さと明るさがあって、とても良かったと思います。
声が高いのは男役としては欠点なのですが、今回の役に限っては沖田の若さを強調する効果があって良かったと思います。
ミズくんは、巷で言われているほど「渋い」男よりも少年っぽい役の方が嵌るンじゃないかなー、と思いました。
ロミオもすっごく若いイメージでしたしね☆
ユミコ(彩吹真央)ちゃんの土方は、目ヂカラのある化粧がとても良かったな。声を随分低く創ってきていたので、沖田に対する年上感があってよかったです。
やっぱり日本物のユミコちゃんって大物感があっていいわーーー。
声を創りすぎたのか、得意の筈の歌がちょっと微妙になっちゃったのが残念でしたが、ささやくように歌う「星影の人」はメチャクチャ良くて嵌りました。
あとは、もう少ししっとりとした色気があると良いんだけど。
ちょっと生真面目な剣士っぽさになってしまっていたのが残念。
照葉との場面も、もう少し土方に匂い立つような色気があると、迷う女の意味もわかるのですが…
今回の流れだと、ぶつ切れのエピソードの一つで終わってしまって、作品の中でのこのエピソードの意味がわかりにくい、と思いました。
結局は女関係が派手だった土方のキャラを出すための場面のように思えるのですが、31年前に何かこれに関係する話題でもあったんでしょうかね…?
とりあえず、ガチガチの尊攘派だった十津川郷士田村某、って、新撰組プチマニアのつもりだった私は初めてきいた名前でした…まだまだだな>自分。
となみ(白羽ゆり)ちゃんの玉勇は可愛かったー!
阿呆っぽいのは役作り?素?とても魅力的な芸妓さんでしたが、ちょっとコトバに違和感があったような…?
ひろみ(彩那音)ちゃんの山南は、今回一番の驚き。
あの可愛かったひろみちゃんが、すっごい男前で出てきた!
声をもの凄く低くしていて、ミズくんの沖田より上に見せるために出来ることは全てやりました、感がありあり。
…そんなあからさまに努力の跡を見せちゃだめだけど。
でも、その気持は買いたいです、私は。
「沖田くん」と呼びかけても違和感のない人物に、
…千秋楽までになれますように…。
とりあえず、衣装の着付けはもう一度見直してください。衣装部さんと仲良くなって、いろいろ教えて貰うといいかも。羽織に着られてしまっているのはちょっと切ないです…。
テル(凰稀かなめ)の桂小五郎。
宙組のみっちゃん(北翔海莉)の桂が、歌も芝居も達者ながら「美形じゃないのが残念」と言われていたのに対して。
テルの桂は「そこまでキレイって志士としてヤバくない?」という感じでした。
剣が使えそうに見えなかったのが惜しいのかも。
とにかくキレイでしたが、ひろみちゃん以上に「沖田くん」に無理があったなあ…。
池田屋の後、逃げる途中で沖田を心配する場面なんて、どこの恋人の心配しているのかと思いましたし。
石田さんは、「猛き黄金の国」で沖田と竜馬に相互理解の糸をはりましたが、柴田さんは「星影の人」で、沖田と桂を結びつけるんですね。
三谷幸喜の大河ドラマ「新撰組!」では、竜馬と近藤・土方の間に交流を持たせていましたが…
沖田と桂。
最初は桂の怪我を見て沖田が見逃し(←斬っとけよ…)、
2度目は池田屋から逃げる途中に桂が沖田の病状を訴えて、
3度目にやっと祇園の料亭で対峙し、剣での会話が始まるけれども、またすぐに玉勇に邪魔されて。
桂さん、沖田くんとの心の交流をぶった切られて可哀相…、
とかいう腐女子視点は置いておいて。
桂さんって、剣と剣での会話を望むような単細胞ではないと思うんだけど、というのも置いておいて。
さすがに二人とも身のこなしがキレイで、見応えのある殺陣でした。
それにしても柴田さん。
どうしても「新撰組の沖田総司」でなく「沖田総司の恋」を描きたかったのならば。
そのために、池田屋事件を暗転に声のみで演出する、なんていうジョーカーを出さなくても、素直に「屯所で待っている玉勇」を描けば良かったんじゃないかと思うんですけどねぇ。
事件の現場を描かずに、そのバックヤードを描いて、事件については観客の想像に任せる、というのは、芝居においてはよくある手です。
具体的には、ホテルのロビーから一歩も出ない「パリの空よりも高く」の嵐の場面とか。
あんな感じで、屯所で玉勇がドキドキしながら待っていると、次々にけが人が運ばれてきて、最後に沖田が虫の息で登場、原田くんとか源さんとかが事件の様子を語る…のでも十分だったと思うのです。
それどころか、話自体を池田屋の後から始めたって良い。
どうせプロローグも池田屋から生還した後の場面のリプライズなんですから、話もそこから初めて、途中で回想に入って、また元の時代に戻る。柴田さんのお得意の手法じゃありませんか?
柴田さん的に、そういう手法が確立する前の作品ということになるのかなあ…
エピソードのぶつ切れ感は、脚本だけが悪いのか、演出の問題なのか演者の問題なのか…初演は「名作」と呼ばれたのに、今回こんなに流れが悪く感じられるのは、時代なのかなんなのか。
31年前。
あまりにも遠い昔で、想像することも難しいです…。
「Joyfull II」
私、藤井大介さんのショーって好きなんです★
バウデビューの「Non-Stop」、DCデビューの「Alas」、大劇場デビューの「GLORIOUS」…どれも本当に大好きで。
姿月あさとさんのサヨナラ公演だった「GLORIOUS」を、和央ようかさんのお披露目全ツに持って行くことになった時、いったいあのサヨナラ仕様のショーをどうするんだ!?と思っいたら、見事にお披露目仕様に作り替えていた腕の冴えにすっかり感動して…
Joyfull!本公演を見逃しているので今回の変更点はよくわかりませんが、ネットの感想などを読んでいると随分褒められているので、さすがにあの「宛書」の腕はなまっていないんだなあと嬉しくなりました。
まぁ、あの、斎藤さんともどもショーに専念してほしい作家ではありますが。
タカラヅカの座付きは、宛書してナンボだと思いますので。
がんばっていただきたいです。ショー作家として。
で。
らぎ(柊巴さん)落ちしました。
スタイル良いですよね。頭小さいし。
芝居の「井上先生」が、童顔で可愛らしくてどうしていいのかわからないくらい可愛かったんですが、ショーになったらえらく「キリっ」とした顔で踊られていて。
あれ、らぎ、とっても良いじゃない?と思っていたら。
中詰めの始まりで。
ユミコちゃんセンターの後ろの群舞に、いくら探してもらぎがいない!
谷みずせさんも、真波そらさんも、白帆凛さんも、岬麗さんも、大凪真生さんも…とにかく若手はみんないるのに、組長までいるのに、
らぎがいない。
あれ……?と思って
盆が回ったら
…センターだった。
涼花リサちゃんとデュエットしてるよっ!?
すげーかっこいいいいいい!
ってゆーか、可愛いいいい!
しかも、こんなに歌えるの!?
本当に驚きました。
全く知らなかった。
これから雪組は、ひろみちゃんとらぎとかなめちゃんときたろうと………←多すぎだから。目は2個しかないんだから。
コホン。
とりあえず、エリザベートが楽しみです。
チケットがありますように♪
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コメント
というわけで、上記に関して31年前に観劇していた私がコメントさせていただきますね〜
31年前に観劇した私が、簡単に背景をご紹介しておきますね。それにしてもそんなに年月が経っていたとは・・・なんだかすごい長老って感じがしますよねぇ・・・とほほ
先ず、調べてみたところ1968年にNHKで大河ドラマ「竜馬がゆく」1970年にTV朝日で「燃えよ剣」が放映されて第一次新撰組ブームになったと思います。
当時は何しろ家族全員で紅白を見ていた時代ですから、子供も大人も幕末とか新撰組とかに妙に詳しくなったと思ってくださいませ。ですから沖田総司といわれたら、大人も子供もあんな感じだなぁという程度には一般常識?としてイメージがあったかと。
同様に土方さんはカッコよくて女性にもてるっていうイメージがありましたね(笑)
雪組公演は1976年ですから時代背景がお判りいただけるかと。
で、戦後「忠臣蔵」とかが上映禁止になったように新撰組とかも余り表だって取り上げるのは憚られたのかもしれません。だからご推察のとおりアングラだったかなと。
で、もう幕末も新撰組も知ってるという前提で、宝塚としては沖田総司を、その悲恋の主人公として取り上げたのは画期的だったように思います。
「星影の人」ってそうなんですよ、多分。「竜馬伝」と比較するのは、基本の土俵が違うのでちょっとなぁなんて感じました。
あと、柴田先生がなんで沖田を取り上げたのかとか、「やせ我慢」系の男を取り上げたのかという疑問ですが、これは公演をした雪組の特異性と関係していると思います。
当時のトップ汀夏子さんは小柄でわりと可愛いというか弟キャラだったのです。
でもすごーーーくクサい宝塚チックな人でして、熱いファンが多かったの。
雪ファンというと、当時は公演を毎日観るのが普通と言われていましたよ、わはは
ま、チケット代金が安くて、東宝のA席(今のSS&Sね)が2500円、D席(一番安い席)が300円だったか350円?そんな金額だったので、中学生、高校生でも学校の帰りに公演を見に行かれたし。で、2番手が麻実れいさんでして、ターコさんは若いのに大人っぽくて色気があったので、ファンは女ったらしのターコさんが見たかったということでしょう。
私も着流しで「総司・・・」とニヤっとしながら話すターコさんにクラクラきていました(笑)
で、当時トップさんと2番手は学年差があり、今ならオサがトップだったら2番手はまっつ?!
という感じかな? 間には新公主演経験者とか、別格ダンサーとか別格歌手がいたりして層の厚さが違ったような気がします。だからこそ、下級生でも汀さんを子供扱いしても不自然じゃないような空気がありました。
クールな大人な魅力をもった常花代さんとか、厚く渋く踊る尚すみれさんとかいて、柴田先生はうまくあてがきしたと思っていました。そうそう、桂さんもかなり若かったけど、貫禄あったなぁ(笑)かなめちゃんよりもオヅキのほうがバランスよかったかもね♪
それを今の上級生の少ない雪に当てはめるのはちょっと辛いだろうとは想像できますが・・・
ちなみにターコさんは研6くらいから、いつもお兄さん役だったので持ち味が大人だったってことでしょう。
娘役も高宮さんが一応トップでしたが、持ち味が色っぽいお姉さんだったので、それを考えて配役すると玉勇さんは年上のお姐さんというわけですね。ちなみに玉勇さんは仇っぽくはあったけど阿呆っぽくはなかったので、これはとなみちゃんの個性ですね、きっと。
娘役さんたちもとてもうまく宛書されていると当時は思いました。
なんか昔のほうが生徒さんの個性が強かったかもしれません。子供なりに生徒さんの好き嫌いとか結構あったように思いますし。今はそんなに苦手な人っていなくなったような気がします。
あとね、池田屋騒動を声だけでってのも違和感があまりなかったのです。
というのも、昔ってラジオドラマが今よりももっと普通で、あと深夜放送とかでラジオを聞くのが流行ってたりしたせいか、ドラマの作り方が今とは違うような気がします。
それに宝塚がマスコミに登場するのも、私もラジオが多かったですね、関西がメインのラジオ放送を東京で一生懸命にダイヤルをぐるぐるして聞いた覚えがあります。おまけにビデオとかなかったから公演は全てレコードだったんですわ。ビジュアルに全く訴える手段が無くて耳が頼りとなるとやはりラジオドラマの手法として声だけになるんじゃないかな?
NHKのTV中継もカセットで録音してましたし・・・(ベルバラとかカセットで残ってますよ!)
ビデオとかTV中継が増えてきて柴田先生も作劇を変えたかなと思いました。
ま、当時を知る友人たちに聞いてみたら「星影の人」のLPレコードをカセットに録音して100回聞いたなんて言ってるから多分それでよかったんでしょう。
ただ中日で再演するにあたっては、みつきねこさまがおっしゃるような演出に変更したほうがずっと良かったですよね。「その通り!」なんてご意見拝見しながら言ってました。
流れの悪さとかは、私が中日をまだ観てないので何ともいえませんが、テンポが遅いのが今に会わないんだと思います。
それこそ20年くらい前に「南の哀愁」とか「ジャワの踊り子」とか再演したときに
「名作なのよぉ〜」と感動する母に「え〜っ!かったるいだけだよ」などと文句を言った覚えがありますもの。歴史は繰り返してますね、わはは
長くなりまして済みません。バウとかで再演だったら
らぎか ひろみ:沖田
オヅキ :土方
かなめ :桂
にわにわ :山崎
なんて配役で観たいですね。
さて、「星影の人」は、はにはにさまがとても詳しく解説してくださっているので、私からは、こちらの話題を。
>私が観ていないから知らないだけで、柴田さんってああいう“痩せ我慢(愛しているからこそ身を引く)系”の男が主役の作品もあるのでしょうか…?
あるんですよ。
1992年月組公演「珈琲カルナバル」主役のジュリオ(涼風真世)は、農園主の娘(麻乃佳世)と恋仲になるが、やさぐれてしまったライバル(天海祐希)にやる気を取り戻させるため、わざと別れて譲り、やせ我慢して去って行く。
そのラストのセリフが、「ジュリオ、頑張れ」とかなんとかの独白(自分を叱咤激励)で、当時、すごく評判が悪かったのを覚えています。
あのあたりから、柴田先生は、公演ごとになにやら不思議な挑戦をするようになった気がしますね。
「珈琲カルナバル」、タイトルだけは知っていましたが、全然ストーリーを知りませんでした。そういう作品だったんですね〜!
>そのラストのセリフが、「ジュリオ、頑張れ」とかなんとかの独白(自分を叱咤激励)で、当時、すごく評判が悪かったのを覚えています。
…トップスターがそんなことを言って幕切れだったら…ちょっとイヤかも…。
>柴田先生は、公演ごとになにやら不思議な挑戦をするようになった
不思議な挑戦…面白すぎ(^ ^;ゞ。
ところで、チェーザレ・ボルジアの兄妹愛とか、当時の評価はどうだったのでしょうか…?